スペイン生まれの日本人が選んだ、"楽" ではないけど楽しい道 #5. Tadashi(メキシコ)
#その時自分史が動いた は、私たち夫婦が世界一周をしながら現地の人々に突撃取材をし、彼ら彼女らの語る人生ストーリーと私たちの視点を織り交ぜながらお伝えしていくシリーズです。(背景はこちら)
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「両親は日本人ですが、僕はスペインで生まれ育ちました。母は元々日本の先生で、父はスペインの日本大使館で働いていました。なので、それなりに裕福な家庭で育つ予定だったのですが・・・
僕が4歳のとき、父親が亡くなったんです。突然の出来事でした。母はスペイン語すら話せない状況。それだったら、普通は帰国するじゃないですか。でも、なんと、『スペインで子供を育てる』という決断をしたんです。
それが間違いなく自分の原点だと思いますね。
今、僕には5歳の息子がいるのでたまに考えちゃいます。仮に僕が今死んだら、どうなるんだろう、って。
その後、母は別の日本人男性と結婚し、その人が今の僕の父親的な存在になっています。彼は画家で、とてもボヘミアンで。なので僕は、かなりボヘミアンな育てられ方をしました。何事も『自分で考えたらいいんじゃない?』という感じの。」
世界一周を始める前に「是非タダシさんの話、聞いてみて!」とご紹介いただいたのが本日の主人公。
お話を聞いて感じたのは、周りに流されることなく常に自分の軸を持っている強さだった。
メキシコシティのこじんまりとしたカフェで挨拶をしたとき、「僕の話なんて面白いかなあ…」なんて仰っていたけれど、とんでもない。経歴書からはゼッタイに読み取れないユニークすぎる人生ストーリーに、私たちが学ぶべきものがたくさん詰まっていた。
【細い一本道】スペインの不良高校生
「僕は、常に外国人でした。スペイン生まれでも、見た目はどう頑張ってもアジア人。道を歩いていると、『おいチャイニーズ、国に帰れ!』と罵倒されるんですよ。
そんなこともあってか、若い頃の僕は不良でした。反発心から生まれたものだと思いますね。多分めちゃくちゃ怖かったと思います(笑)当時の写真もありますけど…近寄りたくない感じですね。
でも、高校時代のとあるタイミングで、このままスペインにいたらきっとこんな大人になるんだろうなーっていうのが、見えてしまったんです。周りの大人をみて、あーこういう感じの人生になるのかなって。
でも、それが本当は嫌で。他にないのかな?って、考えるようになったんです。もし他に道があるんだったら、他にチャンスがあるんだったら、見ておかないのはもったいないじゃないですか。
改めて振り返ってみると、多分『普通が嫌』なんだと思います。昔も今も。その背景にあったのは、スペインで生まれているのにスペイン人じゃないし、日本人の顔をしているのに日本人じゃないということ。つまり、子供の時から自分が普通じゃないのが当たり前だったので、普通であることが逆に違和感だったんだと思います。」
特に何かトラブルが起きたわけでもないのに「今のままは嫌だ。他の道を探したい」と気づける人は少ない。自分の将来を自らの手で変えようとするその姿勢は、普通の高校生にはなかなかない感覚なのではないかと思う。それもきっと「自分で考えたらいいんじゃない?」というボヘミアン的な教えがあったからこそなのだろう。
そんな不良高校生は、どのような「道」を選んだのか。
【分岐点】「日本の大学に行く」という決断
「その年の夏休みも例年通り、日本のおばあちゃんのところで過ごしました。その時に、ふと、<日本の大学を受験する>という道の存在に気づいたんです。それまで見えていなかった、新たな道。
調べてみたら、AO入試という方法なら僕でもチャレンジできるということを知りました。中でも、TOEICすら受けたことのなかった僕でも受験資格があった慶應SFCに、小論文と面接だけで挑戦することに。
まさか合格するとは思っていなかったですよ!受験の当日も、ポロシャツ・ロン毛・ピアスで行きましたもん。ピアスは唇を含め10個近く空いてました。そしたらみんなスーツを着ていて、びっくりしたのを覚えています(笑)
面接では政治について語りました。スペインの不良って、政治がエネルギー源なんですよね。だから、ヨーロッパの政治のことや、自分自身が経験した人種差別のことなど、そんなことを熱く語ったら、奇跡が起きたわけです。
それで晴れて日本での大学生活が始まったのですが、最初はかなり苦労しました。いかんせん、日本語が全然分からないんですよ。文字を読むことすらできないんで、お店の看板をみても、入ってみるまでは何屋なのかが分からないレベルでした(笑)」
【分岐点】就職のきっかけは、日本のガラケー
「大学時代は、正直あまり楽しかったとは言えないですね。語学力を生かしてテレオペのバイトをしてみたり、車で寝泊まりしながら日本一周旅行をしてみたりましたが、日本の大学生活にはあまりフィットしませんでした。
やはり僕は、日本にいても外国人、スペインにいても外国人なんですよね。それを痛感した時期でもありました。
そんな中、大学3年生になって就活を意識しはじめます。当時のスペインはかなりの不況だったので、戻るのは現実的ではありませんでした。結果的に就職することにしたのは、DeNAでした。
大学入学当初、日本の携帯電話にすごい感動したのを覚えていて。その頃はまだ折りたたむタイプのガラケーでしたけど、スペインで使ってたNOKIAと比べたら、カラーだったし、機能も格段に上で、何よりコンテンツのクオリティがすごく高くて。ヨーロッパにもこれを持っていきたい!という直感に従ったうえでの進路選択でした。
DeNA入社後は、二年ほど日本で仕事をしてから、海外進出のプロジェクトを中国、韓国、ベトナム、チリ、サンフランシスコなどで担当しました。
そこで学んだのは、一つの国で上手く行った方法が他の国でも上手く行くとは限らないということ。
頑張ってるのに、上手く行かない。頭のどこかでは、『やり方を変えなきゃいけないよね』と分かっているのに、なかなか納得できなくて、もがいていました。多くの企業が、海外進出するときに同じ問題に直面しているんじゃないかと思います。自国でのやり方を現地にもっていけば上手くいくだろうっていう考え方は、頭でっかちなんですよね。やっぱり現地には現地のやり方があるはずなんです。
僕も、ある日ふと、日本での成功体験にしがみついているんだなということに気づきました。それ以降、第一情報をなるべく、とにかくたくさん、見ようと心がけるようにしています。常にアンテナを張っている感覚です。
あとは、何事も自分のモノサシで批判や評価をしないようにもしています。昔は自分自身も、よくやってたんですよ。こいつダメだなとか、考え浅いなとか、心の中で勝手に評価しちゃうというか。でも実際のところは、意外と自分の質問の仕方が悪かっただけだったり、伝え方が悪かっただけだったりするじゃないですか。」
どこにいても、外国人。そんなタダシさんだからこそ、「当たり前」なんて存在しないということをいちはやく理解できたのかもしれない。文化や言語が違えば、ルールも正攻法も違う、ということを。
そしてだからこそ、その土地ではその土地のやり方を理解しようとする姿勢で取り組んでいる。
「多様な世の中だからこそ、客観的に、俯瞰してみることが大事」
そんな感覚で生きているのかなあ…なんて推測しながら、話を前に進めた。
【ターニングポイント】息子の誕生がすべてを変えた
「DeNAで働いている頃は、自分はきっとエンタメ業界にずっといるんだろうなと思ってました。でも、一人目の子供ができてすべてが変わりました。
生まれる前後は新しいゲームのリリースでかなり忙しい日々を過ごしていたのですが、息子が3カ月になった時についにリリースを迎えて、ものすごい達成感を味えた…はずでした。
でも実際にリリースしたら、達成感の味はなくて。
なんでだろうと考えた時に『もっと自分の子供世代に直接貢献できるような仕事をしたい』という思いが芽生えていたのです。エンタメというかたちではなく、別のかたちでこれからの世代に役立つような仕事をしたい、という風に考え方が変わっていたことに気づいたとき、僕の中で大きな衝撃が走りました。
もっと生活の根本的なところを変えたい。教育・医療・インフラなどの、生活の基盤となるような仕事に関わりたい。それでご縁のあったリクルート社に入社し、Quipper(※)という教育事業をメキシコで立ち上げることになったわけです。」
※Quipperは、小学校向けに教育コンテンツを提供するいわゆるエドテック(エデュケーションテクノロジー)のサービス。現在はリクルートグループの傘下にある。
悩んだときの選択基準は。
「大きな決断を迫られているときは、『楽しいか楽しくないか』で決めますね。
ここでいう楽しいというのは、常にエンジョイしないといけないというわけじゃなく、向かっている大きな方向性を楽しいと思えるかどうか。
今の仕事なんて、正直めっちゃ辛いですよ。それでも、やっぱり、楽しいんですよね。なぜかというと、人の人生を変えている実感があるからだと思います。
例えば、路上のタコス屋さんで働くお父さんに、一生懸命育てている娘さんが『Quipperのおかげで国立大学に入れたんだ!ありがとう』と言ってもらえた瞬間。ひきこもりで学校にいけなかった高校生が、『Quipperの先輩のコーチングのおかげで、志望校に合格できたんだ』って喜んでいた瞬間。
そういう瞬間があるから、辛くても頑張れるんですよね。」
そんなタダシさんにとっての「幸せ」とは?と聞いたら、帰ってきた答えは、今のお仕事のキッカケをくれた存在である「息子」。これからも、息子さんの世代のために「楽しい」道を進んでいくであろうタダシさんの活躍が、楽しみで仕方がない。
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編集後記
タダシさんの人生ストーリーをまとめながら気づいたことは、人生のターニングポイントをすべて自分で決めている、ということだ。
誰かに何かを言われたり、住む環境が変わったりしたわけではなく、あくまで自分で地図を見ながら行き先を決めている。
特に印象的だったのは、スペインの不良高校生だったのに日本の大学に行くと決めた瞬間だ。外部環境は変わっていないのに「このままいくと僕はこうなる。それでいいのか?」という自分自身への問いかけをしているのだ。
それって、すごくないか?と思う。
その背景にはきっと、何事も「自分で考えたらいいんじゃない?」というボヘミアン的な家庭で育ったということがまず大きいのだろう。また、お母さまの「一人でスペインで育てる」という決断のように、「自分の人生、自分でどうにかする」という感覚も昔からあったのかもしれない。
さらには、様々な国に常に「外国人」として生活してきたことにより、より広い世界を俯瞰する力がついていたということも影響しているのだろう。
そんなことを勝手に推測しているだけなのだが、そこからあえて一つテーマを抽出するとしたら【主体性と客観性のバランス】かなと思う。
広い世界を客観的に見据えながら、自分自身がどんな人生を生きるか。タダシさんはナチュラルにそのバランスを兼ね備えているのだと思うが、そこから私たちが学ぶべきことは大きい。
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