私のルーツ
今日は私のルーツをまとめてみようと思います!!
最近は、就活のことなど将来について考える(考えなきゃいけない)ことが多く、自己分析なんてものをやってみたりしてます。
今好きなこと・嫌いなこと・関心のあることなど、どれもなんとなくそう思っているのではなく、そう思う理由が私の人生の中にあることに気づきます。
だから、今日は私のルーツをここにまとめて、自己分析的なことしていこうと思います!
生まれ
・2002年9月18日 神奈川県に産まれる
・家族構成:保育士の母、ソーシャルワーカーの父、4歳年上の姉
家族に関しては、心の底からこの家庭に生まれて幸せだと思ってます。
もちろん喧嘩だって何回もしたし、ムカつくこともありますけど、それでも家族の優しさや考え方、もちろん金銭的なサポートなど全てに感謝しかありません。
ほんとに愛されて育ってきたな、と自分ながらに思います。
幼児期
・2、3歳から保育園に通い始める
さすがに2、3歳の時の記憶はないのですし、保育園の頃の記憶はあまりないです。至って一般的な保育園生活だったと思います。
節分の行事で出てくる鬼役の先生がバカみたいに怖かったり、外で遊ぶのが嫌いだったり、土手で転がり落ちるのが好きだったり、保育園のカレーがとっても美味しかったり、頭を打って2回も救急車で病院に運ばれたり、夏休みの間園で飼っているうさぎを預かったら家中が臭くなったり・・・色々思い出はあります。
あとは、園内の同級生が10人程度しかおらず、とても仲良くしていました。
小学校に上がっても時々お母さんたち含めて集まってました。
その中の1人とは、今でも頻繁に会っているほどの大親友です。そんな出会いにも感謝です。
あと、当時保育園の先生になりたいと思い始めました。
私の覚えている最古の将来の夢は「キリン」だったのですが(なぜ?)、この時に保育園の先生に変わりました。理由は詳しく覚えていませんが、きっと私の通っていた保育園の影響ではないでしょうか。
保育園は本当に楽しい思い出ばかりで、行きしぶりみたいのはほんとになかったと思います。
小学生時代
近所の公立の小学校に入学
小学校は6年間もありますからね、思い出もいっぱいです。
少女時代との出会い
小学校2年生の時に少女時代を好きになりました。
当時はKARAや少女時代などいわゆる第2次K-POPブームでした。
普通の小学生なのでやはりMステとか見ますよね。
そこで姉の影響もあり少女時代が好きになりました。
当時はそんな認識しませんが、初めての「推し」です。初恋です、、、照
ただ、素敵な出会いでもありますが、苦い思い出もあります。
当時、第2次K-POPブームと言いつつも、日韓の政治的関係性はあまり良くなかったと思います。連日、竹島のニュースなどがTVで流れていました。
そのため、同級生は私にこんなことを言うのです。
「お前、韓国なんか好きなの?」
当時は悔しかったです。
「この人は少女時代のこと何にも知らないのに、なんで悪く言うんだろう。ニュースだけ見て判断しないでよ!!」と。
偏見とか差別に関して関心を持ったのは、この時からだと思います。
まあ当時は、もちろん「無意識的に」ですが。
学業
勉強は決してできない方ではなかったです。
成績表は、1個4というぐらいでしょうか。あとは5。
宿題もちゃんと出していたし、授業も聞いていたし、優等生だったかはわかりませんが、怠惰な生徒ではなかったです。
姉がやっていた影響もありチャレンジやってました。
めちゃめちゃ溜めてましたけど。親に何度も怒られました。
ただ、親は徹底管理してくるタイプではなかったので、時々「ちゃんと赤ペン先生出してるの〜?」「やらないならやめさせるよ。」など言ってくるぐらいでした。
ただ、それなりに勉強ができたのは、やはり家族のおかげだと思います。
九九言うまでお風呂上がれない、音読聞いてくれた、車のナンバーで10を作る、旅行でいろんなところに連れて行ってくれる・・・など
そういう経験一つ一つが学びに繋がっていたと思います。
持病の発覚
私はてんかんを持ってます。病気です。
初めて大きな症状が出たのは小学生の時でした。しかも、修学旅行の日です泣
修学旅行の二日目の朝、発作を起こしてぶっ倒れました。
同室だった友達には、ほんとにびっくりさせて申し訳なかったと思います。
そのまま救急車に運ばれ、家に帰りました。
だから、小学校の修学旅行の思い出はほぼありません。
てんかんは、今も完治しておらず(完治というものがないみたいな話を先生が言っていたような)薬を飲みながら生活しています。
今は薬を飲んでいれば、ほぼ症状はないです。
ただ、脳波には未だに異常があるようで、これからも長く付き合っていくのだと思います。
病気が発覚した当時は、幼かったこともあり不安だったり、「なん私が?」とネガティブになることもありました。でも今は、病気のせいでネガティブになることはほぼないです。ただ、運転免許の取得に影響があったり、いろんな場面で診断書が必要だったり、人に話したりするのはめんどいなと思っています。(手続きや、必要以上の心配など。もちろん心配してくれるのはありがたいのですが、何度もされるとめんどくさく感じることもあります。)
また、てんかんという病気を抱えていることは、私の唯一の先天的な「不利」だと考えています。
(てんかんは全てが先天的ではありませんが、私は先天的な要因だと考えられると先生から説明がありました。)
家庭環境、学習能力など、それまでの人生で生まれ持った性質で困ったことはほとんどなかったと思います。
てんかんによって生きづらさ(脱毛できない、必要以上の心配をされる、不安になる、薬を飲まなくてはいけない、など)を感じることはあります。
しかし、完璧な治療法がない今は、私の努力次第で解決できるものではないので仕方ないと受け入れています。(医者になって研究するとかならあるけど、それはさ、、、ね。)
中学生時代
近所の公立中学に進学。
制服とジャージがありえないくらいダサかったです。
部活
部活はバドミントン部に所属していました。
入部理由は、すこーしだけ小学生時代に習っていたからです。
なので、入部当初も同級生より少しだけうまかったです。
そして、なんと最高学年になってからは部長も務めました。
今思うと中学の部活の部長なんて楽なものだと思いますが、当時は大変だと思うこともありました。基本的に性格は真面目な方なので、同級生が舐めた態度とってるのは気に障りました。ただ、気はめちゃめちゃ弱いので、「試合に出たいなら、それなりの態度で部活に参加して欲しい」とめちゃめちゃ勇気を出して伝えた記憶があります。
楽しかったとか、楽しくなかったとかそういう記憶はなぜかないのですが、体力的にもそれなりに大変だったし、部長の役割もちゃんと果たせたのではないかと思っています。
学業
勉強は小学生の時よりも意識していました。
4の教科が、4、5個ってところでしょうか。あとは、5。
この頃の成績はそれなりに良かった方だと思いますが、小学生の時とは異なり、これは努力のおかげだと思います。授業も一生懸命受けようとしていたし、テスト勉強も図書館に通って何時間もしていました。
ただ、この頃は正しい(自分に合った)勉強法もわからず、がむしゃらに勉強していたという感じです。そのため、思い通りの結果にならない時もありましたが、無駄ではなかったと思います。
受験
県内の国際系の公立高校を第1希望にしました。
なぜ、国際系の高校を希望した理由は、ズバリ
「高校にまで行ってやりたくないことしたくない」
かなり言葉足らずなので説明します。
高校は義務教育ではないため別に行かなくてもいいじゃないですか。
だから、「高校へ行かない」という選択肢も私の中にはありました。
だけれども、働くのも嫌だし、高校生への憧れもあります。
だから、「高校には行こう」と思っていました。
でも、せっかく自分で学校を選べるなら自分が行きたいと思える学校を選びたい。
そして、当時は「自分に何か強みが欲しい」と思っていました。
そのため、普通科ではなく特別なことを学びたいと思い、前から興味のあった国外のことが学べる国際系の学校に進学したいと思い始めました。
レベルはそこまで高い高校ではありませんでした。
ただ、国際系ということもあり、英語の試験の結果や内申点が高い割合で反映されます。しかし、当時の私は英語が全く得意ではなかったので、とても心配していました。英語の成績も結局4で教室で号泣したのを覚えています。
結果は、無事第一希望の学校に合格できました。
多分かなりギリギリだったと思います汗
まあ、合格できて良かったの一言です。
国際体験
私は、中学時代に運よく何回か国際体験をしました。
1つ目は、ホームステイの受け入れです。
姉の学校で募集があったらしく、1人の留学生が1週間程度、私の家に滞在しました。
当時、中学生だった私は、英語で喋るなんてことはできませんでしたが、外国人がこんなにも身近になったことが初めてだったので、不思議な体験でした。
めちゃめちゃ緊張していた思い出です。
2つ目は、初めての海外旅行です。
念願の韓国旅行に行きました。
父と姉と行ったのですが、もちろん誰も韓国語は話せないし、海外旅行にも慣れていないので、バタバタ旅行でした。しかし、初めての海外・初めての韓国でとても楽しかったです。
この時の忘れられない思い出があります。
駅からソウル駅に行き、目的地に行こうとしていましたが、道が全くわからずウロウロしていました。それを見かねた韓国人の方が、話しかけてくださったのです。
その方は、日本語を話せる方でとても丁寧に道を説明してくださいました。
その方の親切さ、日本語能力。とてもかっこよかったし、感謝しきれません。
あの方がいなければ、いまだにソウル駅を彷徨っていたかもしれません・・・
とにかく、この経験は外国語を学びたいと思った一つのきっかけです。
友達
中学時代には一生の友だちにも出会いました。
というより、私の中学は小学校から中学校にそのまま進学する子が多く、中学では周りのメンバーがほぼ変わらなかったので、さらに仲が深まるという感じでした。
関東圏ということもあり、大学に行っても地元を出る子が少ないので、今でも地元の子達とはよく集まってます。
特に仲良くなった子達がいて、この子達とはおばあちゃんになっても集まってるんだろうなと思ってます・・・
私の学校は小規模だったこともあり、比較的治安が良く、優しい子が多く、雰囲気はとても良かったです。
行事も楽しかったし、休日は友達とたくさん遊んで、いわゆる一般的な中学生時代を送っていたと思います。
(昼寝についての弁論を地区大会で発表しなくてはいけなくなったり、変な思い出はありますけど・・・)
疲れた
だいぶ長くなってしまったので、続きは後日に書こうと思います。
5000字くらい書いてますね。
1200字のレポートですら辛いのに、自分のことは永遠に語れちゃうんですね。
ちなみに、今映画のアバターを見ながら書いてますが、こんなの書きながら理解できるわけないですよ。全く話の内容が分かりません。機会があったらまた見てみようと思います。
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