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[2022年9月12日月曜日]正しいことが納得できるとは限らない


 正しいと言われる正論。
 それが人を寡黙に変えるとは限りません。
 どちらかと言えば、正しいよりも納得できた時。
 人は寡黙になるような気がします。
 その寡黙は、退屈の中の深淵の退屈に。

テツガクちゃん
 気づいてしまいました! 私!
 正しいことが納得できるとは限らない、ということに。

 夏は暑いです。
 それは正しいことです。
 ですが、納得はできません!


肯定
 僕も夏の暑さは苦手だけど……。
 そうか、ガクちゃんは納得できないか……。

 それなら、冬の寒さを感じるために夏は暑い。
 ということでどうかな?

 ほら年中寒かったら、それは当たり前だから。
 寒さなんて感じないだろうから。

 あの冬にある寒さと出会うための暑さ。
 それが夏にある、ということで。

 まるで、正しさの欠片もないけどさ。


テツガクちゃん
 それなら仕方ないですね。

 そうなんです。
 私を納得させるのに、正しさの欠片なんて必要ではなかったんです。
 きっと、私に限らず誰もがそうだと思う。
 私のワガママにも、正しさの欠片がないように。

 納得するのに正しさの欠片が必要とは限らない。
 そんな方程式があるような気がします。

 そう思う気持ちに、正しさの欠片は全くありませんが。
 今、私は、妙義山ほど納得しています。


肯定
 あるね、きっと。
 妙に妙義山そっくりな、確かな方程式が。

 僕も『体に悪い』と言われているもの。
 それを使う人の気持ちがわからなかった。

 でも、叫ぶ歌が教えてくれた。
 けっきょくのところ退屈だから。
 それを使うんだよ、って。

 それでなるほどな、って思ったよ。
 そこに正しさなんて、欠片もなかったけど。
 でも、退屈だから、という可能性は凄く納得した。
 晴れの日の妙義山みたいに。

 僕もけっきょく退屈なんだよね。
 だから、『体に悪い』ものを使う人の気持ちが知りたくて。
 なるほどな、と。


テツガクちゃん
 退屈だから。
 それは、凄く納得できる理由ですね。

 私達は納得できる可能性、その理由を探しています。
 それを与えてくる意見を正論と呼ぶのか。
 それとも納得できない、何かが正しい意見が正論なのか。

 その答えは、わかりません。
 ですが、一つだけ、わかっていることもあります。
 それは、必ずしも正論が納得させてくれるとは限らない、ということです。

 何か損した気分の退屈な正論の影。
 そんな退屈は、トタン屋根の上に投げてしまいましょう。

 そして、新しい退屈の中にある、深淵の退屈に『DIVE IN!』です。
 その旅路は退屈とは限りません。
 退屈の中にある、深淵の退屈ですから。
 これほど面白そうな香りがする退屈は他にはありません。

 あなたもどうですか?
 正しさのラベルが貼られた正論という退屈。
 それを集めるより、退屈の中の深淵の退屈に会いに行きませんか?
 退屈が本当に退屈なのか。
 自分が納得できる答えを探しに。


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それでは、また次の機会にお会いしましょう。


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