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法廷傍聴控え 青物横丁医師射殺事件5

 矢崎の控訴審は、98年4月16日、東京高裁で開かれた。8カ月ぶりに見る矢崎は、白い長袖セーター、青いズボン。髪は長いが、後ろにきれいになでつけてオールバックだ。声は相変わらずのかすれ気味である。弁護人は一審を担当した2人のうちの1人。
 弁護人は、控訴趣意書記載のとおりの控訴趣意を述べ、検察官が、「論旨には理由がないので、控訴棄却が相当」と意見を述べる。
 弁護人は、趣意書のほかに、被告から被害者の妻へのお詫び状などの書証を提出し、新たな精神鑑定も求めた。
 被告人質問は、次回に行う予定だったが、矢崎が、「できれば、この場で直接、裁判長に」いいたいことがあるという。「やらせてください」と強く主張する。直接の陳述はできないので、弁護人から被告人質問の形で尋ねることになる。
 矢崎は次のような趣旨のことを話した。

「裁判官にいいたいことがあります。私の体のことなんですが、本件事件の根本原因であります」
「ことしの1月ぐらいから、左胸が痛くなり、夜も寝れないほど苦しい。全身の皮膚から白い粉がふいてきています。事件当時もそうでした」
「刑務所にいって、仕事をしなければならないのと、刑務所から無事出所して、親孝行したい。できるなら、体を治療してもらいたい」
「精神鑑定中、病院でレントゲンをとりました。それは、おなか、胸、頭、それから、頭とおなかをCTをしました。終わってから、裸になった。そのときに、エックス線を大量に浴びました。
 拘置所に戻ってから、体が苦しくなって、職員に相談しました。『どうしても苦しくなったら、この薬を飲め』と薬をもらいました。飲んだら、胃が痛くなった。水を50から100杯飲みました。
 吐いた水の中から、胃の粘膜がでてきた。おそろしくなりました。人体実験されたと主張したら、殺されると思いました。私の体に危害を加えないでほしい。
 私は自殺しない。変死したら、検死せず、解剖しないで、母親に届けてほしい。それをお願いします。体の検査などを十分してほしい」

 15分は話しただろう。矢崎はまだ話したいようだが、3人の刑務官が両手をもって引っ張るように椅子から立ち上がらせる。「殺さないでくださいよ」と、矢崎は述べた。

 6月25日、第2回公判が開かれた。この間、矢崎は、弁護人を解任したいという意向を示した。矢崎が先頭に立ち、すたすたといつもの歩き方で入廷する。
 3人の刑務官が後ろに続き、その1人は、矢崎が用意した布袋に入った裁判記録を持ってくる。矢崎の作成した控訴趣意補充書や人体実験の結果、体内に埋め込まれた異物などを描いた図面が証拠として提出された。
 さらに、被告人質問が行われ、もっぱら、弁護人が質問した。

 ──鑑定請求をした理由は何ですか。
「病院で、講師が鑑定をしたが、そのとき、レントゲン、CTをとりました。そのときのフィルムはどこにあるのか。それが見たい」
 ──弁護人を解任したかったのはどうしてですか。
「体に細工をされて、体調がすぐれない。これからどうしていいのかわからない。協力してくれる弁護人を探そうと、国選弁護人を解任したいと思いました」
 ──協力とはどういうことですか。
「私か細工されているものを明らかにして、体を治療してもらうためです」
 ──私は解任はできないといいましたね。
「はい」
 ──弁護人を代えてまで、異物を取り出したい。いつからそう思いましたか。
「以前からありました。そういう気持ちは」
 ──体にどんな細工をされたのですか。
「長い間、検討つかず、症状が強くなってきました。いまは明確にわかります。異物の中を血液が流れています。外腸骨動脈、外腸骨静脈から、心臓につながるビニールチューブが入れられています」
 ──今度、精神鑑定するとき、あなたの描いた図を示して説明すれば、相手にわかってもらえますか。
「レントゲン、CTにうつってないのが疑問ですが、超音波検査は小さなものでもうつります。専門書で勉強したいと思っています」
 ──かつて、私はその異物と共存したらどうかといいましたね。
「そうは思いました。しかし、心臓につながっているとは思わなかった。異物があると危険と思うのは、血液は異物に触れると血栓できる。脳血栓、肺血栓、ほかの臓器が血栓症のなる可能性も高い。ビニールチューブが切れたり、穴があくと、血液がとめられません」
 ──原審の判決で「確定的殺意」などとありますが、東医師を確実に殺そうと思ったのですか。
「それは違います」
 ──確実に殺そうと思ったら、どうしましたか。
「頭をねらいます」
 ──東医師が倒れたとき、死んだかどうか、東医師のようすを確認しましたか。
「見てない。その場を立ち去りました」
 ──原審の判決では、「沈着冷静に行動してた」とありますが、冷静に考えて、確実に逃げようとしていたら、改札口で撃ったと思いますか。
「だれも見ていないところでやろう。路地とか。通り道を調べて」
 ──原審では、妄想があって、心神耗弱とされました。体内の異常は妄想と思っていますか。
「現実のものです。精神的に追い込まれてやっちゃいました」
 ──まともな判断できたら、どうすべきでしたか。
「何かほかの方法を考えたかもしれません」
 ──12年の判決は、軽いと思いますか、重いと思いますか。
「私が人体実験された理由での事件だが、重い。その理由は補充書に書きました。手術を進めながら人体実験をして、人生を破壊された。家族にも迷惑をかけました」
 ──どれぐらいだったら妥当ですか。
「自分としてですか、そうですねえ(しばらく考え込む。裁判長は「無理に答えなくてもいい」と述べるが)5年くらい」
 ──裁判所に希望することはどうですか。
「私にも基本的人権があります。治療はしてもらえないんでしょうかね。体に細工されているので、拘留を一時停止できるますか。(「弁護人と相談を」と裁判長)。鑑定してもらえますでしょうか」

 ここまできたとき、裁判長が、その話を待っていたかのように、突然、被告人質問を打ち切る。弁護人の改めての鑑定請求などに対して、検察官の意見を聞き、すべての請求を必要なしとした。
 これについて、弁護人は異議を申し立て、検察官は異議には理由なしといい、裁判長は異議を却下する。
 さらに、「次回は判決で、8月6日午前10時10分から開きます」宣告した裁判長らは退廷する。
 矢崎は、証言席で立ったまま、「鑑定はしてもらえるんでしょうか」といい続ける。弁護人が説得して、ようやく退廷した。

 8月6日、805号法廷は、判決というので、報道陣が詰めかける。開廷前、2分間、テレビ撮影も行われた。
 最初、弁護人、矢崎から、弁論再開の申し立てをしたが、裁判長は必要ないと却下した。すると、矢崎が手をあげる。ノートを手にしながら、裁判長に尋ねる。
「判決を受ける前に、二、三、質問したいんです。証拠開示についてですが」と、講師の行った鑑定時のレントゲン写真についてぜひ見たい、どこにあるのかと訴える。
 裁判長は、裁判所にはレントゲンがどこにあるのかわからない。したがって、裁判所にきていないものについて、いろいろ調べることはできないなどと説明する。
 しかし、矢崎は納得せず、数度にわたってやりとりが行われる。すると、裁判長が、「看守、ちょっと」などと指示し、3人の刑務官が弁護人席前の被告席で立って述べていた矢崎を、裁判長の真ん前の証言席の前に立つように促す。
 これを、待ちかねたように、裁判長は判決をいい渡す。
 主文は控訴棄却だ。弁護側の主張はすべて退けられた。
 まず、責任能力の点だが、妄想に基づいた犯行だが、著しく障害されてはいるが心神喪失とまではいえない。喪失を否定し、耗弱と認定した一審は是認できる。犯行にいたる経緯、犯行状況、犯行後の行動などを見ても、計画的で、確定的殺意を持っていたものであり、懲役12年はやむを得ないなどとした。
 ただし、「今後、精神衛生上の治療が必要」と言及した。
 矢崎は最高裁に上告したが、およそ2年後の2000年7月、上告を取り下げ、刑が確定した。(了)

(2021年10月21日まとめ・人物は仮名)

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