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「人間社会の未来について」1 結城 悠木

ひらまさか何かのお造り1,200円


あいさつ

人間(人類)が生まれてから今日まで、我々は環境の変化に対応しながら種を紡いできました。
18世紀までに10億人程度であった世界人口は、産業革命を機に2011年には70億人となり2050年には100億人と予想されている。
航空技術や例えば食品保存技術の向上なども手伝い、世界中どこにいても商売が出来るようになりました。

これは外国が近くなったとも言え、地球が非常に狭くなったとも言えます。

人間が集まればそこには社会が生まれ、その社会は都度”形”を変えていく。その最終的な目的は円滑な人間社会の形成でしょうか。
爆発的に数を増やした我々は自身の技術革新も手伝い、互いの距離感は非常に近い状態。そのため社会システムの改善は人類の急務であるが、国や地域によってはなかなか進まない。それは昨今のSNSでの不毛な中傷合戦を見ればこれ以上は言わずもがなです。

 そういったものをいつも通りにビールを飲みながらぼんやりと見ていたところ「人間社会はどうなっていくのだろうか」「そもそも人間社会に最終形はあるのだろうか」といった素朴なテーマが頭の中を渦巻いて離れなくなったため、少しまとめながら進めていくことにしました。

先に”人間社会の未来”について私のぼんやりとした結論を披露します。

 結論 : ひとつになる

私は3本目のビールを飲みながら、人間というものは将来”ひとつになる”のではないだろうかとふんわりと感じました。
それは”社会が”というものではなく、”人間”という存在がひとつになるというぼんやりとした想像です。
“概念”や”思念”、そんなものだけがbitとして集約され、脳だけがひとつこの世界に存在するようなイメージでしょうか? いえ、その”脳”すらも不要かもしれません。
情報という波動が夕凪の中で優しく髪を揺らすような、また台風と台風がぶつかり合うような、それらを合わせたひとつの状態。
そんな未来が本当にあり得るのか? あり得るとしたらどのような過程で? どのような社会を経て? など、そんなことを少し考えていきたいという趣向です。

今回お酒を飲みながら書いているので面倒になって突然端折って終わらせるかもしれませんが、誤字脱字の見直しは必ずしますのでもしお時間が少しありましたら一緒に想像していきましょう。

では2部でまた。

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