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魔法のかかった終電で


さて、ここはどこなんだろう。

誰もいないシートで、わたしはこくりこくりと夢と現実を行ったり来たりしていた。


だめだだめだ、寝てはいけない。


高校生のとき、1限の数学の授業でいっつも睡魔と格闘していた頃を思い出す。
メガネの杉山先生にこっぴどく叱られていたなあ、と。
あんなにキツネに似ていたのに、声はクマのように低かったなあ、と。
あんなに低い声で授業する杉山先生にも問題があったんじゃないか、と。
どうでもいいことを考えているときは眠い証拠だ。
もう一度我に返る。これは夢?現実?ここはどこなんだろう。


さて、わたしは何をしているんだろう。

あ、たしか学生に戻りたいって大声で喚いてたなあ。
何も考えないで遊び呆けていた時代に戻りたいって。学校に行ったら友達がいて、家に帰ったら家族がいて。自由と安心と未来が確約されていた、あの頃に。


エコーのかかったがなり声が、耳鳴りみたいに残っている。
ちょっと前にマイクで叫んでいたから、気を遣った魔法使いが願いを叶えてくれたのかも。

「ツギハーナカノーナカノー」


はっと、耳慣れたワードが全身にぶつかってくる。
魔法が解ける。
あれ、学生服なんて着ていないし、頭がジンジンと痛い。
12時を過ぎたシンデレラの気持ちはこんな感じだったのだろうか。急に現実の世界に引き戻されると、なんて醜い景色なんだろう。
外には汚いビルや一軒家が立ち並び、よどんだ雲が夜の空を二重線で塗りつぶす。
シンデレラ城は?カボチャの馬車は?ガラスの靴は?


プシューッと、ドアが閉まる音。

そうだよね、学生の頃なんて、もう10年以上も前。
学生服を着ても、三十路近くの今となってはさすがに無理がある。
だんだんと自分のことがわかってきて、わたしだ、わたし、と当たり前のことを唱える。
しかし冷静になっても、自分の服装を見て、なんでこんなに着飾っているのかがさっぱりわからない。
バッグの中には見知らぬ男物のハンカチが入っていて、ハテナが募る。
ドレスみたいな服を着て、デートでも行ってたんだっけか。どこかオシャレなところで、最愛の彼と、素敵な時間を過ごした帰りだっけか。


首を左右に倒し、頭の状態を見る。やっぱりジンジンする。
思わずつむった目に、チカチカが襲う。
気付いたらわたしの窓は次の景色を運んできて、目の前にいろんな光を灯している。
変えたばっかりの豆電球みたいな、町内会の花火みたいな、ライブのサイリウムみたいな。
イルミネーションを上から見下ろすと、なんだか神様になった気分だ。
ディズニーランドのホーンテッドマンションで上からパーティーを観覧したときの感覚と似ている。
わたしだけにしか用意されていないような、そんな見晴らしの、特等席。

「ツギハーコウエンジーコウエンジー」

ふっと、色の失った駅が滑り込んでくる。
かろうじて色が灯ったのは、真っ赤なコートを着た熟年の女性だけだ。
その女性は隣のドアから勝手に入ってきて、大股でシートに座る。
そうだよね、ここはわたしの家じゃないんだから。
ワガモノ顔で座っているけど、ここは電車の中だ。デートなんて行ってたらこんなところにひとりで座っているのもおかしいもん。
きっと、帰りを待つ王子様がいて、魔法の解けたわたしは仕方なく各駅停車でその場所まで向かっている。


掌を上にして腕時計を見ると、1時10分。
もうこんな時間。
と思うと同時に、コートの袖の下を覗く白いブラウスが赤紫色に染まっていることに気付く。
点々とシミが跳ねて、水玉模様みたいにペイントされている。
それを凝視していると、なんとなく、映像が蘇る。こぼしたワインが、スローモーションみたいに飛び散って、慌てるわたし。
周りが「大丈夫?」と綺麗なハンカチを一斉に押し出してくる場面。
横にはたしか仲の良い友達がいて、前にはたしか…。

「ツギハーキチジョウジーキチジョウジー」

あれ、わたしはどこに向かっているんだっけか。
どこで降りればわたしの帰る場所があって、王子様がドアを開けて迎えてくれるんだっけ。
ドアの上の画面に映し出される路線図を見上げる。


三鷹?国分寺?武蔵境?立川?あ。

わたしは全てを思い出した。
映像を巻き戻すと、勝負服を選ぶためにウォークインクローゼットを荒らしているわたしがいた。
この服は、魔法使いに用意してもらったわけではない。
わたしの手札の中で一番男ウケがいい、女の子らしさを毅然と主張した、そんな服。
悩みに悩んで、自分の手で着替えて、次はメイク。
化粧台の前に座って、手鏡に向かって、「テクマクマヤコン」と、もちろんそんなこと言うはずもなく、女性誌を片手にメイク法を実践する。
全身にかけたセルフ魔法が、わたしをほんのちょっとだけ変身させる。

どこまで、魔法にかかったつもりだったんだろう。

あと半年で30にもなるのに、恥ずかしい。
いつまでも女の子でいたかった。チヤホヤされたかった。
カワイイねって、綺麗だねって、誰にでもいいから言われたかった。
魔法の効果を勘違いしたわたしが向かった先には男がいて、3対3で、ワインを飲んだり、ハンカチを借りたり、カラオケに行ったり。
たしかに楽しい時間だったはずだけれど、酔っ払って駅のホームにいたときは、もうひとりだった。
とっくに魔法は解けていて、目の前にやってきた最終電車に、わたしは勝手に魔法をかけていた。
夢の中にずっといられるような、一生かかっても戻れない時間に戻れるような、誰かがわたしのことを密かに想ってくれているような。

「ツギハーハチオウジーハチオウジー」

よかった、王子様なんていないけれど、わたしの帰る家はハチオウジにあるはずだ。
バッグの中から手鏡を取り出すと、あれだけ時間のかけたメイクは見事にとれていた。


なんとまあ、ひどい顔。
でも、魔法が解けたら、所詮、こんなもの。


終電を降りたわたしは、身の丈に合ったホームをヒールで踏みつけて、ふらふらとアパートを目指す。


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