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ついに我がインド料理師匠も帰国

うぇーん💧 関西の、特に大阪の超一流インド料理店たちのクローズ現象が止まらない。と同時に超一流料理人たちが続々と帰国していく。

この10年ほどでざっと20人は下らない。特にこの5,6年は加速していて、昨年はついに神戸と大阪の最後の砦ともいうべき重鎮2店も閉店に追い込まれた。

このたび、4月末に帰国するのは、この10年ずっと料理の師匠であり続けてくれたA氏だ。いや、いい加減に本名を言おう。

アリムル・シェイク氏である。年齢はまだ30代前半という若さ。僕は普段はアリやんと呼んでいる。

関西インド料理業界で彼の名を知らぬ者はいないと思う。それほどに真っ当なインド料理ならびに当時まだ知られていない南インド料理、さらに東部のベンガル料理を、言葉ではなく味で広めてきてくれた影の貢献者だ。インド人には珍しく?真面目なうえ、かわいい性格なので、宗派や民族、食の主義の垣根を越えて、超一流料理人の先輩たちからも可愛がられている。

インド東部、西ベンガルとオリッサの州境に住む代々農家の出身。海、川、湖、農園で育ち、10歳を過ぎたころから街に出てホテルの掃除、洗い場で働き始め、デリー、バンガロール、チェンナイなどのホテルやレストランの厨房で、タンドール料理、南インド料理、ライス料理、その他の鍋場で経験を積んできた本物の人である。宗派はインドでは少数派のイスラム教徒。

インドに同じイスラム教徒の親しい友人は数名いるが、彼ほどフランクで付き合いやすい、いわば日本ナイズドされたタイプはそう多くはないと思う。

料理の腕は言うまでもなく素晴らしい。今まで務めてきた主な店は、当時日本では珍しかった南インド料理の、ラヴァイディリ(ラヴァ=セモリナ粉、イディリ=蒸しパン)やウタパム(豆や米を原料にした生地の素朴なお好み焼きのような食べ物)などという希少すぎるティファン(南インドの軽食)メニューを定番とする料理店『ペートピート』(兵庫・伊丹)と、後に大阪JR吹田駅前にあったビリヤニとドーサ(豆と米を原料とした生地のクレープ様の食べ物)とタンドールの店『カレーリーフ』の2ヵ所である。一時期、現在ミシュランのつくハラル系アラブ料理店(大阪・ミナミ)の厨房にもいた。

特に先述の2店は希少な料理を出していたこともあり、本国の味に飢えるインド人たちをはじめ、日本のインド通、料理マニアたちが駆けつけていたが、時代と共に競合する店が増え、さらにブログやSNSが影響力をもつ時代へと移り変わると同時に、徐々に存在感がうすくなっていった。

彼もまたブログやSNSを理解する暇もなく、現場で身を粉にして働くので精一杯のプロフェショナル(職人)の一人だったのだ。

東京とは違い、大阪は多くの分野で伝統や文化を下支えする習慣が薄い、というか無い?ことも、彼のような超一流の本物の料理人が生きにくい大きな要因のひとつだと思う。同じ関西でも京都は伝統を守る気質が土壌に染みこんでいるように感じる。そして神戸も京都ほどではないが大阪よりは心意気があるように思う。

これは大阪人の僕も意外だったが、大阪は想像以上に文化伝統を守る下支えがないのである。

それは、先日、麺の業界誌「そばうどん2022」(柴田書店)で、庶民のための大阪うどん特集を担当した時に確信したのであった。大阪は昔から”東そば西うどん”と言われるほどのうどん文化圏であるにもかかわらず、文化を下支えするものがないのですぐに話題性だけで流されてしまう、と各店各社が嘆いていた。

まさかうどんもそうだったのかと、この時初めて気づいた次第である。

そんなだからか、大阪にまっとうな取材をしてくれるメディアはそう多くはない。インド・スパイス料理の現場に少しでも通じているタイプの在阪ライターの一人として、これほど不甲斐ない話もない。

アリやんは数年前に若い嫁さんをもらったのはいいが、嫁さんがインドで一度身ごもったのだが残念ながら死去してしまう。嫁さんを励ますうちに、よし、こうなったら日本においで、と日本の信頼のおける人たちからも歓迎されて来日。そして昨年、無事に元気な赤ちゃんを産んだのだった。

が、しかし、大阪にはインド系イスラム教徒のコミュニティは数少ない。またプレイヤールーム(礼拝室)もなければ、ハラル認定フードを提供する店もゼロじゃないけど非常に少数だ。

嫁さんは家の近所の公園を行き来するだけで、それ以外は一人かアリやんしか話し相手がなく、とても厳しい状況だった。

僕に何ができるか。釣りや買い物に付き合ったり、家に呼んで料理を教えてもらったり。何度アリやんテーストのインド料理店が作れないかと考えたかわからない。

最近では僕が畑を始めたことで、畑仕事、インドの農業についても色々教わっている。

インドの習慣、イスラム教徒の実直さ、料理の技術の高さ、などなど、僕がアリやんから受けた影響ははかりしれない。むろん彼は自分が先生のつもりはなく、ただ一緒に遊んでいるだけなのだと思うが。

来週は彼の畑へ行く予定だ。そして彼がやっていた畑の一部を僕が継ぐことに。本人は、できれば一年以内にまた日本へ帰ってきたい、というが、嫁さん子供はもう日本に住むことはないので実際はどうなるかわからない。

こうなったら次はアリやんの実家にホームステイやな。

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