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There are crickets in classroom.

 この大学の歴史学の概説の授業はとても大規模で、チームで教える。200名以上の受講生が一堂に会する講義が週2回。これは教員が担当する。講義のほか、受講生は少人数のクラスに分かれてディスカッションを行う。そのクラスが週に1度ある。これを教えるのは大学院生のティーチングアシスタンだ。1名の教員と3名のティーチングアシスタント(TA)。このチームで一つの科目を担当する。
 ある日のミーティングでディスカッションのクラスの様子について話していたときのことだ。同僚TAのKが”There are crickets in classroom.”(教室にコオロギがいます)と言った。いきなり何を話し始めたのだろうと思い、しばらく様子を見ることにした。先生は”Ok, why do you think there are crickets in classroom?”(なんで教室にコオロギがいると思う?)と答えた。二人の間では話が通じているようだが、わたしは置いてけぼけりだ。Kが何か授業のことで困っていること、本当にコオロギがいるわけではないのだろうということは察しがついた。その話題は長く続かず、その場で全貌が明らかになることもなかった。
 家に帰ったあともすっきりせず、いくつも辞書を読んでみてもわからない。決定的な情報を欠いたまま、コオロギといえば鳴き声を出すから、私語をする学生がいてその対応に苦慮しているのだろうと思った。どうやらその予想は違ったようだ。ネットで調べてみると、「コオロギの鳴き声が聞こえるほど静かな」と言う意味らしい。つまり、Kは学生の私語に困っていたのではなく、学生が発言をしないので途方に暮れていたのだ。
 日本語ではこうゆう場合、どういうだろうか。すぐに頭に浮かぶものとしては、「しーん」がある。「しーん」とは沈黙を表す擬音語である。音がないのを音で表す。なんたる超絶技巧。では、逆に日本語の「しーん」はなんと英訳できるだろう。手持ちの和英辞書のなかではオーレックスとジーニアス(第六版)が「しーん」という語を載せている。

People fell silent at the news.(その知らせに人々はしーんとなった)
The classroom was completely silent.(教室はしーんとしていた)

オーレックス和英辞典

It was deathly [deadly] quiet all around.(あたりはしーんとしていた)
extremely quiet [silent] temple grounds(しーんと静まりかえった寺の境内)

ジーニアス和英辞典(第6版)

silentやquietという「静かな」という意味を持つ単語に、completely(完全に)、deathly/deadly(死んだように)、extremely(甚だしく)などの副詞を足すと感じが出るようだ。静かである様を擬音語で表すという日本語のやり方を英語にそのままうつすことはできないようだ。
 英語では静かであることを「コオロギの声が聞こえるほどだ」ということで表せる。では、日本語の「こおろぎ」はどうゆうイメージを喚起するのだろう。いくつか日本語の辞書を引いてみた。『合本俳句歳時記(第五版)』の語釈が充実している。「コオロギ科の昆虫の総称で、種類が多い。日本で一番大きい閻魔蟋蟀は寂しい声でコロコロと鳴き、三角蟋蟀はキチキチキチ、綴刺蟋蟀はリリリリと美しく鳴く。好んで暗い所に棲み、よく鳴くので親しみ深い。」静けさの象徴の英語のcricketsとは違って、日本語の「こおろぎ」は耳にたのしい声で鳴く。
 この辞典は季語ごとに、それを使った俳句の例を多く収集している。「蟋蟀(こほろぎ)」の項から一つ引用しよう。

音がして蟋蟀のゐる畳かな(岩田由美)

『合本俳句歳時記(第五版)』

畳の上に蟋蟀がいて、音でそれに気づく。There are crickets in classroomと言っていることはほぼ同じだが、二つの文が喚起するイメージは全く異なる。日本語の文からは、暑さが去った秋に畳でくつろいでいたら心地よい声がして、そちらに目を向けると蟋蟀がいた、という情景が浮かぶ。他方英語の文からは(意味がわかった今では)静まり返る学生を前に途方に暮れる同僚TAの姿が浮かぶ。

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