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帰り道のラーメン屋

 ここ数週間、休日の日課となっていた朝の散歩が疎かになってしまっている。原因はいわずもがな、この時期恒例の梅雨前線のせいだ。なぜか仕事の休みの日に限って、雨が降り注いでくるのだ。一応「多少の雨くらいでへこたれるな自分」と気持ちを奮い立たせたりはするのだが、窓越しから聞こえてくる地面を叩きつけるような強烈な雨脚の音を聞いた瞬間、たちまち萎えてしまう。

 そうなると、普段は散歩がてら喫茶店や近くの大学のカフェで摂っていた朝食も、自然と家の中にあるもので済ませる形になってしまう。すると筆頭にあがるのが、親が週一のペースが買いためているカップ麺だ。お湯を沸かして容器に注いで、スマホアプリのデイリーミッションを消化している間にあら不思議、美味しいラーメンや焼きそばが出来上がるのだから、雨でやる気ゲージが削がれた僕にとってこれほど便利な食品はない。それだけに、最近の値上げラッシュには、財布と仲良く呻きを漏らしてしまっている訳だが。

 この文章を書いている今も、某メーカーの豚骨ラーメンを食べながら進めていたりするのだが(お行儀悪いと思いつつ)、年齢を重ねたせいか、最近は豚骨のあのこってり感がしつこく感じるようになってしまった。以前ならスープまで飲み干して、まだ足りないと謎の飢えを覚えるほどだったのに。
 これもまた大人になったという事なのだろうか。

 そもそも豚骨ラーメンをよく食べるようになったのは、高校に入ってからだったと思う。通っていた学校の近辺はそこそこラーメン店がひしめき合っている地域で、放課後になるとよく近辺のラーメン店を代わる代わる渡り歩いていた。それは別に味の違いや旨さのレビューをしたいからではなく、その時帰る相手とその場の流れで決めてなんとなく入っていた、ただそれだけだ。

雨で陸上部の練習が筋トレになってしまった時は、一緒に練習していた違うブロックの男子とAの店に。
夏休み、文化祭の準備で遅くなってしまった時は、準備に勤しんだクラスメートの男子とBの店に。
受験勉強で夜遅くまで自習室で勉強した帰り際に、共にペンを走らせていた同級生男子とCの店に。

 思い返すと女子と食べた思い出が一度もないのだが、とにかくむさ苦しくも青い3年間には、常にラーメン屋がともにあった。そしてその度に、自分は豚骨ラーメンを注文しては、その濃厚なジューシーさに幸福感を覚えつつ、一緒に食べていた相手とどうでもいいような話題で盛り上がっていたりしたものだ。

 そしてその流れは、大学時代に入ってからも変わらなかった。よりによって僕の通っていたキャンパスの通り沿いに、これまた濃厚な豚骨ラーメンのお店があったり、最寄り駅に至る商店街にもポツポツとラーメン屋が点在していたのだ。すると当然ーー

サークル仲間(野郎連中)と、飲み会帰りの締めに一杯(替え玉2つ)
学部の先輩達と、学祭期間中の準備の合間に一杯(替え玉3つ、いずれも粉落としで)

ーーとまあ、何かにつけて濃厚な『一杯』がセットとなってしまう訳で。さすがに毎日というほどではないにせよ、学生時代の重要なイベントには必ずと言っていいほどラーメンという食べ物が付き纏っていたなと、今更ながらに気付かされる。

 そして今、カップ麺の豚骨ラーメン一杯に満足感とは違う重さを少しばかり感じてしまう自分がいる。この違和感というか重さの正体は一体何だろうと心の中で疑問符が残っていたのだが、書いているうちに掴めてきた。
 ああそうとも、この重さこそ『青春』なのではないか。若い頃は異変に気付かずあっさり消化できるが、年齢を重ねるにつれてなかなか消化しきれず、ムカムカやモヤモヤを引き起こしてしまう。この消化の違いが、まだ『青春』を謳歌出来ているか否か、その指標になっているのではないか。
 幸いまだ僕は、ムカムカやモヤモヤを覚えるまでには至っていない。という事は、まだ僕は大丈夫なのだろう。
 まだ僕は『青春』真っ只中にいる! まだ若々しい作品だって書けたり作れたりするハズ!

 とまあ、謎の暴論をかましたところで、ふと我に返って窓の外を見やる。
雨はまだ止まない。カップ麺の容器には、すっかり温くなってしまったスープが、まだ半分ほど残ったままだ。


P.S.
 そういえば、この文章を書いていて、ふと去年伊勢神宮に立ち寄った時の事を思い出した。
 大学時代通っていたお店が、今は伊勢の方に移転しているということで、夕食がてら立ち寄ってみたものの店休日で、仕方なく適当にふらついた先に辿り着いたのが、外宮の少し外れにあるラーメン店だった。
 そこの味噌ラーメンはなかなかの美味しさで、それまで外宮を歩き回っていた疲れも一瞬で吹っ飛んでしまったのだが、それ以上に印象的だったのが、自分以外の客がこぞって同じ学校の制服を着た学生達だった事だ。時間帯的に放課後の部活動を終えた帰り道に寄っているのだろうけど、テーブルを囲んで学生達がラーメンを啜りながら楽しく会話に華を咲かせている姿に、ふとかつての自分を面影を勝手ながら重ねてみてしまったものだ。
 唯一にして最大の違いは、どのテーブルのグループも男女混合だった点くらいだろうか。……アオハル、やってんねぇ。

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