大学4年の時に起きた悲劇。
僕は真面目に大学に行っていた。
3年の終わりまでは。
適度にサボりつつも、大学に友達がいなかったので自分でノートをとらないといけない。
その理由だけで行っていた。
そんな僕に後輩が出来る。
バイト先に入ってきたのだ、同じ大学の子が。
いい奴で、出来る子だった。
「福永さん、私が授業にでてノートもとるし、過去問もあるから大丈夫です。最後の1年は就活したり遊んだりしてください」
卒業までに2単位だけ残していたけど、その子に任せる事にした。
リーマンショックの翌年という事もあり、就活は大変だった。
でも、なんとか内定を貰い、あとは大学のテストを受けるだけ。
後輩に過去問をもらい、例年なら持ち込み可のテストだったのでノートのコピーも貰った。
いざ、テスト本番。
まず、持ち込みは不可になっていた。
焦る。
問題用紙が配られる。
過去問と違う。
血の気が引く。
今でも覚えている問題がある。
「○○年に沈没した船の名前と、その理由を述べよ」
僕の解答:天候不良の為。
なんとか、△でもいいから点が欲しかった。
そんな希望は見事に打ち砕かれる。
単位は貰えず、留年が決まる。
後輩は必死に謝っていた。
でも、全ては僕が選んだ事だから大丈夫と言っておいた。
内定先に電話する。
「そうですか。でも、平日仕事が出来るなら大丈夫ですよ。」
優しい声がした。
涙が出るかと思った。
大学には週末に行けばいいので、何も問題はないと思った。
3月11日、東日本大震災が起きる。
リーマンショックを引きずる中、さらなる追い打ち。
入社式の前日、内定先から電話が入る。
「内定の件ですが、取りやめです。」
色々と話したけど、無理だった。
業績が悪化してるし、先行きも読めなくなったと。
そもそも留年をしてる僕が悪い。
卒業が出来ず、内定も無くなった。
でも、まだ悲劇は終わらない。
4年間働いていたコーヒー屋、閉店。
ビルの老朽化で決まっていた事だけど、あまりにも悪いタイミングだった。
半年間は大学に行かなきゃいけないのに。
学費ぐらいは稼がないと親に合わす顔がないのに。
あらためてもう一度確認しよう。
大学→留年
内定→取り消し
バイト先→消滅
全てが無くなり、これから先どうしていいのか分からなくなった。
続きはまた明日。
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