【徒然シリーズ②〜何かを受け入れるための器】
こんばんは。
梅雨があけましたね。
酷暑!酷暑!!酷暑!!!
毎日暑いです。
今日も徒然シリーズ。
日頃から思っていることを書いていきたいです。
今日は、何かを受け入れるための器について最近感じたことを書いていきたいなと思います。
わたくしごとですが、最近、職場環境が変わりました。
新しい環境でほぼ、0からのスタート。
周りの人の優しさをいつも感じております。
例えば、私が着任する日にパソコンの配線をつなぐためにスタンバってくれていたお兄さん。
「何でもきいてね」
と声をかけてくれるまわりの方々。
困っていたら助けを求める前に助けてくれる人。
自分にはこんなにも助けてくれる人がいるんだ。
と感動しておりました。
でもね、私には新しい環境にくると発動してしまう悪い癖があります。
それは、なかなか人に心が開けないこと。
いつも、徐々に心をひらいていって、自己開示をして行きます。
例えるなら、心のシャッターを一段階ずつ開けていくような感じです。
ガラガラガラガラッって一気には開かないんです。
優しさがたくさん与えられていて、周りの方々に頼ってもいいよ。甘えてもいいよ。
って環境がちゃんと用意されているのにお言葉に甘えて
「よっしゃ!じゃあ何でも聞こう!!何でも話そう!!」
とはなかなかなれないんです。
猜疑心という大きな大きな壁との戦いなのです。
そんな自分がもどかしいな。
せっかく手を差し伸べてくれる人がこんなにもいるのに自分が気を使ってしまって素直に甘えられない…
ああ、自分はまだ何かを受け入れる器が育っていないんだな。
と自分の未熟さがはがゆい。
これは、自分の家庭環境とかその他諸々の影響が大きいのですが。
(これについては凄惨なのでまた別の機会に触れます)
例えば、コップにお水を注ぐとしましょう。
いくら美味しいお水でもコップが下を向いていたら水はコップに注がれない。
でも、コップが上を向いていたらちゃんとコップに水が入る。
きっとこういうことで自分のあり方とか自分次第なんだなと思いました。
すぐには無理だけど徐々にできるようになりたいな。
でもね、私は愛想はいいほうだと思っています。
でもなかなか人に懐かない。
シャッターを少しずつ開けているから。
いままで出会った人の中には
私の心のシャッターをいとも簡単に開けてくる、ぶち破ってくる人がいます。そういう人はすごいなって思います。
もっとすごい人は、「あれ?シャッターなんてあったんだ」って思うほどに私の心のなかにいつの間にか入っていて私もいつの間にか懐いちゃっている人もいます。
そういう人は、もっとすごいなって思います。
来週は、もうちょっとシャッターを開けていけたらいいな。
少しだけ、自己開示してみようかな。
「〜が好きなんです」とか
「〜を食べました」とか。
そうやって少しずつ人と仲良くなれたらいいな。
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