ALUMNI STORY 元外資系M&Aアドバイザリー 久保 星絵(経済学部卒)さん
大学入学前:15歳の時にひらがなだけ覚えて、中国から日本へ
※こちらの収録は2023年3月に行われたものです
久保星絵と申します。私の大学入学前から、お話させていただこうと思います。元々両親が中国出身で、約30年前に日本に来て、私は15歳まで中国の上海で、おばあちゃんと暮らしていました。それで、2003年に日本に来て、そのときに親が帰化したいがために、私を無理やり連れてきました。とりあえず2週間だけで、ひらがなを覚えて、学校に行きました。その当時の学校は、7割の学生がどこからかの帰国生で、敬語もなければいじめもないので、学校生活自体は結構楽しかった気もするのですが、ただ日本語は全然わからなかったので、ひたすら寝るしかなくて、寝てて注意されても、「そこ寝てる」と注意されていることすらわからないから、ひたすら寝るということをしていました。
当時を振り切ってみると、高校3年間のカリキュラム的なものは中国だと中2ぐらいで終わっていたので、別に勉強しなくてもいいかなと思ってそのまま高校生活を過ごしていたのですが、今となっては結構後悔しています。その時のエピソードとしては、クラスの中で各委員会を決める時に、日本語が全く分からなくて、委員会というのもわからなくて、何かしらやらなければいけない雰囲気だったので、美化委員というのが黒板に書いてあって、美化というのは絵を描くのかなと思って、美化委員に手を挙げたら、なぜか掃除係ということになって、絵を描くとかは全く関係なく、ペットボトルのラベルを剥がしたりして高校生活を過ごしていました。
高校では、ほとんどがどこかからの帰国生だったので、基本的にはいじめもなければ何もない楽しい生活だったのですが、塾に行くと、やっぱり日本のコミュニティになってしまって、日本人じゃないと言うと、それまで仲良かった子がスーッと離れてしまうという経験もあったので「あれ?これってなんか日本人って言ったほうがいいんじゃないか」と思って、日本人と言うようになりました。元々親が帰化したいから私を日本に連れてきていて、日本に来た2003年に、家族全員で帰化していて、国籍上は日本人なので、アメリカだったら帰化したら絶対自分のことアメリカ人と言うので、まあ日本人でいいかと思って、誰に聞かれても、日本人だけど日本語わからない日本人です、と言って、うまく偽って塾と大学の生活を過ごしました。
大学入学後:上智大の理工学部から東北大の経済学部に編入
最初は上智大学の理工学部の数学科に入ったのですが、結構数学が好きで数学科に入ったのですが、なぜか数字が一個も出てこなくて、全然面白くなくて、ずっと証明ばっかりしていました。未だに覚えているのですが、一番最初の授業では藤原紀香は美人か否か、この命題は真か偽かみたいな問いがあり、これ全然面白くないなと思って、徐々に学校に行かなくなりました。
当時、上智大学の経済学部の経営学科?の授業に潜ってみたら、誰でも入れるマーケティングの授業があって、参加した回では、ZARAのマーケティングの方が講義をしてくれいて、毎回違う会社の人が来てくれるということで、それがすごく面白くて、これっていわゆる「パラダイス経済」と思って、私もパラダイス経済に行ってみたいと思うようになり、編入を決意して、もう3年生だったのですが、3年生の春から編入の勉強をして、東北大の経済学部に編入しました。東北大学経済学部に入ってみて、全然パラダイスじゃないということがわかりました(笑)仙台で2年間を過ごしたのですが、パラダイス経済とは程遠く、山の麓?中腹?に通った記憶があります。
就職活動時:東北大学から東京に通った就職活動
大学生活の最初は東京にいたので、就活になった時に、東京との情報格差をすごく感じました。最近はわからないのですが、当時は本当に東京の大学生は2年生とか、早い人は1年生から就活を意識した何かをしていて、仙台だと結構みんないい意味でのんびりしているので、すごく雰囲気は良かったのですが、誰も何も気にしていなくて、私はどうせ東京戻るからというところで、東京に戻って就活をしていました。
実は小学生の時に、私の親戚で、もう何回起業しても何回起業しても、ずっと失敗し続けて、周りに迷惑ばかりかけていた親戚がいて、小学生の時にそれを見て、私は絶対に起業しないと決めて、私はプロサラリーマンになるんだ、と思って、 当時、証券会社だったら女性でも若くして出世できる、というドラマを見て、私、証券会社に入りたいと思うようになりました。
その時に思ったことがどれぐらい続いたのか、覚えていないのですが、とにかく私は金融に行くんだということで、元々数学科に入ったのも金融に行けそうだったからなのですが、実際に数学科では、就職先がSEか数学の先生などが多くて、全然金融関係なく、それもあって経済学部に編入しようかなと思ったのも理由の一つでした。アルバイトも実はワタミとユニクロを兼職していて、今考えるとずっとブラック企業で働いてるなと思うのですが、ブラック耐性があるなと個人的には思っています(笑) 高校の時とかに、後世になんか残したいなと思って、建築士になりたいなと思うこともありましたが、結果、金融のM&Aアドバイザリーに就職が決まりました。
現在の仕事内容:M&Aアドバイザリーから、ジュエリーブランドを起業
会社に入ってからも、ブラック体制を続けていて、毎日夜中の3時や4時まで続いて、深夜になると「このまま私は死んでいくのかもしれない、、、本当にこのままでいいのか、、、」と考えることが多かったのですが、なんだかんだで10年ぐらいM&Aのお仕事をしていました。
もちろんいいこともあって、仕事自体はすごく楽しかったですし、色々な仕事に携わることができて、こんな人に会えるんだという、大企業などの誰もが知るような企業の一番偉い人ないしは経営陣と仕事ができて、アドバイスをしなければならない立場になるので、会社でも新卒1年目から発言しなさいとか、案件でミーティングに連れていきますとかで、この経験はおそらくこの仕事でしかできないんだろうなと思うことも多かったです。なので、なかなか忙しくても、案件が終わる度に、「ああ、よかったあ」と思うことが多くて、ずっとM&Aアドバイザリーを長くしていたという経緯がありました。
そこから転機になったのが、子供が生まれてからでした。子供が生まれた時に、仕事で年次が上がると、波も作りやすくなるので、正直早く帰ろうと思ったら、早く帰れるような体制もできて、もちろん子供を寝かした後に働くことにすれば、全然家にも帰れるようになって、毎日3時4時じゃなくてもよくなっていったのですが、ただこのままだと子供に向き合えないなと思うようになりました。その時、私が人生で一番大事なものは何だろうと考えた時に、もちろんキャリアもすごく大事だけど、キャリアよりも家族に重きを置きたいと思うようになりました。
子供は放っておいても大きくなるということは、私が一番わかっていて、親が日本で働いてたので、正直親じゃなくても育てられるし、子供を放っておけば、多分旦那が育ててくれて、子供は勝手に大きくなるのですが、死ぬ時にこれでよかったんだろうかと思うだろうなと、結構強く思うようになりました。M&Aアドバイザリーの仕事は、時間の調整の自由さという意味で、自由が効く仕事ではないのと、あとは育休の手当があまりにも低く、7割出るという上限があることにびっくりして、育休手当の少なさに絶望したこともあり、起業を決意しました。
私は、今までブラックな仕事をしていて、好きなものを仕事にすると好きじゃなくなってしまう可能性があると思って、好きなものを仕事にしてこなかったので、ここからはもう好きなことを仕事にしようとに思って、ずっと好きだったジュエリーを選んで起業することにしました。実は大学の時も手作りジュエリーを作ったりして、新宿のルミネで販売してもらったり、代官山のセレクトショップに置いてもらったり、オンラインでも売っていたりしたので、なんかできるかもと思ってジュエリーを選びました。
ジュエリーと言っても、普通のダイアモンドなどは、ありきたりでいっぱい溢れてるし、あまり面白くないかもということで、当時日本でまだ2社、おそらく今も2社しかないのですが、モアサナイトジュエリーを選びました。アフォーダブルでエシカルな、女性が自分で働いて、自分のお金で買えるジュエリーにしたいなと思って、なんかインスタで大きいダイヤモンドとかを見ていると、セレブの奥様とか、キャバ嬢などの水商売の方が身に付けられているのを見て、そういう人にしか買えないジュエリーではなくて、 女性が自分で働いて貯めたお金で、自分へのご褒美として買えるジュエリーにしていきたいなという想いで、モアサナイトを選びました。
そうこうしているうちに、結局毎日子どもが寝た後に、ずっと仕事したり、結局やることはいっぱいあるのですが、時間の自由はだいぶ効くようになったので、最初の目的は達成したなと思っています。
また、ジュエリーブランドを運営していて、たまたま知り合いから、インポートのウェディングドレスのサロンのオーナーが自分の会社を売りたいと紹介されて、仲介の方に話したら、全然イケてる提案をされなくて困っているとのことで、じゃあ全然お話聞きますよということで、財務状況を聞き出したら、これめっちゃいい会社じゃんと思って、自分のお客さんだったらなんで買わないんですか?とグイグイ進めてしまうような案件で、このタイミングだったら自分も買える方法があるなと思って、じゃあ私が買いますということで、ウェディングドレスのサロンを買収しました。
そこには従業員も結構いるので、さすがにM&Aアドバイザリーに戻ることはできないということで、前の会社を退職して、今はジュエリーとウェディングドレスの
サロンを運営しているという形になります。
今後貢献していきたいこと:ジュエリーを通して、働く女性を応援したい!
M&Aに関しては、さすがに12年ぐらいしているので、皆さんに何かアドバイスなどを聞かれたら、こうしたほうがいいよと、多分言えるのですが、経営者という意味では、まだまだ全然スタートしたばかりなので、皆さんにアドバイスをいただきたいなと思っています。一応ジュエリーの紹介をさせていただくと、働く女性を応援していきたいなと思って、今後も働く女性を応援したいということを大声で言っていきたいなと思っています。是非、気になった方は下記のHP等を見てみてください。ありがとうございました。
モアサナイトのジュエリーブランド「Ravicharme」:https://ravicharme.com/
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