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北国での手作りライフ

こんにちは。

saekkoです。

今回は2本目なので大まかな暮らしのお話を少し。

暮らし方の記録はパーマカルチャー研究所のホームページに載せていますので興味をお持ちになった方はそちらからどうぞ☺️

ホントにコンテナハウスで暮らしてみた。

ひょんなことからご縁をいただき、80代の開拓時代を生きてこられたおじいちゃんがたから直接暮らし方を学んでいます。

我が家の夢のマイホームはコンテナハウスです。

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このコンテナは元中古車屋さん。

玄関には営業時間、いまだにフリーwi-fiのシールも貼ってあります☺️引っ越してきた当初は、肌寒く、テントinコンテナハウスの中に布団を敷いて暮らしておりました。

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お風呂はまだできていなかったので借り湯をし、おトイレは傘をさして入るほどの雨漏り、笑。

暮らしを手作りしてみる。

キッチンは雪の降る11月末まで外にありました。

12月になってキッチンが室内入り、水道管を引いてとうとう家の中の水が届くようになりました。その嬉しかったこと!

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そうして1つずつ暮らしを整えながら、自分たちの経験を積んで暮らしを営んできました。

自分がどんなことを当たり前と感じてきたのかを知る日々。

私たちのパーマカルチャーの原点は、タイの山岳地帯の伝統的な暮らし。助け合って山の泉から水道管を埋めながら集落に水を引き、朝から薪でご飯を炊く暮らしの中に身を置いて、私たちも一緒に暮らして学んできました。

当時2歳3ヶ月のムスメは、ここに暮らして、日本との生活の違いに興味を持ち、2日目にしてトイレを使いたくてオムツが外れました。それからずっと私と同じふんどしおぱんつを愛用しています、笑。

山岳地帯の暮らしは、ヘッドライト一人1つで、暗くなったら寝る、という暮らしを送っていたので、この山で暮らし始めて2週間、電気がなくても、誰も困ることなく、明るいうちに済ませて夜は寝る暮らしでした。

それでも小さな明かりが1つでもうちの中にあるということは大きな安心感があります。あかりってすごいですね。

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ここに来て2週間、部屋に2つのライトがついた次の日に、胆振地震があり、また元の暮らしに逆戻り。

電気が通ってないことに慣れていた私たちにとって、困ることもなく、今まで培ってきた知恵でここをこえることができたので、本当に必要な場所から復旧作業が進んで行くことを祈りました。

不便な暮らしの中にある豊かさ。

日頃から少し不便な暮らしをして知恵を使う生活をしておくくらいが、不安にのまれないためにに大切なことのような気がしています。

こうして1つずつ作り上げていく暮らしが教えてくれたことは、自分がどれだけ豊かな生活の中に身をおいてきたのかということでした。

それに気づいたときに、感謝が溢れるとともに、もう全ては足りているんだ、って思ったのです。

あとは、自分が今いただいているもの、こと、に気づいて、どれだけそれに感謝が感じられる、そう、「自分の生を豊かに思えるか」次第なのかな、って思っています。

なので、私がこの暮らしを続けているのは地球のためでも我が子のためでもなく、じぶんのため。

自分の生に感謝が湧いてくる、そんな感性を持つことができれば、人生を大事にできるから。そしてそれは私自身の持った優しい気持ちを自ら育て、自分の生をもっと好きになることができるから。

我が家のパーマカルチャーはオリジナルです☺️

いえ、我が家だけでなく、パーマカルチャーは基本的のどれもオリジナル。しかしパーマカルチャーを学んだのが山岳地帯の伝統的な暮らしからなので、スロウでサバイバルですが、その中に私が大切だなって思うエッセンスがたくさん詰まっています。

家族で助けてあう中で育つ豊かな気持ち。

家族で家を作り畑を作る。

暮らしを子供のペースの落として丁寧の営んで行くことの中に、家族で思い合う豊かな気持ちが詰まっていて、それがその後の人生に沢山の配慮を生み出していくことをこの人力の、助け合う暮らしで経験しています。

子どもたちが私を思って手を貸してくれる。

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その思いに私が感謝して、子どものやりたいに私が寄り添う覚悟を決め、時間をかける。

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その思いが伝わり、また優しい気持ちを我が子が私に向けてくれる。

家族の優しい思いが循環することで安心感が育ち、一緒に暮らす時間がどんどん楽しくなっていきます。

手作りの暮らしを一緒に営んできてよかったって心から思います。

家族それぞれがつまづいた時、大変な時が見える暮らしの中で、お互いを想像できる力が強くなったことは家族関係をぐっと育ててくれることもこの暮らしから学びました。

そんな手作りの日常があります。

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