ある男の育休の話


育休というのは、”休み” ではない。



記憶が薄まらない内に記録することで、誰かにそれを知って貰って、
会社員ではない人の立場に共感するための、わずかなピースになれればと思いこれから連ねていく。


僕は会社員33歳の男で、妻と3歳の長女がいる。

2022年の3月に第二子が生まれ、4人家族になった。

出産の約半年前くらいから育休をとろうと計画し、業務を依頼したり準備を進めていた。


そもそも育休を取ろうと思ったのには、2つの理由がある。


  1. 妻の実家が無くなったので、出産後静養する場所が自分の家となった。

  2. 妻と義母の関係


1.について、
第一子の時は、実家が存在していたので、そこで義母と妻は出産後の産褥期を過ごしていたので、特段、育休を取得しようという気にはならなかった。

ただ、第二子の場合は自分の家でお世話をする必要があり、義母も常にいるわけではないので、必然的に自分の手が必要だろうと考えた。

ちなみに、出産後最低1か月間の産褥期は、母体の将来の健康のためにも家事などをさせてはいけない。

2.について、
妻と義母は仲が悪いわけではないが、ずーっと同じ空間に居ることで少し歪が生まれやすい関係だ。

義母にお願いをすれば、常に家に居て貰うことも不可能ではなかったと思うが、家族の人間関係のトラブルで何度か話し合いに発展した過去を考えると、中長期的視点でその2人が同じ空間に居続けることは避けたほうがいいと考えた。



以上、2つの理由から僕は育休を取ることを決めた。


実際に育休期間に突入すると、普段の会社員生活では得られない感覚や気づきが多くあった。



気づき


とにかく忙しい


1日のスケジュールをここに記す。

6:30    寝不足状態で起床
        (赤ちゃんと同部屋で寝ている。夜中でもお世話準備のため)
6:40    身支度、朝食、洗濯1回目
7:20    洗濯物干す1回目
7:50    長女を起こし、おむつを替え、食事、着替え、検温を促す。
           "保育園行きたくない!!" の説得
8:50    保育園へ送る
9:00    帰宅、洗濯2回目(赤ちゃん用洗剤にて)
           赤ちゃんを受け取り、妻を寝かせる。
           [ミルクあげ、おむつ交換、抱っこでのあやし] ループ
9:40    洗濯干す2回目
10:00  会社からの連絡などを確認
11:00  お昼ご飯の準備
11:30   昼食
12:30   食材、洗剤、保育園で必要なものなど買い出し
14:30   帰宅
15:00   赤ちゃんの沐浴
15:30   ミルクあげ
16:00   夕食の準備開始
16:30   長女保育園お迎え
17:00   夕食本格作製
17:30   夕食
18:30   夕食片付け完、お風呂溜める
19:00   長女とお風呂入る
19:45   妻がお風呂に入る間、赤ちゃんのお世話
21:00   就寝準備
           長女をテレビから剥がし、歯磨きと用足しを促し、寝部屋へと導く
           遊び=寝る前の最後の抵抗と絵本読み2冊
22:30   就寝


いかがでしょうか。
とにかく細かく時間が区切られているし、気を配る人も変わってくる。

自分の身が自由になる瞬間は30分未満というのが相場だ。
これがなかなかに辛い。

仕事だと自分で段取りして、ある程度自分のコントロール下でモノゴトが進んでいくが、育児・家事となるとそうはいかない。


1つ1つは誰でもこなせるタスクではあるが、それが目まぐるしく迫ってくる感じ。

こうなってくると自分のことが段々どうでも良くなってくる気持ちが湧いてくる。

とにかく目の前のことをこなすことに集中しないと、生活や暮らしが継続できない、という感覚になってくる。

お母さんや主婦・主夫は忙しいのである。

これは世の中の情勢に関係なく、常に一定のレベルで忙しい



社会への関心の薄れ


家事・育児に専念していると段々と世の中のことがどうでも良くなってくる感覚があった。

それ以前の僕は、自分とは何者か、社会にどういう貢献ができるのか、という思考を多くしていて、割と大きく遠い問題に注目していた。

自分の仕事内容も関連していると思うが、お客様にモノを届ける職業の場合、自分とは全く関係ない会ったこともない人に対して、製品・サービスを創る。

そのためには、遠い視野だったり、自分ではない人に共感する客観性が必要と思う。それをじっくり時間をかけて試行錯誤していく。

しかし、家事・育児となると、成果物を届ける相手は明確に決まっていて、納期もめちゃくちゃ早い。

料理を例に挙げると、
  届ける相手:妻、子
  納期           :今日の夕方
みたいな感じである。   

短期且つ個別の案件対応になるため、社会の大きなことを考えても目の前の人たちにとってなんのメリットがない、という感覚を味わった。


だから、自分の話はたまに通じないのか、ということが理解できた気がする。 

同じ家族で同じモノを見ているようでも、置かれている状況や環境によって、注目する問題との距離感やサイズが変わってくる、というのが一つ気づきであった。



世の中の人は働き者


一週間もPCを触らないでいると、メールやチャットがめちゃくちゃ溜まっている。

僕はこの一週間、暮らしをするために家事に追われるループのような日々を暮らしていたが、こうも社会は変わるものか、と感じた。

自分の会社の人も、他の会社の人も本当に働きものである。

それをもっと自覚させてあげたいなという気持ちになった。

”みなさん、もう十分働いていますよ~!すごい!” みたいな。

俯瞰して考えてみると、時間の流れが異なる人間がいるっていうのは、事実なんだなと思った。

それは、文化とか民族の問題ではなく、その人の状況にも依存するものなのだなと。

逆に、状況が一緒だったら文化、民族が異なっても同じ思考・行動をとる可能性もあるのではないか、と考察できる。



最後に


正直、僕は育休を迎えるにあたり、ほのぼのした感じとか、楽しい感じを想像していたが、現実は必ずしもそれだけではない。

当然、以前の僕と同じ認識を持っている人もいると思うが、せめて1人だけでも、この投稿により意識が変わる人がいたら僕は嬉しい。

育休という言葉のイメージに引っ張られていることも考えられるので、

育専=育児専念

とかにしてもいいかもしれない。

そもそも育児・家事自体が軽んじられている可能性も考えると、会社の制度として、育児休業取得に対してインセンティブが働く仕組みがあってもいいかもしれない。


大変さのスケールは人それぞれ。

自分が体験していない大変さを想像できる人間に一歩近づけたかもしれないと感じている。






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