見出し画像

ヤクザヘヴン 【4/10】


(前回)


第四章 騎士団長現る


 拘束を解かれた長崎からの客は、本部最上階の会議室に通され、壁の巨大水槽の錦鯉が見守る中、セツコたちに事情を説明した。古株の十字軍兵士、特に強い信仰と王へのゆるぎない忠誠心を持った、王と王の居城たる浦上大聖堂の守護を司る聖堂騎士団と、関門海峡紛争の終息の後に十字軍兵士となった若い世代との間の対立が深刻化していること、一部の若い過激派が聖堂騎士団の追い落としを画策しているらしいこと、彼らが王の廃位すら視野に入れているとの情報まであること、そして、彼らが、王の唯一の実子である「姫」を手中にせんとする動きを見せていること……

 「聖堂騎士団」だのなんだのという長崎特有の語彙が出てくるたびに、セツコとヒッポは容赦なく爆笑した。ベンも平静を装いつつ、抑えられない忍び笑いを漏らした。男の「クリストフォロス」なる名前にすら、セツコとヒッポは盛大に噴き出した。クリストフォロスが門司要塞の城壁の上に追い詰められた段となると、とうとうベンも堪えきれずに噴き出した。セツコとヒッポは窒息寸前になった。

「その勇者っちゅうんは何なら! このあほんだらが、バカにしとんかおんどりゃあ!」

「あんたあね、絶対ウチらのこと馬鹿にしとるじゃろ!」

 そしてセツコとヒッポは、勇者とその「パーティー」の格好や台詞を一々詳細に聞き出してはゲラゲラ笑った。ようやく笑い疲れたヒッポが言った。

「しっかし、どういうつもりで、そがいな間抜けな恰好しとるんかの。一歩間違えりゃセクハラじゃろ」

「一歩間違わんでもとっくににセクハラよぉ。ほんまに腐れ外道じゃね」

 クリストフォロスはヤクザたちの罵倒に全く動ずることなく、静かな怒りをセツコに向けた。

「誰の責任だと思っているのだ? 貴様ら日本の民の手による『らのべ』や『まんが』の王国への流入により、若い世代の十字軍兵士に悪影響が広がっているのだぞ」

 そして重々しく断言した。

「活版印刷は邪悪だ」

 セツコが、首元にひっかけたサングラスをいじりながら、目をすがめた。

「そんなぁ日本人じゃけえって、一括りにしんさんなよ。ウチだってああいうオタクくん狙いのやつは好かんもん」

「このあほんだらどもが、いっそのこと鎖国でもせえや」

「それは出来ぬ相談だ。諸外国から王国を慕って訪れる者に広く門戸を開き、正しき信仰を皆に広めるのが我らの聖なる使命なのだ。たとえ、らのべやまんがを携えて王国を訪れ、あのような間抜けな装いにわざわざ着替えて浦上大聖堂を背景に写真撮影に励む観光客のごとき者であってもだ」

「もう文句言わんで、あんたもああいう恰好しんさいや。あんたら腐れ外道にはお似合いよね」

「セッちゃん。ヒッポおじちゃんも、何でさっきからそんなに笑うん?」先ほどから不満顔になっていたサヤカが口を開いた。「あたしはそんなにダサいと思わんよ。クールジャパンって知っとる? あたしも何回か観光やコスプレ撮影に行っとるし」

 ヤクザの広告塔としてネット上で絶大な人気を誇るアイドルヤクザのサヤカも、ネットやテレビどころか電気すらない長崎の地では、そのヤクザ性を露わににしない限りは、当然ながら全く無名の一般人扱いである。たまに他の観光客に顔ばれするが、長崎ではスマホを持っていたところでネットに接続できるような電波は一切入らないので、リアルタイムでSNSに晒されることもない。

「何がクールジャパンじゃ」ヒッポが吐き捨てた。「セツコにあがいな、無駄におっぱいアピールする服着せりゃクールヤクザになるんかっちゅうんじゃ」

 セツコはヘラヘラ笑った。

「何言うとるんねヒッポちゃん。ウチはね、結構ウチのボディに自信あるんよ。萌えーとか言われてクールヤクザで人気者になるかもしれんよ?」

 サヤカは鼻でため息をついた。

「二人とも古いと思わんのん? 萌えーとか言わんし。それに、二人とも、喋りかたもなんかお年寄りっぽいよ」

 ヒッポはテーブルの天板を黙って見つめた。ややあって顔を上げたヒッポは、真剣なまなざしでサヤカに訊ねた。

「なあ、儂も喋り方変えりゃ、また人気が復活するかのう?」

「お前らこれ以上顔を売ってどうするんなら。お前らの稼業は『お仕置き』じゃろうが」ベンが呆れ顔で言った後、クリストフォロスを冷ややかに眺めた。「質問させてもらうで。ええな」

 クリストフォロスは頷いた。

「まず、そもそも俺らヤクザがお前に協力せんといけん理由は何なら」

「それを説明するには、先に王国の現状と陛下の御意向を説明する必要がある」

 クリストフォロスは無言で一同を見回し、目で許可を求めた。長い説明になるということだ。特に反対の意見がないことを確認して、クリストフォロスは続けた。

「若い連中の望みは、本格的な戦闘の再開だ。実戦を経験していない彼らは、現状が続けば、やがては彼らを含む十字軍が王国から軽んじられるのではないかと恐れている。そのせいで彼らは、我々古参の連中が『平和ボケ』であると陰で罵りつつ、平和のためには戦いが必要であるとか、平和のための十字軍の拡大に反対するのは非王国民であるといった詭弁を広めているのだ」

「つまらん自己愛か」ヒッポが鼻を鳴らして見せた。「どこにおろうと、腐れ外道の考えることはワンパターンじゃの。ほかのもんの迷惑くらい考えてもみいや。軍隊なんぞ暇しとるのが一番じゃあてなんで分からんのんかの、どいつもこいつも。想像力の貧困じゃ」

 セツコが椅子の上で反り返ってクリストフォロスを見た。

「あんたらだけで勝手にすりゃええよ。やりたいんならやりんさい。どうせあんたらと米軍みたいな腐れ外道がケンカするだけなんじゃけえ」

「陛下がそれをお望みではないのだ」

 ベンの声が低くなった。

「一〇何年か前まであんなに好き放題ドンパチしよった癖に、今更何言いおる」

「陛下は変わられたのだ。殿下がお生まれになったことで。そして、無理を押して長崎の拡大にこだわるよりも、現状の長崎を繁栄させ、平和と友好を通じて諸外国に正しき教えを広めるべきだとお考えになったのだ」

「立派なもんじゃの。褒めちゃるわ。おどれら腐れ外道はそれで満足なんか?」

 クリストフォロスはヒッポを忌々しげに見た。

「私を勇者の一味のような連中と一緒にするな。たとえ聖長崎王国建国時の兵士でなくとも、長年陛下の御傍に仕えて戦ってきた者ならば、陛下がその御判断を誤ることはないと骨身に沁みて理解している」

「只の個人崇拝じゃろうが。そんなんで儂らに偉そうなツラすんな。何で王様を神様扱いするんじゃ」

「これは個人崇拝や独裁といった愚か者の所業とは違う」

「何が違うんね」

 クリストフォロスはセツコを、そして次いで他の者を見た。

「……貴様ら日本の民には説明しても理解できぬ。建国の物語を、建国に携わった者に聞こうとすらせぬのではな」

「説明になっとらんぞ」ベンの声が険しさを増した。「お前らの王様が若いアホ共を叱りつけてお仕置きすりゃ済む話じゃろうが」

「事はそう単純ではない。貴様らヤクザに政治が理解できるとは思えぬが……」

「政治!」セツコはせせら笑った。「まあ、何ね。言いたいことあるんなら言ってみんさいや」

 クリストフォロスは何かを飲み下すかのような仕草を見せてから、語った。

「陛下は偉大なお方だ。だが、たとえ陛下がどれほど御聡明であっても、陛下がその御意思のみによって全ての御判断を下すのであれば、その御判断がどれほど正しくともだ、誰の意見も聞かずに御判断を下すこと、それ自体に不満を持つ者が、必ず現れるのだ。王は神ではない。陛下の御力は比類なきものであっても、到底御一人で王国の統治の全てを担うことなどできぬ。王たる者、王国を無事に統治するためにこそ、統治を助ける者に自ら進んで歩み寄り、下々の意見を御聞きになって、その意見を尊重する必要があるのだ」

「ほんで?」

 小さくあくびをして、セツコが促した。クリストフォロスはそれをチラリと見ただけで、話を続けた。

「我が王国の重要方針を決定するのは、陛下の御前にて開催される円卓会議だ」

 ここでまたセツコとヒッポが噴き出した。

「……その円卓会議の場では、王国の各省庁の長たる者が集まり、綿密な議論を王の御前で行う。こういう手続きを踏むことにより、誰もが十分納得した上で、最終的には王の御名によって、王国の進むべき道を定めるのだ。この円卓会議の重要性、そして、陛下の御前で円滑に議事を運営するために、円卓会議の議題に上る事項については、事前に関係各機関が相互に十分な協議を行い……」

「もうええ」

 ベンが珍しく声を荒げた。

「なんじゃあ大人しく聞いとりゃ、まんま根回し根回し言うとる官僚の言い訳じゃろうが。続きはもう聞かんでも大体分かる。どうせこんなところじゃろ」

 ベンはクリストフォロスを睨み付け、吐き捨てるように続けた。

「王様は正式に戦争を終わらせて、日本や外国から独立国なり自治国なりの承認をもらって講和したい、けどクソ官僚やら十字軍のアホの中には反対のやつがおる。前例がないとかいう、お決まりのつまらん理屈コネてな。そうこうするうちに勇者だとか抜かす跳ねっかえり共が先に騒ぎを起こして既成事実を作ろうとしとる。それか、お前を嵌めて聖堂なんたら団を裏切り者に仕立てて、王様の意見が通らんようにしようとしとるんかの」

 クリストフォロスの顔がこわばった。ベンが身を乗り出してクリストフォロスの顔を覗き込んだ。

「お前の、ヤクザ舐めんなや。何を偉そうに自慢しとるんかは知らんがの、お前らの揉め事は、ただの官僚主義に付き物のお約束じゃ。既成事実が出来たら出来たでそれを無視すりゃええだけなのにの、官僚同士で、わざわざ既成事実作ったやつの努力や決意は否定できんいうて意味のない遠慮しくさって。挙句、既成事実否定したら内部統制できとらんと思われるとか国の威信が傷付くだの来年度以降の予算がどうとか言い出しやがるんじゃお前らは。それでの」

 ベンはクリストフォロスの顎先に手を伸ばし、彼の顔を上向かせた。 
「偉大なる王のお考え言うたところで、どうせ、勇者とかいうアホに先手を打って、お前を使うて王様の意向に沿った既成事実を先に作ったれぇいう魂胆じゃろうが」

 クリストフォロスは沈黙で答えた。ベンが手のひらを会議テーブルに強く打ち下ろした。

「話は終わりじゃ。とっとと帰れや。ヤクザの情けで、お前が俺らと話ぃしたんは秘密にしといてやるけえ」

 それからベンはサヤカに振り返った。

「サヤカ、お前さっきから黙っとるけど、せっかく珍獣がおるんじゃけえ、なんか質問してみいや。お前も一応理事なんじゃし」

「別にいい」

 そしてサヤカは、やや考えてから、クリストフォロスに言った。

「男なら、スライリーじゃなくて前田や黒田のユニとか着たほうがええよ」

 前田と黒田は、説明すら不要の、カープ魂の代名詞ともなった伝説的OBである。広島市民は夜ごと杯を酌み交わしては、前田や黒田をはじめとする名選手の思い出を繰り返し語り合い、熱い涙を流すのである。昼酒を飲む場合も同様である。

 しばらく押し黙ったまま俯いていたクリストフォロスは、ついに、屈辱に顔を歪めて立ち上がろうとした。その時、会議室内の天井に設置されたスピーカーから低い声が流れた。

「待て」

 その声を聞いたヤクザたちは、たちまち居住まいを正した。クリストフォロスは眉根を寄せた。ヤクザたちがかしこまる中、スピーカーの声が続いた。
「その者の話に基づき、重大なリスクの存在を指摘する」

 やや平板でロボットじみた口調である。クリストフォロスはヤクザたちに小声で訊ねた。

「誰の声だ?」

「『オヤジ』よ」セツコが囁いた。「ほかの部屋でウチらの話を聞いとるんよ。あんたみたいなんに姿を見せるわけにはいかんけえ」

 オヤジの正体が、実は目の前の水槽にいる錦鯉だということは当然伏せた。世にも珍しい、通常人を凌駕する知性に覚醒したこのインテリヤクザ錦鯉は、人間的な欲望や動物的欲望にとらわれずして賢明な判断を下すことから、組の中で唯一、理事会の決定に対する拒否権行使が可能な地位に据えられたのである。言うまでもなく、組の外には決して知られてはならないトップシークレットである。錦鯉をオヤジと呼んでその決定に従っていると知れ渡れば、さすがに広島市民からも、ヤクザのことを狂人の集団か何かだと思われかねない。

 オヤジの脳波を読み取り日本語に変換するスーパーヤクザテクノロジーによって電子的に合成された音声が、更なる説明を行った。

「長崎の過激派が暴発的行動に及び、長崎外の地域においてテロ事件等を引き起こす可能性は否定できない。そのような被害が発生した場合、ヤクザは世界から、長崎に対する直接的対応に出るよう求められるであろう。関門海峡の紛争が行われていた時代とは異なり、現在ヤクザは、平和のための積極的な行動を期待される存在となった。したがって、長崎との直接対決をヤクザが拒否するのは困難である。ヤクザは、重大な選択を迫られるであろう。結論として、軍事衝突に至る前に、長崎の現状維持乃至安定化を目的とした早期の非軍事的介入を行うべきであると思料する」

 ヤクザたちは各々天を仰いだ。オヤジの指摘は確かに盲点を突いていた。昔とは状況が異なる。勇者のたぐいが独善的思考に囚われてテロでも起こせば、ヤクザが無視を決め込むことは最早できないだろう。ここ数年のヤクザの絶好調で、自分たちも知らず知らずのうちに油断していたと認めざるを得ない。

 ベンが観念した表情でクリストフォロスに訊いた。

「しゃあないの。俺らに何を手伝って欲しいんじゃ」

 クリストフォロスは安堵のため息を隠そうともしなかった。

「殿下の一時的な長崎外への脱出、そして、殿下御自身の御言葉による、世界に向けた、停戦の呼びかけだ」

「そんなんでウチらを働かせんでも、王様がさくっとこっちに来てから喋りゃあええんじゃないん?」

「話を聞いていないのか? 独断で陛下御自身が動けば、国が割れる」

 ヒッポが耳の後ろを前足の爪でかりかりした。

「王様がダメでお姫さんならええっちゅうんが、おんどれらクソ官僚のどうも良く分からんところじゃの」

 クリストフォロスがヒッポを見る目は、ほとんど殺意の視線だ。犬派なのか。

「殿下は……テレサ姫は、政治的権力から無関係でありながら、長崎の民から聖母の生まれ変わりと呼ばれ、大変慕われておられる。殿下が世界に平和の呼びかけを行えば、それはたちどころに民の声となるだろう。ひとたび既成事実が生まれ、陛下が追って承認する側に回れば、面と向かってこれを否定できる者はいない」

「テレサちゃんいうんね。もし会ったら、テッちゃんて呼ぼうね、ヒッポちゃん」

「そがいに好かれとるんは何でじゃ。名前からして孤児院かなんかでもやっとるんかいの」

「孤児院? ともあれ理由は単純だ。殿下は、御父上である陛下と同じく、神から強大なちからを授かったが、けして横暴の振る舞いには及ぼうとしなかったからだ」

「そんなん別に普通じゃないんね?」

「生まれたばかりの幼子であられたころからそうなのだ。十字軍の赤子のような、分別がつかぬゆえの暴走や破壊といったものは一切なかった。神がテレサ姫をそのようにおつくりになられた、その御意思は明らかだ。殿下は特別な祝福のもとにあられる」

 ベンが椅子に深く座りなおして、足を組んだ。

「姫様を攫うんはええけどな、方法はどうするんなら。ヤクザバードで浦上大聖堂に乗りつけてええんか?」

「当然困る。ヤクザの関与を秘匿するのは、事が成った後に反対派を黙らせるための絶対条件だ」

「いうてもね、まあテッちゃんをコッソリ連れ出すんはええよ。けどね、そんなことしたら直ぐにバレるじゃないね。既成事実作る前に」

「そのために、私は陛下御自身と密かに協議を重ねた上、極めて異例のことながら、ヤクザの協力を仰ぐことになったのだ」

 クリストフォロスはヤクザを見回して、言った。

「ミカエルという男が、この地にいるはずだ」

 ヤクザたちはしばらく互いを見た。セツコが最初に思い当たった。

「もしかして、ミッキーのこと?」

 今度はクリストフォロスが怪訝な顔をした。ベンが次に気付いた。

「なんじゃあ、古賀野のことか。あいつの下の名前、ミカエルじゃったんか」

「そうだ。古賀野ミカエル」

「先にそう言えやお前」

 クリストフォロスはあからさまに不満な表情を見せた。

「貴様たちこそ、同じヤクザの本名も把握していないのか」

「本名なんか何の意味があるんね? ウチらはみんな好き勝手にあだ名で呼び合うとるけど、別に何の問題もないんよ?」

「おいこのあほんだら、儂に向かっておんなじこと言うてみい」

 ニヤニヤ笑う猫に、クリストフォロスは何も反論しなかった。

「それに儂らだって、まだおんどれのフルネーム聞いとらんで」

「熊だ」クリストフォロスは言った。「熊クリストフォロス」

 今度はセツコとヒッポに加えて、サヤカもクスクス笑い出した。

「くまくりすとふぉろす……!」サヤカが笑いながらも半目開きでクリストフォロスを見た。「どうしてそんな名前なん? 言いにくいよ」

「笑われる筋合いはない。我々長崎の民にとっては、洗礼の際に与えられる名前こそ、最も重要だ。家名など普段は重要ではない」

「まあけど、分かってよかったよ。クマちゃんって呼べるけえね」セツコは意地悪げな笑みを浮かべた。「その顔でクリスとかじゃったら、なんかキザったらしゅうてやれんかったわ」

「あたしはクリス君って呼ぶよ」
「お前らそのへんにしとけ」ベンが僅かに目を細めた。「それで、古賀野使うて、サプライズで既成事実作るまでの間、お姫さんの替え玉にするっちゅう訳か。あいつもようよう、聖母様にご縁があるの」

 クリストフォロスは何かベンに訊ねかけてから、結局やめた。

「まあ、その通りだ。タイミングを計って、殿下が長崎の外で大衆の前に姿を現すと同時に、ミカエルには姿を隠してもらう」

「そうは言うても、あいつ使える状態なんかの?」

 そう言って、ヒッポがセツコに目配せした。女からの電話であれば、古賀野は高確率で応答する。セツコはスマホ型端末を出して、スピーカーフォンモードにしてから、「ミッキー」の番号を呼び出した。三秒足らずで古賀野が電話に出た。

「もしもーし。ウチじゃけど」

「おう何だセツコ。今エキニシでゼロ次会してんだから邪魔すんなよ。あとで何発かやらせろ」

 案の定飲んでいた。ちなみにエキニシとは、ここ数年来謎の隆盛を誇るようになった、広島駅近くの飲み屋街である。長年にわたり寂れたままの小さな区画だったが、数年前から突如として、立ち飲み屋をはじめとする、多様なスタイルの小規模で気軽な飲食店が立て続けにオープンするようになったのだ。現在では、明るいうちからはしご酒をする酒飲みのための、極小ディズニーランドの如き活況を呈している。

 セツコはしかめっ面を見せてから、端末に向かって喋った。

「言っとくけど、スピーカーにしとるけんね。サヤカちゃんとかも聞いとるよ」

「知るか、んなこと。一発じゃだめか?」

 セツコは返答を控えた。先に古賀野がしびれを切らした。

「何だよ本気にするなよ。俺は本気だけど。で、用事は?」

「俺じゃ。聞こえるか?」

「ベンさんかよ。クソッ」

「お察しのとおり仕事じゃ。すぐ動けるようにしとけ。計画がまとまり次第、また連絡する」

 それを聞いたセツコの顔色が変わった。
「……わぁったよ。古賀野、オーヴァー」

 わざとらしい声色でお仕事モードを演出して、古賀野が通話を切った。途端にセツコがベンに詰め寄った。

「すぐ動くってなんなんね!? ウチはこれから市民球場に行かんといけんのんよ!」

 天井スピーカーから声が流れた。

「勇者側が既にクリストフォロスを捕えようとして失敗した以上、勇者側も性急な行動に出る惧れがある。事は一刻を争うと考えるべきである」

 ベンはセツコを見据えた。

「……そういうことじゃ。観念せえ」

 セツコはぐずりだした。ヒッポが歩み寄り、その背中を前足の肉球でトントンした。ベンは無視して、クリストフォロスに向き直った。

「計画のために、お前にいくつか質問がある」

「無論、何でも答えよう」

「何で勇者とかいうのに捕捉されたんか、理由は分かるんか?」

「それは……すまぬ。私にも正確なところは分からぬ。知ってのとおり、我が王国には電子的な監視網などない。私がその居所を察知されたとすれば、おそらく、博多を通過した時だ」

「……つまり、博多からわざわざ情報を勇者のアホに流すやつがおるんか」

「確かに信じがたい。だが、その可能性を疑わざるを得ぬ」

 ヒッポが顔をしかめた。

「大儀いの。お姫さん連れて博多でヘリかなんかに拾うてもろうて脱出っちゅうわけにはいかんか」

「博多のセーフハウスに入ったお前らを誰か拾いに行かせるのは構わんが、博多にあるシンジゲートか何かとコトを構える可能性があるんなら、とりあえず第一選択にはせんほうがええの。第一選択のルートでトラブった時の予備にしたほうがええ」

「あたしだったら、別府で船に乗るけど。どうしてそうせんかったん?」

「それよ。次に聞こう思っとったんは」

 九州北部とかつて呼ばれた地は、今では長崎により海岸線のほとんどが要塞化されているが、別府の港だけは、海に開かれた長崎の玄関として、観光客や移住希望者に開かれている。公式にはまだ日本の一部であるため定期便も就航し、別府から湯布院温泉あたりまでなら、別府湾の海底に敷設された、四国から伸びるNTTの電話線も通じており、電話回線のための最低限の電源すらある(旅館その他の営業の便宜のための、長崎国内でも異例のお許しが出ている)。いつ届くか保証はできないものの、聖長崎王国国内宛の住所に郵便も届く。

 サヤカらの当然の疑問に対し、クリストフォロスは無言で左袖をめくって見せた。その肩に、何やら神秘的な紋章のタトゥーがあった。

「我が王国では、公務に就く者は全てこのような、所属を表す紋章を肩に刻む。この細密さで刻める技術者は民間には存在しない。偽造・改変不可能な我々の身分証だ。だが、だからこそ、肩の確認を求められれば、密かに国外へ向かうことなどできん。公職にある者が任務でもないのに長崎を出たと知れれば、即座に反逆罪の疑いをかけられる」

「王様に命令書なりなんなり出してもろうて、堂々と別府で船乗りゃあええんじゃないんか」

 クリストフォロスはヒッポを冷たく一瞥した。

「……少しは考えろ。私の行動に関しては、陛下は表向き、一切関知なさっておらぬことになっているのだぞ。記録として残る勅命など以ての外だ」

「けどウチらなら、別府から出られるっていうわけじゃね」ようやく泣き止んだセツコが言った。「けどヒッポちゃん、侵入はどうするかいね?」

「ヤクザじゃぁってバレんように、長崎のど真ん中にさっさと行くいうたら、あれしかないじゃろ。久しぶりじゃけど、岩国に頼んでC-2あたり出してもろうて」

 泣き止んだばかりだったセツコの顔が一転、笑顔になった。

「ヘイホーじゃね!」

 岩国基地のSEALsに監視されているヤクザではあるが、それを承知で表面上は岩国基地の米軍とは一応の協力関係を持っている。ヤクザバードを出すほどでもない出張の時には、たまに岩国基地で移動手段を借りることもあるのだ。

 クリストフォロスは眉根を寄せた。

「ヘイホーとは何だ。ふざけるのもいい加減にしろ」

「何ねクマちゃん。ウチは全然ふざけとらんよ。ちゃんとした専門用語なんよ。ね、ヒッポちゃん?」

 セツコとヒッポはニヤリと笑って互いに目配せした。そして、「せーの」とタイミングを合わせてから、明るく唱和した。

「「はい・あるてぃちゅーど・はい・おーぷん!」」

「……日本語で言え」

 セツコとヒッポは、また互いに目配せして、噴き出した。そして、再び「せーの」とタイミングを合わせてから、満面の笑顔とともに唱和した。

「「こーこーどこーかこーこーどかいさん!」」

 口を引き結んだクリストフォロスは、目玉をぎょろつかせて怒りのやり場を探した。サヤカが言った。

「セッちゃん。あたしも意味わからんのんじゃけど」

 ベンが助け舟を出した。
「要するにの、高度一万メートルみたいな高高度まで飛行機で昇ってからパラシュート付けて飛び降りて、それですぐにパラシュート開いて、ゆっくり目的地に降りてくんじゃ」

「何それぶち楽しそうなんじゃけど! あたしも飛行機乗せて!」

 ベンが真顔になった。

「そんなん駄目に決まっとる。これは観光とは違うんで。分かっとるんか」

「えー」

 サヤカは広島弁で言うところの、はぶてた状態となったが、突如としてその顔を輝かせた。

「そうじゃ! いいこと思いついた! 博多で降りるんならええでしょ?」

 問われたベンも、他の二人のヤクザも、再び天井を見上げた。彼女は博多の地で、衝撃と恐怖の生配信をするつもりだ。サヤカは答えを待ちながら、椅子の上で軽く跳ね、尻で座面をばふばふさせた。オヤジの「天の声」が届く気配はない。ついに諦めた様子で、ベンが口を開いた。

「……博多の奴には迷惑かけんな。絶対」

「やったー! おじちゃん超好き!」

 サヤカは雄たけびを上げて天に拳を突き上げると、なぜかツインテールの髪からヘアゴムを外して、髪を後ろで一つにまとめて結びなおした。そして手刀をひらめかせるや、一振りで自らの髪の毛を断ち切った。サヤカの髪形はあっという間に雑なミディアムショートになった。セツコがさすがに驚いて言った。

「サヤカちゃん何しとるんね? アイドルなのにマズいんじゃないん?」

「いいんよ別に。髪くらいまた伸びるし」サヤカはヘアゴムでまとめられた髪の束を見た。「これって視聴者プレゼントにしたらウケるかな?」

 そしてサヤカは、準備をしてから直接自分で岩国基地に行くと言って、さっさと会議室を出て行った。ヒッポがため息をついた。

「全く気楽なもんじゃの。ほいじゃあセツコ、計画の残りを詰めるで」

 ベンも会議室から出ようとしたところで、舌打ちして立ち止まり、クリストフォロスに振り返った。

「ヘイホーヘイホー言うて話が変な方向に行くもんじゃけえ、忘れるとこだったわ。もう一つ聞くことがある。なんで他の奴じゃなくて、お前が来たんなら」

 クリストフォロスは迷いを見せたが、結局答えた。

「我々聖堂騎士団の平時の任務として、王族及びその居城の守護とともに、王国外における諜報活動がある。穢れと邪悪に満ちた王国の外でこの任務を遂行するには、我々聖堂騎士団団員の、揺るがぬ信仰と忠誠心がうってつけなのだ」

「ほんま懲りもせずに何威張りおるんかの」ヒッポは頬杖をついた。「何が信仰と忠誠心じゃあ。あげくが、よりによってスライリーのユニ着て周りから浮いとったくせにの」

「それだけか?」ベンの声がドスを利かせてきた。そして、クリストフォロスの目を見て言った。「正直に言え」

 クリストフォロスはしばし瞬きしてから、答えた。

「何よりの理由は、私の能力にある。私の研ぎ澄まされた聴覚その他の五感は、他の十字軍兵士にも感じ取れぬ、様々な情報を得ることができる。私が聖堂騎士団団長として陛下の御傍でお仕えするのもそのためだ。例えば私は、微妙な心音の変化などの情報から、会話の中に嘘があればこれを見破ることができる」

 クリストフォロスは一同を見回した。

「意外なことに、貴様らの言葉にはほとんど嘘はなかったが、ただ一点のみ、『オヤジ』なる者が別室に居るというのは嘘だと分かった。ではどこに居るのかまでは分からぬが。とはいえ、貴様らには貴様らの都合があるのだろう。その程度の偽りがあるからといって、私は貴様らを責めはしない」

 クリストフォロスはさも寛大そうな表情を浮かべたが、何らの感銘も受けぬ様子のヤクザを見て、たちまち元の仏頂面に戻った。

「何かと思ったら、デアデビル系じゃね。ウチらがクマちゃんにわざわざ嘘言う必要ないのに。地味でつまらんわ」

「そがいなこと言うなや。デアデビル面白いじゃろ」

「どこがね。いっつもなんか殴り合いがとろくさいじゃないね、あれ。それに比べて、ジェシカちゃんのほうは、毎回軽ーく一発KOじゃけえね。ゴツーンって」

 言いながらセツコはフックを繰り出した。ベンが会議テーブルをコツコツ叩いて言った。

「お前ら、なんで脱線ばっかりするじゃ。さっさと計画まとめえや」

 そして、岩国基地の米軍に電話をかけてくると言って、ベンは会議室を後にした。残された三人は、ヒッポのタブレットを囲んだ。 

「ほいじゃあ、続きじゃ」

 ヒッポはタブレットに等高線付きの地図と衛星写真を表示した。

「降下地点は、と……ここが頃合いじゃの」ヒッポは「金比羅山」を指さした。「ええ具合に浦上大聖堂の背後にあって、林付きの丘陵地になっとる。ちいと近すぎるかもしれんが、大聖堂から見て丘の反対側に降下すれば、衛星写真からすりゃ家もないけえ、バレんじゃろ」

「夜遅うに行けば、どうせあたりは真っ暗よ。電気もないんじゃけ。簡単よね」

「問題はカーゴのいる部屋まで行くルートじゃの。大儀いもん建てよってからに」

 航空写真でも確認できる浦上大聖堂は、長崎に対する核攻撃後に修復された「旧聖堂」を中庭状に城壁が取りかこみ、旧聖堂の背後に白亜の大伽藍、さらに半ば要塞のごとき見た目の居住区域その他の付属施設が立ち並んでいる。当然、さらにその背後もまた城壁だ。

「それは問題ない」クリストフォロスが言った。「付近に一部の者しか知らぬ、陛下と御家族専用の、緊急脱出用のトンネル出入り口がある。それを通れば、陛下や殿下の御部屋にも直通で行ける」

「たまにはクマちゃんも役立つこと言うんじゃね」

 セツコは笑顔でクリストフォロスの肩を叩いた。ムッとする彼を気にもとめず、セツコはヒッポに「じゃんけん」と言って、拳を軽く振って見せた。

「ぽん」セツコが負けた。「しょうがないねぇ。ヒッポちゃんがお姫様をおんぶして、ウチがベルゲンで運ぶ荷物は……」

「長崎から別府まで、夜の間だけ山ん中進むか。長崎から別府まで佐賀、久留米経由で大体……単純計算で二五〇キロメートルくらいかの。傾斜緩いところ選んで蛇行せんといけんけえ、実質移動距離は400キロくらいに思っときゃあええか。まあ、夏で日の出が早いけえ、一日七時間くらいの移動じゃけど、水と食料は一〇日分もあれば足りるわ。装備込みでも重さは二〇〇キロにもならん。楽勝じゃ」

 クリストフォロスが口を挟んだ。

「貴様ら、何を回りくどいことを言っているのだ」

 ヒッポは横目で邪魔者の厄介者を睨んだ。

「なんじゃあクマ公。訓練受けとらん素人の癖にプロに口出しすんな。黙っとれや」

「何故人目を忍んで、夜間に山中を行く必要がある? 貴様らの顔も姫の顔も、一般の王国民はほとんど誰も知らんのだぞ」

 セツコとヒッポは無言で互いを見た。言われてみれば確かに道理だ。ネットもテレビもないのだから。話によると活版印刷すら無いようだから、おそらく大した新聞雑誌のたぐいもないのだろう。クリストフォロスは、この日初めての、ヤクザに対する優越感を露わにした。

「それに貴様ら日本の民は、鉄道というものを知らんのか?」

 セツコは半信半疑の面持ちで、ややムカつく薄笑いを浮かべるクリストフォロスを見た。

「そんなんがあるんね?」

「当たり前だ愚か者」クリストフォロスはセツコの反応に満足た様子で続けた。「我が王国は堕落した科学技術を厭うだけだ。何故日本の民は、長崎には文明も何もないと思いこんでいるのだ? 鉄道を長崎から鳥栖、久留米と乗り継いで行けば、湯布院温泉まで三日とかからぬ。そこまで行けば別府は目と鼻の先だ」

「鉄道の旅よぉ、ヒッポちゃん!」

「そがいに浮かれて大丈夫なんかの」

「何言うんね、せっかくの役得なのに。おやつ持ってかんとね」

 セツコは屈託のない笑顔をクリストフォロスにも向けた。そして、何か気付いた表情になった。

「そういやクマちゃん。肩の傷ってどうなったん?」

「心配はいらぬ。自分で手当て済みだ。幸い矢は骨を外れていた。もっとも」クリストフォロスは苦い表情を浮かべた。「この任務の間、まともに剣を握ることができそうにないのが無念だ」

「んなもん握らんでええわこのあほんだら」

 ヒッポはクリストフォロスの右肩を猫パンチで小突いた。


【続く】