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ハーフがもがいた、もがいてる話


 正直かなり特殊な環境で育ち、それなりに特別なんだろう。自覚はある。

 父はボートピープル。16で命からがら日本に辿り着き、今はベトナムに戻り実業家。口癖は『時間を大事に使いなさい。』いつになっても背中の大きさが分からない。

 母は仕事人間である父親にくっついて(もちろん僕と妹を連れて)ホーチミンへ。自称『野菜おばさん』ベトナムに来てからの苦労を僕は知っているようで知らない。

 小学3年生でベトナムの現地小学校に入学。地獄。記憶があまりない。ベトナム語ができる。なんじゃこりゃ。

 小学6年生で日本人学校へ。小中合わせて60人前後。中学にいったらクラス1人。こりゃ参ったと思って従兄弟を誘う。3学期から2人。

 高校は日本に帰って公立高校へ。7年ぶりの日本の学校。空気の読めない帰国子女は浮くに決まってる。大学ではマシにはなるものの、心は不安定。

 大卒になれず、内定も蹴り、期間工と建設会社のサラリーマンを経てテニスインストラクターに。楽しい。天職だった。

 20代後半に入り、ベトナムにチャレンジしようと決意。9月から拠点をこちらに移し、ホーチミンの縫製工場で管理の仕事しながらもがいている最中。


 自分の中のアイデンティティで、

 言葉、その背景にある文化や歴史、そして考え方の違いで、

 自分の、そして身の回りの未来の事で、

 もがいている様子を自分で残したくて。

 それを読んで、もがいている人の支えになりたくて。


 頑張って続けようかと思ってます。


 

 


 

 

 

 


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