塗り絵の話

今日は子供たちの調子があまりよくない。コロナのせいで登園基準がとても厳しくなっているためふたりとも今日はお休みだ。ふたりともわりと体が弱いほうなのでとにかく心配が尽きないのである。下の子は特にクループ咳になりやすい体質らしく今回もまた怪しい咳をしているのでこちらも常にひやひや状態だ。

正直こういうときは病院に入院していたい。家で咳だけ苦しそうにされていると本当に不安になる。わたしは常に思考が死に直結してしまうので咳ひとつで怯えてしまうのである。過剰なのはわかっているがどうにもならないから仕方がない。

近所の小児科さんを受診予約したもののかなり人気な小児科なのであと何時間待つことやら。家からすぐなのでこうしてnoteを更新しつつ待てるのはありがたいが不安から解放されたいから早く受診したい。でもこういった日に限ってなかなか時間が過ぎるのが遅いのだ。アインシュタインの相対性理論だ。誰かが解説かなんかで、楽しいときは時間が速く過ぎるのに不安なときや楽しくない時は時間が過ぎるのが遅くなるのが相対性理論なのだといってたのを聞いたときからなにかにつけてはこれは相対性理論だなんて頭がよさそうなことをいってみる。かっこいいから。

さて、子供がいるとなかなか刺繍は危ないので進ませられない。本を読む体力もない、そこで塗り絵の出番だ。もともと子供たちがやっていたが見ていてなんか楽しそうだなからはじまり、大好きダイソーで買ってきた塗り絵をコツコツ進めるのである。縫っても塗っても終わらない塗り絵をコツコツやっていくのはなかなか楽しい。実はコツコツやる系の仕事が向いているのかもしれない。
もうすこし体調がよくなったら仕事を始めようと思うのだけれども、コツコツ作業するほうがいいなあ。

常にわたしは生き急いでる。今この瞬間にでも死んでしまうと思い込んでいる節もある。病気のせいにしておこう。これはもう病気なのだ。
だから何をしていても焦ってしまうし落ち着いていられない。いつもそわそわしている。だから子供が意にそぐわないことをすると焦りからか怒鳴ってしまう。なんでできないんだ!と。
私の幼少期は親の顔色雰囲気声色からすべてを先に察して怒られないように生活していたので、意にそぐわないことをするということが理解できない(こどもからしたら当たり前のことなのだけれども。そして親の顔色を気にせず生活していることはいいことなのだろうけれども)わたしも恐怖で支配しようとしているのだ。独裁政権。そんなこと望んでないんだけどな。

反面教師にしているつもりでもやはり同じ轍を踏んでしまうものなのか。
子供の発達の先生のおかげでいまの精神科からは抜け出せそうなので今後よくなることに期待だ。
私の場合、5億くらいもらえたらうつ病なんか治る気がする。日々の生活のストレスって基本的にお金起因だと思うし私が悩む理由一番はお金に関することだから。

そこから派生して、死にたいだの消えたいだの始まるのだ。こんなにかわいくて優しい子供たちがいるというのに。

お金が原因で家族がおかしくなっていくのをみてきたせいなのか、少し使いすぎてるとどうも不安になってしまうみたいだ。
はやく抜け出すためにもわたしもなにか成果物を上げなければ。

noteの運営さんに目をつけてもらって書籍化とかしないかな。しがない主婦の日記なんか需要ないか。物語をかくような頭はないし、日々の出来事を自分が思ったままにつづるだけ。

これが仕事になったらどんだけいいことなんだろう。幸せだよなあ。一度は人間小説家とかコラムニストとか夢見る職業であると思うから。
昔は恥ずかしくていえなかったが小さいころは小説家になりたかった。
伏線を見事に回収していく伊坂幸太郎さんみたくあの読んでいて気持ちいい本を自分でも書いてみたいと思っていた。自分ではそんなことできないとわかったけれど、文字をつづるのは好きだ。こうしてnoteを始められたのも何かの縁なのだと思う。運命という言葉はあまり好きではないのだけれど、これを続けることでわたしのたどる運命に何か変化が起きるといいな。

きっといい風に変わっていく。今年はそんな気がしていたというか、そういう年にしたい。留まる水は濁っていくので常になにかしらの変化を。
流れる水でありたい。

そんな風に思う小児科受診待ちなのでした。

おしまい

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