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ピアノ―フジコ・ヘミングさん―

※の注釈は記事に末尾に掲載

ピアノの指先の様な街の明かりの中※1

お洒落でとっても詩的な歌詞です。

僕の両親は”何かをさせる”ということに無頓着だったから、習い事には縁のない幼少期、少年期を過ごしました。
習字、水泳、サッカー、塾、そしてピアノ。
周りの友だちが色んな習い事をしている姿をよそに、一人っ子の僕は学校から帰るとただ家で過ごすだけでした。
特に、両親は大の”音楽嫌い”かつ”音痴”を昔から自称してます。父はそもそも音楽に全くと言ってもいいほど興味がないし、母は”大の音痴だから音楽を受け付けない”といった感じです。
でも僕は、音楽が物心つく前からとても好きだったのをよく覚えてます。
幼い頃、街や車で流れる音楽を聴くと、時に涙が出そうになるほど感動していたこともあったのを覚えています。
なかでも、小学校低学年の時に掃除の時間に流れていたモーツァルトのディヴェルティメント ニ長調 K. 136※2やどこかで流れていたサティのジムノペティ第1番※3が大のお気に入りでした。もちろん、その頃は曲名なんてわからないので、その名や作曲家を知ったのは中学生になってからのことです。他にも、当時流行りだした”百均”で今はあんまり見かけない?けれど、フルートやトランペットのCDが100円で売ってあって、「お父さんこれ買って!」とよくせがんだものです。


あと、思い返せば保育園児のたしか4,5歳のとき親戚の車の中で流れていた谷村新司さんの『昴』を僕が曲に合わせて歌うと伯母さんや従姉に「静、上手い!!」って言われたことがありました。記憶にあるなかでは、僕が人生で初めて歌を褒めてもらえた瞬間でした。それにしても保育園児が歌う『昴』は渋いですね(笑)
小学生のときは福山雅治さんとか小田和正さんにハマっていて、よく学校で歌ってました。友だちに「なんで静ってそんな歌上手いん?」って言われたのも記憶にあります。ピアノから話がそれちゃいましたけど、そんなわけで音楽、歌うことは幼少期から好きだったんですね。


やっと本題です。
僕がピアノという楽器を本格的に好きになったのは19歳の時でした。
NHKアーカイブスというTV番組でピアニストであるフジコ・ヘミングさん※4のドキュメンタリー番組が深夜に放送されていて、一瞬で心をもっていかれました。なかでも彼女の代名詞、リストのラカンパネラ※5を聴いた瞬間「ああ…これは尾崎豊のI Love Youだ…」と思いました。理屈ではありません、ただ感性で、直感でそう思っただけです。
そこから、ピアノのクラシックの楽曲を色々聴きあさったり、フジコさんのコンサートへ足を運ぶようになりました。

僕がまだピチピチに若い頃、無い金でフジコさんのコンサートに行ったとき、思いもよらぬ出来事がありました。
僕は、誰かのコンサートに行くときほぼ必ず、花束を持参します。アーティストへの努力と才能への敬意と、演奏を聴かせてもらうことへの感謝の証のために。
だから、僕のなかでは音楽の傍(そば)にいつも花があります。
色んなコンサートホールに行くたびに、同時に花屋さんを探すのもまた楽しみの一つです。おまかせではなく、花屋に入ってまず全体を見渡してから主役の花を決めます。それから「この花をメインに、そしてこの花をこれくらい、あとはこの花でアクセントを加えてください」と8割方は自分でその時々のアーティストに合うように選んでつくってもらいます。
その日も、僕はコンサート会場の近くの花屋に行って花束を買いました。その時の写真です。

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この花束を持ってコンサート会場に行きました。
いつもは、「主催者の方はどちらですか」とホールのスタッフに尋ねて、アーティストに届けてもらうようにお預けするのが定石です。
ところが、この日だけは奇跡に奇跡が重なって、フジコさんの待つ楽屋に通してもらうことができることとなり、彼女に直接手渡しできることになりました。いま思い返しても、本当に奇跡的だったなと思います…。

まず待合のロビーに通され、数々の取材陣が彼女にインタビューをし終わるのを待ちました。若き青年、胸がドキドキです。ドキがムネムネです。
「今なら入れます!あまり時間がありませんからすぐにどうぞ!」スタッフの方がそう声をかけてくれ、僕は彼女の待つ楽屋に入りました。

「は、はじめまして!白木 静と申します。今日は素晴らしい演奏をありがとうございました!」そう言うのが精一杯でした。

「わあ…綺麗…ありがとう」とそれは少女のような微笑みで、優しく僕の手を握ってくれたこと、忘れません。

それから僕は奇跡のピアニストの魔法にかかったんでしょうか。
中学一年生のときにヴァイオリンにFall in loveして、ヴァイオリンの曲ばかり聴いていたのに、同じくらいピアノを聴くようになりました。
今でも、仕事に行く前に毎朝聴くのはピアノの曲です。

僕のバンドでお世話になっているイラストレーターの三宅由紀さん(僕のnoteプロフィールページのイラストも全て彼女の作品です)がピアノを始めたいそうです。ぜひ、始めてください、三宅さん。

”楽器の王様”といわれているピアノ。
もちろん全ての楽器にそれぞれの魅力があり、差をつけることはできません。僕はピアノを弾くことはできませんが、魅力的な不思議な楽器です。

「ピアノってよくわかんない、クラシックってよくわかんない」っていう方も、お近くにホールがあれば、どんなピアニストでもいいのでぜひ生の音でピアノを堪能してみてください。最初はよくわからないかもしれませんが、とにかく”生の音”を聴くことです。そこからきっかけをつくって、素晴らしい作曲家、演奏家を知っていってもらえたら、芸術、音楽、ピアノのもつ魅力がだんだんとわかってくるんじゃないかなと思います。
”わかる”というより”感じる”ことなんですけどね、芸術というのは。


ちなみに、記事冒頭のピアノの写真は、大阪にあるフェスティバルホールに展示されているスタインウェイ※5のグランドピアノです。1970年代にフェスティバルホールで実際に使用されていたもので、アシュケナージ※6やアルゲリッチ※7も弾いたようです。フェスティバルホールに足を運ばれた際はぜひご覧になってください。


最後に、僕がフジコさんと奇跡の出会いを果たしたときにお世話になった花屋さんを紹介します。

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http://karyu.shop-site.jp/

大阪にあるザ・シンフォニーホールのすぐ近くにある”花龍”-KARYU-さん。
とても親切な女性店主の方で、腕も一流です。あまり他の花屋ではみかけない珍しい、かっこよくて美しい花もあったりします。
ザ・シンフォニーホールに行かれる際はぜひお立ち寄りください。


実は明日、とても楽しみなピアノのコンサートがあり、それでピアノのことを綴りました。
明日は本当に特別なコンサートです。感想はまた明日書きます。

では皆さん、今日もお疲れ様でした。


注釈

※1 尾崎豊3rdアルバム”壊れた扉から”の最後の一曲として収録されている『誰かのクラクション』の一節

※2 16歳のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲した弦楽四重奏のための楽曲。ディヴェルティメントとは18世紀中頃に現れた器楽組曲

※3 『ジムノペディ』 は、エリック・サティが1888年に作曲したピアノ独奏曲。第1番から第3番まであります。第1番は「ゆっくりと苦しみをもって」 という意図をもって作曲されています。

※4 本名/ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ
幼少期からその才能を発揮するも、様々な困難が襲いかかり、その名を世界に知らしめたのは60代になってからのこと。とても猫が好きな方。

※5 スタインウェイ・アンド・サンズ ”Steinway & Sons”

1853年にアメリカ合衆国ニューヨークでドイツ人ピアノ製作者ハインリッヒ・エンゲルハルト・シュタインヴェーク(後のヘンリー・E・スタインウェイ)によって設立されたピアノ製造会社
ピアニストなら誰もが憧れる最高級のグランドピアノ

※6 ウラディーミル・ダヴィドヴィチ・アシュケナージ
20世紀を代表するピアニストの一人。現在は主に指揮者として世界の第一線で活躍されています。

※7 マリア・マルタ・アルゲリッチ
ピアノの女王です。来日の機会も多く、なかでも1998年から開催されている大分県での別府アルゲリッチ音楽祭には毎年欠かさず来日。


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