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複合MADのある世界線 20230314

一番歳の若い友人は大学生。彼女はわたしにとっては年齢半分以下の文化の窓口であり、工学を学ぶ彼女がデジタルを操る指先は、人生折り返した人間には光速にも感じられる。

先日彼女のところに子どもを預けた帰り、迎えに行くとその弟たちも一緒に皆が【複合MAD】なるものを楽しんでいた。
フクゴーマッド?
完全なる未知のワードに、子どもの頃母親が「フクジンヒシツ」と手書きのラベルを貼った薬を大仰に扱っていた様子がふと頭をよぎった。耳慣れない言葉を聞くと脳内にカタカナが浮かぶのは、イメージ型の内言で生きている証拠だろうか。

聞き慣れない速さのビートとともに、見慣れない速度のコマ送りが画面の中で繰り広げられていた。

驚いた。

切り貼りされた著作権法アウトであろう画像の羅列はBGMと一体化し、小節ごとにいくつものアニメから同系列のシーンを組み合わせながら、44歳にはサブリミナル広告にしか見えない速さで怒涛のごとく情報を発散している。

あのシーンも
このシーンも
その場の若者たちには馴染みのあるものらしい。

全部見たことがある。
一瞬でその世界が立ち上がり消えていく。
高速で繰り返されるそれはまるでバグって出口を見失ったfor loop文のようなのだけれど、子どもたちには意味をなす構築にみえている。
これがデジタルネイティブということか。
圧倒的な世界線の違いに唖然としながら、複数のアニメから抜き出された疾走する少年少女のフォームを、バイオメカニクスのそれでしか見られないであろうフォームの効率性になぞらえている自分の頭を愛おしく思った。

あれから深夜の画面作業の裏で、複合MADを流している。そこに選ばれた曲たちのテンポは、すべての動画を二倍速で見るという若者たちにこそふさわしいのだろうけれど、日本ではわたしも中央値以下の若輩者だ。
ヒトの指では到底生み出せないような速度を持って運ばれるリズムで、子どもたちは世界を感じながら育つ。そのための脳の領域を拡げながら、愚鈍で回りくどい現実の身体を持て余している。

今朝、見せたいYouTubeがあるんだ、と子どもを誘ったそのあとに、わたしの履歴に残った複合MADの数々を見て、
「おかあさん、複合MAD、いいよね」
と子どもが言った。

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《追記》
MADという言葉について、英単語の略称だと思っていたのだがニコニコ大百科(仮)によるとこういうことらしい。文字の意味すら想定外とは、わたしはその世界線の点すら構成できない。

複合MAD
MAD