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大きなお世話のワカメちゃんにセンスを問われる小さな親切カツオが思案の巻|谷口賢志

みなさん、経験があると思います。

スカートの裾が下着に巻き込まれ、現代風ワカメちゃんのコスプレを意図せずしてしまっている女性に遭遇したこと。

状況を説明してあげると、イクラちゃんのように「ハーイー」とは反応してくれず、まるで汚物を見るような濁った目で返されたこと〜あると思います。

恥ずかしさの裏返し、ツンの極みだと理解していますが、いや、そう思いたいですが、あれ以来僕は、現代風ワカメちゃんに遭遇しても、「あれは、ただのワカメちゃんになりたいワカメちゃんだ」と心の中で言い聞かせ回避することにしている。

間違いの指摘。

なんでだよ!と思うけど、まず初手で、優しさを届ける側のセンスが問われる。マジでなんでだよ!だけど。

都市伝説かもしれないけど、ダウンタウンの松本人志さんが、話しや台詞を「噛む」ことを、最初に笑いに変えた芸人だと聞いたことがある。(間違ってたらごめんなさい)

誰が開発した技にせよ、失敗を失敗のままにするのではなく、誰かの失敗を異なる角度から補うことで新たな成功を生む。素晴らしいセンスだ。

ただ現代においては、紛い物があちらこちらに存在して、失敗を笑い者にしたり、それにつけ込みマウントを取ったりする輩ばかりが目に付くような気がする。

話を戻すと、現代風ワカメちゃんに遭遇したときに、それを新たな成功に導くには、瞬時にカツオになる必要があったのかもしれない。ということは、いつでもバットを持ち歩いている必要があるし、坊主頭のカツラも鞄に常備しておかなければならない。サザエさんと言い争う準備ももちろん。となると、やっぱり面倒だから無視しようとなる。

この「言ってあげたいけど、言ってあげるのもなぁ・・・」という面倒臭いがどんどん感染していき、本来は優しい心の持ち主すべてに広がってしまうと、世界中は、磯野家拒否無関心集団になってしまうかもしれない。

それは、それで、困る。

と言うことはだ。

「小さな親切、大きなお世話」は、実はこの世の中に必要であり、問われるべきは、小さな親切側のセンスだけではなく、大きなお世話だと感じてしまう側のセンスも重要だということに行き着く。

つまり、現代風ワカメちゃんの件は、僕がバットとカツラを持っていなかった所為ではなく、サザエさんがお財布を忘れた所為ではなく、汚物を見るような目を僕に向けた現代風ワカメちゃんのセンスにも問題あるんだぜ!そうなんだよ現代風ワカメちゃん!俺も同じだよ!注意されると、ありがとうに加えて少しクソがが入っちゃうタイプの人間なんだよ!お互い素直に受け入れられる心を手に入れようぜ!猫に咥えて持ってきてもらおうぜ!

失敗を指摘されたときにこそ、己の器を試されていることを肝に銘じ、そして失敗を指摘する時こそ相手の気持ちに寄り添い行動したいと思う。

世知辛い世の中ではあるけれど、間違いを指摘された時は、出来る限り「ハーイー」の精神強めで生きてみよう。

つうか、現代風ワカメちゃんてなんだよ。


●出演情報●

舞台『RUST RAIN FISH』

●ファンコミュニティ●

谷口賢志の『独演会』

今日も人生を彩ろう。

谷口賢志

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