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2023/9/22 サンドロ・ボッティチェリ《書斎の聖アウグスティヌス》


間を空けないように頑張るとかいった傍からめっちゃ時間が空いてしまった。
家族が少し体調を崩していたりして……SNSとか見てても体調崩している人多いので、皆様もご自愛ください。
今日はまた大好きなボッティチェリより一枚。

サンドロ・ボッティチェリ 《書斎の聖アウグスティヌス》1480年 オーニッサンティ教会

サンドロ・ボッティチェリ 《書斎の聖アウグスティヌス》1480年 オーニッサンティ教会

アウグスティヌスは、列聖されていますが奇跡を起こした等が理由ではなく、彼がキリスト教会の思想の上で重要な役割を果たしているからだ。
彼は司祭でもあったが、どちらかといえば哲学者、思想家としての側面が強く、この作品で彼が書斎にいるのは、そうした智のイメージが強いせいだ。

彼の詳しい功績については他の詳しい人の解説に任せたいとして、この作品で述べなければならないのは「新プラトン主義」について。
ボッティチェリの他の代表作では、ギリシア神話の神々が描かれていることが多いが、あれはルネサンス期に活発に議論された「新プラトン主義」が影響を与えている。

この聖アウグスティヌスは、この新プラトン主義をキリスト教的に受容した人物として知られている。もちろんであるが、作者であるボッティチェリはキリスト教徒である。いくら美しく素晴らしいギリシア神話の神々の姿を描こうと、彼の信仰心はキリストの下にある。

ボッティチェリの信仰に対する関係の深さは、彼の画業にも関わってくる。ボッティチェリの師匠に当たるフィリッポ・リッピは元々修道士だった。よくフラ・アンジェリコと比較されることが多いが、信仰心篤く“天使のような”修道士だったフラ・アンジェリコに対し、フィリッポ・リッピは修道女と恋に落ち、挙げ句の果てに駆け落ちして還俗している。そのため“元”修道士なのだ。
フィリッポ・リッピの聖母子像とボッティチェリの初期の聖母子像はよく似ている。フィリッポ・リッピは駆け落ちした妻ルクレツィアの中に聖母を見出し、彼女をモデルに聖母子像を書いている。

ボッティチェリの画業はこの宗教色の濃い師匠から始まった。ギリシア神話の神々の作品のイメージが強いボッティチェリだが実は聖書から主題をとっている作品の方が多いほどだ。ボッティチェリ自身、晩年はドミニコ会系修道士であるサヴォナローラに傾倒し、自分の作品を焼いてしまうまでに至っている。

この《書斎の聖アウグスティヌス》が飾ってあるのは、フィレンツェにあるオーニッサンティ教会という小さな教会である。ここはボッティチェリが眠る場所でもある。菩提寺(という言い方が合っているかは不明だが)であるこの教会に自分の画業上の思想と生活の信仰をどちらも受け入れて昇華させた聖人を捧げたことから、私はボッティチェリの強い気持ちを感じてならない。

実は私はボッティチェリの強めのオタクなのでわざわざこのオーニッサンティ教会まで行ってボッティチェリの墓碑を見てきた。床に名前が刻まれているだけの簡素なものだとわかってはいたが絶対に見たくて行ったら丁度改修工事中で足場が組まれていて近づけなかった。
作業員らしき人がいなかったので、ダメ元で修道士さんに「ボッティチェリのお墓を見にきたんです、日本で美術史を勉強していて……」と言ったら快く近くまで案内してくれた。あの時無理を聞いてくれた修道士さんには感謝しかない。

その訪問の際にこの《書斎の聖アウグスティヌス》もみた。本当になんでもないように壁に描かれていた。眉根に皺を寄せて考え込む聖アウグスティヌスは何を思うのか。ボッティチェリの晩年は悲惨だったという。サヴォナローラに傾倒し、筆を折ってからのボッティチェリは貧困に陥り、往年の栄光の見る影もなく死んでいったという。ボッティチェリの簡素な墓はそんな彼の晩年を思うと切ない気持ちになる。

私は、ボッティチェリは優しすぎる人だったのだと思う。お茶目な部分もあったと聞くが、その実も人への優しさからくるものだろう。ボッティチェリの師匠であるフィリッポ・リッピが亡くなった後、身寄りの亡くなった息子フィリピーノ・リッピを引き取って面倒を見ていたのはボッティチェリだった。義理堅く優しいボッティチェリは、変わりゆくフィレンツェとメディチ家についていけなかったのだろう。そして仕事と生活を完全に割り切ることができなかった。

《書斎の聖アウグスティヌス》はそうした巨匠の葛藤を今に伝えるかのような作品である。

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