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ブルアカの元ネタの小説をひたすら読む

 「ブルアカの元ネタの映画をひたすら観る②」を投稿してから半年が経過しましたが、今回はタイトルの通り、ブルアカの元ネタの小説をひたすら読んでいきたいと思います。更新が遅れたのは古畑任三郎を見るのに忙しかったからです。あとなぜ「映画」ではなく「小説」なんだという話ですが、決して映画に飽きたわけではなく(太字強調)、読んでおきたい小説も溜まっていたのでこのあたりで一度消化したかったからです。

 実はその、先生にお薦めしたい子たちが、いまして……


朝松健「「夜刀浦領」異聞」(1999年)

 室町時代、房総を支配していた千葉氏が、家臣の馬加弾正らに裏切られ討たれた。この反乱を平定するため、古今伝授で知られる東常縁が兵を率いて房総へ向かった。かくして東常縁は反乱の首角を討ち取ったものの、唯一、馬加弾正の娘・頼姫が落ち延びていた。頼姫を追って東常縁の家来である小崎重昭は、「夜刀浦領」と呼ばれる土地へ向かう。

 イベント「夏の特殊作戦!RABBIT小隊と消えたエビの謎」に登場する夜戸浦村の元ネタ。ちなみにイベント内スチルの元ネタは京都府伊根町の景色なので、京都と千葉(房総)の両方に聖地があるということになる。
 本作は史実とクトゥルー神話を組み合わせた伝奇小説だ。アーカムとかインスマス風の場所として設定された「夜刀浦」を舞台に、そこで起こる怪事を描き、クトゥルー神話を日本流に翻案しようという試みで、その意図はおおむね達成されていそう。
 いちおう邪教・立川流の要素も入ってはいるもののあまり本筋ではなく、かつ短い話なのでストーリーというほどのものも特にない。小崎重昭が超越的な存在に遭遇してその世界に呑み込まれていく情景を描いたという点ではクトゥルー小説の最も基本的なノリといっても良いのかもしれない。
 東常縁の実在の和歌が一連の事件の総括になっているのはオタクが好きなやつ……となった。歴史改変系で和歌とか漢詩がオチになるパターンって、ちゃんと漁ればかなりの数ありそう。東常縁のことは日本史で一瞬だけ出てくることくらいしか知らなかったけど、こういう文化と戦の両方で歴史に名が残っている人物は伝奇ものに使いやすいだろうな。
 今回は著者の短編集『闇絢爛』で読んだが、初出のアンソロジー(『秘神 闇の祝祭者たち』)ではいろいろな作家が「夜刀浦」を舞台にした作品を競作していたようなので、「夜刀浦」の全貌を観るためにはそっちを読んだほうが良かったかもしれない。まあ入手困難なんですけれども。


H・P・ラヴクラフト「異次元の色彩」(1927年)

 ご存知、「色彩」の元ネタ。ブルアカの「色彩」の設定はかなりラヴクラフトの「色彩」に近いので、元ネタというよりも「そのもの」という感じがする。
 「異次元の色彩」「宇宙からの色」などとも訳される、クトゥルーの代表的短編のひとつ。今回は『ラヴクラフト小説全集1』(荒俣宏訳)で読んだ。国会図書館デジタルコレクションに登録するとここから読めるよ。
 田舎の村に落下した隕石から発見された不可解な色彩と、それによって起きる大災害を描く。ラヴクラフトが得意とする入れ子状の語りを用いつつ、大災害の経過を丹念に描写していく。序盤のおどろおどろしさとかは「いかにも」という感じで、今日の読者から見るとややクリシェ的ですらあるが、最後まで色彩の正体はよくわからないというのがこの作品の特徴だ。
 最悪なのは、色彩が落下した村が貯水池になることが決定しているということで、その後に起きる大惨事を匂わせつつも、語り手が村に残された孤独な老人への不安を寄せるところで終わるという慎ましさが魅力。
 田辺剛の描いた漫画版も、原作を忠実に追いつつ、小説だとよくわからない「色彩」をヴィジュアライズしてくれるのでかなり良い。
 クトゥルフネタとしては他にも「RABBIT小隊と消えたエビ」でかなりそのまんまな「インスマスの影」のネタが出てきたりとかするので、NEXONの人たちはかなりクトゥルフが好きなようだ。ただ、個人的にはあんまり詳しくないのでもっと込み入ったクトゥルフネタが仕込まれていたとしても気付けないと思う。


R・A・ハインライン『月は無慈悲な夜の女王』(1966年)

 2076年、人類は月世界を開拓し、数多くの人々がそこに暮らしていた。月世界の住人の多くは流罪になった犯罪者(政治犯を含む)とその子孫たちで、かれらは様々な点で地球側に搾取される生活を送っていた。
 コンピュータ技術者のマヌエルは、月行政府の中央コンピュータである”マイク”の整備に携わっていた。マイクは高度なAIで、マヌエルはマイクに「自我」があると考えている。実際に、マイクは「ジョーク」に興味を持ち、様々な「悪戯」をしたり、マンにジョークの採点を依頼したりするなど、稚気に溢れた性格をしていた。
 ある日、マンは月政府に反対する集会に居合わせ、そこで旧友のショーティからワイオという美女を紹介される。ワイオが月政府に反対する華麗な演説を打った直後、集会に月政府長官の護衛兵たちが乱入し、ショーティが殺害されてしまう。マンはワイオを連れて脱出し、マイクに助けを求める。
 逃亡生活の中でワイオの生い立ちや反政府の志を聞いたマンは、さらに恩師で無政府主義者のデ・ラ・パス教授と合流し、マイクとともに反政府組織を構築して月政府を打倒する計画を立てることになる。マイクいわく成功する確率は高いとはいえなかったが、かれの構築したプランをもとにマンたちの計画がスタートする──。

 聖園ミカPUのタイトル「君は無邪気な夜の希望」の元ネタ。SF小説の金字塔的作品。厚めの小説で話もややこしいので、あらすじも長くなってしまった。美しいタイトルとは裏腹に地球からの独立を目指す月世界の革命闘争が描かれる作品で、ミカのメモロビ的なエモーショナルなイメージを抱いていた初読者は意表を突かれるかもしれない。
 この小説の見どころは、月世界の独特なジェンダー観であるとか、福祉行政の意義だとかいろいろあるのだろうけど、あえてエデン条約編的な視点から読むなら政治とか革命の部分に着目することになるだろう。本書はフランス革命やアメリカ独立革命を背景として、未来の月世界がAIを使ってそれらの革命を再演したらどうなるかという思考実験を描いている。エデン条約編も政争の話だったから、そのあたりで無理やり共通項を見つけられなくはない。
 もっとも、エデン条約において主に描かれていたのはティーパーティーという統治機構内部の闘争であって、フランス革命的に支配者とそれ以外がひっくり返るような話ではなかった。あえていえばアリウスの立場が本書における月世界に近いのかもしれないが、ちょっとこじつけになってしまう。


フレドリック・ブラウン『天の光はすべて星』(1953年)

 50代の元宇宙飛行士・マックス・アンドルーズが、木星への飛行計画を実現するために奔走し、最終的には自分が木星に行こうとする……という話。主人公は年齢制限的に絶対に宇宙飛行士に選ばれないはずなのだが、それでも政治家を動かしたり学位を取ったりしてプロジェクトの責任者になり、あわよくば宇宙に行くという夢を達成しようとする。

 天雨アコ(ドレス)PUのタイトル「天に仕うはすべて音」の元ネタ。グレンラガンの元ネタとしても知られている小説。
 この作品全体に流れているのはうっすらとした諦観だ。基本的に宇宙開発というのは金にならないし、ましてや冷戦以後の世界では競って宇宙開発をするインセンティブも働かないので、ひとびとの宇宙に対する目は冷めている。そんな中でも宇宙を目指す一部のひとびとは「星屑」と呼ばれ、ちょっと変わり者というふうに扱われている。アポロ11号の月面着陸よりもさらに10年以上前である1953年に書かれた小説がここまで先駆的な内容なのは、素直にすごいと思う。
 もっとも、女性の描写とか恋愛パートは今読むとかなり陳腐に感じるということは否めず、またSF小説的に感心させられるようなアイデアが投入されているわけでもないので、個人的にはそこまで好きではない。ただハマるひとはハマると思う。


ドストエフスキー『地下生活者の手記』(1864年)

 対策委員会編第3章で登場したゲマトリア・地下生活者の元ネタ。日本では『地下室の手記』という訳題のほうが有名。今回は青空文庫に収録されている米川正夫訳で読んだ。
 本作は二部構成だ。第一部では四〇歳の語り手(地下生活者)が自分の思想についてひたすらつらつらと語り、第二部では語り手が二十四歳だったときの出来事を通じて、いかにして現在の語り手が出来上がったのかが説明される。第二部はわりと物語調なので読めるが、第一部が特に何を言っているのかわからないのでここで挫折するひとは多そう。
 地下生活者は世捨人の捻くれ者で、社会や世間を懐疑し軽蔑しながらも、同時に強い劣等感と孤独感に苛まれているという非常に面倒な男である。どれくらい面倒かというと、第二部では同窓生との飲み会で酔って暴言を吐いて暴れたあげく、その日の夜には風俗嬢に説教を垂れるというエピソードが語られている。ぜったいに近づきたくないタイプだ。
 この小説は基本的に「娼婦に対して一方的に聖性を見出していた男が、勝手に幻滅する話」という文学でよくあるパターンをなぞっている。そこだけ取り出してみるとだいぶキツい話のように思えるが、実際に読んでみると、地下生活者の欺瞞や矛盾が面白おかしく描写されていて、どこかユーモラスでもある。風俗嬢に説教をしたかれが、逆に「あなたはなんだか(略)本でも読んでるような話し方をするんですもの」と冷笑されるシーンなどはかなりキレがある。こんなこと言われたら泣いちゃうよ。
 若かりしころにこうした辛酸を嘗めた地下生活者が、四十代になってひたすら理論武装して世間だの人間だのについてごちゃごちゃ述べているというところに入り組んだ笑いを感じた。
 ゲマトリアの地下生活者もプラナと先生から「大人になりきれなかった」「青二才」と罵倒されるわけだが、そうした精神性は元ネタである本作から引き継がれたものだといえそうだ。


W・W・ジェイコブズ「猿の手」(1902年)

 イベント「月華夢想」ラストの次回予告で言及された「猿の手」の元ネタ。『化物語』などいろいろなところでも引用されている有名な短編小説。今回はポケミスの『幻想と怪奇 英米怪談集 第2』(田村隆一訳)で読んだ。これも国会図書館デジコレで読める。短いので、読んだことない人は予備知識なしですぐ読んだほうが良い。
 (ところで、「猿の手」ってめちゃめちゃ有名な短編なのに、アンソロでしか読めないんだなあ。日本ではジェイコブズの短編傑作集とか出ないんだろうか)。
 改めて読んでみると、かなり短く削ぎ落とされた短編で、序盤のゆったりとした幕開けから終盤の急転直下のオチへのギアの上げ方に驚かされる。細かい説明もほとんどなされず、読者が想像力を働かせるように要求しているところも秀逸だ。
 ブルアカとの関係でいうと、申谷カイというキャラクター自身が申(猿)をモチーフとしているようなので、カイ自身が猿の手のように厄災をもたらす存在として位置づけられているのか……。山海經のイベントは「龍武同舟」「月華夢想」と次回イベントで三部作にするつもりなのかな。そうすれば「猿の手」の三つの願いとも平仄が合うし。ちょっと山海經についてはまだまだ隠されていることが多そうなのでよくわからん。

 以上です。
 次回こそは映画の記事を投稿したい……! 祈るね。


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