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朝ドラ「虎に翼」。ライアンこと「久藤頼安」って誰?

歳をとるとともに、朝ドラにはまってしまい、現在放送中の「虎に翼」も毎日楽しみに観ています。
主演は伊藤沙莉。日本史上初めて法曹の世界に飛び込んだ、一人の女性の実話に基づくオリジナルストーリー(NHK「虎に翼」ホームページより)。

今週から、主人公の寅子(伊藤沙莉)は、日本国憲法に希望を見出して、裁判官として採用してほしいと司法省に出向き、人事担当である旧知の桂場等一郎(松山ケンイチ)に直談判するも断られてしまいます。たまたま居合わせた、桂場の同僚の民事局民法調査室主任、久藤頼安(沢村一樹)に気に入られ、彼の下で民法の法改正の仕事に携わることになります。

久藤頼安のモデル

朝ドラはフィクションですが、ドラマ内の人物の多くはモデルになった人物がいます。主人公の寅子は、日本初の女性弁護士で、のちに裁判官になった三淵嘉子さんです。そして今週から登場した久藤頼安は、東京出身の元裁判官で弁護士の、内藤頼博(ないとう よりひろ)さんがモデルです。

内藤頼博さんは、旧信州高遠藩主内藤子爵家の第15代当主として生まれ、内藤頼直大河内輝声の孫、内藤頼輔の子で、「世が世なら殿様と呼ばれた方」です。ドラマの中でもそんなセリフがあったように思います。

現在、東京の憩いの場所である「新宿御苑」は、もともとは江戸時代に信濃高遠藩内藤家の下屋敷のあった敷地で、内藤頼博さんのご実家があった場所なんですね。新宿区内藤町という町名もこの内藤家が由来です。

内藤頼博と私

今回、朝ドラで久藤頼安という登場人物の名前を聞いた時、なぜか気になり調べたところ、モデルが内藤頼博さんだとすぐにわかりました。

実は、この内藤頼博さん、私が通っていた大学の学長だった人なんです。弁護士業の傍ら、1979年から1987年まで多摩美術大学学長、1975年から1991年まで多摩美術大学理事長として務めておられます。正確にいうと、私が入学した1976年の前年に学長代行に就任され、私が4年生の時に正式に学長に就任されました。

内藤頼博 第4代学長(1979~87年)<出典>多摩美術大学ホームページ「沿革」ページ

当時から、学長は「世が世なら殿様と呼ばれた方」ということも耳に入っていましたが、ただ、それ以上のことをは知ろうとも思っていませんでした。学長と一大学生という関係だけですので、直接お会いしたこともありませんし、ましてやお話をする機会など全くなく、入学式や卒業式といった式典で、お見かけしたかもしれないというだけなのです。

朝ドラと私

そして今回の朝ドラ、フィクションだということはわかっていますが、久藤頼安というを役を通して、生き生きとした当時の内藤頼博さんを観せていただいているようで、若い頃には全く興味が無かったわが大学の学長に、ちょっとした親近感を感じ、一人楽しい毎日を送っています。

朝ドラを楽しみにするようになったのは、2015年の「あさが来た」あたりからで、ここ数年は飛ばさず観るようになってきました。朝ドラは実在の人物をモデルにすることが多く、前回の「ブギウギ」の笠置シヅ子服部良一、「おちょやん」の浪花千栄子、「エール」の古関裕而など、昭和の芸能界を彩った面々も次々登場し、それこそ、子供の頃にテレビで観た人達が生きた時代を垣間見ることができます。自分は当時は子供だったけど、同じ時代を生きていたんだという、ちょっとした感傷的な気分にもなったりします。

朝ドラは、若い人にとっては、知らない人の知らない時代の話だから、それこそほんとに単にドラマとして観ているのでしょう。今回のような実在の人物、特に昭和初期が舞台のドラマは、その時代の少し後に生まれ育った私にとっては、ドラマというだけではなく、強く既視感を感じることがあります。

ライハクからライアンへ

話を内藤頼博さんに戻すと、裁判所時代はライハクと呼ばれていたようで、ドラマでのライアンという通称も、史実に基づくドラマ作りだったのですね。

私が知らない内藤学長のこと、若かった学長の姿を、このドラマであと何回観れるのかはわかりませんが、しばらくの間は毎日がとても楽しみです。自分自身の子供の頃や大学時代に想いを馳せながら、今作も最後まで観たいと思っています。

(てべぱ)


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