わたしが子どもと山に入る理由。
山に入りました。
私たちも山に住んでるけど、違う山に入りました。
うちの山は石だらけだけどいろんな山の姿があります。
ちょっとだけ山菜を分けてもらいに。基本的に我が家はそんなにガンガン山菜を取るタイプではないので。
山菜より、「草」の方が圧倒的に日常使いができるんですね。
毎日ちょっとずつつんでおかずにするのにとてもありがたい存在。
山菜は1年に数回だけ。
でもスーパー自然栽培の山菜もありがたい恵。心と体のために一年に一度はいただきたいね、と家族で感じているので分けてもらいに近くの山に入ります。
雨上がりの山は思った以上に滑る。
もののけ姫さながらの景色が目の前にひろがります。
倒木に生えた苔、雪解け水の流れる音、春の感じ。。
朽ちた木々にコケが生えて、虫が集まり、命が巡っているその感じはこの時期に一番目に見えるのかもしれません。
沢づたいに奥へ奥へ。
自然の大きさを身体で感じる。
時々、出会う樹齢年数の高い木。
その根元にハッと息を飲む。
樹齢100年は過ぎてるかもしれない。
子どもたちといつもハッと立ち止まり、挨拶をする神々しい樹木。
全てのもの、ことは人の思うようにはならないんだとこうして感じる山の荘厳さ。
「クマさんに会いませんように。
今日も楽しく山を降りてこられるよう見守っていてください。よろしくお願いします。」
いつもそう挨拶をしてから山の奥に入ります。
見えないもの、こと、に気持ちを向け、気配に心を研ぎ澄ます。
となりのトトロの日下部家のような気持ちに自然になるこの感じ。
カタクリ。片栗粉の原型。
シロバナのエンレイソウ。こちらは10年くらい生きる。10年も経つと大きな葉っぱになる。
ニリンソウ。異種なのかピンクがかったものもちらほら。
猛毒トリカブト。
小さな頃はヨモギに似てる。
大きくなるとニリンソウににてる。
トリカブトは危ない。それだけを頭において数年。一年に一つだけ、野草を覚えたらいいと欲張らずにいたけれど、そんな意識の積み重ねが見分ける力をつけてくれたようで、ニリンソウとの違いもわかるようになりましたよ。
似てるけれど、育ち方は全然違う。いつ見ても、ちょっと怖い感じの異色を放つトリカブト。
崖のところでアイヌネギ を分けていただいてきました。
アイヌネギ は斜面にあるので木をぬくと足を滑らせ、下の沢の岩にぶつかり大怪我になる可能性がある。
毎年、春の山で人が死んでるから気をつけて、とおじいちゃんが口を酸っぱくして教えてくれるけど、身をもって感じています。大事なおじいちゃんの教え。
自分の身体と感覚で経験してみることの大切さ。
山に登って帰り道。
そんな長い時間でもなかったのに、雨上がりの滑る苔が生えた沢や、斜面を真剣に歩いたお陰で帰り道は小さな木の根に何度も足を取られ、滑ったりこけたり。
身体を動かして、山の音、気配、触るもの、足で踏むものの感触を全身を使って感じる。
頭ではなく感覚と身体で理解するってとても大事だと思う。
大人が言うことが正しいわけじゃない。
今ここを安全に通るために、自分はどんな選択をしたらいいかを、自分の感覚を使って試してみる。
そして自分の今の限界を自分で知るり、自分がどんなことに安心をし、どんなことにワクワクするかもこうして感じる。
自分の行為全てに責任を持ち、家族一人一人がまずは自分で自分の身を守り山から下りるまでの時間を過ごす。
こうして静かに自分を知ることができます。
街での暮らしは習い事や塾で忙しい子供達も多いと聞きます。
それもいいけれど、大人になって社会に疲れた時、自分のしてることがうまく行かなくて、大きくつまづいた時に、本当に助けてくれるものは、こうして静かに自分の時間を過ごして何かを感じたその経験なんじゃないかな、とわたしは思います。
これだけが答えではないけれど、大切なことの一つだと。
自分の足で生きていくようになった時の支えになるように。
辛いときに、ふっと蘇える楽しい記憶、ホッとした記憶、匂い、感触。
わたしが子どもたちと自然の中に入りたい理由の一番はこれです。
一緒に暮らせなくなった時に、わたし以外に支えてくれる存在があったら心強いよね。
自然ってすごいです。
子どもたちに残したいこの感覚。
きっと開拓時代を生きてきたおじいちゃんたちが感じてることの一つなんじゃないかと思います。
おじいちゃんたちから引き継いだことを、今度はわたしが伝えていけるように日々五感で学んでいます。
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