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シンデレラ・ボーイ

その人は、自分のことを「俺」と呼称した。

「……別に、性別を捨てたわけじゃねえよ。ただ、俺って言うのが性に合うんだ」

ビルの屋上、満点の星空の下。
雨でところどころ手摺りが錆びれたベンチと、灰皿。
僕とその人は、ただただ黙って隣に座り、ただただ紫煙を燻らせる。

樫本(かしもと)と綴られた名札を首から提げ、黒いジャケットにスーツスカート、清楚な白いブラウスを身につけ。
肩より少し長めなミルクティ色の髪をバレッタでまとめた横顔は、少し幼げに見える女性だ。
ほんのりと赤いティント塗った唇には、煙草。
そして、女性らしい少し甘めな高い声で放つ言葉は、俺。

このビルにはいくつかの中小企業が入っている、所謂雑居ビルだ。建築年数もそれなりで、屋上のタイルはところどころ剥がれかけ、隙間からちんまりと雑草が首を伸ばしている。
彼女も、その企業に所属している1人なのだろう。
少なくとも、僕がいる会社では無いのは確かだ。
樫本なんて変わった苗字、いたらすぐに分かる。

エクセルと帳簿と電卓との睨めっこに飽きた僕は、煙草でも、と思って共同喫煙所である屋上に上がってきたのだが、先客がいた。

「あ、」
「ああ……あなたも残業?えっと……今は…」
「9時、っすね。……夜の」
「もうそんな時間かあ……お疲れ様だな。…ま、俺もだけど」

俺、と。その女性(ひと)は言った。

「隣。いいぞ、座って」
「あ。……ああ、あざます」

ぽんぽん、と空いたベンチを叩くその人に招かれるままに、すとん、と。腰を下ろした。
ちら、と横目でその人を見ると、ちょうど髪を耳にかけたところで。

その横顔は、少し童顔な……でも、ビルの灯りを見つめる眼は、それなりの『経験』を重ねた貫禄を感じた。

「…俺の顔、何かついてる?」
「へ、い、いや。……なんで、俺、なのかな、と」
「あ?ああ……それのことか……」

彼女はふ、と含み笑いをし、人差し指と中指に挟んだ煙草を目を閉じ咥えた。
彼女の胸元が少し高く浮き、それと同時に、ジリジリと、タバコの先端の灰が数ミリ長くなった。

「……気になるか?」

ふ、と煙を空へ吐き出し。
とん、と灰を灰皿へ落とし。

いたずらっ子のように笑いながら、その人は僕を見た。

「……え、。うん……まあ、気にはなる、っすね」

何となく、聞いてはいけなかったような気がして、おどつくのを隠すように、僕も胸元のポケットから電子タバコを取りだした。
スイッチを入れ、口に咥え。彼女と同じように、煙を肺に入れてから、外へとまた煙を吐いた。

「……元々あたしって、呼んでた。自分のこと。…でも、ああ……なんというかなあ……恋人ができてから……そこからの癖、だな」
「こいびと、」
「なんでカレシって言わねーのって思ったろ?……そうだよ、恋人は、女の子だったからな」
「そ、うなんすね、」

そっち系なのか、とただただぼんやりと思った。
女同士で……求めるものって、求め合うことって…すんのかな……なんて。野暮なことを考えては、振り払うように煙草をくわえた。


「や、もちろん男と付き合ったこともあるよ。ただ……恋人と出会った時……なんて言うかな……男側の気持ち?っつーの?こう、ああ、俺が守ってやんなきゃ、って」
「ああ……何となく、分かりますよ」
「そんときから、自分のこと、俺っていうようになってさ。ちょうど髪もショートカットだったし、メンズライクな格好すんのも嫌いじゃなかったから」
「へえ、」

「けど、振られちまった。守ってやりたかったし、そばにいて欲しかったし……ああ……何にも無くなった、ほんと……」


流石に、言葉は出せなかった。
なんて声掛けていいか……男の僕には分からない。
俺という女性(ひと)は、俺と呼ぶ女性なのだから。

どうみたって……女性なのだから。
女性の考え方ってオトコと違うんだからって、僕の過去の彼女もよく拗ねた時に言っていた。

意見は少し回りくどくて、直接は言えない。
アドバイスじゃなくて共感がいい。
黙っててもいいからそばにいて欲しい。

僕なら直接言うけれど、女性とはそんな繊細で、複雑で、まるで精巧な飴細工で出来たお菓子みたいな、そんな……イキモノなのだと。

「……感傷に浸ってる、感じすか」

恐る恐る掛けた声に、彼女は灰皿に灰を落としながら、黙って頷いた。その瞳には……恐らく、恋人が映っているのだろう。

「……病気だった。いや……もう、遅かったんだ。末期の……白血病だった。あっという間だったよ、治療から緩和になるまでさ…。俺なあ……毎日定時で上がって、その足で見舞いに行ってた。面会時間ギリギリまで話して。俺が帰ったあと…容態が急変して、そのまんま……」

咥え煙草のまま夜空を見上げるその人は、少し寂しげで、虚ろで。
煙草の煙がまるで線香のように空へ、宙へ溶けていく。

「それは……悲しい、です、よね、」

居心地が悪い話ではあるが…その人を放っておけなかった。
何故かは分からないが、ベンチから立ち上がる気にはなれなくて。
その人を1人にさせたくないと……何となく思った。


「悲しい、か。…そうだな…空っぽ、みてえな……そんな感じだな……そっか、悲しいんだな…」

すう、と彼女がくわえた煙草を吸い上げると、まるで赤い蛍のように紫煙の先が灯る。
そして、ふわりと息を吐くように煙を宙へ散らしていく。

「俺はさ……恋人を亡くしてからさ…なんか、恋愛に関してどうでも良くなってさ…。それからを何となくでずっと生きてる。そして、来もしない『いつか』をずっと待ってる。」
「いつか、」
「そ、いつか。授業で聞いたことあんだろ?シンデレラシンドローム。『いつか私はステキな王子サマが迎えに来て幸せになれる』……そうはなるまいと思ってたんだけどな。『ステキなヒト』ってやつが現れる…そんないつかを望んでる自分がいるんだよ。受け身だよなって思うんだけどよ…恋人以上の人はきっと…この先は…」

す、と彼女の目が細くなった。
彼女の考えていることは…何なのか。
先の失恋なのか、あるいは、もうそんな人は現れるわけが無いという……失望なのか。
その言葉は、僕の喉から出かけて、飲み込まれた。

「……あの子が、お姫サマだったのにな、」

ああ、と思った。

何億と人はいるのに、その人にとっての特別は、彼女1人だったんだろう。
そしてそれを喪った。
その人は、樫本さんは……これから人の波に揺蕩いながら、その手を掴んでくれる人を探すのだ。

来もしないいつかは……また、お姫様か王子様か、どちらかを指すのだろう。

とんでもない夢だ。
水面にジグソーパズルを並べて、そのピースが自然に嵌って絵になる位の確率の話をしている。

ただ、現実は、そう簡単に理想とする人がぽんと現れる世界ではなくて、そんな上手くいかないことを分かっていて。
あの人が求める『お姫様』とやらは、もう代わりがないのだから。

「あ、の。樫本……さん」
「ん?……ああ、悪ぃな、辛気くせえ話を聞いてくれて」
「や……その。こういうの、聞くのって失礼だとは思うんすけど…今、いくつなんすか」
「はは、本当に失礼だな。俺じゃなきゃ怒ってるぞ」

なんてな、と口の端を上げてにやりと笑う彼女に、何故かどくりと心臓が高鳴る。
女性なのに、何故か惹かれる、感じる……ほんの少しの男性感。
例えるなら好きな子にちょっかいを出すいたずらな少年というか。
女子校の王子、どこかの漫画で見たようなその言葉が浮かぶ。

ああ。確かに…これは……王子様だ。

「90」
「え」
「ほれ、計算だよ。簡単だろ?八代(やつしろ)ITシステムの九(いちじく)さん」
「…は、え、なんで僕の名前、」
「1990年3月13日。俺の誕生日。さ、いくらになるでしょ〜か」

樫本さんは、その後煙草を灰皿にグリグリと押し付け、お先、と片手をヒラヒラさせながらビルの中へ戻って行った。

シンデレラシンドローム。

お姫様は、本物のお姫様のために王子様になった。
けれど、お姫様は王子様を残して居なくなった。

あの人が言い続ける俺という呼称は、自分がたった1人のための王子様であったという矜恃なのだ。

「2024ひく……1990、って……34?……見えねー……」

はー、というため息と共に空を見上げる。

曇りなき夜空に散る星、そのどれかひとつが樫本さんの恋人なのだろう。
貴女は今、こんな夜更けの雑居ビルの屋上のこの光景を、どう見てるんだろうか。
お姫様を王子様にしたその人は、一体どんな人だったのか。

そして何より……何故難読である僕の名前を、初見で読めたのか。
というか……名札つけてないのに、何故、僕のことを……

「あああ……くっそ」

わかんねー……、と頭を抱える僕の脳裏に、いたずらに笑うあの人が離れない。


「世が世なら……ああやって一目惚れってすんのかね…なあ、王子様」

顔が火照るのが自分でも分かる。
どうやらこれは……王子様にしてやられたようだ。

スカートスーツで、ミルクティの髪色をした、樫本という王子様に。
僕は樫本という名前と、喫煙者であることくらいしか知らないのに、あの人はまるで初めから僕を知っていたようにさらりと名前を口にした。

ガラスの靴を履くのは僕か、彼女か。

いや……きっとこれは、僕が履くことになりそうだ。

だってさ。
僕もこんな感覚、初めてなんだ。
非現実的なこんなこと言いたくは無いけれど、運命、なのかと。そう感じてしまった。
おとぎ話は存在したと、言わざるを得ない。

証拠と言われて出せるものはないけれど、ただそれは、僕の今の心がそう言っているとしか言えない。
言葉に出せない。
言葉にできない。

なら、運命としか言えないじゃないか。
策士な王子様は、またきっと、この喫煙所に現れるだろう。
僕の心を捕まえてったんだと、なら責任を取れよ、なんて。どこの少女漫画なんだか。
でも、きっと口にするんだろうな。
そんな、女の子みたいなセリフを。

煙草をひと吸いし、ふわりと煙を吐きながら、……また思い出しては1人、満点の星空の中しばらく悶えていたのだった。

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