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【創作】遺書

風ヶ峰 通(かぜがみね とおる)。男性。
独身。
年齢は…、そうだなあ…言うならば、働き盛りの歳、と言うくらいか。
後は某エアコンみたいな名前という、どこかのラノベにも出てきたようなそんな字面だけがご立派なフルネーム。
風ヶ峰、父の姓だが、男児である僕に付けられたのは中性的な通という字。

風が通る、峰。

大自然の山々を自由に駆け抜ける風のように、どんな複雑で小さな隙間もするりと通り抜けていく風のように、自由であれ。

そんな意味を込めたと、いつだったか、僕の父は小学生だった僕に、座布団に胡座をかき、堂々と胸を張って答えていた。
どうだ、良い名だろう、通。
自分の名前の由来を調べてみましょう、出された課題をさっさと片付けてしまおうと尋ねただけの質問。

僕の名前の意味って、何?

そこから待ってましたとばかりに嬉しそうに語る父を見て、僕という存在の誕生がどれだけ待ちわびていたのか、名付けた当時を思わせるような、そんな父を、僕はぼんやりと見つめていた。

自由であれ。

その名付けの通り、僕は『自由』に生きている。
髪をパンクな蛍光色に染め、少し伸びてきた襟足は後ろで無造作にゴムで束ねている。
耳には合計12個のピアス。
耳たぶから軟骨まで開いている小さな風穴。
口元のピアスと、鎖骨に通したバーベル。
肩までずり落ちてくる襟首を、腕を上げて直しながら着ている、オーバーサイズのニットとダメージのスキニージーンズ。
振っては振られて、できた恋人は10を超え。
捨てないでと縋った時もあり、縋られた時もあり。

僕には性という概念はない。

男性であるという象徴のものはあるものの、僕は僕であって、何者でもない。
抱く時もある。
抱かれる時もある。
その相手の性も、僕には興味無い。

ただ黙ってそばにいて、僕が辛い時に背中を摩って欲しい。
少し手が触れ合った時に、そのまま絡まるように手を繋いで、温かさを共有したい。
そんなちっぽけな願いなのだ。
僕の、恋人へ求めるものは。

恋をする度に不安に駆られる。
人を愛する度、離れた痛みを先読みする。
体を重ねる度に、温もりを忘れたくないと涙を零す。

こんな自分がどうしようもなく嫌で、生きにくい。
止めたい考えばかりが頭をめぐり、楽しい記憶をはじき飛ばしていく。
まるで幸せになんてなるんじゃないと、運命とやらから縛り付けられているよう。

僕は自由じゃなかったのか。
ただ幸せでいたいだけだ。
安心できる人のそばに黙って居たいだけだ。

身体にいくつも空いたピアスホールは自由に風通しが良くなっていくのに、心はじゅくじゅくと膿んだまま。

今までの僕を、全部過去にしようと思う。
僕は僕であって……ただの、通。
ぐずぐずに生きることにはもううんざりだ。

性が無いなら作ればいい。
経験値だなんて、どこかのRPGゲームじゃないんだから、本人のステータスなんて上がるわけもない。
そんな恋愛も、人付き合いもしてきてないんだからさ。
性別やヤッたヤられたで見方が変わる世界なんて、僕には要らないよ。
見かけだけで顔を顰められる世界なんてもういらないよ。

僕は、捨て不精でさ。
今まで貰ったプレゼントは捨てられずに埃をかぶって、さびついて、でも付ける勇気はなくて。
ほとんどは、ペアリング。
たまにクロスで磨いては輝きを取り戻したそれに、幸せだった記憶に思いを馳せる、そんな道具になってしまった。いつの日にか、相手とペアでつけていた時にはそれを見る度に言い様もない温かさで包まれていたのに。
この贈り物たちは、僕にとっては小さい貴方であり、貴女だった。だからこそ、変えようもないもので、外すことはほぼなかったんだ。
外してしまったら、貴方や貴女が遠くに感じるから。

でももう、その人達はもう居ない。
今はきっと、新しい人が隣にいて、違うペアリングを填めているだろう。
いや、人によってはちゃんと意味のある……名前がちゃんと存在する、少し高価なプラチナのそれかもしれない。

僕はかき集められるだけ集めて、ゴミ袋に突っ込んだ。指輪。ぬいぐるみ。ブレスレット。チョーカー。ピアス。
それだけでは無い。
通の可愛い姿が見たいから使ってと渡された、口には出せない、専用の玩具たち。
同処分しようか迷っていた矢先だったからちょうどいい。それらも電池を引っこ抜き、バラバラにしてゴミ袋に入れた。

敢えて口は縛らずに、袋を乗っけてそのまま車を海まで走らせる。

潮風が吹く中、葬るなら絶対、と思っていたこの方法。

ビニール袋にたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさん言うことすら憚られるこの思いを、重いに終止符を打つ。

僕の涙と、汗と、精一杯の暗い思いをビニール袋の中で思い切り吐き出し叫び、泣いた。なんでそばに居てくれなかった。なんで僕なんかの手を取った。離さないと言って離れていったのは何でだ。なんで僕を裏切った。なんで浮気した。なんで何でなんでなんで!!!!!
びちゃびちゃになった顔を、そばにあったぬいぐるみで拭いながら、小一時間はずっと、うじうじとした僕を捨てるために思いがチラつく限りずっと泣いていた。
夜の海が見える崖なんてそうそう誰も立ち入ることがない。そして民家もない。久しぶりに人目を気にせず思い切り泣けた。
ある程度泣き終わり、というか泣き疲れた僕は道端に落ちていた大きな石を叩きつけるようにビニール袋に詰めていく。僕の感情と同じくらい大きくて、歪で、形が整っていないものを敢えて選んで。

ようやくパンパンになったビニール袋の口を固く縛り、僕は、持ち上げるのも重たいそれを思い切り崖から海へと放り投げた。

僕の重たい思いも、想いも、気持ちも、後悔も、懺悔も、全部詰めた。

僕はもう、自由。
隅々まで駆け抜ける風だ。
何も縛るものは無い。
すん、と鼻をすすり、泣いて少し腫れぼったい目をニットの袖元で少し拭った。
朝の潮風の匂いが鼻を通り抜けていく。

姿が様変わりする度に金切り声を上げる母も、
黙って失望の目を向ける父の視線も、
僕を見てがっかりとした顔を向けるどこか知らないSNSで繋がったあの子達も。

もう僕は、自由だ。
何も無い。
自由だ。
思いや期待に答える義務も何も、通には無い。

ありがとう。
僕を産んでくれたことには。

僕はにっこりと笑った。
朝焼けの匂いがする。
海の欠片が聞こえる。

僕はそのまま、駆け出した。
朝日が目の前に見える。
太陽が目の前に見える。
僕は走り続ける。
あの登り続ける太陽まで。
例えここが所謂陸地で、崖で、駆ける場所に続きは無いとしても、太陽まで続く水平線があるじゃないか。

やっと前を向けたんだ。
やっと負の連鎖から抜け出す方法を見つけたんだ。
見つけて欲しいとは言わない。
見つけて欲しくもない。
ただ、僕がいると思ったら、ただそっと見守っておいて欲しい。
楽しかった?と、問いかけて欲しい。
辛かった?なんて聞かないで。
その思いはきっと、今はどこかの海の底に思い出と一緒に沈んでる。

だからさ、僕はこう返すよ。

ありがとう。
僕は幸せだよ。

風ヶ峰通より、皆様に愛を込めて。
さようなら。


そう綴られた手紙は、海がよく見えると評判のどこかで、石で風に飛ばないように挟まれていたらしい。
雨が降ったであろう所々滲んだ文字は通本人のものだったと、筆跡鑑定で決定打が出た、という話。
新聞のどこかの面で見た、そんな記憶。
通の両親は捜索願を出していたというが、その手紙が見つかったのが1か月前で、ここ数ヶ月は何も音沙汰はないという。
そりゃそうだ。
あいつはあまり人目に触れるような派手な行動はしなかったから。
派手な髪型や派手な服装を好む彼は、男性にしては少し高めな声だった。いつの日か、その高めな声を可愛いと言った時、頑張れば出せると、んん、と咳払いをしたあとにはオクターブ低い明らかな男性としての声も出せていた。本人には言わなかったが、少し掠れた低い声というのはクるものがあった。だからこそ、風ヶ峰通という人物は本当はどっちなのかと首を傾げたことは少なくは無い。喉仏がハッキリ出ている見かけではなかったし、それこそ中性という言葉が彼には合うものだったのだろう。ダボッとした服装を好んで着ていた彼の癖は、唇の皮を指でカリカリと剥く事だった。少し垂れ目気味の奥二重、すっと通った鼻筋、薄目の唇の右下にぽつんとあるほくろが女性的な風貌なのに、その癖をする時は自然と萌え袖のようになるのだから、また性別を惑わせた。そんなユニセックスな風貌で派手な格好を気だるく着こなす彼は、そんなビビッドな色をまとっても、暗い道路で光る街灯のように自然に存在していたのだ。
ただ、そこにいる。
何個ピアスやバーベルが着いていようと彼は彼で、風ヶ峰通という人物であることに二の句はなかったのだ。

ただ、彼の居場所というのは、警察やら、親ですら知らない遠い遠い世界なんだと思う。
ジェンダーフリーな彼からすると、性の概念なんてとうの昔から持っていなかった。
女は男を好きになる。
男は女を好きになる。
そんな型枠など彼にはなかった。
だからといって好みのタイプもなかった。
好きだと思った人以外興味がなかった。
お金が足りなくなると男でも女でも引っ掛けてその日の食い扶持を得る。
昼職も夜職もどちらもしていた彼だが、そのお金には一切手をつけず、未だ貯金として数百万は口座に眠っていることだろう。

いつか好きな人と結婚出来たら使う。

そのいつかを、彼はいつまで待ち続けたのか。
心の通じない男女と体を繋げていた彼は何を思っていたのか自分にはわからぬままだ。
謎めいた青年だった。
今も、それは変わらない。

ただ分かるのは、この世にはもう、彼はいないということ。

生きていると、諦められずビラ配りをしている両親の髪の毛も、少しずつ白髪が目立つようになった。

寂しい、と思った。
彼は時々、声には出さないが、捨てられた子犬のような目をして遠くを見つめていた。
埋められない何かがあったことは事実で、それは自分でも他の人でもなく。

いや、これ以上彼を深堀するのはよそう。
思い出になりたかった人だ。
自由を欲しがった人だ。

詮索するほど野暮なことは無い。

ビラ配りをする年配の夫婦を横目に、携帯灰皿にグリグリとタバコを押付け、胸ポケットに仕舞った。

天気は曇りだった。
通り雨の気配がする、そんな雨の匂いが少しずつ立ち込めていた。

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