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万年ダイエッターのぼく、またダイエットを始める

一生ダイエット中なのでダイエットの知識は玄人並だしありとあらゆる方法も試してきたし人体の構造から消化器官の仕組みも勉強して食事と代謝のメカニズムも太る食事痩せる食事の知識までしっかりマスターしたのに全く痩せられない万年ダイエッターっていう人〜! は〜〜〜い!!!!! ということでダイエット始めました。始めたと言ってもずっとやってるんですけどやる気が10%だったのが今90%くらいありますってレベルの話です。 ダイエットの定義って人によって"とにかく体重の数字を減らしたい"

    • 小さい頃から太っていた

      小さい頃に付けられていたあだ名は『ブーちゃん』『ブタ』それにニコニコ笑いながら返事をしていた。傷付いていると思われたら余計恥ずかしかったから。顔がパンパンとか体重が重過ぎるとか、当たり前過ぎて悔しいとか抗う気持ちすら失せてしまった。もう無理だとすら思った。18歳くらいで自然と体重が落ちて、自分が痩せられた事に気付く。何度か頑張り、標準体型くらいになった気がしてくる。冷静に周りを見渡して、まだデブだった事に気付く。ショックを受ける。この辺りから手段を厭わなくなり、増減が激しくな

      • ダイエット減らせてもないけど増やしてもないよ報告

        目指せ夢の42キロ

        • teacup.とモバスペに人生を捧げてきた

          閉鎖したのは意外と近年なので知っている人はいるんじゃないだろうか。 大型掲示板サービスやブログサービスを提供していたteacup.が運営していたみんなのチャットという通称"みんチャ" いうまでもない大手個人ホームページ作成サイトMobile Space 小学生から不登校になり引きこもりと化した自分に対して、親はネット環境に寛大な上にほぼ放任だったため、引きこもり生活にもネット中毒も悪化するには充分過ぎる環境で育った。 ネットには知らない世界が広がっていた。いろんな人が

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        万年ダイエッターのぼく、またダイエットを始める

          ぜったいにばんされるよねんかんぶろんもぐもぐした話(ᐡ т ̫ т ᐡ)

          ぜったいにばんされるよねんかんぶろんもぐもぐした話(ᐡ т ̫ т ᐡ)

          化粧が濃いブスが注意すべきこと

          自分は規格外に化粧が濃いブスなんですけど他人によく言われる言葉で『真に受けたり誤解しないように注意している』事があります。 ①"可愛い""綺麗"はイコール"化粧が濃いね"の意であり顔の造形を褒めてる訳ではない ②化粧が上手いね=化粧が濃いというあまり褒められた意味で使われない言葉をマイルドに誤魔化してるだけで本当に技術を褒めてる訳ではない ③すっぴんの方が可愛い=化粧濃くしたところで厚化粧ブスなだけで無駄な抵抗 多分私だけにしか当てはまりませんが異論は認めません

          化粧が濃いブスが注意すべきこと

          他人と沈黙・緊張状態におかれた人が"汚い言葉"や"突然他人を傷付けたらという恐怖"を感じた事がある人は少なくないと思う

          幼少期から、生活に支障が出る程ではなかったが、これに苦しい気持ちになった事は割と日常的にあった。 今この緊張状態の中「こんな言葉を急に発したらどうなるのだろう」とか「(足元に屈んでいたり背中を晒している他者を見て)今この人を突然攻撃したらどんな風になるのだろう」といった不合理な考えが頭をよぎり、そんな事は考えてはいけないと考えを消そうとするほどその思考が離れなくなる。そのうち違う事を考えていれば頭から離れやすいと気付くようになった。 いつか自分が他人を攻撃してしまうのでは

          他人と沈黙・緊張状態におかれた人が"汚い言葉"や"突然他人を傷付けたらという恐怖"を感じた事がある人は少なくないと思う

          ルッキズムは見られる側にも見る側にも深く刻み込まれる呪い

          痩せている人が全員不健康であると決め付けたり太っている人は痩せる努力をしていないと決めつけたり、そういう目線を向けられるのが嫌なのに、それでもその呪いは私たちの意識に深く刻まれる。そして感染症のように今度は他者にそれを植え付ける。 同居人は痩せている。私は太っている。それは紛れもない事実であり変えることのできない現実だ。 たったそれだけの事実は悪意無く相手に対するルッキズムを生む。 これらは同居人がよく勝手にイメージされている様に感じる。実際のところ同居人というのは太ら

          ルッキズムは見られる側にも見る側にも深く刻み込まれる呪い

          耳が突然聞こえなくなった話

          初っ端から不穏な言葉が出てきました。今も聞こえません。先に言うと外耳炎だと思われます。(病院に行ってないので推測ですが) 始まりはいつも行っている耳掃除。風呂上がりに濡れた耳の表面をティッシュで拭いて水気をとる。その時に、グリグリと軟骨を指で挟んで引っ張って動かした記憶がある。深い意図はなかったのだが、その一日〜二日後から「あ、今右耳の骨痛いな」という感覚がなんとなくあった。だが、あくまでなんとなく、だ。めちゃくちゃ痛かったとか、腫れている感覚がある訳でなく、直接耳を触って

          耳が突然聞こえなくなった話

          "死ね"って何度も訴えてくる声が私の頭の中にずっと居る

          こういう人、意外と多いと思うんですけど、どうでしょう。近しい例で言うと強迫性障害の"強迫観念"に通じるものがあるんじゃないのか、と感じるのですが、自分は強迫性障害では無いしあくまで想像ですので悪しからず。 その声は『ずっと自分の中で言い続けている』ように見えて、意外と『比較的落ち着いていてぽつりぽつりと単調でちょっと静かになる瞬間』があったり、『人混みの喧騒の如くけたたましい勢いと力強さで訴えてくる瞬間』があったり、【環境や状況に応じて声の大きさや言い方が変動する】イメージ

          "死ね"って何度も訴えてくる声が私の頭の中にずっと居る

          note書いてて途中までは筆がのってたのに描きたい部分描き切ったら結論まとめる前に飽きてしまって適当に締めちゃうのやめたい。

          note書いてて途中までは筆がのってたのに描きたい部分描き切ったら結論まとめる前に飽きてしまって適当に締めちゃうのやめたい。

          (再掲)

          そんな自分の事が嫌いで。存在することすら許せなくて。恨み続けて生きてきて。自分が周りに嫌な思いをさせたり、怒らせたり、否定される理由が、例えば発達機能や精神疾患による原因だったとして。だからなんだ。それを周囲に『だから許してください』と言って生きないといけない位なら死にたい。仮に発達障害や気分障害などの脳や心の問題が無かったとして、明日から突然『自分の悪い部分が全て無くなって他人を怒らせたり不快にさせたりすることが一切ない完璧な人間になった』としたら。じゃあ自分の事が好きにな

          (再掲)20/01/26

          今日も死にたい。喉が詰まりそうな朝。夜寝る前も、仕事中も、仕事前も、朝起きた時も、誰と居ても、常に気分は曇り。何もかも何処か他人事に感じる。そう思うことが最早クセになっていて何が本当の心からの感情なのかも疑わしい。自分の気持ちなのに。自分の感覚なのに。自分でわからない。自分のことがわからない。自分の気持ちを直視することも怖い。 正直言って『他人に迷惑をかけずに問題無く大丈夫な自分』以外、認めたくなくて、知りたくない。人間関係の荒波やいざこざを作らず、他人を不快にさせたくない

          証明写真は自分で持ち込むに限る

          財布をパクられてしまい免許証を撮り直すハメになり一枚目二枚目と散々撮影と準備との闘いに大惨敗しているため次こそはと用意周到に撮影に挑んだ。色々やったが、大きく結果を左右する事になったものが ①(日頃付けていなくても)カラコンを着用した事 ②撮影機で自分で撮影した事 ③黒髪だった事(これは人による) ④髪を結んだ事 ⑤首元が出た服&黒色のトップスを選んだ事 この4つのおかげで例年よりはだいぶマシな写真が撮れた。ブスだが、撮影準備は勝利だった思う。 反省点も感じた為、書き残して

          証明写真は自分で持ち込むに限る

          自分というフィルターを通して

          「それ変だよ」 「それはおかしい」 「また趣味の悪いほうに走って」 自分がよく言われる言葉だ。それも最近そこらの話ではない。小学生から大人になった今も頻繁に耳にする言葉だ。 無論、投げかけてくる相手は常にひとりである。 同じ趣味の人だっている。素敵だって賞賛してくれる人だっている。なにより、『私が好きになる何か』そのもの自体は本当に素敵だしかけがえのない存在なのだ。 変だと云われてしまう一番の原因は、『自分』というフィルターのせいだ。相手は『私が好きになる何か』に

          自分というフィルターを通して

          他人はあなたに選択肢を与えているようで最初から決まった答えしか求めていない

          あなたに決めてほしいんだけど、どうする?と聞かれても、ある程度他人の中で「想定されている答え」の通りに正解を導くことが選択を迫られた時のセオリーだと思う。 選択肢を選ぶ時、基本は"はい""いいえ"の二択が多い。これが一番わかりやすく『最初から"いいえ"だと思っている人はあなたに選択肢を与えることすらしない』と感じる。もちろん先入観や決めつけ思考が無い人はそんなこともないと思うが、より常識に近いものごとほど人は悪気無く選択肢を生むこともしない。 次に思いつくのは"A""B"

          他人はあなたに選択肢を与えているようで最初から決まった答えしか求めていない