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Do you want to make some coffee for me?


 2021年8月にアラバマに来てから2年以上経った。少しずつだが英語力が増してきた気がする。しかし、自分の言いたいことが十分に伝えられなくて惨めな思いをすることがまだある。住んでいるところには公共のバスや電車はほぼないが、平日の日中はアパートと学校の間をシャトルバスが走っている。ある朝、バスが出るギリギリの時間に停留所に着くと、すでに満員だった。運転手とはいつも笑顔で挨拶を交わす仲だが、このときは冷たく”You should wait for another bus”(次のバスを待ちな)と言われた。「次のバスは30分後、それまで待っていたら授業に遅れてしまう。少し詰めて貰えば一人分のスペースくらい作れそうなのに」と思ったが、こうゆうとき英語でなんと言えば良いのかわからず、気がついたらひとりで去っていくバスを見送っていた。仕方なく自分の車で学校に行き、高いビジター用の駐車料を払った。
 朝の授業を終えて、昼ごはんに持ち帰りの焼きそばを注文しようと行きつけの中華料理店に電話した。相手の言っていることはよくわからなかったが、いつも聞かれることは同じなので、"I'd like to place an order for pick-up"(持ち帰りの注文をしたいのですが)と言った。うまく伝わらなかったようで、聞き返されたがそれもよくわからないので同じことを言った。唐突に電話を切られた。最近は電話でのやり取りでもうまくいくことが多く、進歩を感じていたが、久しぶりにこうゆう経験をした。いつになったら自在に英語が話せるようになるのだろうと落ち込む。
 だから、生まれ育った言葉ではなくて学び身につけた言語で作品を発表している作家にはとくに憧れる。そうした作家について、辻野裕紀さんが「あさひてらす」で連載をしている。毎回魅力的な作家が紹介される。特に関心をひいたのはグレゴリー・ケズナジャットだ。サウスカロライナ生まれで英語と共に育ち、高校生のときに日本語学習を始めた。大学卒業後渡日し公立学校の英語指導助手や民間英会話スクールの講師をしたあと、同志社大学大学院で日本文学を専攻し、いまは法政大学で教えている。2021年以来、日本語で小説を発表している。デビュー作の「鴨川ランナー」と最新作「単語帳」を読んでみた。どちらも学習した言語で生きることをテーマにしたもので、自分の境遇とも重なるところが多く、面白く読んだ。
 本の感想を話していると、relatableという単語をよく耳にする。小説の登場人物が自分と多くの共通点を持っていて感情移入しながら読んだときなどに使うようだ。友人とのテクストメッセージで初めて見て、それから教室での会話でも頻繁に使われているのに気がつくようになった。日本語にはこれをそっくり置き換える一つの単語というのはなさそうだ。辞書には「関連づけられる、共感できる」(ジーニアス英和辞典第6版)という意味が載っている。この両方を合わせた意味だと思う。自分に関連付けられるから共感できる。個人的には「わかりみ深い」という日本語がしっくりくる。なんとなくよくわかる、という感じ。ケズナジャットの小説は自分にとってまさにrelatableだった。
 「単語帳」にマルコムという人が出てくる。アメリカのアパラチア地方の出身だが、名古屋に10年間住み、翻訳で生計を立てている。マルコムは日本語学習を初めて以来、新しく覚えた単語を一冊の単語帳に書き溜めている。「俺の単語帳だ。大学一年、初級のクラスを履修した時から付けている。授業で学んだ言葉をとことん書き込んだ。日本に来てからも、本で知らない単語に出会ったり、会話で知らない単語を聞いたりすると、必ずこの中に書き込む」。マルコムは書き留めた単語の一つ一つについて、どのようにそれと出会ったのかを覚えている。「これらはすべて、何らかの記憶に結びついている。この中からどの言葉を選んでも、その言葉をどこで学んだのかも、誰から聞いたのかも、すぐに思い出せる」。
 新しく出会った単語を書き溜めるというのはオーソドックスな学習法だ。自分でもやったことがある。が、長続きはしなかった。それでも、マルコムの言っていることにはrelatableなところがある。ある単語を使うたびに特定のエピソードを思い出すということが少なくない。
 wantと結びついているのは、先学期、TAをしたときの記憶だ。中間試験を終えたあと、講義を担当するS先生に、”Do you want to grade a few exams together?”と聞かれた。文字通り受け取れば、「一緒にいくつか採点したいですか」という意味だろう。実際そのように受け取った。特に一緒にする必要はないと思ったし、時間をとらせても申し訳ないから、”No, I think I’m good”(大丈夫です)とでも答えようとしたが、親切を無碍にするのもなんだと思い、お願いすることにした。同じように聞かれることが何度かあった。次第に、これは単に意向や希望を聞かれているのではなく、婉曲的な指示なのではないかと思うようになった。
 いくつかの辞書を見てみると、ウィズダム英和辞典が”Do you want to do?”という形を成句として取り上げているのを見つけた。「(申し出て)…されますか」という意味だそうだ。”Do you want to use this pen?”(「このペン使われますか [貸してあげましょうか] 」)という例文が挙げられている。
 S先生とのやりとりで出てきたwantも基本的にこれと同じ意味だろうが、もう少し強いニュアンスを感じる。こちらが一緒に採点をしたいかを聞かれたというよりも、「一緒に見てあげるからオフィスに来なさい」という指示に近かったのだろう。上司と部下の関係では「申し出」も「指示」になりうる。もし断っていたら、相当怪訝な顔をされたに違いない。お願いしておいてよかった。
 日本で英語を学習した人にとって、wantという単語は馴染み深いものだ。I want to drink something cold(何か冷たいものが飲みたい)とか、I want to be a lawyer(法律家になりたい)という英文なら中学1年生でも理解できるはずだ。「何かを欲する」という意味はほとんどすべての英語学習者が知っている。しかし、この単語に出会ってから15年以上経って初めて知る用法があった。いまでは友人の家に押しかけて、Do you want to make some coffee for me?(コーヒー作って)と軽口を叩くようになった。
 学習する言語が日常的に使用される環境で生活すると、ストレスが大きい。自分の言いたいことを表現する単語が浮かばないことが多い。単語がわかっても発音が聞き取ってもらえないこともある。だが、一つ一つの単語に具体的なエピソードが結びつき、立体感を増すという利点もある。

行きつけの中華料理店の焼きそば(lo mein)。辛い思いをしたが美味しいのでまた行く

今回取り上げた表現

relatable: 映画や本などの感想をいうとき、自分に関連づけられるから共感できるというような意味で使う。(例)This novel was relatable to me because I had an experience similar to the main character's.
want: 勧誘や婉曲的な指示として使われることがある。(例)Do you want to grade a few exams together?



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