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感覚と理屈を行ったり来たり

「なんかいいよね」

こんな言葉で語られるようになったら理想だと思うのです。

昨日、こんな言葉を書いて。

これは前にも書いた事があるんですが、理屈じゃない事に惹かれます。

文章を書いていて思うのは、論理的に考え、自分を納得させる事が好きだという事。

でも、惹かれるのは、さっきも書いた理屈ではない事。

どんな人を好きになるか。

たまにある、こんな話。

見た目は、性格は、年齢は、職業は、、、、

人によって色々な好みを言い、あーでもないこーでもないとくだらない会話をする。

僕もその場のノリで色々と言うけど、結局は理屈じゃないという所に行き着く。

なんかいいよね。

この言葉には、何に惹かれてるか分かってないという意味を含んでいる。

それが良くて。

なんでも説明できてしまうと面白くないというか。

全てが理屈通りなら、真似する事も偽る事も簡単になってしまう。

それが、つまらない。

味を科学的に分析し、この数値だから美味しい。と言うのは、説得力がある。

でも、そこを目指せばいいってのは違う。

というのは、行き着く先が同じだから。

それではつまらない。

それよりも、数値で判断すると大した事ないんだけど、こっちのほうが美味しい。

そう思わせる事のほうが面白いんじゃないかと思うのです。

あそこのラテってなんかいいよね。

この言葉を引き出せたらいいな。

その為に何をすればいいか、どうすればいいか。

これは感覚ではなくて、理屈で考えるべきだと思っていて。

感覚と理屈は、どちらかだけが発達していては駄目なんだという事はなんとなく分かる。

ただ、なんともバランスが難しい。

誰かが言ってたぜ 俺は人間として自然に生きてるんだと
自然に生きてるって わかるなんて なんて不自然なんだろう

吉田拓郎 イメージの詩

こんな感じ。

感覚と理屈を行ったり来たり。

それでいつかは、なんかいいよねが出来上がるのではないかと思っているのでした。


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