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何者にもなれなかった人間の駄文6

 ある日、なんとなしに散らかった机の上を整理していると、机からはらりと一枚の紙が落ちた。定期券サイズで、黒一色に覆われた裏面。翻すまでもなく、それが新幹線の切符を買った際に一緒に出てくる領収書だと察した。
表面に返す。左下に刻まれた発券された駅名には、この一年弱の間に一人旅で足を運んだ土地の名前が刻まれていた。
 長野、金沢、新潟、名古屋……どの土地も、僕自身を満たすには申し分ない場所だった。そして実に良い一人旅だったと自画自賛したい。
 けれども、「どんな風に、いい旅だったの?」と誰かから訊かれると、正直言葉に窮してしまう。僕の語彙力や表現力が乏しいのもあるだろう。加えて『いい旅』の基準なんて十人十色、人それぞれ違うと理解しているから、それを慮るとますます口籠ってしまうのもある。
 まあ、それを差し引いても、だ。僕ははっきりと断言しなければならない。
 そもそも僕の一人旅は、世間一般の『いい旅』からは外れていると。

 まず僕の場合、旅の目的地を決めるのは、基本的に出発前日の夜だ。
 基本的に仕事を終えて明日から連休だとわかった後で、ふと頭の中で「ちょっと遠出してみようかな~?」と靄めいた計画がぼんやりと浮かぶ。すると直後から脳内で「臨時一人旅実行会議」が発足するのだ。最低限向かうべき目的地があるのか、ルート取り(行程)は大丈夫なのか、宿泊場所は大丈夫か、そもそも予算的に大丈夫なのか(貯金額的な意味で)etc.……そんな脳内会議を眠りに落ちるまでに(APEXやエロゲをしつつ)必死に考えて、一通り案がまとまって無事可決成立したら、必要最低限の荷物をまとめてからすぐ寝て、翌朝の四時に起床する。そして出勤時と同じように身支度を済ませてから、始発電車に乗るべく家を出る。これが僕の一人旅に至るまでの基本的な流れだ。

 こういう話を他の人に話すと、相手から旅行会社のパッケージプランを勧められる事がしばしばある。確かに、往復の新幹線代とホテルの宿泊代がセットになったプランの方が断然お得なのは百も承知している。
 けれども、数日前から乗る新幹線を選んだり、予め定められたホテルの中から選ぶというのが、僕には少し苦痛に感じてしまうし、だいいち出発前日の予約を試みたところで、ほとんど埋まっているというのがオチだ。なので、新幹線の切符は現地で購入するし、ホテルだって予約は前日までに済ませる事もあるけど、場合によっては当日に予約したりする事もある。そう、僕の旅行は基本行き当たりばったりなのだ。
『前日ないしは当日朝までに目的地を1、2箇所決めて、泊まれそうなホテルさえ固めたら、それ以外は全部フリータイム』――経費的な意味でも充実度的な意味でも他人にはあまりオススメ出来ないけど、これが僕の一人旅におけるポリシーだ。

 こんなふわっとしたポリシーに基づいた一人旅は、他の人からすれば『勿体ない旅』と言われるかもしれない。
 実際自宅に戻ってから行程を見直してみると、気づかぬうちに名所を通過していたり、もっと工夫すればこの場所寄れたじゃん、とか後悔する事も頻繁にあったりする。
 だけど、それでも。僕がこの行き当たりばったりの旅の数々を『いい旅』と評したいのは、ひとえに余白の部分が多分に残されているからだと思う。
 先にも記した『フリータイム』――目的地の観光を除いたこの自由時間という暇を、誰にも邪魔される事なく、己の一存でアドリブで決められる。
 例えば、ふと目に留まった小さな博物館にお邪魔した事もあった。ある時は、小ぢんまりとした角打ちのお店に入ったら、店主と話があって、結局二時間近く話し続けた挙げ句、乗る予定だった列車に乗り遅れた事もあった。そうそう、とあるブリュワリーで飲んでいたら、地元の常連客に付近の美味しいお店を多々紹介された挙げ句、近くの居酒屋で二次会的な飲み会に発展して、ホテルのチェックインが深夜になってしまったり……とまあ、見ての通り頭の中で描いていた予定が一気に崩れるというデメリットはある。でもそれ以上に、スケジューリングされた旅では味わえないこの臨場感が、僕はやっぱり好きだ。
 新しく気になった場所を見つけたら、時間の許す限り訪れる事も出来る。立ち寄った場所で偶然イベントの情報を知ったら、勢いそのままに参加だって出来る。
 決めるのは全部自分自身。子供の時に来ても許されなかった、大人になったからこその贅沢。お一人様だからこその楽しみが、この旅には詰まっているのだ。

 もう少し書き綴りたいところなのだが、そろそろ眠たくなってきたので、一旦ここで区切っておく。
 勿体ぶってるというか、中途半端で申し訳ないのだけど、旅行の記録の一端などもこれから書き綴っていけたらと。

 あと最後に。前回の日記だが、タイトルの一部が『者』から『人間』に変わってしまっていた。
 ぶっちゃけ打ち間違いというか誤植なのだけど、飽き性且つ寡筆ながらここまでナンバリングを続けられている自分に対するご褒美という事で、このまま『人間』で続けていこうと思う。
 『者』よりは抽象的だけど、幾分か有機的な息遣いを感じる『人間』という言葉を噛み締めながら、これからも綴っていけたらと思う。 

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