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自分のやりたいこと② - 新社会人編

前回の記事はこちら(大学生編)


2013年4月。僕の社会人生活が始まった。

配属初日に電卓を渡され、伝票に押す自分の印鑑を作るように言われた。

それが僕のスタートだった。
入社した当初の僕は役立たずだった。仕事のやり方もわからないし、
自分の会計の知識が全く足りなかった。

当たり前である。

短期間、勉強をしただけだから。入社して再び財務会計を勉強した。

経理(財務会計)分野は他の職種と比べると将来の自分のプランを立てやすい。
財務会計は、「企業のみなさん、同じ会計のルールで投資家の人が見てもわかるような財務諸表を作りましょう。」ということだ。そのため、こういうケースはこの対応をすべきであるといったように、連結会計、資産評価、リース会計等々あって体系化されて答えが用意されている。

その体系化された中で自分が今何ができて、何ができていないかわかる。自分のレベルというのがわかる。

入社した最初の半年は会計の知識以外にも仕事のやり方を覚えたりしてバタバタとしていた。
しかし、少しずつ余裕ができ始めると、体系化されて明確にわかっている自分の将来についてこれでいいんだっけ?と考える機会が増えた。
仕事を覚えていく中で、仕事の流儀みたいなものに自分が染められていく。その流儀に従っていくことができればその部署で仕事ができると言われる。

例えば、経理だと1円単位でミスなく素早くルールに当てはめて仕訳を入れていく。

それができる経理と呼ばれる。自分がその流儀に染められていっているのはわかっていた。しかし心の奥底で本当の自分はこうだっけ?そもそも僕がやりたかったのはこれだっけ?っと。悶々とする日々が続いた。


それ以外にも社会人になって学んだことは会社がどのように回ってるかということだった。営業、営業推進、商品企画、人事、総務、財務など様々な部署があって会社は成り立っている。
OB訪問で社会人から話を聞いてわかったつもりになっていたが全然違った。

経理というのはお金に関わることはなんでもやるので様々な部署と仕事を一緒にやる機会があった。その中で経営企画と一緒に仕事をする機会があった。

経営企画の仕事ってなんだろう。経理と違って本屋に行ってもほとんど本はない。経理のように1円単位の細かい数字を見るのではなく何億円とかもっと大きい単位で物事みる仕事だった。

明確なルールなどもなく、会社独自の数値管理をしている(管理会計)。
僕の性格は大雑把なのでこういう仕事のほうが向いてるじゃないか。そして響きがかっこいい。いつしか僕は経営企画に行きたいと思うようになっていた。

誤解のないように言っておくと、経理と経営企画のどっちが上ではない、
両方とも企業活動において必要なことだ。

経理がざっくりとした計上をしていると、それは粉飾決算になって投資家からの信用を失い株価が暴落することになる。一方で経営企画は会社の将来を考えていく。経営企画において重要なのは細かさよりもざっくりとした大きな規模感で物事を考えていくことだ。

そのためよく言われるのが経理は実績、経営企画は将来を見ていると言われる。

あくまで両者は役割の違いにすぎない。

経理、経営企画に関わらず、それぞれの部署には役割があってそれぞれの流儀みたいなものがある。そうなると、価値観が違うのでどうしても部署同士でぶつかることがある。大企業の仕事は多くがそういった部署間の調整がだったりする。

話を戻す。

僕は経営企画に行きたいと思っていたが、具体的にどうしたらいいかわからなかった。どの企業もそうだが、異動は簡単にできるわけでもないし、明確なフローない、ましてやどのように意思決定を行われているかもよくわからない。


そうして入社して半年が経ち、秋になった。

会社の行事で様々な部署の人が集まるBBQのイベントがあった。

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僕は新卒で下っ端だったので隅っこで一人火おこしをしていた。たまたま経営企画のお偉いさんが話しかけに来た。一人で、隅で可哀想だから気にかけて来てくれた感じだった。

僕はいい機会だと思って今後どういう人材が欲しいかと聞いた。
英語ができて海外の会計基準がわかる人材がほしいということだった。

その話を聞いて家に帰り僕はすぐに資格を調べた。
僕は実力のなさを埋めるために資格を探したりするのが好きだ。
探しているとUSCPAというのが見つかった。

この資格はアメリカの公認会計士の資格だった。都内のテストセンターのような場所で受験できる試験だった。難易度も日本の公認会計士よりも楽で、科目受験で4科目合格すれば良いとのことだった。1年くらいの勉強で取得できるとのことだった。

一番の問題は費用であった。

アメリカの資格試験はビジネスライクで受験料が日本に比べて高い。
USCPAも例外ではなく試験の4科目の受験料だけで20万円もする。
これに加えて、学校の費用や書類などの費用がかかる。
合計で100万円近く必要だった。

入社したばかりの僕は貯金もほとんどなくて、こんな大金を払うことはできなかった。悩んだが思い切って教育ローンを組むことにした。

きっと、この資格を取れば経営企画のお偉いさんが望んでいる人材になれる。そうすれば異動できるに違いない。

そう信じていた。
皮肉なことに経理から出たかったが経理について勉強しないと出れないという状況だった。

それでも僕はこの悶々とした生活を早く脱出したかった。

まだ一回ももらったことのない将来のボーナスなどをローンの返済に充てることにした。
そして普段は仕事をしながらアビタスという国際資格の専門学校に通った。平日は会社が終わってカフェで勉強して、週末は授業を受けるために八重洲の学校に通っていた。

順調に話が進んでいるように見えるが実際に学校に通ったのは最初の1か月だけだった。自分が思うようにうまくいかなった。

続かなかった。


仕事が終わって疲れて帰って、勉強をしようという気力がなかった。


週末は学校に通っていたが移動時間がもったいない、その時間を勉強時間に充てたいと考えた。スタバで勉強をするようになった。
しかし他の可愛い女の子をちらちら見たり、数分おきにTwitterを取り出しては同じフィードを何回もスクロールしていた。

浪人の時もそうだった。

浪人が決まって、わざわざ地元の広島から大阪の駿台の寮に入った。
最初はちゃんと通っていたのだが、同じように移動時間がもったいないと考えるようになった。
浪人だったのでカフェに行くお金がなかったので途中の公園で英単語帳を読んでいたりした。
この時も同じように最終的に勉強しなくなった。しまいには親に参考書を買うと言って、お金を送ってもらってブックオフで古本を買って公園で読んでいた。

僕はいつも現実逃避したくなる。

結局、浪人の時も社会人の時も同じで僕は何も変わっていなかった。

そうして勉強に集中できないまま月日は流れて、冬になった。
USCPAの最初の1科目を受験する日になった。

受験は御茶ノ水のテストセンターだった。

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入口で持ち物検査をして、白い紙とペンを渡されてパソコンの前に座る。四択式なので回答を選んでクリックしていく。

これで5万円か。高すぎ。とクリックしながら思った。


すべて解き終わって、手ごたえは微妙だった。
なんとも言えない感じだった、

後日、結果が届いた。

不合格だった。

5万円がパーだった。

振り返ると、僕は勉強を集中してやらずにズルズル来て、試験直前になってやっと勉強に集中してやった。
ただ最後の詰めの段階で、まぁこれくらいやれば、問題によっては合格できるだろうと諦めた。
確実に合格をするレベルまで勉強をできていなかった。落ちてもまた受ければいいし。と考えていた。

自分の弱さがでた。社会人になって資格を取るのは相当難しいと思う。

会社からマストで取れと言われているわけでもない。

疲れて帰ってきて、モチベーションを維持するのが難しい。
僕も結局、維持することができなかった。
社会人になって資格を取れる人は本当にすごいと思う。

結局、僕は不合格だった。5万円も失った。
金額的にも何回も受験をできるような資格ではなかった。だけど、もうローンを組んで高いお金を学校に払ってしまった。やるしかなかった。


USCPAではアメリカ政府の会計について勉強する必要があった。こんなの仕事に関係ないし、どうでもよかった。全然頭に入ってこなかった。
仕事も慣れてきて徐々に仕事を任され忙しくなり、勉強もうまくできずどうしたらいいかわからない悶々とした日々が続いていた。

1科目も合格できていなかった。


そういう状況から抜け出したくて、飛び道具で第二新卒採用も受けたりした。

結果はどれもダメだった。

第二新卒採用には会社をすぐ辞めるそれなりの理由が必要だった。
ベンチャーも受けたがベンチャーは即戦力を欲していた。
今思うと、僕みたいな人は僕も採用する側だったら絶対採用しないと思う。

振り返ると、僕は社会人になって仕事をして自分のやりたくないことや自分の苦手なことが明確になった。
当時の僕のやりたいことは“やりたくないことをやらない”だった。


気づくと春を迎えて僕は社会人2年目になっていた。


そのチャンスは急に訪れた。


つづく


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