学振DC1体験記①~自身の現状把握と提出までの計画を把握する~
こんにちは。この記事を読んでいるみなさんはきっとキーワードに「学振」「DC1」などと打ち込みこの記事を見つけた形だろうと思います笑。
かく言う僕も一年前の今頃はネットで必死に学振に関するサイト・体験談をかき集める作業をしていました。
今こうして記事を書いているのもなんとかDC1に採用(内定)されたからであり、落ちていればきっと書くこともなかったでしょう(笑)
採用されたからには、ご縁ということで自分の体験談を残そうと思います。特に自分の研究分野である生物系(医歯薬)は諸事情あり他の分野に比べネットに落ちている体験談が少ないです。また、自分みたいな地方大学であると周りにDC持ちもあまりいないので情弱というハンデを背負いながら戦わなければいけません。そういった方たちにも、この記事が届けばいいなという願いを込めながら書きます。
第一弾(何弾まで行くかは未定)となる本記事では、僕が一体何者なのかについてと実際に申請書を書き始めるまでに準備したことについて記します。
前者については結構大事だと思っていて、申請書を書く人によってその内容だったりスタンスは変わりますので(いわゆる個性)、それを理解した上で今後の僕の記事も読んで頂ければと思います。逆に言えば、僕のバックグラウンドとかなり違うものをお持ちの方であれば、あまり僕の記事は参考にならないかもしれませんね。
☆自己紹介
僕は富山大学の大学院の学生で、
薬学部系薬理学の研究室に所属している修士2年です。
研究分野は神経科学・神経薬理・疼痛・掻痒といった感じです。
一番の専門は掻痒学でマイナーな分野になると思います(ここ重要)。
ラボは学部の頃から変わらず同じラボに進学しました。以下にリンクを張り付けております(ちゃっかり宣伝)。
うちのラボは今でこそ教授が変わりメインではありませんが、従来から疼痛掻痒を研究してきた伝統あるラボです。
博士の学生はラボに2、3人いて、大学内で比較するとそこそこ…といった感じです。おそらく僕がラボ史上初のDC1だと思います。
富山大学としては3年に1人はDC1出るかな…くらいです。同じ分野ではもちろんほぼほぼいませんので、身近には参考になる先輩はいませんでした。
博士進学を決意したのは学部4年の夏でしたので、そこから学振を意識しながら研究を進めてきました。
ラボ変え(=指導教員変え)、研究の方向性、業績の作り方etc…
特に地方国立では、指導教員の学振への協力が大きなカギを握っているといっても過言ではありません。研究内容はビッグラボの方が充実するため、いかにそれ以外の点で申請書を充実させられるかは指導教員にかかっています。様々な学会に参加させてもらえるか、手技を学びに出張させてもらえるか、はたまた運が良ければ論文を書かせてもらえるか。こればかりは運要素が強いですが、確率を上げるためにも博士に上がるならなるべく早めにその旨を指導教員に伝えるといいでしょう。僕も他の大学院への合格をもらっていましたが、このラボに残る方が研究のオリジナリティーが高く、指導教員も教育熱心と考え結局残りました。
僕の指導教員はとても親切で、業績を残せるよう割と自由にさせてくれました。以下に僕の申請時の業績をまとめておきます。
英語の筆頭論文がありませんので少し業績は弱いですが、その分学会発表はかなり精力的に行いました。おかげで2件も受賞することができ、これは申請書でも大きくアピールする材料になりました。
そして学会に出たり、出張に行ける最大のメリットは自分の名前が売れることです。
申請書はもちろん、申請する分野の先生方が審査することになりますが、その際に名前を覚えてもらっているとフェアに審査する中でも少し有利になるかもしれません。大方の研究内容が把握されていれば、申請書の研究内容もすんなり頭に入るだろうし、指導教員がそれなりに名前の通った人であれば安心感も生まれるでしょうから。
また、学会や出張先で作ったご縁は必ず自分を救ってくれます。申請書を熟成させるコツとして、①通った申請書を参考にすること、②できるだけ様々な方からご意見を伺うこと、が挙げられます。
上記で述べたよう、僕は学内には知り合いがいませんでしたが、学会や出張先で知り合ったたくさんの先生方や先輩方に申請書を頂いたり、添削して頂きました。特に医歯薬系の申請書はネットでは収集するのが難しいため、他人よりも多くの申請書を参考にできたと思います。
話がそれましたが、要は学会に出ろという話です。
ただし、事情によって出られない場合ももちろんあるかと思うので、その場合は学会以外にも自分のストロングポイントを見出せるような準備をすることが大事だと思います。近年のDCは業績が少なくても通りやすいようなシステムに代わってきていますので、割り切るといいでしょう。
自己紹介はそんなものでしょうか。まとめるとマイナーな研究分野、オリジナリティーの高い実験手技、そこそこの研究業績、多くの学会・出張経験を引っ提げて、申請書作成に挑みました。
☆提出までのスケジュール
準備は12月から始めたので、そこからのスケジュールを紹介します。
12月
申請書収集、分析。申請書の書き方をまとめているサイトをまとめる。自身のアピールポイント、研究の強みを書き並べる。
(参考)学会参加1件1月
同上2月
同上
(参考)特別研究員の募集要項が掲載される3月
同上
(参考)学会参加3件4月
申請書を書き始める。研究計画を練るのが遅かったことに気づき汗びっしょびしょ。第1~6稿まで進む。5月
人間の生活を捨てたため周囲から心配される。ほぼ実験もしなかった。GW明けにはなんとか他人に見せられる形に仕上がり各方面に添削の依頼。26日の締切日に提出(最終第18稿)。
3月の学会準備のため1、2月は忙しくなることは前から分かっていたので、準備は早めに行っていました。よって本格的に取り掛かったのは4月からでした。
良かったと思う点は、自身のアピールポイントを先に書き並べておいた点です。
申請書を書くうえで大きな軸をどこに置くかを考えた時、よく整理して考えることができました。またこれらを書いた紙を机に貼っておくと、ふとした時に「これも長所になるな」なんて思い浮かんだりします。自分の長所って考えようとしてもあんま出てこないので(笑)。そして目に入るたびに、「俺意外と優秀そうに見える?」と自身を洗脳できます(笑)。
大きな反省点として、研究計画を考えるのが遅すぎたことが悔やまれます。
僕の場合は、指導教員にテーマを強制されるわけではありませんでしたので、一から考える必要がありました。僕にとってはそれが楽しく、また勉強も怠ることなくしてきたので「イケるだろ」と思いながら4月を迎えました。慢心でした。いざ「計画を練る」視点で論文を読むと自分の知らないことが山のように出てきて、書き始めることすら出来ないのです。たかがM1の考えた実験など先人たちはもうすでに行っており、着想のオリジナリティーを出すことは自分にとってはとても大変でした。大胆なことを考えてもそれはそれで実現性に乏しく、泣きそうになりながら論文を読み漁ったのを今でも覚えています(笑)
それでは次の記事からは本格的に細かく意識していたことなど説明していきたいと思います。申請書の作成は長く苦しいものですので、応援しています。
次回はコチラ
僕の研究を応援して頂ければ幸いです!