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ニュースでの扱いは減ったけど、まだまだ大変

今日はこれらの記事から。

暗いニュースを並べてしまいました。

なんか申し訳ない。

すっかりニュースではコロナを騒ぎ立てる事が少なくなり、なんとなく街を歩く人も以前のように戻りつつあると感じる今日このごろです。

でも、テレビではあまり流れないだけで、こういった事実がある事も知っておかなきゃなと思います。

NYは大変な事になっていますね。

日本よりもコロナによる規制が大きく、家賃も高いので、そうなるよな…

一方、日本でも飲食店の倒産件数が増えています。

これはあくまでも法的整理を行った企業のみの数字なので、実際はこれよりも多いのは間違いありません。

そうなるとこういった事が起きる。

というのが、3番目の記事。

本当に胸が痛くなる。

僕は自己責任おじさんなので、甘えとか言い訳とかグチとかを冷めた目で見てしまうのですが、感情はあるので胸は痛くなります。

家賃を払うのに苦労している人はカフェでコーヒーも飲めないだろうな。(気持ちに余裕がなくて)

とか、考えて少し悲しくなってしまう。

勝手な想像なのに。

本来はこういった人に寄り添う為にカフェはあるべきだ。

と思っています。

一人でいると暗くなっちゃうから、それを和らげる為の空間。

落ち着いて前を向く時間を作る空間。

再起動する為の装置としての場所。

写真を撮る為じゃなく、キラキラした自分を演出する為でもなく、誰かに自慢をする為の場所でもない。

僕は元々元気な人をさらに押し上げるとか、もっと豊かにするってよりも、

もう駄目かもしれない、ちょっとしんどい、話聞いてくれないかな…

みたいな人を引っ張り上げるのが好きみたいです。

そういった人にどうやったらアプローチ出来るのかな。

販売価格を下げるのは分かりやすいけど、そうやって解決するってのは違うと思う。

お店が続かないし、価格差をつけるのも尊厳を傷つけそうだ。

っで、思い出したのがこれ。

カフェ・ソスペーゾ(Caffè sospeso)。ソスペーゾは保留という意味。イタリア・ナポリのバールには、一杯のコーヒーを飲むときに、裕福ならば二杯分の代金を支払い、貧しくてコーヒー代も支払えない人のために使ってもらうという制度がある。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この文化を根付かせるのはきっと難しいとは思う。

大手は無理なんじゃないかな。

でも、うちみたいな小さな個店だったら出来るんじゃないかと…

きっとこれから二極化は進むし、一杯450円のカフェ・ラテは高い!

っていう人は増える気がする。

でも、飲食店は値上げ方向に進むはず。

色々な経営者が値上げしか無いって言ってるので。

そうなると切り捨てられる人が出てくる。

それは悲しい。

美味しいコーヒーで救えるとは思わないけど、楽になる人はいると思う。

って事で、これもいつかやりたいな。

最近やりたい事が増えてばかりだな。

口だけにならないように気をつけなきゃな。

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