見れて、聞けて、話せる。
自分を満たす為の消費よりも、誰かから受け取る感謝のほうが満たされる。
昨日、こんな事を書いて。
自分の言葉を引用しといてなんだけど、我ながら聖人君子なのかと錯覚しました。
こんな良い事を書いていたのか。
(自惚れ)
冒頭に書いた言葉は本当に思っている事で、これは進化心理学的にそうみたいです。
利己的な動機は、利他的な動機よりも弱い。
走れメロス。
カフェの仕事をしていると、この考え方が強化されます。
というのは、お客さんに直接感謝をされる事が多く、コミュニケーションを取る時間もあり、密な繋がりが生まれるから。
すると、「この人の為に」という感情が働きやすくなる。
他の飲食店を考えてみましょう。
レストランでは、キッチンとホールで分業制がほとんど。
パン屋さんだと、職人さんとお話出来る機会はほぼないと思う。
カフェの専門性の低さが浮き彫りになるけど、それが悪い訳ではない。
うちはテイクアウトのお店ではありますが、話す機会があり、それは僕がレジもバーもやるからで。
提供するまでの3分間は、その人の為の時間なんです。
ドリンクを買いに来てくれるお客さんと、それを提供する僕。
最初の始まりは誰もが同じで。
(noteを始めてから少し変わったけど)
(今日も京都から来てくれたし)
(いつも楽しいお話をありがとうございます)
満足してくれたら通ってくれるようになり、少しづつ話す機会が増え。
そんな事をしていると、うちに来るのが良い意味で特別な事ではなくなり。
その人の日常に溶け込むと、無くてはならない存在となる。
カフェインどころではない依存性だ。
いや、依存ではないか。
病院とか、お寺に近い。
そんな有り難いポジションに置いてくれるので、僕は日々満たされているのです。
あるだけで、いるだけで喜んでくれるから。
とあるパン屋さんに言われた事があります。
「僕らは食べてる所を見れる機会がほとんどない」と。
この言葉を聞いてから、今の仕事の特殊さに気づきました。
見れて、聞けて、話せる。
これに気づいてるカフェの店員はどれぐらいいるんだろうか。
これは飲食では当たり前ではない。
それを分かっていると、何が必要なのかが分かるはず。
美味しいコーヒーを提供したい。
それは当たり前の事で、どちらかと言うと自分を満たす為の動機だと思う。
これをエゴとも言う。
そうではない部分を見つけられた所が長続きするんだろうなと。
8年目で何を偉そうにと思うかもしれませんが、そんな事を思っているのです。
しかも、強めに。
なぜなら、利他的な動機のほうが強いから。
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