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2023/5/26 ロベール・カンピン 《受胎告知》

昨日北方ルネサンスの話をしたので、今日も北方の絵画を続けて紹介したい。北方にルネサンスが伝わる少し前の絵画について話す。

ロベール・カンピン  『メロードの祭壇画」より《受胎告知》 1427-32年 クロイスターズ美術館

ロベール・カンピン  『メロードの祭壇画」より《受胎告知》 1427-32年 クロイスターズ美術館

まずこの絵を見た時、違和感がすごかった。とにかく遠近法がすごいことになっている。あまりに遠近法に厳格すぎて人物に対して長すぎるベンチ、なのになぜかテーブルだけ遠近法に沿わず、天板が傾いてるように見える、テーブルの上の本と巾着はずり落ちて来そうに見える。現れた大天使ガブリエルもどこか窮屈そうである。といか空間が閉鎖的すぎて、なんか四畳半くらいの空間に閉じ込められてるのか?と思った。さらに受胎告知、つまり聖母マリアがイエス・キリストを身籠ったことを天使が告げに来るドラマチックなシーンにも関わらず、マリアは天使に気が付かず読書に熱中している。人生が大きく変わる“アナウンスメント”なのにいいのかそれで……。

完成された絵、特に自分もその場面を実際に見たような気がするほど写実的だったり構図が現実世界に近かったりする作品は本当に沢山ある。イタリア・ルネサンスで遠近法が理論として確立し、その後は絵画教育の基礎となる。今の美大でも遠近法やらアイレベルやら、そういったものが評価の1つの基準となっており、SNSなどでも作品に対して「遠近法がおかしい」みたいな批評がイラストレーションについたりする。

それに比べて、このカンピンの作品はどうだろう。あまりに強い一点透視図法のせいで部屋全体が奥にワープしてるみたいになってるけど、テーブルはうまくいかなかったのか、それともテーブル上の物品を強調するためにあえて違う遠近法で描いたのか。その謎は画家本人しか知らない。でもこの作品がいくら理論上おかしくても、印象深い作品であることは確かだ。

美術作品は、当たり前だが近年に近づくに従って完成度が高くなっている。その分技法は理論化し複雑化し描くのも見るのも難しくなり、さらに鑑賞者の目も肥えて「上手い」作品がものすごく狭い範囲にあるのではないかと思ったりする。子供が絵を描くのが好きなことからもわかるように、「描きたい」という欲求はとてもプリミティブなものだ。私は「奏でたい(歌・楽器)」「踊りたい」「描きたい」はとてもプリミティブな欲求だと信じている。どこのいかに小さな民族でも必ず音楽があり舞踊があり表象がある。現代の、特に日本人においてはこれらの欲求をあまりに抑圧しすぎではなかろうか。

名のある画家だって、しかもきちんと同業組合に属して工房を持っていた画家だって、理論が確立する前はこんな感じなのだ。もっと自由に描いてみてもいいんじゃないか、と私はこの絵を見ると思ってしまう。

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