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『伝道の書に捧げる薔薇』はアリウススクワッドの元ネタなのか?

 ブルーアーカイブに登場するアリウススクワッド(およびアリウス分校)のモチーフ(元ネタ)のひとつはロジャー・ゼラズニイのSF小説「伝道の書に捧げる薔薇」なのではないかと思ったので、それについて説明する。
 あとそんなこととは関係なく『伝道の書に捧げる薔薇』は傑作短編集なので、これを読んだひとが少しでも興味を持ってくれたら嬉しい。

 ロジャー・ゼラズニイはアメリカのSF作家で、短編小説「伝道の書に捧げる薔薇」(A Rose for Ecclesiastes)はその代表作に数えられる。1963年に発表され、同名の短編集に収録された。

「伝道の書に捧げる薔薇」あらすじ
 火星には古くから地球人とは異なる種族が生活をしている。かれらの外見は地球人とさして変わらないが、寿命は地球人より遥かに長く、独自の歴史と信仰を持っていた。地球の詩人・ガリンジャーは、火星の文化を研究するために探検隊に参加し、火星の言葉で書かれた歴史書や経典など古い文献の翻訳を行う。
 次第に火星人への理解を深めていくなかで、ガリンジャーは美しい火星の踊り子に出会う。かれは彼女に、火星には存在しない「薔薇の花」を見せてあげたいと思うようになるのだが、彼女はある日突然姿を消してしまう──。

 本作がアリウス分校の設定の着想元となっていると考える根拠は以下の3つだ。
  1.伝道の書に登場する有名な文言「vanitas vanitatum」が物語のキーワードになっていること
  2.薔薇がストーリー上、象徴的に用いられていること
  3.『自殺』しようとする人物と、それを止めようとする人物が登場すること
 これらの根拠についてひとつずつ説明していきたい。

1.伝道の書に登場する有名な文言「vanitas vanitatum」が物語のキーワードになっていること

 アリウス分校を象徴する言葉である「vanitas vanitatum」は、もともと旧約聖書の「伝道の書」(「コヘレトの言葉」とも)という箇所から引用されたものだ。この文言についてはなぜか異常に詳しいニコニコ大百科の記事があるので、それを見ても良い。

 「伝道の書に捧げる薔薇」でも「vanitas vanitatum」は引用されている。

「伝道者いわく。空の空。空の空なるかな。すべて空なり。日の下に人の労してなすところのもろもろのはたらきは、その身の何の益かあらん……」

ロジャー・ゼラズニイ「伝道の書に捧げる薔薇」(峯岸久訳)

 物語の主人公・ガリンジャーは火星人の経典である「ローカーの書」を翻訳していくなかで、そこに書かれていることが旧約聖書の「伝道の書」とよく似ていることに気づく。火星人たちはなぜか「ペシミスティック」なところがあり、虚無主義的な思想を持っている。いったいどうしてそんな思想を持っているのか──それが物語の根幹でもあるのだが、ネタバレにならないようにここでは伏せておく。
 「伝道の書に捧げる薔薇」において面白いのは、この「vanitas vanitatum」という言葉が、単に未来への悲観や諦念という意味を超えて、もっと深遠なメッセージとして論じられているところだ。
 これもネタバレになってしまうのであまり踏み込んだことは書けないが、旧約聖書の「vanitas vanitatum」という教え自体が人類という種族を動かしてきた原動力なのではないか、と論じていく終盤の展開はとても興味深いので是非一読してもらいたい。聖書の中にあって異色なこの言葉の意味を、より深く考える一助になるのではないかと思う。

2.薔薇がストーリー上、象徴的に用いられていること

 「伝道の書に捧げる薔薇」において、火星の踊り子の舞に感動した詩人は、彼女に自作の詩を送る。その中でかれは彼女を「薔薇」に喩えた。

「(略)実は地球にある薔薇という花のことを念頭においていたのです」
「それはどんなものですか?」
「はい。花弁はだいたい輝かしい赤い色をしております。わたしが〝燃ゆるこうべ〟というようないい方をしたのはそのためです。だがまた同時に、それによって、熱、赤い頭髪、生命の火というようなことも表わしたいと思いました。(略)」

ロジャー・ゼラズニイ「伝道の書に捧げる薔薇」(峯岸久訳)

 思い出してほしいのは、アリウスの校章である。校章の図案は「冠を戴いた頭蓋骨に薔薇、そしてvanitas vanitatumの文字」で構成されている。また、薔薇のモチーフはアツコのメモロビでも登場する(青い薔薇)。

 「伝道の書」と「薔薇」という組み合わせについては、ヤン・ダーフィッツゾーン・デ・ヘーム(Jan Davidsz de Heem)という17世紀のオランダ人画家が描いた「頭蓋骨、本と薔薇のあるヴァニタス静物」(Ein Vanitas-Stillleben mit einem Schädel, einem Buch und Rosen)という絵画が有名だ。

「頭蓋骨、本と薔薇のあるヴァニタス静物」引用元リンク

 静物画の一ジャンルとして「ヴァニタス」というものがあり、上の絵画もそのひとつだ。ヴァニタスの絵画には頭蓋骨を中心として寂しげなモチーフの静物が登場するのが特徴で、薔薇のような花を添えるものも多い。ただ、あえて薔薇と頭蓋骨という取り合わせを強調した絵画としてはこの絵画がもっとも顕著なのではないだろうか。また、画面中央の頭蓋骨に「茨の冠」を連想させるような金糸(?)が巻かれているのもこの絵の特徴だ。
 これは少し根拠が薄いのだが、ゼラズニイの小説も、根本的にはこの絵画が着想元になっているのではないかと思う。生命を象徴する薔薇と、死を象徴する頭蓋骨が大胆に対比される構図は劇的だし、「vanitas vanitatum」という言葉をヴィヴィッドに視覚化する効果がある。
 そしてブルアカにおけるアリウスの校章も、この絵画や、ゼラズニイの小説のイメージのどちらか、あるいは両方を念頭に着想されたものではないだろうか。

3.『自殺』しようとする人物と、それを止めようとする人物が登場すること

 アリウスを語るうえで欠かせないのは、アリウススクワッドのメンバーたちを覆う強烈な「死の影」であり、その背景には彼女たちの生きる世界のあまりの残酷さがある。なかでも、自殺未遂を繰り返している戒野ミサキを巡る物語には、ブルアカの他のストーリーとは一線を画した暗鬱とした雰囲気が立ち込めている。
 ゼラズニイの「伝道の書に捧げる薔薇」においても、「自殺」が重要なテーマとなっている。なお、ここから先は「伝道の書に捧げる薔薇」のネタバレが不可避なので、気を付けて進んでいただきたい。別にネタバレしたからといって面白さが減る小説ではないと思うけど、念のため。


 さて、「伝道の書に捧げる薔薇」に登場する火星人たちには、とある宿命が存在する。それは、二百年以上前に降った「雨」の影響で、種族全体に不妊が広がり、やがて死に絶える運命にあるということだ。かれらの種が生きながらえるには地球人と交配する以外に道はないのだが、どういうわけか火星人たちは滅びの運命を受け入れたかのように泰然自若の振る舞いをしている。主人公の詩人は、そんなかれらを滅びの運命から救うために、「説得」を試みることになる。これが物語の最大の山場だ。

どうやったら一種族全体に自殺をやめるよう説得することができるだろうか?

ロジャー・ゼラズニイ「伝道の書に捧げる薔薇」(峯岸久訳)

 ゼラズニイの小説は「火星という閉鎖的なコミュニティを訪れた詩人が、そこで出会った女性に歓待され、やがてそこを去る」という「まれびと」信仰的な物語だ。その過程で、詩人は火星人の自殺を食い止めるように努力し、説得し、そして挫折する。
 ブルアカも先生という外部者がキヴォトスを訪れるという「まれびと」的なストーリーだということもできなくはない。そしてそこで出会ったアリウスの生徒たちの自殺的な行動(ミサキに関してはまさに自殺そのもの)を食い止めるように努力し、説得を行う。先生の試みは成功するが、4th PVのように失敗してしまう可能性も存在していた。
 このように考えると、「伝道の書に捧げる薔薇」とブルアカのアリウス周辺の物語は構造的に近いことがわかる。もっとも最終的に行き着く先は違う。「伝道の書に捧げる薔薇」は、自殺を止めるように説得していた主人公が、最終的には自殺したくなるほどの絶望を突きつけられる物語だ。そういう意味で、ブルアカのメインストーリーとは表裏をなす作品といえる。


 以上のような理由から、アリウス分校の諸々の設定の元ネタには「伝道の書に捧げる薔薇」があるのではないかと考える。
 ブルアカは他にも「天に仕うはすべて音」(ドレスアコPU、元ネタは『天の光はすべて星』)とか、「君は無邪気な夜の希望」(ミカPU、元ネタは『月は無慈悲な夜の女王』)などSF小説ネタを入れてきたことが何度もあるので、ゼラズニイのモチーフがあってもおかしくはない。
 今までアリウススクワッドがどういう気持で「vanitas vanitatum」という言葉を繰り返すのかよく理解できていなかった部分があったが、「伝道の書に捧げる薔薇」という補助線を引くことで、なんとなくその背後にあるものが見えた気がする。

(おわり)


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