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電波泥棒


「ごめんなさい、Wi-Fi盗んでました」

春の陽射しが窓をまっすぐに突き刺して、彼を直撃している。眩しいから目を細めているのか、罪悪感あっての険しい顔つきなのかはわからない。

昼間は自然の灯りを頼りにしているため店内の豆電球は点けておらず、そのせいかうす暗い空間に彼だけが照らされているような構図になる。

そんなスポットライトの真ん中で罪を告白した彼は、そこが法廷であるかのように判決を待っている。

お客さんは誰もおらず、そろそろ増えてくる時間帯かと壁に掛かった時計を見ると11時を回っている。いつもはこの時間には1〜2組はいるのになあ、とぼんやり思っていると、彼はまだ私をじっと見ていて、いけないいけない私の番か、と慌てて返答する。

「へ?」

長針が動く。このまま時間だけが過ぎ去って太陽の光がズレてくれれば、この謎めいた状況ごとどこかへ行ってしまわないだろうか。
そんな願いが通じるはずもなく、私は拍子抜けた一文字で会話を繋げるしか方法がなかった。
返答になっているのかはわからない。

「ここ、フリーWi-Fi飛んでますよね?」

彼は私の素っ頓狂な声と真逆にあるような綺麗な声色で訊く。長い睫毛に珠のような瞳、美少年を絵に描いたような彼はくるんとなびく赤茶の髪の毛をわしゃわしゃと掴む。

その視線の先には『フリーWi-Fi ご自由にお使い下さい』と書かれた手書きの張り紙がある。それを見て、たしかに、飛んでいるな、と思う。それを、盗む? なるほど。なんとなく彼の言い分が伝わってきた。これは、お客さんではないな、と瞬時に判断する。

「飛んでるというか、飛ばしてますね、はい」

「ごめんなさい、それ、盗んでました」

私は覚えていないのだが、彼は一回この店を訪れたことがあるという。

吉祥寺の井の頭公園を抜けた住宅街にぽつりと佇む一軒の喫茶店『brank』。二年前に知り合いのお店を引き継いで、近所に住む老夫婦からオシャレな美大生まで誰でも気軽には入れるような、ちいさな空間をつくった。

キャンバスのような白いざらめきのある壁に囲まれながら、木のテーブルと椅子は秩序正しく整列させられている。ナチュラルをテーマにしつつも、喫茶店の古めかしさみたいなものは残したくて、掛け時計や本棚といった家具はアンティークショップで見繕った。

それが功を奏したのかはわからないがSNSで細々と話題になり、二年目を迎えた先月も売上はそこそこだった。

「ちょうど一年くらい前にここの上に引っ越してきたんです」

上? 彼が上げた人差し指の先を見上げる。もちろんそこには白い天井しかないのだが、この上にはアパートの部屋がある。そうゆうことか。

私の営む喫茶店はアパートの一角で、二階と三階にはちらほらと住居人がいる。この店の常連さんにもアパートに住む人がおり、築年数が大分古い、その割には家賃が高い、などと非難めいた話を聞いたことがある。
彼はそのアパートの住人ということのようだ。

「引っ越してすぐぐらいにこの店にきて、コーヒーとバウムクーヘンを頼みました。丁度ここの席で。で、この貼り紙を見つけたんで設定したんです」

今度は貼り紙を指さす。二人掛け用テーブルは壁伝いに置かれ、そこから見える位置にパスワードが書かれた紙が貼られている。

「それで、うちの店のWi-Fiを、家で使ってたってことですか?」

「いや、そういうつもりじゃなかったんです。ただ、引っ越ししたばっかりの頃はまだ回線が通ってなくて。スマホのデータ制限がかかってしまって困っていたとき、たまたま繋がって……でも、使ったのはその一回だけなんです。次の日にはうちにもWi-Fiルーターが届いて、それからは使ってません。ほんとです」

必死に弁明する彼がなんだかおかしくて、思わず笑ってしまった。私と同い年くらいだろうか。もっと下だろうか。
顔は童顔なので20代前半のように見えるが、どこか大人びている部分もある。
オーバーサイズのグレイのパーカーは着られているというより、彼に覆い被さっている。
百七十ないであろう身長が幼さを加速させ、もしかしたら未成年? と予想の幅がどんどんと大きくなる。

「きみ、いくつ?」
「今年、27す」

なんだ、同い年じゃないか。どこか拍子抜けして、逆に緊張してしまう。同い年だからどうということもないが、年下だと高を括っていたため返答に困る。

彼は反省した風を装っているのかわからないが、床を見つめている。長方形に型取られた日向には埃がうっすらと乗っていて、掃除をしなくちゃとどうでもいいことを考える。

私はちょっとだけよそよそしくなった空気に気を遣って、弾んだ声で冗談を言う。


「たしか、電波泥棒ってこの前ニュースになってたよね」
彼はわかりやすいくらいに身体をビクッとさせて、恐る恐る顔を上げる。

「やっぱり。これって犯罪ですよね。自首しといてよかったあ」

安堵する彼。また笑ってしまう私。
本気で言っているのかわからないが、こんな茶番をわざわざしにくる理由の方がわからない。たしかに人の家の電波を盗むのは犯罪だが、一年後に自首しにきたらどうなるというのか。
私にもそんなことわからないし、調べようとも思わない。というか、私に自首しても仕方ないのに。

「でも、一年前ならもう時効なんじゃない?」

「え、そうなんすか? まじ?」

「多分ね、まあ数回なら執行猶予付きだと思うし」

「シッコウユウヨ?」

私は真面目に取り合うのをやめて、面白い方向に話が転がってくれればいいと思ったけど、彼の顔色は反転して曇っていく。おそらく刑事ドラマでよく聞く四字熟語に、得も知れぬ不安がよぎったに違いない。

「それ、やばいんすかね」

「まあ、やばいけど。いいよ、示談で済ませてあげる」

「ジダン?」

「そう、わたしの条件聞いてくれたらチャラにしたげる」

彼は神妙な面持ちで、わかりやすいくらいに喉唾を呑み込む。なんで私がここまで優位に立っているのか自分でもわからぬまま条件を考える。お金を貰うのはやり過ぎだし、私にメリットがないのもつまらない。
さて、どうしようか。何十秒か考えて、閃く。


「じゃあさ、今日一日、きみの家のWi-Fiちょうだい」

「へ?」

「きみが一日勝手に使った分、わたしもきみんちの電波使うことにする」

「へえ」

きょとんとした彼を差し置いて、スマホを取り出す。Wi-Fiの設定画面にして彼に見せ、何個か出てくるLANの名前を上に下にスクロールさせながら、「どれ?」と尋ねる。


「えーと、あ、これです」


指さした英数字の羅列をタップしてパスワード入力画面に移る。彼は写真に残していたパスワードを丁寧に読み上げ、それをそのまま入れる。


「これで、よしっと」


自動接続をオンにしてなぜだか一安心する。もし、うちのWi-Fiの接続が悪くなったらこっちを拝借しよう。困ったときはお互い様だ。
彼もきょとんとしたまま万事解決したことを知り、肩を撫で下ろしている。

「よかったあ。でも、お互いの電波を共有してるって、なんか不思議な関係すね」

大きな瞳をつぶして小型犬のような笑顔に変わる。よくもまあ恥ずかしげもなく言えるものだ。私は自分の心にちゃちなときめきを感じてしまい、恥ずかしくなって下を向く。

「でも、罪は罪だからね。電波泥棒。前科一犯」

俯いたまま、よくわからない判決を下す。
いつの間にか太陽は動いたようで、陽射しもなくなった。突然の罪の告白と優しい刑の宣告が彼と私のはじまりのように思えて、この状況をこのまま誰かが描いてくれないかなんて、ベタな妄想に耽る。

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