人生はただ楽しめばいい

人生はただ楽しめばいい。
そんなことは誰もが分かっている。
それがなかなか出来ないから困ってるんだろという声が聞こえてきそうだ。
自分もずっとそうだった。

人生は楽しいことばかりじゃない。
むしろ苦しいことの方が多いかもしれない。
だがもし苦しいと思うことまで楽しめたらどうだろうか。
そんな夢物語見たいなことが可能なのだろうか。

そもそもなぜ多くの人が多くの場面で苦しんだり不快を感じたりするのだろうか。
雨が苦手なんだが、子供の頃は雨だろうと晴れだろうと気にせず遊んでいた。
雨の日は雨の日で水溜り場で遊んだり泥団子を作ったり雨の日しかできない遊びを楽しみ、雨が嫌という感情はほとんどなかった。
それが大人になった今、雨の日が苦手になってしまったのは何故なんだろうかとずっと考えていた。

それは雨は嫌なもの、濡れてしまう、歩きにくい、電車が混むなどの意味付けがされているからだった。
だが子供の頃、雨はただの自然現象であり、そのことに良いとか悪いとかの意味付けはなかった。
それどころか雨の日は雨の日しかできない遊びができるからむしろ楽しいとさえ思っていた。
人生で遭遇する出来事には先立たちが築いてきた無数の意味付けがされている。
そしてそれによって良いとか悪いとかの判断をして、喜んだり苦しんだりしている。
けれどその意味付けは生まれた後で生きていく内に受け継いできたもので、最初からあったものじゃない。

そこで思うのが他人の考えた意味付けに律儀に従って人生を生きる必要があるのだろうかということだ。
その意味付けに必ずしも従う必要なんか無いじゃないかと。

雨の例で言えば、まず雨は悪いという意味付けを一旦解除してみる。
雨はただの自然現象だから良いも悪いもない。
その上で雨は雨で風情があるし、交差点を上から見たら傘の花が咲いてとても美しかったりする。
雨は別に悪いものじゃない、むしろ良いものかもしれないという自分だけのオリジナルの意味付けに書き換えることだってできる。
そうやって今まで不快に感じてきたり、心から楽しめ無かったことを自分だけの意味付けで彩っていけば、人生はぐっと面白くなる。

誰のものでもない自分だけの意味付けで作られた自分にしかできない人生を歩むことができる。
不快に感じてたことまで快にすることだってできる。

人生はただ楽しめばいい。
どんなことだって、何だって、たくさんの好奇心を抱えて。
過ぎ去りし幼い子供の頃のように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?