中東戦争前夜
イルミネーションに人集りが出来ていて非常に通行しにくい季節の画1
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中東戦争は1948年から1973年まで25年間繰り返された泥沼の戦争。これは東西冷戦と同時進行した代理世界大戦であるとの見方もあり、これはつまり重要な出来事であった。
中東戦争について見ることでどんなことがわかるのか、そういったことに興味があります。
さて中東戦争はユダヤ人たちがパレスチナの地にイスラエルを建国したことで始まりました。
なぜユダヤ人たちは他人の住む地域を自分たちの国にしてしまったのか。これはイギリスがユダヤ人にこの地を与えたからでした。
その話をするにあたり、話題はユダヤ人の苦悩の歴史へ戻る。
ユダヤ人
自らを”イスラエル人”と名乗っていた者たちは他の民族からは”ヘブライ人”と呼ばれ、その後”新バビロニア”に征服された彼らは”ユダヤ人”と呼ばれるようになった。
※大前提として”ユダヤ人”とは民族ではなく”ユダヤ教を信仰する人々”の総称として使われている。
旧約聖書によれば紀元前12世紀、エジプトで奴隷だったイスラエル人(ヘブライ人またはユダヤ人)をモーセがカナンの地(パレスチナ)へ逃がした。
紀元前11世紀にはその地にイスラエル王国(ヘブライ王国)を建国した。
民に愛されたダビデ王が首都をエルサレムとし、息子ソロモン王の時にイスラエル王国は最盛期を迎える。
ソロモンの死後イスラエル王国は二つに分裂。紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされ、イスラエル人はバビロン捕囚となり、この囚われている間に”ユダヤ教が完成”した。
ユダヤ人の離散
ユダヤ人はペルシャ王国によって解放されパレスチナへ戻り、エルサレムの神殿を再建した。
そうして周辺国からの侵略、支配、抵抗を繰り返しながら国を守った。
ローマ支配下の紀元前6年、内紛の絶えないイスラエルに対しローマは直接的な支配を強める。
重税に苦しむユダヤ人の元にイエスが訪れ、ユダヤ教の改革を提案し説いて回ったが、それに脅威を感じたローマ帝国によってイエスは処刑された。
66年、ユダヤ人たちはついに蜂起。ローマ帝国に反乱を起こす。(ユダヤ戦争)
4年間の反乱はローマ帝国によって鎮圧されエルサレムの神殿は破壊された。
しかし抵抗は続き131年、反乱を起こしたユダヤ人がエルサレムを奪還するもローマ帝国によりエルサレムは破壊される。(第2次ユダヤ戦争)
この反乱によりユダヤ人はこの地域への立ち入りを禁止され、彼らはヨーロッパやアフリカへ離散した。
迫害され続けた民族
こうして2000年前、地中海の東。今のシリアやヨルダン、イスラエル・パレスチナ・レバノンなど多くの地域が侵略を受けた。
結果、パレスチナにいたユダヤ人たちはバラバラになる。
ユダヤ人は各地で差別を受けながらもそれぞれの地域でうまく共存していたが、頻繁に政治問題化(ガス抜き)に利用されるため市民権を得られないユダヤ人も多くいた。
11世紀、ユダヤ人に対する迫害が始まる。切っ掛けは十字軍だった。
イスラム教徒に奪われた聖地をキリスト教徒が取り戻す、という国民感情を盛り上げるためにその矛先はユダヤ人へ向かった。
ヨーロッパではキリスト教が国教の国が多く、ユダヤ教に対する憎悪が彼らを子々孫々迫害することとなった。
ゲットー(ユダヤ人居住区)
とある島国でも一部”過激な右派”が”特定の民族”や”特定の国籍を持つ者”をまとめて差別するが、中世のヨーロッパでもそういった流れがあった。
市民は何か困ったことがあるとユダヤ人のせいにして迫害してきました。
14世紀にヴェネツィア共和国で始まったユダヤ人の隔離。ユダヤ人は決められた区域内で労働を強いられ、その区域内にだけ居住を許された。
16世紀までにその風潮はヨーロッパに広がり、ユダヤ人の居住区は”ゲットー”と呼ばれ高い塀で囲まれた。
日中のみ門が開けられましたが、キリスト教徒と区別するためユダヤ人は外出時に”黄色い帽子”と”ユダヤ人バッジ”の着用を強制された。
仕事は制限され商業活動は禁止、誰もが嫌がる労働しかすることを許されず、常に貧しく不衛生であった。
ペスト蔓延時には比較的ユダヤ人の死者が少なかったことで、「ユダヤ人の仕業である」「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」とヨーロッパ中のゲットーが焼き討ちされ、逃げ出すユダヤ人は女子供でも一般市民に殴り殺された。(ドイツ南部を除く)
ユダヤ人の解放
ユダヤ人がゲットーから解放されたのは17世紀のフランス革命だった。つまり逆に言えばユダヤ人は1700年もの間、ヨーロッパで差別・迫害・虐殺をされ続けた。
フランス革命によって人権宣言が発表され、新しい議会にでユダヤ人はついに市民としての権利を得た。
ヨーロッパでユダヤ人解放が始まり、もともと金融業や貿易、商売が得意であったユダヤ人たちは中央銀行のシステムを開発、ヨーロッパ全土で財と権力を手に入れていく。(ロスチャイルド家)
どの国もユダヤ人無しでは経済が回らない状態になったこともユダヤ人解放を加速させた。
また思想家のマルクスや科学者のアインシュタインもユダヤ人であった。
しかし世界はすぐに帝国主義が主流となり世界大戦の時代が訪れる。
国家主義にナショナリズム(民族主義)が利用され、ユダヤ人に対する激しい迫害が始まる。(反ユダヤ主義)
ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)
1881年アレクサンドル2世ロシア皇帝が国内の活動家に暗殺されると、後を継いだアレクサンドル3世がナショナリズムを利用するため”ユダヤ人が皇帝を暗殺した”とした。
ロシアではユダヤ人15,000人が虐殺され、この時に逃れたユダヤ人がアメリカに住み始める。
ヨーロッパに広がる反ユダヤ主義による迫害を受けたユダヤ人たちは自分たちの国家建設を考えるようになり(シオニズム)、1894年にスイスで第1回シオニスト会議が開かれた。
続く激しい迫害の中、1度目の世界大戦でイギリスはユダヤ人を利用するために「パレスチナに於けるユダヤ人国家の建設」を約束し、少しずつユダヤ人のパレスチナ帰還が始まる。
1933年、ナチ党の支援を受けたアドルフ・ヒトラーがドイツ首相に任命されると全権委任法を成立、1934年大統領の死によって総統に就任、国家元首として全権を手に入れる。
ヒトラーはユダヤ人の経済力と自身の劣等感、批判的な国民感情をコントロールするために「優秀なアーリア人の血を守るために劣等人種であるユダヤ人を絶滅させる」とした。
人種差別を合法化されたドイツではユダヤ人に対する激しい迫害と虐殺が横行するようになる。
2度目の世界大戦が始まるとナチスによる強制収容所が各地に作られ、戦争の激化と比例するように多くのユダヤ人たちが収容され拷問や、化学兵器による人体実験などを受けた。
絶滅収容所と呼ばれる代表的な強制収容所が建設され虐殺は終戦まで続いた。
最終的にホロコーストによる犠牲者は約600万人とされている。
イスラエル建国
世界大戦が終わり、解放されたユダヤ人に国際社会からの同情が集まった。
イギリスは約束を果たさなければならなくなり、国連はユダヤ人にパレスチナでのイスラエル建国を認め1948年、ユダヤ人の悲願であったイスラエル国が建国され、世界中からユダヤ人が帰還した。
こうして建国されたイスラエルだが、イギリスはユダヤ人の他にも”アラブ人”と”フランス”に同じ約束をしており、これは俗に三枚舌外交と呼ばれ、特にアラブ諸国とイスラエルの軋轢を生んだ。
イスラエル建国(5月14日)の翌日(5月15日)、エジプト・シリア・ヨルダン・レバノン・イラクのアラブ連合軍が一斉にイスラエルへ侵攻し第1次中東戦争が始まった。
書いてみて思ったことは、端折ってもかなり長くなってしまったということと、SNSについてだった。
多くの場合は自国の戦争・防衛にしか興味がないので、その原因を目先に作りたくなってしまう。
結果、特にSNSでは不毛な中傷合戦を繰り広げ、自らの程度の低さを再確認することとなってしまう。
しかしそれは退屈を持て余した貴族のような遊びかもしれないので、そんなことを楽しめる日本は良い国ということでいいですね。
次回は綺麗な茶畑のお話でもします。では。
(砂肝のおいしいお料理)
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