子どもに恥じない「素直な大人」でありたい
小さい人は先生。
小さい人の感性が好きです。
彼らは今を生きる姿をいつも見せてくれます。
だから私は彼らを生きることの先生だと思っています。
「子どもに学ぶ」
いつのことからか私はそういう大人になれました。
子どもに敬意を持ってせっすることができるようになりました。
彼らは本当に素直なのです。
「大人はいつも子どもに素直であることを要求するけれど、大人の方は素直であるのだろうか?」
80歳になる恩師がここ7年ほど、いつも私に問いかけてくれたことでした。
それを心に落としてからじわっと自分のいろんな矛盾を見るようになりました。
私は自分の素直がわからないのに、子どもに説教して「わかった??」って迫ってみたり、自分の人生の浅い経験を持ち出して偉そうに「世の中はこうなんだから。」って言ってきたこと。。
そして子どもやパートナーに怒ってる時なんて、過去の話まで引っ張り出して、散々まくし立てて、傷つけて自分も勝手に傷ついて落ち込んで次の日にはなにもなかったかのように1日を始めては心のどこかでひきづって。
引きずるんならさっさと謝ればいいのに。
もうそんなことしなきゃいいのに。
そんな自分がもどかしく思っていたけど、それは素直な心を忘れてる、素直な表現ができない自分になってる、ってきづいて。
それと同時に自分の感覚で味わって表現してきたことの少なさにmlハッとしてね。
あれから数年、私は少しずつ変わらさってきました。
ありがたいことに子どもだけでなくパートナーも素直な人で、素直ということの研究、実践をじっくりしながらきょうまできたのだけど。
今を喜ぶ、楽しむ、怒る、悲しむ、没頭する、ワクワクする。。。。。
(楽しいことを見つけては次々と躊躇なくやってみる子どもたち。思い立ってブリッジを始めたムスメをみてこれまた突然お友達もブリッジ。いいなあ、こういうの。
楽しいと思った自分の気持ちに素直にしたがう。そうして自分力を高めていってるような気がします。
左、腹割れ女子。右、倒立歩行女子。流石の筋肉ガールズ、ブリッジしてピースって筋肉どれだけ、、、。笑。)
素直であることで今を生きる自分に集中できるんだと感じています。
私もそうでありたい。
育ちの事情で素直さを手放さずを得なかった私が少しずつ素直な表現をできるようになってきました。
いま、どうであるか。
今、どうしたいか。
そんな素直さを自ら口にすることで自然と整理される自分がいます。
そうして今、本当に好きなことに没頭できる私がいます。
ありがとう、ごめんね。
今の感情を口にできる素直で心地いい私がいます。
ありがとう、こどもたち。
子ども同士はいつも素直。自分の主張をして相手に謝ることをしません。お互いの気持ちがあって当たり前、主張があって当たり前。ただそれで相手が傷ついてしまった時にだけそっとよりそう。もちろん謝ることも。
それでいいんだと彼らから学びました。
きっと私は人に合わせることに慣れ、素直な自分を表現することでせめられるのを恐れていただけ。
素直であること、素直な表現をすることが悪いことなわけじゃなく、自分と相手は違う、ただそれだけなんだよなあ。
これからも素直であることの研究は続きます。
子どもたちの素直さを奪わない大人でありたい。
だから余計な説教は慎もう。
素直な自分で生きる心地よさをもっと味わいたい。
もっと楽な気持ちで生きることを味わいたいから。
ジャングルライフでは薪で煮炊きをするのでキッチンにろうそくと火種があります。それに洗濯タライを足して、ムスメがふと発見した美しい遊び。それに没頭していました。水面に咲いたロウの花も、自分の世界に没頭するムスメの姿も美しいと思いました。
素直さがつなぎ合わさった日々を創っていきたい。そうすれば年を重ねていくたびにもっともっと楽しさが増えていくだろうから。
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