欠片の華-⌘2

 その日最後の講義を終えた後の資料室での学習は、かやのから差し入れられたチョコレートの効果だろうか、集中力が単に増していただけか、あっという間に17時半ばを過ぎた。自宅までは30分ちょっとの徒歩と電車の道のりだ。切り上げて帰宅することにした。
 するとまた信号待ちとの戦いが始まる。毎度毎度、往復のそれが憂鬱で仕方ない。自宅の駅まで行って仕舞えば、もっと言えば電車に乗り込んでさえ仕舞えばあとは楽だ。自宅の最寄り駅からは、多少遠回りだが信号なしのルートを構築してある。最短距離に比べると10分ほど遠回りになるが、信号待ちのストレスに比べればすでに慣れたものだったし、ルート確定までの期間こそ煩わしかったが、新たな道や風景に出会うことを繰り返していたら、雑踏の少ない道を歩くことは逆に好む様になっていた。ノイズが少ない。ここが洸のわがままなところでもあった。ノイズが混雑している都会や市中の雑踏はうるさくて苦手だったが、だからといって全くノイズを感じられない完全なる静寂というのもそれはそれで苦手だった。感覚としては多少違うが、夜眠る時に作る暗闇と静寂の打つ、何かが張り詰めたような無とでも言える雑音に近い。それが頭の中で繰り広げられていくと、何かどうしようもない、拭いようのない疎外感の様なものに苛まれることがままあるからだ。誰かがいない、1人であるという孤独感とは違って、世界から弾かれた感覚になるというのが、本人の感覚としては一番近いのではないかと感じてしまう。常に不快というわけではないが、毎朝きちんと終わりが始まらない日などは特にその感覚に対する嫌悪感が酷い傾向がある様だった。
 そしてこの日の帰り道、大学の門から駅まで、信号待ちには2回しか引っ掛からなかった。これが往路だったら、今日は学習の量が多かったとはいえ、ここまで疲労していなかっただろう。復路よりも、往路の方が人が多いため、帰りの信号待ちとは負担が違いすぎる。本当に朝の信号待ちが苦手だった。
 駅に到着して、数分の待ち合わせの後で15分ほど電車に揺られる。路線としては地下鉄なのだが、洸の乗車区間はちょうど地上に乗り上げている区間だった。時刻は18時前だが、日が長くなってきているため、陽は沈めどまだ空は微かに茜色を残している。晴れ空と言っていい群青とのコントラストの空に少し浮かぶ雲が、茜色に燃えている。特段特筆すべきことはない、いつも通りの夕暮れ。この時間になると、洸は少しだけ浮き足立つ。やっと今日が始まる、という感覚。周りの人間とはその感覚が逆転している。朝に1日を終えて、夜にその日を始める。あくまで夜が好きな人間の、偏った趣味性による考え方だと言われればそれまでなのだが、これが洸にとってはかなり重要な位置を占めている。もし、自己を自己たらしめる要素に順位をつけるとしたら、明らかに3本の指に入る重要事項だった。
 ようやく今日の入り口にたどり着いて、電車に揺られながらこの電車が、自分を夜まで連れて行ってくれるのだとしたら、永久に乗っていたい、と思う。夜だけを走る電車とかないかな、なんて何度思ってきたことだろうか。時間の経過とかとか地球の時点とかと関係なく好きな時に夜に住めればいいのに。そうすれば信号待ちも、憂鬱に1日を終わりから始めることも、ない。常に夜と共に在ることができれば、それが今のところ洸にとって1番の希望だった。しかしもちろんそんなことはできない。摂理の上でそんなことはわかっているからこそ望むのかもしれない。ないものねだりなのはわかっている。けれど、洸は自分個人の人間としての性質上、望まざるを得ない。それは彼女にとって、下手をすれば命にも関わることなのだ。なんて、今まで何度考えてきただろう。と、ドア側の角に立ちつつ、ふと思い出した。そういえば今日は、いつも見かける友人が来ていなかった。体調でも悪いのだろうか。連絡先は知っているけれど、特段連絡する気も起きない。どうせ明日になればひょっこり現れるのだろう。何か約束があるわけでもなかったし。そういえば、そうなると今日大学での会話は茅野という男子学生だけだったことに思い当たる。友達が少ないことを恥じたことも寂しいと思ったこともないし、むしろ自分にとっては好都合だ。その道をわざわざ選んできたのだから、と思い至って、さらに気付く。その割には、今日の茅野とは何故かすんなりと会話ができたな、と。人見知りというわけではないが、洸の性格上自覚する上では、今日の自分の対応や反応は珍しく感じられた。なんなんだろう。きぶんかな、と思い、深くは考えないことにした。どうせ考えてもわからないし、そう続くことでもないだろう、と思う。資料室で隣だっただけだ。それ以上でも以下でもない。そうぼんやりと思考すると、車内アナウンスが降車駅への到着が間も無くである旨を告げた。
 下車後、いつもの遠回りな帰り道を通って帰宅し、夕飯と入浴を済ませて、少し家族との時間を過ごした後で、自室に戻る。ごく普通の一般的な女子大学生の部屋には、電球色の間接照明がいくつか設置してある。机には昼光色のデスクライトもあるが、ほとんど使っていない。
 そしてその色に沈むところから、月萌洸の”今日”がゆっくりと始まっていく。



 一歩間違えれば。
 いや、半歩でもそうだったかもしれない。
 自分で踏み込んだ記憶も退いた記憶も無いのに、その奇跡的な感覚が、今の月萌洸を形成している。
 かろうじて文庫本の文字列が判別できるかどうかという明るさまで部屋の光量を調光すると、ベッドに潜り込んでタオルケットをラフに体にかける。
 仰向けの姿勢で、もう18年間眺め続けて見慣れた天井を、それでも今夜もしばらく見続けていると、ゆっくりと体が弛緩していく。条件反射。パブロフの犬とでも表現しようか。彼女がやっと認められる1日を始めるためのスイッチ。それは精神科のカウンセリングにも似ているかも知れなかったが、その本質はまるで違う。洸はそのスイッチをゆっくりと入れて、眠りと覚醒の間にある、彼女だけの”夜”に入り込む。誰に教えられたわけでもない、自分で見つけた、自分の延命法。感覚が3日でも開こうものなら、きっと彼女は窒息してしまうだろう。
 純度の非常に高い否定しかない、朝という終わりから始まる1日の中で感じてしまった、聴いてしまったノイズ。他人から勝手に流れ込んでくる誰のものとも知らない無数の意識。まるで共感覚のように有象無象を受け止めてしまう脳と心に溜まった膿を整理するための、彼女が知る限り彼女だけの生理現象だった。洸はそれを、”月息”と呼ぶことにしている。以前から人の心を勝手に悟ることができるテレパスや人や物の残留思念を読み取るサイコメトリーに代表されるESP、超能力などと呼ばれているものの一種と考えればおおかた間違ってはいない。しかし洸の場合、事実や情報などもふくむが、主に対象の感情面を強く感じ、しかもそれが読み取ろうとした時に能動的に発動するのではなく、自動的に克慢性的に発動しっぱなしなのだ。止めることができない。凍らずに永久に流れ続ける滝のように、情報と感情が無作為に乱暴に、とめどなくキリなく流れ込んでくる。最初にその体質が発現した時は、ものの数秒で気が狂ってしまい、危うく家族を殺しそうになったもののすぐに泡を吹いて昏倒し、それから人里離れた山中の遠隔隔離病棟で過ごした。半径1キロに人のいない空間は、その時の彼女をなんとか人たらしめることに成功した。洸が若干5歳の時のことだ。その歳で家族に対する殺害未遂を起こしてしまうほどの事態と考えれば、それがどれだけ異常なことか想像に難くないだろう。その結果、結局義務教育課程の最初の段階である小学校教育は、1日残らず登校することはなく、全てをその施設の中で過ごし、教育もその施設の中でこなした。画面を通した通信での授業にもその体質は影響したため、最初はテキストのみの独学から始め、本人や家族の意思もあり、社会生活のリハビリという形で徐々に対人環境を作り上げていく。手紙も意志が介在するため、発現から3年は家族とのコミュニケーションも皆無だった。それでも家族と思えたのは、彼女自身が、発現前までにその存在をきちんと認識して、守ってもらっているという意識が、それはしっかりとあったからだ。自分はとても特殊で、多少なりとも誰かと分かり合えることなどきっともう無いのだと悟りながら、いつまで続くかもわからない一生の中を、それでも生きようと思えたのは、若干の負けず嫌いと、家族と、死が怖かったからだった。そんな思考と目的の中で今の彼女が今考えうる範囲で見つけたパートナーが、孤独だった。家族は確かに大切だ。発現前からそれは変わってはいないし、大切さは増している。こんな自分にも文句を言わずに付き合ってくれている。けれど、だから頼ることができない。生かしてくれているだけでよかった。きっとこんな自分のことも幸せになるようにどこかで願ってくれているのだろうというのは時々感じるが、お首にも出さない。それが、洸の首を締めることにつながることを知っているからだ。自分たちを殺しかけた娘を、姉を、それでも見放されないだけマシだった。たにんからみたらなんて底辺な願望かもしれない。それでも、洸にはそれが始まりで、自分の意味であり、強がるための武器でもあった。
 常時発動型の思念共鳴性障害。世界でも他に類が少ないその症状は、いまだに何も原因が分かっていない。そもそも治る物なのか、病なのか、それすらも一切定かではないのだ。
 何にも頼ることができない、自分が、それでも自分であるためには自分でなんとかするしかなかったせいで一旦辿り着いたのが、“月息”だった。
 おそらく、それは月萌洸だけが持つ世界で唯一の技だろう。自分の体質を飼い慣らす為の、自分の為の飼育法。
 具体的な構図は比較的簡単だ。前回の月息からその次の月息まで、基本的には毎晩、その間の昼間に流れ込んできた思念のうち、洸の意志の中に残った不都合なものを嫌々ながら無理矢理にでも思い出して、整理し、ストレスや負担、嫌悪などの負の要素のベクトルを、拒絶反応と戦いながら無理矢理に捻じ曲げる。もちろん、良し悪し関係なくその間に流れ込んできた思念すべてを記憶しているわけではないし、そんなことは人間の脳味噌や精神がいくつあっても不可能だ。何百人、何千人、下手をすれば何万人という単位の思念が、1日に、しかもおよそ半日で流れ込んでくるのだ。数分でも正気を保って生きているのが不思議な、奇跡的な世界を、洸は自らの選択で生きている。中には稀に受け取るのに都合のいい思念もあるのが幸いではあった。それらは主に、自然物から受け取ることが多かった。そしてそれと、しこりのように残って記憶されている不都合な思念は印象深く残っているので、それらを頭の中で整理して、そのノイズたちの再解釈を始める。現時点、小学生高学年頃から繰り返している洸の月息は、その整理の形を、自分にとって都合のいい物語として自分の中の図書館にしまうという行為に落ち着いていた。これが、ほとんど毎夜繰り返される。だから彼女の1日は月息の開始とともに始まり、そのまま落ちた眠りから覚めることで終わり、また夜の月息に始まる。主に大学に通っている昼間など、こんな体質の人間が、なんとか辛うじて社会生活を少しでもまともに送るために致し方なく身を置いている、拷問だらけの生き地獄でしかないのだ。洸の生きる価値が逆転したり倒錯してしまっても、一体誰が責められるか。
 そんな月息の最中、洸は睡眠に近い状態に陥る。その月息の強さ、深さによっても差はあるが、基本多少の物音では、中断されない。痛覚も殆ど感じなくなり、時折月息の最中に地震や火事などに見舞われたら死んでしまうのでは無いかと不安になるがしかし、どれだけ外部に危険があろうと、それでも洸に必要不可欠な生命活動の一つである月息が、また今日も深さを増していく。

基本的に物語を作ることしか考えていないしがないアマチュアの文章書きです。(自分で小説書きとか作家とか言えません怖くて)どう届けたいという気持ちはもちろんありますけど、皆さんの受け取りたい形にフィットしてればいいなと。yogiboみたいにw