ハリーポッターを観始めた話。

今日は7時半から19時まで働いた。雨だけど日曜日ということもあって結構な賑わい。ありがたい。きっと今日は暇だろうな〜とみんなが思っていたところからの満席。入店待ち。ありがたくも申し訳ない気持ちになる。
「おお〜〜混んだね〜〜〜」と言った私に、社長が「伏見稲荷神社にお詣り行ったせいだね」と言っていたが、それを言うなら「行ったおかげ」だろうと思う。行ったせいじゃなんとなく悪いみたいではないか。こういう言葉の遣い方ってきっと英語にはないんだろうな、でも英語にも言葉の機微くらいはあるだろう!?!?と思いつつ働いた。

どうでもいいけど最近「ハリーポッターシリーズ」を観ている。
小学生の頃1〜3あたりは観ていた気がするけどそれ以降は観ておらず、最近になってNetflixにて配信が始まったのをきっかけに周りもハリーポッターシリーズを改めて観始めていて気になってはいたのだが、なにせシリーズが多いのがネック。シリーズ多いものって観るのすごくハードル高くない?テラフォーマーズもアニメはそれが原因で観てない。

まぁそんなこんな言いつつこの前行った京都旅行の新幹線の暇を解消するためにハリーポッターの第一作「賢者の石」を20年ぶりに鑑賞した。

こんなに目的地まで着かないでと願う作品があるだろうか

すごい。面白すぎる。ファンタジーの最高傑作ではないか。まず、継母の家族に虐げられ階段下で暮らすハリーポッターの下にホグワーツ魔法学校への入学許可証が届くシーン。ホグワーツへの入学許可証が届くのは11歳の誕生日。ここで思い出したのだが、映画が公開された当時、すでに私は11歳の誕生日を迎えていた。にも関わらず、毎日のように家のポストを覗いた。ちなみにそれは13歳あたりまで続いた。絶対に私のことを愛してくれ。
私の友人でホグワーツ行った人とかいるのかな。いまだにたまに考える。世界というのは共通の側面と、個人しか知らない側面がある。日本で一番大きな山が富士山であることはみんな共通する「世界」だが、誰かがホグワーツ魔法学校に入学した「世界」はその子と周りのごく一部にしか知らないことなのだ。

私は完全なるマグル(魔法使いの血が入っていない種族)である上に魔法の知識も何もないからホグワーツには入学できなかったのだと、当時はすごく落ち込んだ。ロンドン駅の9と3/4線を通ることはない。あの柱に飛び込み、汽車に乗り、ホグワーツ魔法学校で組分け帽子によってグリフィンドールに振り分けられることもない。それに気づいたときに、自分は特別でもなんでもない「凡人」であると認識できた。

ハリポッターを全部見ていないくせにここまで思い入れることができるのもある意味すごいと思う。ものすごく暇だったのだんだろうな。でも小学生なんてみんなそうだろう。同じステップの毎日じゃ生きてることさえ忘れちゃうのだ。(by SPEED)

ものすごく中途半端だけどお酒を飲みながら書いていたら酔っ払ってきたので、そろそろ書くのを終わろうと思うが、私が小学校高学年のインターネット黎明期にハリーポッターを追うにあたって衝撃的だったことが

同人作品多すぎ

全然構わないんだけど。趣味だし。私もそういうの好きだし。
でもさ、ネットが今より自由だったからさ、普通に色々なものが目に入ったわけよ当時。なんか自分の理想が崩れたのとか、新しい扉を開いたドキドキとかすごい複雑な気持ちになったな。おかげさまでジャニーズにハマってからすっごい夢小説ハマったよ!!!!

もう酔っているので終わりです。読んでくれた人ありがとう。さようなら。

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