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第六の古則「非有の真実は真実であるか」について

 満を持して語られた第六の古則。その文言は今までの古則の中でももっともシンプルだったが、それだけに非常に意味が取りづらくもあった。しかも、これまではセイアとか連邦生徒会長が比較的わかりやすく解説してくれたのに、今回は古則の話を持ち出したのが地下生活者なのでいかんせんどこまで真面目に読んで良いのかわからない。
 とはいえ、アビドス編3章のメッセージ性自体はわりと明快なので、そのあたりを補助線にして考えていきたい。
 これまでの古則の感じからすると、文言だけを手がかりに読み込もうとするとよくわからなくなって詰むので、そのあたりは適宜メインストーリーの文脈を参照しつつやっていく。

 ブルーアーカイブの対策委員会編3章までのネタバレを含みます。

§2「理解できないものを通じて、私たちは理解を得ることができるのか」
§5「楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか」
§6「非有の真実は真実であるか」

七つの古則

※第五の古則を「第四」と誤って記載した部分があったため訂正いたしました。

 第六の古則については地下生活者と先生がそれぞれ別個に回答を出しているので、まずはそれぞれを見ていく。

地下生活者の回答

 「非有」という耳慣れない言葉が出てくるので戸惑うが、地下生活者は「この世に存在せずとも、理を支配する真実よ。ああ、それこそ──死なのです。」と言っている。ここから素直に考えると、「非有の真実」=「死」ということになる。
 そして、他人の死は認識できないし、自分の死は体験することができない。したがって、「死という絶対的な真実に、我々はたどり着けない」。
 だからこそ、第六の古則の答えである「死の真実」はわからないというのが議論の前提だ。

 そこで地下生活者はホルスの化身である小鳥遊ホシノに干渉し、彼女をユメ先輩の「死」に直面させようとする。ここが難しいところで、どうも地下生活者はホシノを反転させる(テラー化させる)ことが目的ではなく、ホシノが「死」に直面させた結果何が起きるのかを確かめることが目的だったようである。
 結果として、ホシノは反転し、テラー化する。
 ここで、念のためブルアカにおける「反転」の概念を確認しておきたい。「神秘」が反転すると「恐怖(テラー)」へと変わる。これはコインが裏返るようなものであって、一度反転したものは元には戻らない。
 反転のきっかけはよくわかっていない。過去に反転が確認されたのはシロコ*テラーだが、彼女の反転の直接の原因は「色彩」との接触である。しかし、ホシノは「色彩」と接触せずに反転している(アビドス編3章での色彩の出現はホシノが反転した後)。どうやら「死」に直面すれば「色彩」と接触しなくても反転することがあるらしい。

 ホシノの反転を受けて、地下生活者は第六の古則の解を確信する。「死」と並びうる概念は「苦しみ」であり、ホシノのように強力な神聖(神秘じゃないのか)を「死」に直面させれば、その「苦しみ」によって神秘が恐怖へと反転する。それこそが「死の真実」である、というのが地下生活者の得た解だった。

先生の回答

 そもそも先生が第六の古則を知っているのかすらストーリー上はよくわからないが、先生=プレイヤーなので、プレイヤーが知ることのできる情報は先生も当然知っているだろうという前提のうえで考える。
 ユメ先輩の遺言である「手帳」を追い続けるホシノに対し、先生は手帳の中身を見なくても、そこにはホシノの思う通りの言葉=「真実」が書かれていたはずだと述べる。

 事実は分からないかもしれない。
 でも真実はそこにある。
 存在しないとしても、それが真実であることは変わらないから。
 それが、私たちにできる唯一の選択。
 死を、時間を巻き戻せない……。
 平凡な私たちにとって……。
 たった一つの──奇跡だから。

対策委員会編3章

 ここで先生がしている話は第五の古則(楽園のパラドクス)にも似ている。他人の心は決して証明できないが、信じることはできる。それこそが平凡な「私たち」にできる唯一の奇跡だ。
 そしてそのことは、相手が死者だとしても変わらない

 死人に口なしという言葉がある通り、死者には生きている人間に反論する機会がない。だから、死者の言葉を勝手に代弁したり、憶測したりするのはひどく冒涜的な行為のように思われる。
 しかし、じゃあ我々が生きている相手とちゃんと対話できているかといえば、そんなこともない。ホシノは生前のユメ先輩に思いを告げられなかったことを後悔し続けているし、相互無理解はブルアカにおいて再三語られてきたテーマである(直近ではイベント「-ive aLIVE!」など)。相手の心がわからないのは、相手が生者だろうが死者だろうが関係なく、第五の古則は死者に対しても等しく適用される。
 それこそが、先生が第六の古則に対して出した結論だった。
 (ユメ先輩の名字が「梔子」であることはインターネット的には散々擦られてきたことではあるが、とはいえ、やはりアビドス編3章のテーマは「口なし」の死者に喋らせることの意義にあったのではないかと思う)。

なぜ地下生活者と先生の答えは違うのか

 地下生活者は第六の古則が「神秘が反転するメカニズム」を示唆するものだと捉えたようだが、これまでの古則が基本的に「他者や自己との関わり方」の問題として読み解かれてきたことを踏まえると、地下生活者の解釈はかなり異端である。個人的にも先生の解釈のほうがすっきりする。
 とはいえ、実際にホシノのテラー化は起きているので、地下生活者の見解が完全に検討違いとも考えづらい。
 そもそも古則というのは禅問答みたいなものなので、唯一無二の解答があるわけではなく、どちらかというと答えを出す過程のほうに意味があるように思われる。(もしかすると、これまで一応の答えが出されてきた第二・第五の古則についても考え方次第では別解があるのかもしれない)。
 そうだとすると、地下生活者と先生が古則に別の答えを見出すということはありうる。
 もっとも、地下生活者が第六の古則に答えを出そうとした過程はかなり強引で、しかも、かれはホシノをテラー化させることで答えを出しているので、「自分で考えて答えを出す」という古則(公案)の基本的な前提に反しているように見える。
 また、「非有の真実は真実であるか」という問いの答えは「真実である/真実でない」以外論理的にありえない。先生は「真実である」と断言しているが、地下生活者は「この不可解な問いに対して、あの神秘と恐怖は答えているのだ!」とかなんとかごちゃごちゃ言っているものの結論を出せていない。
 どちらがより適切な回答かは明白だろう。

「神秘」と「恐怖」は同時に顕現しないという話と、人は「他人の死」と「自分の苦しみ」しか経験できないという話が、地下生活者の中ではパラレルになっているっぽいが、だから何?という感じではある

 まあ、そもそも地下生活者の目的は自分の考えたゲームの盤上で先生を倒すことだけで、古則の話は勝つための手段くらいにしか考えていないっぽいので、その程度のスタンスで適切な答えを出せるわけもないのだろう(青二才……)。

結論

 というわけで、先生の回答を元にして、第六の古則の解も補ってみよう。

§2「理解できないものを通じて、別の何かを理解することはできる
 (特に、私達は他者との対話を通して自己を理解することができる)
§5「楽園の存在は証明できない
 (そして、私たちは証明できないものについて信じることしかできない)
§6「非有の真実は真実である
 (たとえ、相手が死者であっても、私たちはその内心を信じることができ、かつ信じることしかできない)

 こうして見てみると、第五の古則は第二の古則における「他者は理解できない」ということを前提としていて、第六の古則は第五の古則における「他人の心は信じるしかない」という点を前提としている。仮に古則の順番に意味があるとしたら(プレイヤー視点では意味があると考えざるを得ないが)、後の古則は前の古則の発展型になるようになっているということだろうか。
 そう考えると、歯抜けになっている古則についてもなにか予想できないか……と思ったが、ぜんぜん何も思いつかなかった。
 ただ、地下生活者が第六の古則を神秘から恐怖への反転を説明するものだと捉えていたことを踏まえると、他の古則も「神秘-恐怖-崇高」という概念に絡んだものである可能性は高い。まあ現段階ではなんとでもいえるけど。


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