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はじめてドイツに来てから10年

ドイツでの生活をはじめてから僕の性格のなかでいちばん大きく変わったことは、あらかじめ計画を立てることをほとんど諦めきってしまった部分だと思う。正確にいうと変わったというよりかは、もともと行き当たりばったり派の僕と、何もかもを緻密に計っておきたい僕とが共存していたところ、前者の部分がとても強くなった。

結局、自分でコントロールできないことがあまりに多すぎたのだ。大きなものでは疫病や社会そして勤務先の経済状態。小さなものでは電車が時間通り来ないとか自分の発した言葉が相手にちゃんと伝わらないとか。あるいは、恋人と出会って彼の住む街に落ち着いていることとか。計画しても、全くそれが無駄になることはないにせよ、あるいは一度のそれを経た頭から利を得ている部分もあると思うけど、まあプラン通りにはいかないので、だんだんと流れに身をまかすようになった。とはいえ、僕は一面においてはかなりの心配性・不安症でもあるので、それがすばらしく心地よいかというと必ずしもそうではなく、自分ってややこしいなあと悲しくなる。

予測できない要素をちょっとでも減らそうと思うときの定石の一つは、仕事が容易に見つかるような食うに困らない分野を専門的に学んで、その業界で生きていくことだと思う。ただ、僕はそのようには生きられなかった。たとえば情報学はどう考えても向いているとは思えなかったし、金融で生きる自分も想像できなかった。一度デザイナーになったけれど、ものづくりへの情熱の点で、生涯自分がやり続けられることではないと思った。そもそもひとつの分野をずっとやり続ける生き方自体が、自分には合っていないと気づいた。だからいまは広告代理店のような会社で「何でも屋」みたいな仕事をしているけれど、この先どうなるのか全然わからない。

こうして特に何者になるわけでもなく、はじめにドイツに来てから10年目に入った。ドイツに関して言えば、別にしっかりとした何かを成し遂げなくても、とりあえず残りたければ、いつでも何かしら残る手段はあるのだと思う。だから問題は常に、ここに暮らし続ける選択肢をいま捨てるのか(あとから拾い直すことも本気で望めばできるだろう)、まだ持っておくのかなのだろう。

日本の大学でお世話になったある先生を卒業後に尋ねたとき、その先生は僕に「人とちがうことをやってれば何とかなると思うんですよね」とおっしゃった。証明のしようのないこのことを、ただ信じてドイツで生きている。外国人としてドイツで暮らす僕を、まさにその観点によって認めてくれる人がこの国にたくさんいることを信じて生きている。その言葉を支えとしているのだから、「何とかなる」の帰結が、ドイツを去ることになってもよいと思う。何とかなればよい。それだけで。

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