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[2021年10月29日金曜日]結末が気に入らない、私は償いに

 自分が選んだ結末が気に入らない。
 そんなワガママは愚かなFR。
 だだ滑りの想像力は想像予想の遥か外。
 気がつけば、橘さんの目の前に立っていた。 
 ここからが償いだ。


 はじめに。
 この話は物凄く永いです。おまけにネタバレ全開です。
 もし、永くは付き合えないと思ったら。
 土曜日と日曜日の話だけを覗くのもアリだと思います。
 章でいえば、『創設祭の橘さんと絢辻さん』と『クリスマスの二人』です。
 
 それと、橘さんがゲームセンターで選ぶ車は、読んでくださった方の想像力にお任せいたします。 
 
 一応、校閲というか、チェックはしましたが。
 それでも、自信はありません。変だと違和感を感じた箇所があれば、コメントいただくと助かります。

 ついでに、『愚かな二人は話し込む、絢辻さんについて』は、この話の前日譚になります。
 もし、覗いてみたくなったら是非。

  一応、挿絵を描こうと思っています。
 とはいえ、無関係な挿絵です。おまけ程度のやつです。
 たぶん、かなり時間がかかります。ですから、来年くらいに追加されているかもしれません。
 ピクシブ、ツイッター、noteで完成したらご報告させていただきます。

 それでは、どこまで憑いてこれますかな?


 
 サンタクロース。
 その存在を信じることができるか、できないか。
 その分かれ道は、自分が何かを信じることができるかどうか。それを試す問題の一つ。
 もし、誰かや環境が存在しないと言っても。逆に偉い誰かが存在すると言っても。自分が信じると決めたことを貫けたら。きっと、自分のことだって信じることができる。
 しかし、誰かや環境が教え説いたことだけを、疑いもせず真面目に『シンジツ』だと覚えていくのは、信じるとは全く違う依存。
 依存は楽でいい。その快楽に溺れても、底なし深淵のどん底へは辿り着かない。だから、いくらでも沈んでいける。とても快適爽快で、安心平安だ。みんな一緒だから。
 一方、信じるということは、かなり疲れる。できることなら楽をしたい。
 だけど、信じることができなくなったら。今、この瞬間ですら、泡になって綺麗に消えてしまう。
 時には、その方が清々する瞬間もあるし、消えてくれた方が本当の平和が訪れるのかもしれない。
 ただ、それでも、何かを信じずにはいられない。
 そんなにたくさん、信じなくてもいい。
 一つだけでもいい、そう一つだけ……。


 木曜日の橘さん


 輝日東高校創設祭、二日前の木曜日。
 それは、ある選択肢の上の橘純一にとっては悲劇だった。
 突然、自分に想いを寄せていた。そんな人がいると知ってしまった橘さんは、その人にラブレターを送ってしまった。
 今、彼は、その結末の先を歩いていた。
 もし、違う選択肢が選ばれていたら。きっと、今頃は絢辻さんと……。
 しかし、彼は嘘で作られた真実の上を歩いていた。その真実はとても脆い。歯止めなく、めちゃ速に暴走する圧倒的なワガママの前では、薄く碓氷『シンジツ』へと変わってしまう。
 そんなワガママな声が、正門を抜けた彼を呼ぶ。正面から堂々と。
「橘さん、橘純一さん」
 彼は気づかない。いや、気づけない。傷心痛心のど真ん中の彼は、心を押入れに隠しながら歩いていた。
 ただ、そんなことをしても、どうにもならない温度もある。頬から伝わる、ナイフのような冷たさ。そして、その冷たさとは対照的な団子のように柔らかい温かさ。それが穏やかに手から伝わってくることに彼は気づき。やっと、自分の手を掴んでいる、声の主に気づいた。超ド級のワガママな奴に。
「橘、純一さんですよね?」
 少し不安げに訊ねるのは、輝日東高校の女子生徒とは全く違う制服を着崩した女性。印象的な長い中間色の髪。妙にネクタイが似合う中間色の問いに、彼は力なく無言で頷いた。
 彼の無言の答えに安心した中間色は、彼の手を掴んでいた自分の手をゆっくりと離し。そのまま、自分の大きめな胸にそれを当てた。
 その様子は、落ち着きを取り戻そうとするようにも見え、何かの罪への懺悔の念をあらわすようにも見えた。
「橘さん……今日、起きてしまったこと。それは、全て私の責任です。本当にごめんなさい」
 逸らすことなく彼の目を見て、罪を告白した中間色は深々と頭を下げた。
 全く事情が飲み込めない彼は、うんざりな心情をあらわすように呟いた。
「……ははは、もういいよ。今日はさ、そういう悪ふざけは」
 ゆっくりと頭を上げ、彼の情を覗き込む中間色。そこに悪ふざけが入る隙間なんてないことを告げるように答えた。中間色が何を信じているのかを。
「黒沢さんへの手紙。そこになんて書いたのか。それを知る由は私にはありません。ですが、それでも、私は信じています。とても真っ直ぐな想いが書いてあったことを」
 得体も知れない、誰かが。知るはずもないことを知っている。その事実は純粋に恐怖しかない。しかし、幸か不幸か、恐れ怖れる余裕など今の彼にはなかった。
 もし、自分のことを信じてくれるかもしれない。そんな誰かがいるのなら。得体の知れない何かにでも、今の彼はすがりたかった。例え、その姿が幽霊や悪魔だったとしても。その心情をより強くする誘惑が聞こえた。
「今日、今、この瞬間に私が来たのは、この罪を償うためです」
「償う? タイムマシンで昨日へでも連れてってくれるの?」
「もし、それがお望みなら、昨日どころか絢辻さんと出会う日までお戻しできます」
 荒唐無稽、滅茶苦茶、馬鹿馬鹿しい話でも、酷く落ち込んでいると、かえって飛び乗りたくなる。だけど、もう傷つきたくもない。そんな板ばさみの彼は沈黙を守る守護者。
「ですが……それしか方法がないのなら。私はココには来ません。今、ココにいるのは。むしろ、ココから始まるステキな何かがあるからです」
 とても信じられないことを、次から次へとあらわす中間色は胡散臭い詐欺師。妙に希望が輝く、明るい可能性を見せるからたちが悪い。
 その詐欺師に、つい反射で訊ねてしまった彼は、不機嫌に不愉快にふて腐れていた。
「……ココから始まる何かだって? いったい、何が始まるっていうの」
「『第三次世界大戦的恋愛革命』……とはいかなくても。まだまだ、いろんな可能性があります」
「いろんな可能性?」
「そうです、いろいろです。私が目の前に現れたら、Here is a wonderlandです」
 かなりぎこちない呪文のように、慣れない英語でココがワンダーランドだと言う中間色。
 確かな含みを持たせ、想像力が走れる隙間が広がっていく。
 そこへ踏み出す理由。今、彼の心境はそれを季節柄時節柄、そのどちらも似合う存在に求めた。
「もしかして、僕を慰めるためにやって来たサンタさんなの?」
 彼の真っ直ぐな問い掛けに微笑む中間色。
 それは、馬鹿にしたり可愛らしいと思う心情ではなく。
 変わらずに貫く、我がままに感心して安心するような微笑みだった。
「さすが、橘さんです。いろいろ違いますが。とても大切なものが変わらずにありますね」
 なんとも複雑そうな情をあらわす彼。
 しかし、それは奇跡的な光景だった。
 この中間色と出会う前まで表情を失っていた彼が。複雑さをあらわせるくらいに、彼の心は温まり、ほんの少し押入れの扉を開けていた。そこへ手を伸ばすように中間色は続けた。
「私にはサンタクロースは務まりません。橘さんを慰めることもできません。そんな私にもできる償いがあります」
 そして、彼の両手を自分の両手で包み込み。自分の温度を伝えながら、彼の深淵を覗きこみながら、強く懇願した。
「サンタクロースを信じている、ステキな橘さん。どうか私にお力を貸してください! この償いには橘さんのお力が必要なんです!」
 そう力強く求める声。それは、かなり自己主張が強く。周りの注意関心を一点に集めてしまった。その事実に困り惑わされ、裏側に隠していた困惑を表に浮かべた彼。それに気づいてしまった中間色は提案した。
「あの、詳しい話は近くの公園で……ココでは、ほんの少し目立ってしまうようです」
 目立ってしまう元凶は彼の手を掴んで前を歩き始めた。
 しかし、数歩歩いて、急に立ち止まった。
 そして、隠せない決まりの悪さで振り返りながら訊ねた。
「あの公園はどちらでしょうか? 土地勘がないもので……」
「僕が案内するよ」
「ありがとうございます。橘さんって、とても親切な紳士ですね」
 そう、彼は限りなく、素直でお人好しでいい人な紳士。
 そんな彼だったから、向こう側の中間色は、自分が犯してしまった罪の重さに気づいて、その償いにやって来た。
 素直ないい人は、損な役回りが多いのかもしれないが。時々、その素直さが損得の向こう側へ連れて行く、片道切符になることもある。
 目には見えない、その切符。最初の行き先は公園だった。
 
 
 誰もいない、静かな公園に辿り着いた二人。
 彼は最もな疑問を訊ねた。
「あの、そろそろ名前を教えてくれないかな?」
「あっ、すみません! 私、テキトウ・テツガクです。私の相方は親しみを込めて、ワガママ・クイーンと呼ぶこともあります」
 とんでもなく不思議なことを話すのだから、一般的な質問ですら不可思議に返す。そう彼も幽かに予想はしていたのだろうが。それでも、予想とは違うインベタのさらにインから来た答えに黙り込む。
 どこまでが本当で、どこからがワンダーランドなのか。全くわからない。
「今、私の名前はトタン屋根の上にです。得体の知れない、この私を信じて欲しい。そんなことは望みません。ただ、このワガママな私のために、橘さんのお力を貸してください!」
「えっ、まぁ、何というか……」
「橘さんに得がある、見返りを返すことはできませんが……私の償いのためにも」
「いや、見返りとかよりも。僕に何をして欲しいの?」
「私のかわりに、黒沢さんに謝っていただきたいんです」
「えっ……」
 彼は絶句した。それはとても当たり前に然り、当然な反応だった。
 得体の知れない誰かが。君は悪くない、そう優しく慰めるのは時に恐怖。そして、その誰かが自分のかわりに謝ってほしい。そうお願いするのは、意味がわからない。
 まるで、今日の校舎裏での出来事のように。彼は今、この瞬間を感じているのだろう。
「本当は私が謝るべきことです。ですが、得体の知れない私が、黒沢さんの前に出て謝った様子を想像してみてください。確実に橘さんの立場は狭くなります」
 滅茶苦茶なお願いのわりには、意外と一般的な理由だった。
 中間色が言うように、これ以上この色を暴走させたら彼の立場は益々危なくなる。
 もし、本当に中間色が謝りに行ったら、学校ではこんな噂が広まるだろう。橘さんが自分を守るために、他校の友達を使って火消しをしている、と。
 さらに、今の絢辻さんがその噂を知ったらどうなるか。おそらく、関わらないのだろうが。気分次第ではその噂にヒレや尻尾に足、羽までつけかねない。
 それくらい、今の彼にも容易に想像できた。
 しかし、それでも、中間色の意図は濃い霧の中。
 償いにやって来た、と言うが。これでは、まるで罰を与えに来たサタンだ。並びが違うだけで、サンタクロースとは対照的だ。
 そんな悪魔のような濃い霧に向かって、彼は最もな姿勢で反抗した。その姿は勇ましい悪霊ハンター。
「どうして僕が謝らなきゃいけないんだよ。だって、変じゃないか」
 そう反論する姿を見た中間色は微笑んだ。
「変ですね。そうです、凄く変です。よかったです、変だと気づいてくれて。ですから、謝るんです」
 全く意味がわからない、ワンダーランド。
 しかし、中間色は彼の誠実さに気づいていた。
 その誠実さへ特異の滑り方で突っ込んでいく。
「橘さん、今日の出来事、変だと思いませんか? 偽の手紙もそうですが、他にもいろいろ、と」
「他にもいろいろ?」
「火曜日のお昼休み校舎裏。完膚なきまでに、絢辻さんに打ちのめされた黒沢さん。橘さんもそれを見ましたよね?」
「うん……」
「なぜ、その黒沢さんが、二日後の今日、絢辻さんの言い分を素直に信じたのでしょうか?」
「えっ……」
「不思議に思いませんか? 私だったら聞く耳を持てません。あそこまで徹底的にされたら」
「た、たしかに……」
「そんな悲劇の後。もし、憧れの王子様が手紙をくれたとしたら。例え、周りが何と言っても。私は憧れの王子様を信じるでしょうね」
「つ、つまり……?」
「ゆっくりでいいです。自分に置き換えて考えてみてください。もし、今、知らない誰かが橘さんに告白して。それを今の絢辻さんがその娘は悪魔よ。そう助言したとして。どちらの言い分を信じますか?」
 彼はあらゆるものを全速全開にして考える。
 しかし、今の彼にはその答えが見つからない。
 時間だけが過ぎた、おそらく三分ほど。
「三分考えて、答えが見つからないことは。きっと、永遠に見つからないのでしょう。そんな橘さんが私は好きです。あっ、これは恋の告白ではなく。ただの私のワガママです」
 中間色は笑い、彼も少し笑った。そんな彼の様子に安心するように中間色は続けた。
「橘さんの仰るとおり。黒沢さんを選んだのに、その黒沢さんに謝るなんて変です。橘さんの誠実さが許さないのも当然です。ですが、前提が違った可能性すらあります」
「前提が違った?」
「橘さん、黒沢さんから直接、『私はあなたが好きです』そんな意思の声を聞きましたか?」
「えっ、いや……それは絢辻さんが……」
「ご明察、としか言っていませんよね?」
「……んっ。えっ、じゃあ、アレは……」
「すみません、私にもそれはわかりません。ただ、辻褄は合います。もし、本当に黒沢さんが橘さんを好きだったというのなら。絢辻さんよりも橘さんを信じるでしょう」
「そうかもしれないけど……」
「それから、ワナです。絢辻さんが仕掛けた、ワナ。まさかと思った、皮肉なワナは。いったい、誰を捕まえるためのワナだったのでしょうか?」
 絢辻さんが仕掛けたというワナ。
 もし、それが本当にあるとしたら。いったい、どこにあったのか?
 それは、放課後の屋上で明かされた秘密。彼に黒沢さんが想いを寄せている、と思うように誘導した『ご明察』の一言くらいしか見当たらない。
 本当は、ほんの少しだけ彼が気になる。そんな黒沢さんの幽かな心情を、大きく確かなもののように彼に勘違いさせた。そう中間色は考えていた。なんせ相手はあの絢辻さん。お弁当の事例もある。裏表を操る絢辻さんなら、これくらいはまだ一速。
 もちろん、見当外れの可能性もある。彼や中間色にはわからない裏側。そこに本当のワナがあったのかもしれない。いや、本当はワナなんかなかったのかもしれない。それでも、何も知らない、この粗末な憶測でも、黒沢さんの軽快な心変わりの理由にはピッタリだった。
 絢辻さんが目障りに思えるほど、黒沢さんが想っていたはずの彼が迎えに来たのに。そんな彼の言い分よりも、目障りだった絢辻さんの言い分を信じてしまう。単純と言えばそれまでだが。前提が違ったとしたら、妙に落ち着けるほどに納得できる。そう晴れの日の妙義山のように。
「……そ、そんなはず」
「そうです、そんなはずありません。今、橘さんが思っているほど酷いものではなくて。ただの悪戯。ほんの少しの小テストだったのかもしれません」
 再び深刻に沈み込んでいく彼に気づいた中間色は、彼を引き上げるように言った。
「橘さん! 最初にも言いましたが。得体の知れない私の言い分なんて、そう信じないでください。あくまで、これは可能性の一つです。それに、全ての原因は私にあるんです」
「も、もう何を信じていいのか。わからないよ……」
 そう吐き棄てた彼。それは当然な心境だった。今、目の前に広がった可能性は、厳しい冬の寒さ以上に冷たく酷なものだ。その凍えた彼の心を優しく包み、温めるような声で中間色は訊ねた。
「橘さん、この世界にサンタクロースはいるのでしょうか?」
「いると思う、たぶん……」
「そうですね。きっと、いるのでしょう。そして、その気持ちですよ」
「この気持ち?」
「それが、何かを信じることだと。今の私はちょっぴり思います」
 中間色の言い分は速過ぎた。ここまで、ずっと主導権を離さない。そのまま進み続けた。
「何かを求めるから、信じることが、ほんの少し恐く怖ろしく感じてしまうんだと思います。もし、サンタクロースを信じるように貫けたら。何を信じたいのか。それが見えてくるはずです」
 たぶん、彼はそんなこと、言われなくても本当は気づいていた。
 何を信じたくて、これからどうしたいのか。ぼんやりと今は見えない未来の光だって見えていた。
「橘さん、どうかお願いです。私が犯した過ち。それを償うためにも、黒沢さんに謝ってください。この私のために」
 何の迷いもなく、美しく綺麗なほどにワガママを貫く、この中間色こそワガママ・クイーン。
 呆れ諦め。だけど、どこか羨ましい。それらを煮詰めた彼の心は、押入れの奥から中間色の第一本心、我がままに『DIVE IN!』した。
「謝るだけでいいの?」
「とりあえず、明日は」
「えっ、まだあるの?」
「状況次第ではありますね」
 勘弁してほしい。無言の訴えをあらわす彼の表情は、苦味を感じるように笑った。
 そこに、若い苦瓜を付け加えるように中間色は注文をつけた。
「あっ、そうでした。こんな感じに謝ってください。昨日はごめんなさい。絢辻さんの言うとおりです。全て僕が悪かったです、と」
「えっ、そんなことを言ったら……」
「おそらく、数日は評判が最悪になるでしょう。ですが、私が直接謝ったら、卒業までその評判がつきまといますよ?」
「……僕に救いはないのか」
 そんな彼の弱音に、かなりハッキリと強気に答えるのは中間色。
「橘さん、サンタクロースはいますよ。赤い服を着ていなくても、形のあるプレゼントをくれなくても、冬じゃなくても。きっと、もっと身近な距離感に。放っておけない危なっかしさが愛おしく感じる誰かが。その可能性へ突き進む、今、この速度が、救いではもの足りないですか?」
 深淵を覗き込むように訊ねる中間色、少し考えてから控えめに答える彼。
「もの足りないというか、実感がわかないというか……それってどんな速度なの?」
「そうですね……めちゃ速な速度、としか言いようがありませんね」
「めちゃ速ね……」
 ほんの少し静まり返る。その静寂の中、本当に彼がついてきているのか。わかりきったことを中間色は訊ねた。
「あの、橘さん、答えたくないのなら答えなくてもいいのですが。あのラブレターにはどんなことを書いたのですか?」
「ああ、あの手紙……。答えたくないわけじゃないんだ。だけど、今は思い出せなくて。でも、黒沢さんにしか書いてない……それだけしか」
 ラブレターと訊ねて、手紙と返した彼。特別、そこに意味などないはずだが、その違いに中間色は不可思議を感じた。
 水曜日の彼はラブレターを書いた。でも、木曜日の彼は手紙と言った。それを知っていた中間色はその違いを。ただ、恥ずかしさを隠す、照れ隠しとは思えなかった。この可能性の上では何かが違っていた。かなり前の方から。
 それでも変わらない。とても大切な彼の我がまま。
 中間色が気づいた、その我がままを一方的に明かし始めた。
「私の勝手な思い込みですが。さきほど、橘さんが三分考えても答えが見つからなかった、その理由……。それは、絢辻さんが、とても大切だからではないですか?」
「えっ、突然、そんなことを言われてもわからないよ」
「わかりませんよね。それなら、こんな質問ならどうですか? もし、この先で絢辻さんに困難と危機と悪魔が一度に訪れたら、見棄てますか?」
「そんなこと! できる、わけ……ない……よ……」
 勢いよく飛び出したが、途中から失速した彼の言い分。
 ためらいが後半の加速を邪魔したが。それでも、迷うことなく反射的に飛び出して、最後まで言い切った。その彼の姿勢が中間色には確かな救いだった。
「それを聞きたかった。間黒男さんなら、そう言うでしょうね」
 そう静かに呟いた中間色は、満足げに笑いながら続いた。
「その心境、今の私ならわかる気がします。ほんの少し」
 満足のど真ん中の中間色は、この先の何かを決めたようだった。
 おそらく、決めたその先には、今、この瞬間とは対照的な痛みが待っている。そこへ突っ込む、その前に。中間色は彼に本日最後のお願いをした。
「あの橘さん、近くのゲームセンターで少しだけ走りませんか?」
「今日はそんな気分じゃ……」
「辛くて苦しいからこそ、走るんですよ。めちゃ速な速度ってやつを感じにいきましょう!」
 彼に言い聞かせるようで、自分自身に言い聞かせるように言った中間色。
「はぁ……断っても無駄かな?」
「無駄です。初心者マークよりもピッタリと貼りついて。明日へは行かせませんよ」
 そう笑う中間色に、彼は諦めというのを改めて学んだ。
「わかったよ、行こうか」
「ありがとうございます! それでは、道案内よろしくお願いします」

 
 
 ゲームセンターへ辿り着き、店内を進む二人。
 中間色はレースゲームの筐体を見つけてゴキゲンな声で彼を呼び、一緒に遊びたいゲームを指し指で示した。
「橘さん、あのゲームです! あれを一緒に遊びたいんです!」
「……こんなゲームあったかな?」
 首を傾げる彼。その視線の先には、峠を攻めるレースゲームの筐体。おそらく、新作なのだろう。他の筐体よりもかなり綺麗だった。不自然なほどに。近未来的に。
「さて、まずは……タイムアタックで、このゲームに慣れていただきます」
 中間色は彼の肩を押しながら座席へ誘導した。
 そのまま、彼は下手に無駄な抵抗などせずに座り、遊び方と操作方法を確認した。
「橘さん、お好きな車で碓氷峠、左周り、昼、晴れを選択してください」
「うん、これでいい?」
 適当な車を選び、中間色の指示通りに選択した。
「はい。このコースは、二つのヘアピンと複合コーナーが難所になっています。それを意識しながら、走ってみてください」
「わかった、やってみるよ」
 そういい走り出した彼の車。なかなかの走りだ。シフトチェンジも上手い。どんどん加速していく。
 最初のヘアピン。しっかり減速して綺麗に抜けた。その次、曲がりが違う複合コーナーも器用に抜けた。そして、めがね橋前の最後のヘアピン。そこは壁にぶつかりながら抜けた。一周目も最終も同じように走っていた。
「橘さん、とっても上手ですよ! 本当に初めてですか?」
 ほんの少し照れ臭そうな彼に、中間色は次の注意点を明かした。
「このゲームは、壁にぶつけると減速してしまうので。極力、壁にぶつからないように。ですが、攻めるところは攻めながら。もう一度お願いします」
 お金を投入した中間色は、二本目の練習を彼にお願いした。
 彼は遊んだことがないゲームのようだったが。確実に一本目よりも峠を理解して攻めていた。
 今、峠を攻める彼の表情は、ほんの少し輝いている。
 中間色と出会う前の虚ろな表情は、今、この瞬間、嘘に変わってしまった。
「さて、次は私も一緒に走ります。その次は、お互いマジな走りを楽しみましょう」
 お金を投入した、中間色はカプチーノを選んだ。
 三本目、彼は横に並ばれると思うように走れないことを知った。ほんの少しの隙間から中間色が前に出た。その後ろに貼りつきながら、抜き返す隙をうかがい抜き返した。繰り返す、その駆け引きを楽しみながら。彼が先行したまま最終を走り終えた。
 たった三回の練習で、彼の走りはかなり進化していた。
 それでも、めがね橋前のヘアピンで、壁にぶつけて減速してしまう課題は変わらずに残っていた。
 それを踏まえた上で、中間色は提案した。
「600メートルです。橘さんが600メートル先行してから追いかけます」
「600メートル?」
 それが多いのか、少ないのか、よくわからなくても。一方的なハンデをもらう勝負なんて、彼には面白くなかったのだろう。そんな心情が込められた声に中間色は答えた。
「もし、私が追いつけなかったら……橘さん、私に好きなことをしてください」
「す、好きなこと!?」
「どうです? これでやる気はでますか?」
「ほ、ほんの少し……ね」
「それは残念です。ですが、相当マジにならないと大変ですよ。なぜならば……」
 その意味が全くわからない。そう思ってしまう理由は、三本目の中間色の走りにあった。とても速くはない走り。それが中間色の走りだと疑うことなく彼は信じていた。
 そんな彼に警告するように、中間色は名乗った。
「何を隠そう、埼玉南東エリアのモノクロ暴走カプチーノとは私のことですから!」
 そう、得意ではなく、特異気に満足げな表情で名乗っても。
 それが、どれほど速いのか。
 それは、一緒にマジにならないとわからない。
 めちゃ速な速度。それを思い知る勝負の四本目。その代金を中間色は投入した。

 碓氷、左周り、昼、晴れ、BGM『Emotional Fire』。
 彼の車が飛び出した。中間色は宣言通り、ブレーキを踏んだまま進まない。距離がどんどん離れていく。300、400、500……600。その数字を確認してからアクセルを踏み込んだ中間色。
 その頃には、彼の車は最初のヘアピンを抜けて複合コーナーに迫っていた。その先も順調に抜けていく彼の車。一方、追いかける中間色もかなり速かった。
 先行する彼は走ることに夢中で、迫ってくる数字に気づかない。500、400、300……200。一周目は彼の先行で終えたが。もう、その差は100メートル。
 最終二周目。最初のヘアピンで60、中間の複合コーナーで30、めがね橋前のヘアピンに辿り着く前に彼の車は抜かれた。しかし、まだ追いつけると彼は思っていた。
 早めにブレーキを踏んで、しっかり減速すれば、壁にぶつからずヘアピンを抜け出せる。そのことにこの四本目で気づいた彼は、一周目のように上手くブレーキを踏んだ。
 そろそろ、前を走るカプチーノにもブレーキランプがつく頃だと思っていた。しかし、何もつかないまま、加速しながら滑るように想像予想の外へ抜け出した。
「な、なんだ、その曲がり方は……」
 歯止めが利かない彼の驚きが零れた。その焦りで彼の車は、ほんの少し乱れたが、それでも壁にぶつけることなく抜け出した。彼の想像では、ここからの加速で並んで抜き去るはずだった。
 しかし、もう抜き去るはずだった、中間色のカプチーノは見えなくなっていた。見えないのだから抜き去りようもない、彼の想像。
 100メートル。600メートルのハンデが、最終的には中間色の100メートル先行に変わっていた。
 木曜日の彼と中間色、その間は700メートル。

 その事実を目にした彼。その気持ちは妙に晴れやかに澄んでいた。
「橘さん、めちゃ速でしたね! もし、めがね橋前でブロックされていたら。私は前には出られませんでした。走り方まで紳士的なんてステキです!」
「あの、さっきの走りさ」
「はい?」
「ブレーキはいつ踏んでいたの?」
「私、ブレーキが苦手なんです。ですから、アクセルの出し入れとシフトチェンジで速度を調整するんです」
「えっ、そんな走り方があるの!?」
「あるらしいですよ。私、このゲームの碓氷峠が好きなんです。ですから、どこでアクセルを踏んで、どこで抜いた方がいいのか。ほんの少しわかります。ですが、他の峠ではできない走り方ですね。今の私には」
 中間色の走り方を感心しながら聴く彼は、めちゃ速な速度の虜になっていた。勝ち負けよりも、もっと理想的な走りを探したい。そんな欲求がおかわりを要求した。
「あのさ、もう一回できないかな?」
 その誘いに中間色は瞳を輝かせて喜んだ。
「是非! あっ……ですが、今日はもう一つ大切な用事が……」
 彼以上に残念そうに切り出した中間色は、とんでもないことを言い出した。
「あっ、そうです。かわりと言ってはなんですが。私に好きなことをしてください」
「はい!?」
 いったい、どこをどう解釈すれば、そんな返しが来るのか。彼は中間色の速度に振り回されたままだった。
 そんな彼の心情などお構いなく。中間色はブレザーのポケットから太い黒の油性ペンを取り出し提案した。
「例えば、私のこのおでこに、ワガママ娘と落書きするのはどうですかね?」
 そう言いながら。切り揃えた前髪をかきあげ、おでこを見せ笑っていた。
「え、えっと……」
「好きなことを好きな場所に書いてください。それとも他にしたいことがありますか?」
 迫るように距離をつめる中間色に、圧倒された彼は悩んだままだった。
 そんな彼に、とても的確なヒントを中間色は与えた。
「ただ……橘さんの大切な人を悲しませる、そんなことは、してはなりませんよ?」
 最初からそんなことをする気なんて、微塵も彼にはなかったのだろう。
 それでも、改めてそう言われ、迷いが晴れた彼は健全なお願いをした。
「あの、ほっぺを触ってもいいかな?」
「はい、もちろんです。実に健全なお願いですね。どうぞ、どうぞ、ご遠慮なく。大福のようなほっぺを楽しんでくださいな」
 慎重に中間色の頬に触れる彼。その瞬間、見た目からは想像もできなかった、驚異的な柔らかさに驚いた彼は。無意識につまんだり伸ばしたりして楽しんでいた。
「橘さん、楽しいですか?」
 上手く言葉にならない中間色のその声で、彼は正気に戻った。
「あっ、ごめん……その、柔らか過ぎてビックリして」
「大福みたいなほっぺですよね?」
「そうだね、大福みたい」
「私も自分のほっぺにはビックリですよ」
 かなり満足そうに笑いながら、自分の頬を両手でつまんで伸ばす中間色。
 数秒後、その手を止めて、満足の理由を明かし始めた。
「嬉しいです、私のほっぺで癒える何かもあるのなら」
 中間色の窓に映る橘さん。その姿はこの始まりとは全くの別人のようだった。
 もちろん、今日の傷と痛みが綺麗に消えるわけではない。
 それでも、また一歩、踏み出したくなる、感情的な炎が彼の奥の方で静かに燃えていた。
 それが、あれば、まだ……。
「それでは、明日よろしくお願いします」
「わかったよ」
「あっ、忘れていました! 謝るのは黒沢さんだけで。くれぐれも絢辻さんには謝ってはなりませんよ」
「えっ、いや……」
 彼は今日の放課後を思い出した。ありったけの勇気を振り絞って、実行委員の仕事があるか訊ねた時の絢辻さんを。完璧な笑顔で、不足のない穏やかさで、隙のない言葉で、完全に拒絶されたことを。
「と、とても話しかけられそうにないよ……」
「今はそうでしょうね。ですが……」
 下を向く橘さんの肩に手を置く中間色。その意図が気になり、顔を上げた彼。その瞬間、彼の深淵が中間色の深淵に覗きこまれた。そのまま、真っ直ぐと中間色は見えない今を語り始めた。
「めちゃ速な橘さんなら、必ず追いつきますよ。そうです、変わるスピードが違ったんです。今を進む、橘さんと絢辻さんは『スピードとナイフ』です。同じ今に住んでいるのに、別々の扉の向こう側。それも、いつか変わってしまうんです」
 全く意味のわからないことでも。ハッキリと言い切られると全てがどうでもよくなる。そう思えてしまう、余裕が今の彼にはあった。そんな余裕があれば、進める見えない今もどこかに確かにある。
「それでは、明日、また走りましょう。今日は楽しかったです。いろいろありがとうございます」
 頭を下げて、くるっと振り返った中間色は、あっという間にゲームセンターから消えた。
 その数秒後、彼は思わず呟いた。
「そう言えば……土地勘がないって言ってたけど、大丈夫なのかな?」
 心配になった彼も店を出て、中間色の後ろ姿を探すが。もう、どこにもいなかった。
 冷たい冬の風が彼の頬を切る。今、自分にできることは、このまま進むことだと気づいた彼は進み出した。本当は押入れに隠れて、やり過ごしたかった明日へ向かって。


 木曜日の絢辻さん

 
 
 創設祭の二日前。この選択肢の上の絢辻詞には、実行委員長としての仕事は殆ど残っていなかった。もう、当日を待つだけ。むしろ、当日の方がやることがある。そんな感じだった。
 もし、違う選択肢が選ばれていたら。きっと、今頃は橘さんと……。
 しかし、今、彼女は自分の目標に向かって、これまで以上に加速していた。一人、放課後の学校に残り勉強をして、認められる何かを得ようと必死だった。
 だけど、今日の校舎裏での出来事。それで壊れた何かには、この時期の浮かれた空気は邪魔でしかなかった。それが漂う学校、不思議とそこにいる方が辛くなった。
 それに押し潰されてしまう前に、彼女は学校を飛び出した。そのまま、あまり帰りたくなかった場所へ歩いていく。その時間はいつもより早い。その気になれば、いくらでも寄り道はできたが。どこも今の自分には辛過ぎる空気が漂っている。それに気づいている彼女は、いつも以上に真っすぐ歩き続けた。完全無欠に。
 その歩みを呼び止める声。唐突に突然に背後から響いた、傷を抱える彼女を呼び止めた、その声。察しのいい彼女は、それがろくな結末にならない、忌まわしい用件だと気づいた。とっても賢いから。
「絢辻、詞さんですよね?」
 名字と名前、姓名、フルネームで呼び止める用件。たいてい、それはろくなことじゃない。その用件に振り向かない、そんな選択肢もあったが。彼女は少し気になってしまった。
 いったい、誰が今の自分を呼び止めたのか。そして、どれほど愚かな用件を突きつけるのか。場合によっては、敵として認識して排除するために、掟を二度破ったカウンターで完膚なきまでに打ちのめす。還付するものがない誰かを。
 その覚悟で振り向いた先に待っていたのは、今日、彼女の何かを壊した元凶。見慣れない制服を着崩す、長い中間色の髪は妙にネクタイが似合う。それと……印象的な穏やかな表情。その姿を見た時、彼女の直感は確信した。自分とは対照的で苦手なヤツだと。そう、ワガママなヤツはめちゃ速でかなり厄介だ。
 そんな中間色が全ての元凶だということは、察しのいい彼女もまだ気づいていない。
 この沈黙をごまかす一般的な質問。それを彼女が明かす前に、中間色は名乗った。
「初めまして、私、テキトウ・テツガクです。今日、起きてしまった出来事の償いに来ました」
 橘さんと出会った時のように頭を下げる中間色。その深さと永さは橘さんの時よりも重かった。
「今日、起きてしまった出来事? 何のことでしょうか?」
 中間色以上に穏やかに返した彼女。中間色は静かに頭を上げて答えた。
「校舎裏、橘さんと黒沢さん、手紙……」
 特別、驚く様子も見せない彼女は完璧。だから、とても脆い。
「あなた……初めましてよね?」
「はい、初めましてです」
「そう、よかったわ……私が忘れてしまった過去の人ではないのね」
「はい、忘れてしまった過去の人ではありません」
 お互い同じ微笑みで、一人は問いかけ一人は答えている。
 しかし、その奥は、ほんの少し違う。
 中間色は橘さんにも見せた微笑み。絢辻さんは裏側の不自然に甘過ぎる微笑み。同じだけ違う、対照的な微笑みが向かい合っていた。
「それで……初めましてのあなたが、どうして今日のことを知っているのかしら?」
 少し考え込む中間色。サンタクロースを信じている橘さんと違って、今の絢辻さんにこの事情を伝えるのは、かなり困難だと感じていた。
 それでも、ごまかすわけにもいかず。伝わらないとわかりながらも答えるしかなかった。ケイソクフノウな真っ直ぐで。
「それは、私が全ての元凶だからです。その償いに来ました」
 彼女は呆れていた。この短時間で次から次へと意味のわからないことを並べる中間色に。
「答えになっていないわね」
「いいえ、これが答えです。今は、その意味が伝わらないでしょうが」
 そう微笑む中間色。それに続いて、彼女も微笑むが。その意味は、ほんの少し……いや、ハッキリと確かに違った。そう激甘だった。
 その甘ったるい声で彼女は告げた。
「それでは……人を呼びましょうか?」
「はい、是非呼びましょう。警察でも、自衛隊でも……あっ、スーパーマンをご紹介しましょうか?」
 余裕と冷静が溢れ混ざっている、中間色の表情は変わらない。
 一方、彼女はこれ以上、この色に付き合うつもりはなかった。
 いろんなものが外れた、中間色の答え。その色にうんざりした彼女は、息を調えることに気をとられ、ほんの一瞬、視界から中間色を外してしまった。
 それが誤ちで過ちだと、気づく前に叫んでしまった。
「助けてーーーーっ! ストーカーです! この人、ストーカーですっ!!」
 指でそのストーカーを示したが。もう、そこには誰もいない。そのことに彼女も遅れて気がついた。
 しかし、もう遅過ぎた。
 特別、大きく甲高い声が住宅街に響き渡り、周りの人達が彼女の方を向くが彼女以外誰もいない。ヒソヒソ話を始める人、キョロキョロ誰かを探す人、心配して近寄ろうとする親切な人。不本意な形で、今、彼女はスーパースターだ。
 火が出るほど恥ずかしい。きっと、それは、今、この瞬間の状況のことを言うのだろうが。それでも、全く動じない彼女は完璧鉄壁。驚きも恥ずかしさも何もあらわさず、全てが嘘だったかのように歩き始めた。まるで、本日の校舎裏から立ち去るように。
 完璧な歩き方とは対照的に、その方向は本来の帰り道とは全く関係のない、デタラメな道を歩いていた。無心で五分ほど歩いた彼女。その聴覚に聞きたくもない忌々しい声が響く。
「絢辻さ~ん」
 後ろから聞こえた気がした声。今度は振り向かないと決めて歩き続けた。
 振り向かない、振り向かない、そう心の中で呪文のように唱えていた。あまりにもそれに集中し過ぎて、ほんの一瞬の瞬きをしてしまった、次の瞬間。彼女のおでこが同じ硬さの何かにぶつかった。
 それが電柱だったら、どれほどよかったか。しかし、彼女はそれほど石頭ではない。ほんの少し頑固だけど、確かな柔軟さを持つ彼女の視界に広がる今。そこに映し出された事実は、忌々しい中間色が自分と同じようにおでこを押さえ突っ立っていた。
「痛たた……絢辻さん、大丈夫ですか? すみません、私の前方不注意でした」
 心配そうに彼女の様子をうかがう中間色。
「あ、あなた……なんなのよ!」
 思わず裏表の奥、彼女の本音が零れた。
「何に見えますか?」
「私を馬鹿にしているの?」
「いえ、そんな……。そうですね、ほんの少し、テツガク的な質問ですね。私は私、私の相方は愛を込めて、WAGAMAMAバディーと呼んでくださります」
 全く彼女の求めている答えとは違った、期待外れな答え。
 しかし、ある意味ではとても適切な答えだった。今の彼女に素直に正直にありのままを言っても伝わらない。橘さんとは違う彼女に、どう言えば伝わるのか。まだ中間色は模索中だった。
「あの、ウルトラマンをご紹介しましょうか?」
「いいえ、けっこうよ。私の前に現れなければ」
「私の償いが済めば、頼まれない限り現れませんよ」
「あなた……悪趣味な上に、厚かましいわね」
「そうですね。絢辻さんと私、そこはそっくりで、お互い様ですね」
 静かに睨むように沈黙を守る彼女。対照的に微笑む中間色は、立てた指し指を揺らしながら説いた。
「深縁を覗く時、深縁に覗かれている。とても便利な言葉です。私の悪趣味と厚かましさに気づいてしまった、絢辻さんも同じ似た者同士ですね」
 大きなため息をついた彼女は理解した。この厄介なヤツは正面から迎え撃った方が早いことを。
 腕時計の時間を確認した。18時18分。19時までに終えたら、目標を叶えるために時間を使える。なんとしても、19時までに幽霊のような中間色の用件を片付けることに決めた彼女。
「はぁ……わかったわ。でも、場所を変えましょう」
「はい、裏路地ですね」
「……あなた、本当に怖いほど悪趣味よ」
「絢辻さんの恐ろしさには敵いませんよ」
「……私の何を知っているの?」
「何も知りません。絢辻さんは裏表がない素敵な人。私は冷酷冷徹のワガママ・クイーン。お互い得体が知れない、関係性ですよ」
 嘘のように聞こえる中間色の言い分は、紛れもない本心だ。
 たしかに、今、この瞬間。ほんの少しだけ、中間色の方が絢辻さんのことを知っているのだろう。しかし、それでも知っていることよりも、わからないことの方が山のようにある。それに気づいている中間色は、いろんなことを訊きたくて訊きたくて、仕方がない。
 お互い、得体が知れない。だから、その差を少しでも埋めたくて。わからないことを知りたくて。放っておけない人の性を踏み込んで、好奇心ドリフトで突っ込んだのは赤点を五つ揃えた落第生。
 学問を進める勉学には無関心でも、我がままが関心を示した人には情け容赦なく突っ込む。慈悲深く無慈悲な冷酷冷徹のワガママ・クイーン。
 対照的だけど、同じ何かもある、二人。
 諦めた彼女が先に歩き出し、影のように続く中間色。
 しばらくして、二人は表通りから路地裏の奥に消えた。
 
 
 路地裏の奥まで来た二人、振り返り先制したのは絢辻さんだった。
「あなたとは、この場限りだから……外すわね」
 その宣言は裏表のシフトチェンジ。
 さっきまでの表通りにいた絢辻さんは裏側、いわゆる黒辻さん。そして、辿り着いた裏路地にいる絢辻さんは表側、いわゆる白辻さん。それは彼女と向かい合う、中間色にとっての印象。
 ワガママに我がままを貫く中間色には、普段隠している方が表に見えている。そんな色にとっては、彼女の本心に近い何かが前に出た方が走りやすかった。
 ここからが、中間色が決めた本当の走り。そう償いだった。
「それで、償いだったかな? あなたの目的は」
「はい、償いに来ました」
「あたしにそれを与えに?」
 中間色の疑問符がトンビに化けて高く飛ぶ。
 納得できる油揚げを見つけた疑問符は、満足げに答えをさらってきた。
「あっ、いえ、違います。私が償いを受けに来たんです」
 賢過ぎるが故の彼女の早合点。いや、中間色の説明不足。いやいや、誰も悪くないのだろう。
 償いに来た。同じ言葉でも、それを覗く心情心境で意味が変わっていく、言葉の面白さ。それは、よくある当たり前。
 今、何かを警戒している絢辻さんには『償い』と『来た』、その間に見えない『与えに』が見えた。しかし、中間色は最初から『受けに』を隠していた。
 単純なすれ違い。だけど、そこには確かな重さもあった。
 それは、彼女にも幽かでも罪の意識。自分に何かの報復がくる、その理由があると思っていたのだろう。彼女自身も気づけない、無意識の奥の方で。今日の校舎裏での出来事の後から、ずっと。
 そして、そんな彼女以上の罪悪感に染まっていたのは中間色。
 隠せない不安は橘さんに見せた不安とは違った。その不安は何かを恐れ怖れている。
 しかし、引き下がるわけにはいかない。そう橘さんの前で決めた、中間色は、この果てに待つ痛みに向かって突っ込んだ。
「絢辻さん、今、どんな気持ちですか? 裏切られた、その気持ちは?」
 目は口よりもモノをいう。そんな造語のように、微笑む彼女の目が「黙秘します」と甘い声で答えたかのように沈黙が続く。
 その空気に気づいた中間色。そこで追いかけるのを辞めれば楽になれた。きっと、犯してしまった罪だって、何れ忘れていくのだから、償いなんてしなくてもよかった。
 だけど、一歩も引くな、何も譲るな、徹底的に振り回して、圧倒的にぶっちぎれ、と。その色を輝かせるのは、色の奥にある第一本心、中間色のワガママな我がままだった。
 言葉で答えてもらえなかった質問を流し滑らせ、絶対的に貫くように加速し始めた。
「絢辻さん、失態を犯しましたね」
「さぁ、知りません」
「敵として認識して、排除する相手を……間違えてしまいましたね」
「なんのことでしょう?」
 まだ始まったばかりの償い。中間色の表情と声は、それまでが信じられないほど重く。一方の絢辻さんの表情と声は、変わらずに不自然なほどに甘かった。
 そのまま、二人は加速していく。
「絢辻さんも……正攻法で向き合えたら。今、抱えるものも、向かい合う相手も違ったのでしょう」
「……ハッキリと言ったら?」
 さきほどまで、偉い先生のようにかわしてきた絢辻さんの痺れもきれてきた。
 外、外、外、と攻め込んで、やっと隙ができた内側へ中間色は潜り込む。
「恨みたいなら恨めばいいわ。その曲がった『自分の根性』をね」
 今日の校舎裏。絢辻さんが橘さんに向かって放った言葉。それを中間色がこの裏路地で再現した。かなり低めの再現率で。
「たしか、こんな感じでしたね……。さすが、賢い絢辻さんです。よくわかっていますね」
 うんざりした表情で沈黙を守る彼女。
「自分の根性……橘さんの根性ではなく。絢辻さん自身の根性が曲がっていると。ちゃんと気づいている」
「はぁ……それでいいわ。もう償いは済んだ?」
「いいえ、何も償えていません。本当に美しく曲がった根性ですね。私から逃げ切る自信があるなんて」
 黙り込む。逃げ切れないと気づいたから、この裏路地に立っている。そんなことは、彼女もわかりきっている。ただ、わからないのは。いったい、この中間色がどんな償いを受けに来たのか、その正体だ。
 しかし、その正体はもう明らかになっていた。嫌いな鏡に映る姿のように。ただ、それを覗き込む何かが、この瞬間の彼女には足りなかった。それを加えるように中間色は加速し続ける。情け容赦なく慈悲深く無慈悲に。
「絢辻さんは自信が控えめなのに。変なところは自信過剰ですね」
「あたしには隠せないほどの自信があるの。それは悪いこと?」
「いいえ、それが本当にあるのなら。とてもステキなことです」
 中間色は穏やかに微笑んだが、それは永く続かなかった。直ぐ重さが戻り、続けた。
「それから、情報操作……たしか、それが得意だったんですよね?」
「ええ、得意かもしれないわね」
「そうですか……。ですが、外には自分よりも、それが得意な人が山のようにいます」
「その一人があなただと?」
「いいえ、私は苦手です。なぜなら、操作する必要がないからです」
 微笑むこともなく、そのまま中間色の我がままを貫いた。
「私、ワガママですから。我がままに歪められるんです。それに情報なんて……最初から誰かの我がままです。そんなものを操作するよりも、自分を貫いた方が速いじゃないですか?」
「あなた暴君ね」
「そうですね。ですから、冷酷冷徹のワガママ・クイーンなんです。いつも振り回してばかりです。ですが……それも仕方ありませんね。それが、私の我がままですから」
「はしたないわね」
「自分の事は棚に上げしてしまえ、ホトトギスですか? あっ、待ってください! どういう意味? なんて、わかりきったことを訊かないでください。察しのいい絢辻さんは気づいているはずです」
「悪趣味もここまできたら醜いわね、目障りよ」
「黒沢さんのようにですか?」
 そこには二つの意味が隠れていた。それが、ゆっくりと姿をあらわす。
「今の絢辻さんには、私が黒沢さんにとっての絢辻さんのように見えて。そして、黒沢さんと同じように目障りなものを何とかできないか。その機会を探している。絢辻さんと私、似ていますね、同じ悪趣味です」
 そう答えた中間色も機会を探していた。償いを受ける、その機会を。
「同じ同じって……勝手にあなたとあたしを一緒にしないでくれる?」
 もう隠せない、目には見えない怒りが彼女の声に宿っていた。
 そんな声よりも、彼女が言った言葉に、中間色は幽かな悲しさを表にあらわした。しかし、その悲しみの色は、一瞬で確かな安堵に変わった。絢辻さんにホンモノの怒りを感じさせる、それが今の中間色の目的だったから。
「改めて、当たり前なことを言われると、ほんの少し辛いですね……。ですが、それも仕方ありません。ただ、やっぱり絢辻さんも悪趣味です。私とは違っても」
 引き下がるどころか、さらに迫ってくる厚かましさ。
 裏表のない素敵な絢辻さんも限界の赤い領域。怒りのメーターが振り切れそうだった。
 それに気づいていたのか、中間色はシフトチェンジした。
「橘さんの辛いクリスマスの過去……」
 そう呟いた中間色に彼女は呆れ返っていた。
 ただ、やっと、中間色の言い分。その意味も理解した。なぜ、悪趣味なのかを。
 圧が落ちて、彼女の怒りのメーターの針も少し戻る。
「隠す事はない、そう言われたら気になってしまいますよね」
「ええ、橘君が悪いのよ」
「ですが……心配の枠を越えた詮索は嫌われるわよ、でしたかな?」
 それは、どこかの可能性の上で、彼女が彼に言った台詞。
 当然、今の彼女に何の覚えもないのだろうけど。それでも、この台詞の奥の心境は彼女にも伝わっていた。
「いえ、この場合、支配の枠でしょうか? とにかく、悪趣味な詮索もほどほどに。仲良くなりたい相手なら、なお、さらに」
「あなたに言われる覚えはないわね。もちろん、説教される覚えもね」
「いいえ、これは説教ではありません。教え説いて、信じてもらうから説教なんです。最初から信じてもらえない私では、ただの一方的な独り言です」
 そう都合よく、我がままに歪められると面倒臭い。そんな走り方は誰かにも似ていた。……それも驚くほどに。
「絢辻さんの仰るとおり。私がどうこう言うことではありません」
「よかったわ、あなたにも幽かな常識はあったのね」
「いいえ、これくらい常識がない、ワガママな私でも気づきます」
 また、少しずつ圧力が加わり、彼女の怒りのメーターが上昇していく。
「そうです、償いを受けに来た私が、絢辻さんを責めるつもりなどありません。ただ、償いを受ける前に、訊きたいことがあります」
「……それなら、早くしてちょうだい」
「絢辻さん、本当に橘さんに酷い事をしたと。あの時、わかったんですか?」
「あなたに答える理由なんてないけど。常識として答えましょう。ええ、わかったわ。これで、満足かしら?」
「隠す事ではない、橘さんの辛いクリスマスの痛み。それがわかった絢辻さんは、そのトラウマを解消したいと、そう思った」
 今、彼女は五速。これ以上はない。再び怒りのメーターは限界に迫る。
 それでも、厚かましく我がままに加速し続ける中間色。
「それで……黒沢さんへの報復の武器に、橘さんを選んだんですね?」
 彼女の表情が無になった。ついにメーターは壊れた。
 言っている、その意味、その速度に追いつけない。
 怒りの五速ですら追いつけない、中間色の質問の速度に、感情を込めるのも忘れ、ただただ呟いた。
「えっ……」
「絢辻さん、赤毛のアンさんのように。今、ここで、想像してみてください。橘さんの痛みを知っていた自分がした、黒沢さんへの報復。そのやり方を」
 まじまじと彼女の瞳の奥を覗き込みながら、問う中間色の表は真顔。
 三分ほど、沈黙が続いた。
 本当は、三秒で気づいていたのだろう。中間色が緩やかに回りくどく訊ねた、意味に理由、そして過ちに。ただ、それを受け止めるには、ほんの少し時間が必要だった。
「とんでもない、新しいトラウマのプレゼントですね。まさか、辛いクリスマスを前に、今度は橘さんが誰かを傷つけてしまったなんて。ましてや、自分も知らずに無意識に。そんなことをして、絢辻さんと仲良くなれたとして。橘さんは嬉しいと思うでしょうか?」
 中間色は変わらずに真顔で重く問う。彼女は何も答えない。いや、答えられない。
 だけど、賢い彼女は気づいている、そう信じている愚かな中間色は続けた。
「もし、私ならとてもできません。誰かを敵として排除するのなら。汚すのは自分の手だけです。ましてや、辛い過去と傷の痛みを持っているとわかった、誰かは巻き込めません。お人好しでいい人な橘さんなら、なおさらです」
 黒沢さんへの報復後。自分が知らぬ間にさせられた事を知った彼は怒りもしなかった。
 だけど、いい気分とは程遠い心境に居たことは、彼に訊かなくても伝わってくるほどだった。それは、当たり前に然り、当然なこと。彼のあの性格なら。
 そして、おそらく、その性格が好きになった絢辻さん。
 自分だけに特別な誰かは、これまで過ぎ去るほどに出会ってきたのだろう。
 だけど、そんな誰かを信じられなかったから、誰かとは違う気がした彼に、自分の秘密を明かしてしまったのだろう。分け隔てない、お人好しのいい人、誰のもとにもやってくる、サンタクロース的な性格の彼なら……信じてみたかった。そして、仲良くなれる今を一緒に過ごしたかった。ただ……それだけだったはず。そう中間色は勝手に思っていた。
 しかし、彼女が選んだ選択は、そんな彼の性格を無視して葬るような汚い仕打ち。
 とても彼の辛い過去を詮索したこと。それを悪かったと反省して、彼の傷の痛みがわかったはずの人がすることには、思えなかった中間色はなお続いた。
「あの報復は、忘れていい事でしたか……。ですが、それを決めるのは絢辻さんではなく、橘さんです。そんなこと、幽かでも自信があれば、わかりきったことです」
 そう幽かでも自信があれば、彼が黒沢さんをどう想おうと許せた……。いや、気にならなかった。そう自信があれば。
「それに……もし、橘さんが綺麗に忘れてしまったら……もう、それは橘さんではなく。都合のいい、泥人形です」
 そんなこと、彼女もわかっているのだろう。
 簡単に忘れてくれる、手軽に曲げられる、損得だけを考えてくれる。そんな都合のいい彼ではないから。私を心配してくれて、あたしを受け止めてくれて、わたしにも気づいているのかもしれない。
 何も答えない彼女に。答えのわかりきった提案をする中間色。
「もし、よろしければ、スーパーマンかウルトラマン、あるいはマーシーさんをご紹介しましょうか?」
 そう訊ねながら、勝手に自分の答えを滑らせた。
「ですが、そんな人を求めているわけではありませんよね。絢辻さんが10年以上、待っている人は……きっと、違うはずです。おそらく、橘さんも。お二人は似ていますね」
 そう一人で勝手に納得する中間色。
 橘さんと絢辻さん、二人はかなり似ている。
 絢辻さんが押入れに隠した、わたし。それを鏡のように映し出す、橘さんが気になって、放って置けなくて、時々、ムカついて意地悪をしたくなる。
 そう一方的に信じている中間色は、黙ったままの彼女に近づくように、ゆっくりと確かに減速していく。そろそろ、強烈な償いのヘアピンが迫っていた。
「きっと、絢辻さんも黒沢さんも……そして、私も。どこかで選択を間違えましたね。ですから、同じ似た者同士です」
 さっきまでの重たい声が嘘のように。穏やかに優しく、包み込むような温かい声で言った中間色。
 その速度に、彼女も追いついた。
「……あなたは……どこで、間違えたの?」
 最もな疑問の色は透明に澄み切っていた。何もごまかせないほどに透き通った、この玄い冬の空のように。
「どこで……そうですね、水曜日でしょうか?」
 そう答えた中間色は、もう一度、改めて自分が犯した罪を告白し始めた。
「最初にも申しましたが。全ての元凶は私です。絢辻さんが犯してしまった失態も半分は私の罪です」
 最初とは全く違う表情で、中間色の告白を聴いた彼女は訊ねた。
「半分?」
「絢辻流は、排除しない、敵は作らない。私の不戦神話のAと似ている。そう風の噂で聞きました。……ただ、今の絢辻さんが、そういう考えなのか。私にはわかりませんが」
 彼女は黙っている。もしかしたら、この可能性の上の絢辻さんには、そんな流儀は欠片もないのかもしれない。わからないことは、わからないままに中間色は続けた。
「もし、絢辻流があるのでしたら半分です。黒沢さんへの報復だけは、私の罪ではありません。ただ……その先は私の過ちです」
「いったい、どういうことかしら?」
 ずっと、中間色に近づこうとはしなかった彼女が迫ってくる。確実に近づく距離を受け入れるように中間色は答えた。
「今の絢辻さんに伝わるように、絢辻さんが知らなかった裏側を明かします」
 嘘を操れない中間色は、ほんの少しの間をつくり、準備していた長い例え話を語り始める。
「絢辻さんが自分宛の偽の手紙を用意したように。私も橘さんに余計なことを伝えた……いえ、命令しました。具体的に言えば、私の友達が輝日東高の生徒で、梅原さんの友達でもある。そんな人脈を活かして、橘さんにこう助言しました。絢辻さんは、橘さんのことを対黒沢さんようの秘密兵器としか思っていない、と」
 絢辻さんにも理解できるように、嘘に頼らず事実を伝えるには、ちょうどいい例え話だった。
「何が情報操作は苦手よ……」
「いいえ、苦手です。橘さんはこの程度では折れませんでした。私の思惑は失敗です。ですが、私はワガママなんです。ですから、作戦を変えました」
「……どういうこと?」
「絢辻さん、橘さんが黒沢さんへ宛てた手紙。その中身を確認しましたか?」
 彼女は黙ったまま。その答えは、今は、わからなかった。
 そのまま、わからないままワナをしかけるように続けた。
「アレはですね……黒沢さんへの謝罪の手紙だったんです。それを書いて欲しいとお願いしたんです。そしたら、それならわかったと。快く書いてくれました」
「見え透いた嘘ね」
 そう答えるのは当然だった。
 橘さんは黒沢さんの前で、「僕と付き合ってくれないか!」そうハッキリと言った。絢辻さんもそれを確認した後に報復をした。中間色の言い分が、見え透いた嘘に見えるのが一般的だ。しかし、中間色はワガママ・クイーン。冷酷冷徹だ。
「やっぱり、確認はしなかったんですね……」
 そうため息をつき、強く安堵した表情で少し間を置いてから続けた。
「私は、中学時代の黒沢さんの友達という便利な設定を演じながら、橘さんに謝罪の形を指定しました。それは、火曜日の黒沢さんの傷を癒すために、最後の想い出を作って欲しいと。つまり、デートをしてくださいと。それが、橘さんにできる謝罪の形だと言いました。その後は、友達の私が黒沢さんにその恋は諦めるように説得する。そんな約束だったんです。かなり強引に無理に、私のワガママを貫きました」
「そんなのデタラメよ」
「それなら、あの手紙には何と書いてありました? 私なら一字一句、正確に答えられます。なぜなら、その文章を決めたのは、私のワガママですから」
 満足げに言い切った中間色。黙り込む彼女。その両手は静かに拳を作り震えていた。
 そんな彼女の奥から湧き上がる、炎の熱を正面から感じている中間色もキレていた。
 嘘を操れない中間色は、嘘は使わず我がままを貫いて、キレた走りを見せた。
 おそらく、お互い知らないのだ。橘さんのラブレターから手紙に変わった、その文面を。唯一、明らかなのは、彼が言った「僕と付き合ってくれないか!」という言葉だけ。
 もちろん、絢辻さんのことはわからない。もしかしたら、下品に低俗に悪趣味な出来心で、中身を確認したのかもしれない。
 ただ、秘密の文面を知っていても無駄だった。要約すれば、「明日、校舎裏で待っています」という文面か。一歩、踏み込んだ「僕、黒沢さんが好きです。付き合って欲しい」という文面。その程度の文面では、橘さんの心情心境の奥までは読みきれない。
 なにより、それを書いた裏側にあったのが。橘さんの本心ではなく、中間色の思惑だったのだから読みようがない。
 絢辻さんは、排除すべき敵を見誤った。中間色が明かしたとおりに。
「ただ、この結末は……私の想像予想の外でした」
 真面目に申し訳なそうに言った、中間色。
 その心情表情には嘘などないから……かなりムカつく色だった。
「ですが、いいことを知りました」
 その中間色の言い回しは、今日の校舎裏の会話に似ていた。
「人はね、信用するから裏切られるの。最初から誰も信用しなければ、裏切られる事なんてないのよ、でしたね」
 それは、絢辻さんが橘さんに明かしたいいこと。
「それから……その証拠に、あたしは自分以外を信用しない、と」
 そう言った後の中間色は、今日一番の微笑みで憎たらしく訊ねた。
「もう一度訊きます……。絢辻さん、どんな気持ちですか? 信用していた、自分自身に裏切られた、今の気持ちは?」
 恐ろしく怖いほどに、先が見えない静寂と沈黙が混ざった間が続いていた。
 ダメだ。それより先へは踏み込んではならない。
 しかし、一度突っ込んだ、中間色は止まれない。
 もう、後戻りはできない、一つしかない結末のラインに乗せるしかない。
「けっきょく、この差が運命の分かれ道。もし、本当に自信があるのなら。自分を信じることができたのなら……自分が信じると決めた、誰かだって信じることができます。ですが、自分を信じることができなければ……裏切りという幻想、その幻を見てしまいます」
 軽口のような戯言を叩き続ける中間色は、歯止めなく加速し続けた。
「正攻法で向き合えない、自信のなさで。自分が裏切られたと勘違いして。仲良くダブルクラッシュなんて……どこの走り屋さんですか? ですが……残念でしたね」
 そこにいるはずの絢辻さんの気配。それが感じられないほどの速さで、何が残念なのかを明かした。
「嘘が作り上げた、この真実の上。橘さんの何かは、板金めちゃ速コースで、今は揺るがない鋼鉄仕様です。……あれ? 絢辻さんは、まだ壊れたままでしたか? 自分しか信じない、絢辻流すら貫けないなんて、不器――」
 全てを言い切る前に、償いを撃ち抜く音が響いた。
 静寂と沈黙と薄暗さの中から、見えない速度で中間色の頬を引っ叩いた、その正体は。可愛らしい手袋から抜かれた、絢辻さんの美しく綺麗で繊細な平手。まるで、絢辻さんが押入れにしまった第一本心のような脆さがある、そんな手だった。
 電光のような居合いの一撃を受けた、中間色は穏やかに微笑んだ。
 無事、壁や底と同化することなく。嘘が作り上げた真実の上、償いのヘアピンを抜け出す、唯一無二の結末のラインに乗せた中間色は加速する。憎たらしいほどに。
「それだけで……いいのですか?」
 微笑む中間色とは対照的に、絢辻さんは涙など見せることもなく、変わらずに無を貫いたまま続けた。一つ、二つ、三つ。その後も続く償いは、中間色の頬を確実に捉え続けた。
 それを防いだり逃げたりすることなく。一方的に真っ直ぐ正面から、その償いを受け続ける中間色。
 路地裏に響く、償いの音。それは徐々に鈍い音に変わった。
 その頃には、無表情なままの絢辻さんも肩で息をしていた。
 そして、最後に頬を撃ち抜いた手を、静かに手袋に納めた。
 その様子を見届けた、中間色はぎこちない微笑みで言った。
「さて……次は、私の番ですね」
 反撃宣言に絢辻さんは、得意の体術で迎撃しようとしたが、遅かった。既に、もう彼女は、柔らかい温度の中。ワガママに抱きしめられ包み込まれていた。
 引き離そうとしても、全く力が入らなかった。
 そのまま、中間色の反撃を静かに受け止めた。
「絢辻さん、本当にごめんなさい」
 耳元でささやく、穏やかな声を確かに聴いた。中間色のワガママな声を。
 そして、その温度はゆっくりと離れて、目の前に姿が現れた。片方の頬がリンゴになった、その姿が。
「許してもらおうなんて思いません。まだ足りないのでしたら、明日、この続きを受けに来ます」
 少し間を置いた中間色は、頬のリンゴを持ち上げるように微笑み告げた、誰が主犯なのかを。
「全ての元凶は私なんです。私以外、誰も悪くありません。橘さんも絢辻さんも……ですから、この真実も終わりです。嘘は永く続きませんから」
 彼女は返す言葉が見つからなかった。
 言葉にならない想いは全て、償いに変えてぶつけてしまったから。
 今、言いたいことなど何も残っていなかった。
 あらわしたい心情の表情もなかった。
 だから、ずっと透明なまま。
「それでは、寒いので私はこれで失礼します。……絢辻さん、本当にごめんなさい」
 そう深々と頭を下げた中間色。その姿は、まるでデジャヴのように、なつかしい映画のように、全てが止まってしまう。情け容赦など微塵の欠片もない『ハスキー(欲望という名の戦車)』のようだった。
 下げた頭を戻した瞬間。くるっと振り返った中間色は、彼女に背を向け表通りへ。そのまま、ワガママな理由と速度で、受け取った償いの痛みと共に消えていった。
 しばらく、消えていった、その姿。もう今は、目には見えない残像を立ち止まったまま、黙って眺めるしかできなかった彼女。
 中間色が与えた怒り。それに激しく燃えた、感情的な炎も穏やかになり。やっと、動き始めた彼女の時間。いったい、どれほどの時間が盗まれたのか。最初にそれを確認した。
 現在、18時36分。中間色に盗まれた時間は18分……あり得ない。そう彼女は思った。
 もっと永い時間を盗まれた気がしたが、信じられない夢のような事実。それが夢ではないと教える、痛みが彼女の手の中にあった。それは、中間色に与えた償いの痛み。
 人を正面から引っ叩いた、その痛みが確かに残っていた。
 残ったものがあれば、消えたものもあった。氷のように冷たい嘘。それが作り上げたはずの真実。なぜか、それを信じられなくなった、今、この瞬間の上では。
 もう、そんなことはどうでもいいのだ。全ては、あのワガママな中間色の過ち。それもトタン屋根の上。感情的な炎の熱が溶かしてしまった。まるで、『1000のバイオリン』だ。
 痛いほどに冷たい冬の寒さの中。賢い絢辻さんの深淵の何かが緩んだ。これから、自分が何をすればいいのか。それがハッキリとした。
 寒いのだから寒いって言うように、受け入れて言いたいことを言えばいいんだと。
 実に簡単だけど、今までは、ほんの少し難しく感じた。
 だけど、それが言える、どこかの明日へ向かって。裏路地から表通りへ一歩踏み出した。


 金曜日の橘さん

 
 
 金曜日、橘さんは黒沢さんに謝った。午前中のうちに。
 本当は、謝ることなんてないのに。自分が犯した過ちが気に入らない、ワガママ・クイーンのために……なんて嫌々に不本意な謝り方ではなく。かなり素直に正直に謝った。
 中間色と出会ってしまった昨日。その色と別れた後、時間と共に考えてみたら、彼は気づいてしまった。自分だけが傷ついたと思っていたけど。それは、黒沢さんも同じということに。火曜日には絢辻さんに徹底的に打ちのめされ。木曜日はとんでもないことに巻き込んでしまった。ここ最近の黒沢さんは災難続きだった。
 それに気づいた彼は、中間色に頼まれたから、そんな理由は忘れていた。
 そして、覚悟もした。かなりキツイ反撃がくると。
 だけど、呆気なく終わってしまった。まるで、昨日作られた真実が嘘だったかのように。
「もういいわ。お互い、いろいろ大変ね」
 そう彼に返した黒沢さんは、何かを見透かしたような余裕と共に立ち去った。
 それから、放課後までこれまでどおりに過ごした。それは、この一ヶ月よりも遥か前のこれまでどおり。だけど、今では何かがもの足りない、これまでどおり。
 絢辻さんが遠くに感じる。昔はそれでも気にならなかったはずなのに。今では気になって仕方がない。
 いったい、どれほど離されたのか、全くわからないけど……。
 もう一度、近づきたい。意地でも追いつきたい。絶対、つかまえる。
 そんな走り屋的な自分のワガママに気づいた頃には、彼は放課後の校門を抜け出していた。
「Hey! R'N'Rヒーロー!」
 昨日とは全く違う表情の彼を呼び止めた。その声も昨日とは少し違った。着崩した制服のように、かなり馴れ馴れしく、正面から距離を縮めてきた声の主は中間色。
 彼を待っていた色が操る英語は、本日も怪しげで、妙にネクタイが似合っていた。
「今日も走りましょう! めちゃ速に」
「今日は追いつくよ」
 中間色の申し出を受けた彼。その表情を覗き込んだ色は挑戦状の内容を明かした。
「それでは、今日は同時スタートで」
「えっ、そんな……」
「もう、橘さんは初心者ではありませんからね。講習は終わりです。それに……」
 しばらく、彼の表情心情を覗く中間色は、今日の違いを語り始めた。
「今日の橘さん、昨日とは全く違いますから。100メートルも譲れません」
「そ、そうかな?」
「そうですよ。同時スタートでないと。あっという間に昨日です。忘れてしまう、昨日です」
 笑う中間色、それに続いて笑う彼。
 もう時間差がない彼にはハンデなんて必要ない。それほど、今日の彼は速かった。
「さて、それでは、私をゲームセンターへ連れてってください、橘さん」
「わかったよ」
 歩き始めた二人。中間色は昨日のお願いのことを訊ねもしなかった。彼はそのことが少し気になったが。まず、昨日の続きをしたかった。
 昨日よりも速く。もっと攻めて。少しでも近づけるように。
 そうすれば、何かが変わる。彼はそんな勇ましい気持ちに、幽かに気づいていた。
 
 
 昨日と同じゲームセンター。妙に新しい筐体に揃って座った二人。中間色はルールを確認した。
「昨日と同じ碓氷峠の左周りです」
 車を選び終えた彼は頷いた。
「それでは……走りましょう。今日の私にどこまでついてこれますかな?」
 そう言い、代金を投入した中間色。

 碓氷、左周り、昼、晴れ、BGM『Emotional Fire』。
 昨日と同じ条件。3、2、1……二台同時で飛び出した。
 立ち上がりは橘さんが先行した。
 それでも、ピッタリと彼の鏡に貼りつく、埼玉南東エリアのモノクロ暴走カプチーノ。
 最初のヘアピン。ほんの少しの内側の隙間から中間色が抜け出し、カプチーノの先行に変わった。しかし、彼も中間色の鏡に貼りついた。差を広げることなく。くらいついている。
「昨日とは全く違いますね。この時期のサンタクロースのそりよりもキレた走りです。やっぱり、私の勘は頼りになります」
 そう呟いた彼女はアクセルを緩めることなく、複合コーナーを攻めた。その後ろ、彼の車も貼りついて綺麗に抜け出した。
 お互い、昨日よりも加速して、とんでもない速度でめがね橋のヘアピンに来た。
 先行するカプチーノはアクセルを緩めてシフトチェンジで突っ込んだ。追う彼はブレーキを踏んで突っ込んだが、減速が少し足りなかった。抜け出す際に幽かに壁を擦った。ここで90メートルほど差ができた。
 最終二周目。一つ目のヘアピンを抜けた頃には、再び30メートルほどに迫っていた彼の車。それを振り回すように加速する中間色は、驚異の速度で二度目の複合コーナーに突っ込んだ。
 さすがの中間色もアクセルを緩めて抜けた。追う彼は一周目よりも攻めた走りを見せた。だが、攻め過ぎてしまった。再び壁を幽かに擦った。今、広がった差は100メートル。
 それだけの差があるのだから。先行のカプチーノは、めがね橋を前に少しアクセルを緩めて減速すればよかった。だけど、そんなことはできない中間色は、今日もかなりマジだった。
 今まで、一度も辿り着いたことのない速度まで加速していく。
 後ろから徐々に近づく、彼の車がカプチーノの鏡に映り始めた。
 二度目のめがね橋のヘアピン。中間色はアクセルを緩め、二段階シフトチェンジで突っ込んだ。しかし、かなり速過ぎて減速が追いつかなかった。一周目の彼のデジャヴのように壁を擦った。
 立ち上がりの加速が全く伸びない、カプチーノ。
 その後ろ、彼は一周目よりも早くブレーキを踏んで、綺麗に対応して抜け出した。
 どんどん迫ってくる彼の車。60、50、40……やっと、中間色の加速が伸び始めたが間に合わない。30、20、10……。そして、そのまま終わった。
 10メートル。中間色の10メートル先行で終わった今日の走り。

「もう一回! もう一回走ろうよ!」
 そう要求する彼は悔しさよりも、何かの証が欲しかったのだろう。昨日よりも速かった、その手応え。それを確かな形に変えたかった。
「いいえ、今日はこれでお終いです」
「一戦だけの勝ち逃げなんて、ずるいぞー!」
 そんな彼の返しを聞いた中間色は笑った。
 そのまま、何かを確かめるように訊ねた。
「橘さん……私を抜き去って、どうするおつもりですか?」
「どうするって……言われてもな」
 少し考え込む彼に、液晶に映るタイムを示す色は中間色。
「橘さん、画面に映るタイムを見てください。私、今までこんなタイムで走ったことありません」
 彼もその数字を確認したが。それが、どれほど速いのか。このゲームをよく知らない彼にはわからない。ただ、中間色の言い分が全てだった。
「めちゃ速で後ろから追いかけてくる。そんな橘さんがいたから出せたタイムです。一人で走っていたら出せません」
 少し不満げな彼。その心情も当然だった。
 勝ち負けの結果よりも、まだまだ走っていたかった。めちゃ速な速度で。そうすれば、何かにも追いつけそうな気がしたから。
「橘さん、これは二人で作ったタイムです。1秒か2秒遅くても、こんなタイムを出せる人はそんなにいません。かなり凄いことですよ。勝ち負けよりも」
 そして、ほんの少し遠いどこかの今を眺めるように中間色は呟いた。
「まるで、ゲームセンスの塊ですね。橘さんは一国で納まる器ではありません。もっと大きくなります。世界レベルまで」
 そんな見えない先の今を覗いた中間色。その色は、彼が勝ち負けではなく、違う何かを求めていたことに気づいていた。
 だから、ここでお終いという結末を選んだ。
「ですから、私とは違う誰かにだって。きっと、追いつけますよ」
 その一言に彼は驚いた。まるで見透かされたような言い分に。
「自分を信じる、そんな自信を貫いてみませんか? たぶん、めちゃ速ですよ」
「……できるかな? 僕に」
 真面目に心配する彼を見て、ワガママな色は不謹慎に笑った。
「……笑うことかな?」
「あっ、いえいえ、すみません! ただ、やっぱり……」
「やっぱり?」
「ほんの少し不可思議で……」
 まだ笑い続けている中間色に、ほんの少し気を悪くした彼。
 その差を埋めるように中間色は加速する。
「今日、これだけマジにキレた走りをしたのに。不安なんですね」
「不安だよ、当然じゃないか」
「そうですね。それなら、安心です」
「……安心?」
「はい、そんな橘さんなら安心です」
 全く意味がわからない、ワンダーランドは今日も変わらずだった。
 そして、唐突に要求した。
「何を言っても、今日の走りはこれでお終いです。場所を変えましょう、昨日の公園に」
 座席から立ち上がり、彼に手を差し出す中間色。
 その手を払うわけにもいかない、紳士な彼は優しく手を掴んだ。
「今日も私からお願いがあるんです」
「えっ、今日も!?」
「今日もです。私の償いが済むまで、ピッタリと貼りついたままです」
 中間色が憑きまとうことは諦めていた。それも昨日のうちに。そんな橘さんはかなり賢い。絢辻さんとは違っても、同じように二人賢い。
「さて、公園まで道案内をお願いします!」
「わかったよ、行こうか」
 座席から彼を引っ張りあげた中間色の手。
 役目を終えたその手は、彼の手から静かに離れ。そのまま、二人はゲームセンターから姿を消した。
 
 
 辿り着いた、公園。
 目には見えない、片道切符の行き先は昨日とは違った。
 正門からゲームセンター、本日の終点は公園。
 そこで、中間色はワガママなお願いを突きつけた。昨日と同じように。
「橘さん、明日の創設祭に参加してください」
「えっ……」
 正直に言えば、参加したくなかった。気まず過ぎたから。
 昨日と同じように、手伝えることがあるか。それを絢辻さんに訊ねた彼は、昨日と同じ結末の上にいた。ただ、昨日とは違ったものもあった。それは、近寄りがたい、彼女の見えない怒りだった。
「そして、絢辻さんに今の想いをぶつけてください」
「そ、そんなこと!」
「あっ、そうでした。謝ってはなりませんよ? 謝る理由なんてないのですから」
「いやいや、無理だよ!」
「恐くて怖いからですか?」
「怖いよ。もう傷つきたくない」
「そうですよね。壁か谷底に同化したガムにはなりたくないですよね。ですが……このままで、いいのでしょうか?」
 彼の沈黙。それが答えだった。
 いいか、悪いか。その二つで答えたら、いいはずがない。
 今、この瞬間はもの足りない。中間色に振り回されている時は少し気も紛れるが。それも永くは続かないこと。そんなことは、彼もわかりきっていた。
「たぶん、恐いのは絢辻さんも同じはずです」
「絢辻さんが?」
「橘さん、なぜ絢辻さんは、木曜日の真実を嘘で作り上げたと思います?」
「なぜって……」
 しばらく、考え込む彼。
 昨日と同じ三分ほど待って、中間色は自分の考えを語り始めた。
「私の想像ですが……。おそらく、橘さんを取られてしまうのが、嫌だったのでしょうね」
「僕を取られるのが?」
「そうです。絢辻さんとはデートをしただけで、正式に付き合っているわけでもない。ただのいい関係ですから。黒沢さんへの想いに応えても、何も悪いことではありません」
 そう改めて言われると、かえって悪い気がしてくる。不思議な罪悪感を彼は感じていた。
「悪いはずがありません。橘さんが誰を好きになっても、誰を選んでも。そんなことは絢辻さんだって、わかっていたはずです」
「いや、違うんだ……僕が悪いよ」
「いいえ、橘さんは悪くありません」
「悪いよ、僕が」
「それなら……いったい、何が罪だったのですか?」
 また三分ほど時間が過ぎた。
 中間色が訊ねた罪。それは、わからなくて当然な罪状だった。
 彼が犯した罪などない。中間色が言うように彼は悪くない。
「裏側は明かせませんが。悪いのは私です。全ての元凶はこの私です」
 言っている、その意味など、今の彼には、わからなかっただろうが。それでも、この色に出会った短い時間で、信じられないことでも嘘とは限りない。そう学んだ彼は、それを黙って静かに受け止めた。
 しかし、特別、どうにかしようとも思えなかった。
「橘さん、本当にごめんなさい」
 中間色はそのまま頭を深く下げた。昨日よりも深く。
「あっ、そんな……なんかよくわからないけど、もういいから」
 彼はそう言いながら中間色の肩に触れた。
 そして、垂れた頭を上げるように優しく力を加えた。それに気づいた中間色は抗うことなく、ゆっくりと表を上げて自分の心情を訴えた。
「いいえ、よくありません。このままでは」
 その表情はかなりマジだった。
「橘さんも絢辻さんも、このままでは全く。何より、この私が一番、よくありません!」
「そ、そうなの?」
 ハッキリと言い切った中間色の勢いに押された彼は、合わせるしかなかった。
「寝つきも悪く、目覚めも悪いです。ですが、それよりも、この私の罪もいつか忘れてしまうこと。それが、一番問題なんです。ですから……私のワガママの為に――」
「僕の力が必要なの?」
「そうなんです! さすが、橘さんです! 名探偵も驚きの推理です。是非、この私に橘さんのお力を貸してください! 何も返せませんが」
「別に返さなくてもいいけど……絢辻さんに今の想いを、か。よくわからないよ」
 よくわからない。それは、素直で正直な答えだった。
 本当はこうなって欲しい、そんなゲンソウ。それを無理だと塗り潰す、ゲンジツの中で彼も彼女も生きていた。
 だけど、目の前の中間色は全く違う世界。ワンダーランドから抜け出してきた、ワガママなヤツ。めちゃ速であっという間の最速神話。
「よくわかりませんよね。それが、隙だらけな好きという気持ちかもしれません」
「隙だらけなの?」
「驚くほどに隙だらけです。あの絢辻さんですら、上手くあらわせないのですから」
 そのまま、中間色は彼の瞳の奥の方を覗き込みながら言った。
「橘さんは悪くありません。ですが、それでも悪いと感じてしまう、その心情は……やっぱり、絢辻さんが好きなのでしょう」
 少し沈黙の後、認めるように彼は静かに呟いた。
「そうだね、きっと、好きだったのかも……」
「いいえ、今も好きなのでしょう。過去形ではなく」
 少し困った表情に染まった彼に中間色は訊ねた。
「見返りがないと、好きではいられませんか?」
 それは意外な盲点だった。
 ずっと、この一ヶ月の彼女との思い出と比較して、現状に落胆していた。
 だけど、彼女がどう思うと、好きなものは好きで。変わらずに貫いてもいいのかもしれない。そう賢い彼は気づいてしまった。
「そうか、僕は絢辻さんが好きなんだ、今も」
「ですから、自分が悪かったと、思い続けてしまうのかもしれません」
 そのまま、自分の影を追うように中間色は続けた。
「ですが、橘さんは悪くありません」
「そう……かな?」
「誰を選んでも悪くありません。好きな人に気づけなくても。それは悪くありません」
 全ての元凶だという中間色。その色に全てを押し付けて、開き直れたら簡単だったが。今の彼には、それができなかった。その性格こそが、めちゃ速な彼の第一本心、ワガママだった。どんなに引き離されても追いつけるほどの速度。
 それを解放できる理由を明かし始めた中間色。
「悪くないのに、こうなってしまった理由。きっと、おそらく、たぶん、絢辻さんも橘さんが好きなのでしょう。同じように」
「えっ、絢辻さんが僕を!?」
「えっと……断言はできません。あまり参考にもしないでください」
 少し困った表情で返した中間色は言い分を濁し続けた。
「ただ……もし、なんとも思っていないのなら。祝福の一言で終わりじゃないですか?」
「祝福の一言ね……」
「お幸せに。そう言えなかった理由。取られたくないほど好きだったから。嘘で作った真実のカウンターを放ってしまった。そんな気がします」
 その言い分に大切な忘れ物を付け加えた。
「ですが、私は絢辻さんではありません。是非、その本心は絢辻さんに訊ねてみてくださいな」
「そ、そんなことできないよ」
「そうですね。特別しなくてもいいことですね」
 中間色は微笑み、そのまま続けた。
「絢辻さんは控えめで謙虚で不器用ですよね。そうは思いませんか? 橘さん」
「そうかな? 不器用とは思えないけど」
「あの日の屋上で、私だけを見て、そうワガママに言えたらよかったのに。橘さんを試すようなことを言ってしまう。そこが隙だらけなんですよ」
「隙なのかな?」
「隙ですよ。私だったら、とても言えません。私だけを見て。そう涙と鼻水を垂らしながら懇願するでしょうね。土下座もして」
「あっ、正直、僕もそんなことをするかも……たぶん、土下座はしないけど」
「ですよね! それでダメだったら、涙と鼻水と共に忘れることもできますが。変なことを言って、その隙間から零れ落ちたら、悔やんでも悔やみきれません」
「そうかもしれないね」
 しばらく、二人揃って遠くの静寂を眺めていた。
 静寂の余韻の影から再び加速したのは中間色。
「何かを好きになると、隙だらけになってしまいます。ですから、普段なら気づけることも気づけなくなる……例えば、その炎です」
「どの炎?」
「この現状に満足できない、その炎。橘さんの第一本心です」
 自分が悪いと言い聞かせ。説得納得したつもりだったけど。
 やっぱり、このままでは嫌だった。
「Here is a wonderlandです。橘さん、一緒に走った時に流れていた曲。『Emotional Fire』というのですが。気づきましたか?」
「あの、GOっていうやつ?」
「そうです、GOっていうやつです! まさにアレです」
 そう言って英語が苦手な中間色は、親切で賢い誰かが和訳してくれた歌詞を明かした。

 あなたへの想いを隠せない
 あなたへの情熱が冷めないの
 必死で忘れようとしてるの
 もう夢から出て行って

 あなたへの愛が止められない
 あなたへの熱い気持ちが消えないの
 いくら必要としても、あなたは手に入らない
 もう夢から出て行って

 でもやっぱり あなたのことを考えてばかり
 わかってる すぐそばにあなたが必要なの
 あなたがいないと生きていけない
 今夜戻ってきて

 中間色は、彼と走るのに『Emotional Fire』を選んだ理由を語り始めた。
「まるで、今の橘さんと絢辻さんのようですね。どちらが忘れようとしていて、どちらが求めているのか。それは私にはわかりませんが。凄く、お二人にそっくりです」
「そ、そうかな……でもやっぱり、そうかも。僕は絢辻さんのことを考えてばかり。この二日で、これまで以上に考えていた」
「それなら……もう、気づきましたか?」
「わかったよ、僕には絢辻さんが必要なんだ」
「それに気づいてしまったら、大丈夫です」
 安らぐように微笑む中間色。しばし穏やかな沈黙が流れ、その流れに乗るようにワガママな提案をした中間色。
「安心したらお腹が空いた気がします。橘さん、今日はお土産があるんです。召しあがっていただけませんか?」
「えっ、いいの?」
「もちろんです。ココまで振り回してしまったのですから。これくらいは」
 辺りを見回し何かを探す中間色。
 その探しモノは直ぐに見つかり、ゴキゲンにそれを指名した。
「あのベンチがいいです。あそこで少し休憩しましょう」
 そういいベンチに向かって歩き始めた中間色。その後ろを追う彼。二人揃って静かに座り、中間色は鞄を探り、袋に入ったパックを取り出した。
「私がお世話になっている地元の団子屋さんのお団子です。あの家康さんも鷹狩りの前に食べたかも知れないとか、食べなかったかもしれないとか……。とにかく、食べればご利益があるはずです!」
「不思議なご利益だね……それじゃ、いただきます」
 彼は本格的な団子を食べた。その様子を満足そうにうかがう中間色。その気持ちに応えるように、彼は素直に感想を述べた。
「ありがとう、美味しかったよ」
「きっと、次に食べる時は、もっと美味しいはずですよ」
「えっ、次もあるの?」
「たぶん、おそらく、きっとあるはずです。その時、隣にいる誰かが、同じ味をもっと美味しくしてくれます。今よりも、もっと」
「そうだといいんだけど……」
 中間色に見えたラインの先の機会。
 それが、どこか信じられないほど遠くに感じた彼の心情。
 それをあらわした声を振り回すように、中間色は全く関係のない話を始める、その許可証を彼に求めた。
「あの、全く関係ないのですが。少し、私の話をしてもよろしいでしょうか?」
 そう訊ねられ、ダメだと答える理由が見つからなかった彼は頷いた。
「ありがとうございます! 橘さんと遊んだ、あのレースゲーム。碓氷峠には青い衝撃に乗った二人の天使がいるんです。もう、それはそれはめちゃ速で。ちっとも近づけませんでした」
「えっ、テツガクさんでも近づけなかったの?」
「そうですよ。埼玉南東エリアのモノクロ暴走カプチーノの名は伊達ではありません。壁とガードレールを擦ってばかりのミニ四駆走りで、板金億円コースでした」
「意外だな……あんなに速かったのに」
「私も意外です。まさか、ココまで走れるようになるなんて。とても昔は信じられませんでした。ですが……二人の天使と並べる、そんな今がココにありました」
「たくさん練習したんだね」
「そうですね、いっぱい遊びました。ですが、遊んだ回数は、あまり重要ではないと思うんです」
「そうなのかな?」
「今の私は、そう思います。私が二人の天使と並んでみたい。そう思えたから、叶ってしまった、掟破りのワガママ走りは『小柏文法』。つまりですね、鯛が大切なんです。並び鯛、会い鯛、話し鯛……新しく、始めたい。トランクがなくても『浪漫飛行』です!」
「たいがね……でも、たいだけでいいのかな?」
「逆に他に何が必要だと思います? 努力でしょうか? ですが、努力しようにも。鯛のお頭がないと何をすればいいのか。それさえもわかりません。腐っても鯛です。お頭つきでないと、愛でるにも芽がでません」
 そう愉快に語る中間色の言い分は、独特奇抜で意味不明の怪快台詞。
 しかし、なんとなく掴めそうな距離にも感じられる。そんな不思議なワガママを加速させながら振り回し続けた。
「腐っていく鯛に不安はつきものです。不安を感じる時、その隣には鯛が隠れている。それならば、きっと、橘さんの隣にも立派な鯛が隠れていたから。大きな不安を感じてしまうのでしょう」
 そう嬉しそうに微笑みながら説いた言い分。
 それは、本日のゲームセンターで不安を感じる彼に、安心した中間色の残光残像だった。
 かなり遅れてやってきた、この瞬間。あまりにも中間色がめちゃ速だったから、安心した理由が明らかになるまでに、ココまで過ぎ去ってしまった。
「そう、なのかな?」
 幽かに疑うように返した彼だが。それは甘噛み程度の小さな反抗。条件反射で逆にハンドルを切ろうとする防衛反応。
 しかし、好奇心ドリフトの名手は彼の目の奥。その深淵を覗き込みながら、変わらず嬉しそうに迷うことなく、その続きを滑らせ始めた。
「見えない先のラインを想像すると、不安で心配で仕方ありません。それは、余裕なんてないほどにマジだから。マジになれるって、とてもステキですよ」
 ステキなこと。そんなことは、彼もわかりきっている。
 だけど、やっぱり恐くて怖い。そんな彼の心情にも気づいている、中間色はまだまだ滑らせ続ける。
「不安な時、スピンするほど思い切り不安になれば、イヤでも前を向きます。最大の泣き所の中途半端も振り切れます。それに、振り切ってからの加速は、他のどんな選択肢よりも速いんです、『中里文法』」
 全く意味のわからない忍法のような文法を操る中間色は抜け忍。どんなヘアピンでも滑らせ抜けていく。そんな色の滑り方に彼は笑った。
「なんか、よくわからないけど。そうなのかもしれないね」
「さすが、橘さんです。そうなんです、よくわからないことが重要なんです!」
 そのまま、二人して意味不明な空気を笑っていた。
 その穏やかな雰囲気の今。唐突に突然にあらわれた、本日一番に厳しいヘアピンへ、彼を振り回す中間色は突っ込んだ。
「橘さん、人生は一度きりとは限りませんが。再び絢辻さんと出逢えるとも限りません」
 一般的な考え方とは全く対照的なワガママ走り。
 しかし、笑い棄てるには妙義山ほどの重さがあると感じてしまった、彼は賢い。
 中間色の言い分を全て信じるのではなく、忘れていた部分だけをシッカリと刻んだ。例え、何度人生があったとしても。今と同じように、絢辻さんと出逢える、その保証はないという当たり前の事実を。
 それらならば……何を待つ必要がある?
 その答えを彼は答え始めた。短めの沈黙の後に余韻のラインを描きながら。
「あの、僕も関係のない話をしてもいいかな?」
「どうぞ、どうぞ。私は橘さんの話を聞きたいんです。是非、聞かせてください。どんな話なのかを」
「話というか、報告なんだ。謝ったよ、黒沢さんに」
 そんなこと、最初から知っていたように微笑む中間色は嬉しそうに答えた。
「それなら、引き返すわけにはいきませんね。GOですよ、GO!」
「そうだね」
 まだ迷いを振り切れない、彼の声。不安を限度一杯に詰め込みながら、一歩踏み出した彼の今。その全てが愛おしく感じた中間色は続いた。
「不安全開に浪漫全快で行きましょう! 消したり、隠したりする必要などありません。不安を感じてしまうほど、マジな想い。そんな第一本心、我がままを踏み込めば、あっという間です。何もないから飛べる今は『浪漫飛行』」
 『浪漫飛行』があっという間だと語る中間色だって。本当は、いろいろ不安だったのかもしれない。だけど、不安なんて感じさせないほど、安心するように滑っていく色が説くと、意味不明な説得力が加速する。
 その速度は一つだけ、守れる確かな約束を残すように滑っていく。
「この先の結末。それが、いいモノだという保障は、私にはできません。ですが、もし……気に入らない結末に辿り着いてしまった時は――」
 いったい、どうしてくれるのか。
 純粋にその答えが気になった一途な彼は、中間色の瞳の奥に答えを求めた。
 その深淵から自慢げに飛び出した、約束はめちゃ速だった。
「橘さんがステキな人に出逢うまで。毎日、ゲームセンターにお付き合いすることをお約束します。純粋に一途に、橘さんのように」
「えっ、本当に毎日?」
「毎日です。橘さんが疲れていても、私が絶好調でも毎日です」
「それは……なんとも」
「埼玉南東エリアの暴走カプチーノの隣を独占できる、この約束は悪い話ではないと思います」
「それって、誰にとって?」
 そう笑いながら訊ねた彼に、少し考えてから答えを返し始めた中間色。
「誰にとって……もしかしたら。いえ、もしかしなくても、私にとって嬉しい約束ですかね? つまり、私が嬉しいということは、橘さんも嬉しい、と」
 もう中間色のとんでもないワガママには、慣れたはずの彼だったが。さすがに、このワガママな約束には驚きを隠せなかった。
 隠せず勢いよく飛び出した、驚きのおかげで。彼の鍍金の迷いは剥がれていった。
「わかったよ、その時は二人で最速の走り屋を目指そう」
 意外にもそんな可能性だって悪くない。そんな感じに返した彼の深淵。
 不思議なほど力が抜けて、確かな不安を踏み込みながらも、穏やかに伸びる本心は、隠していた鯛をあらわしながら加速していく。力強い勢いの声を受け止めた中間色は残光残像を残そうと前に出た。
 そして、くるっと体を滑らせ彼の方を振り返った。
「目指しましょう。それでは、私はこれで。もう一つ用事がありまして……」
 もう一度、体を滑らせ、その先の明日の方角へ駆け出した、中間色。
 しかし、思ったほど速度が伸びない。加速するどころか立ち止まってしまった。
 そのまま、ゆっくりと振り返る。その表情は木曜日と同じ、隠せないほどの決まりの悪さで、蛇に足を足したトカゲのように舌を出して付け加えた。
「あっ、忘れてました! 私、土曜日は地元で用事があるので、明日は来れません」
「そうなの? 残念だな」
「私も残念です。ですが、それ以降は今のところ予定はないので。また日曜日にでも」
「日曜日?」
「日曜日です、なんとなく日曜日にも会える気がするんです。それでは」
 そう告げた色の表情は、この玄い冬の空と同じように透き通っていた。
 朱い夏とは対照的な鮮やかな夕暮れ。赤と青が混ざる、曖昧な空。そのどこかにあるらしい、若いメロン色の空へ消えていく『紙飛行機』のように、あっという間に見えなくなった。めちゃ速な速度は人生の下り最速神話。
 その神話の残像を黙って眺めていた彼。
 特別、会う約束なんてしていないのに。勝手に会える気がすると残していった、中間色の思惑。何れ、それを知ることになるのだろうから。特別、追いかけることなく。彼は土曜日に向かって踏み込んだ。
 もう今の彼には迷いなんてない。攻めて、攻めて、攻めまくる。過去を忘れて、だだ攻めだ。今の彼は上り最速のエース。
 忘れられない、気持ちが待っている、土曜日へ消えていった。


 金曜日の絢辻さん

 
 
 創設祭の前日。駅前に注文していたものを一人で取りに行った絢辻さん。
 違う選択肢の上では、その隣には橘さんが居て、クリスマスの雰囲気が漂う街の中を楽しく歩いていたのかもしれない、二人で。
 しかし、それもこれも、違う選択肢を選んでしまった中間色のおかげで綺麗に消えてしまった。
 そんなこと、誰がどう教え説いても、信じられないであろう彼女は、その原罪の色をこの帰り道に求めていた。
 知らない人から見れば、一般的な下校途中の女子高生。
 ただ、どこかに隠れた彼女の本心は、木曜日の帰り道、その隅々をそれとなく探していた。突然、呼び止められた道、衝突した狭い路地。そして、思い切り引っ叩いた、路地裏。そこを覗いても、見つからなかった色。ほんの少し、欠片の後悔を引きずりながら諦めようとした。
 そう、ココにはサンタクロースなんていないのだから。
 そう、決めた時に限って、その決心を裏切るように忌々しい声が呼ぶ。
「あ・や・つ・じ・さん」
 その声の方を振り返った、彼女の世界。路地裏の暗闇から、幽かな申し訳なさと共に姿を現したのは中間色。着崩した制服とネクタイは相変わらずだった。
「昨日の続き、します? まだ足りなければ、精一杯、受け止めます」
 そう言い、昨日償いを受けた頬を指し指で示す中間色。
 その色は、微笑み加速していく。変わらずワガママに。
「私は、それだけの大罪を犯してしまったんです。さあさあ、遠慮なさらず、正面からガツンとどうぞ」
 そんなことを馴れ馴れしく言う色に、彼女はため息をついた。
 その成分は、幽かな落胆と可愛げな怒りが十分の三ほどで。残りは隠せないほどの嬉しさ。いわゆる、嬉し過ぎて吐いてしまう、嬉しため息だった。
「いったい、あなたの中で、あたしはどんな存在なのよ」
 その返しにマジな表情で返す中間色は、彼女以上に嬉しそうだった。
「そりゃ、決まっています。裏表のない素敵な絢辻さんは、天下無敵の優しさを持った、穏やかお淑やかクイーンです」
 顔に少し驚いた情をにじませた彼女。
 その隙を隠すように、わかりやすく、鮮やかな裏表のある不機嫌さで塗りつぶし始めた。
「誰が、穏やかお淑やかクイーンですって?」
「ですから、絢辻さんが」
「へぇ……その穏やかで、お淑やかなあたしに引っ叩かせようとする、あなたは――」
「ただのワガママ娘、ワガママ・クイーンです」
 何の迷いもなく返す色。その滅茶苦茶な言い分にうんざりしながらも。確かに探していた、忘れものだと再認識した彼女の本心は安らぎに浸かる。
 そんな雰囲気を察したのか。中間色は自分の言い分に羽を生やした。
 どこまでも飛んでいけそうな見えない羽を。
「天下無敵の優しさがないと……引っ叩けませんよ」
 いったい、なぜ、優しいと引っ叩けるのか。その理由がわからない、彼女の見えない疑問符が飛ぶ。遠く遥か彼方まで。
 それを追いかけるように続く、不戦神話は四つ揃ったA、WAGAMAMA。
「だって、そうじゃないですか? 私みたいな得体の知れない存在。シカトしてしまえば、それで終わりです」
 そう、もっともなことを中間色が言えば、同じようにもっともなことを返す彼女。
 だから、彼女は天下無敵に優しい。
「あなたが追いかけてこなければ、そのまま帰っていたわよ」
「私が追いかけ回そうが、家に忍び込もうが、夢に出ようが。シカトする人はシカトします。徹底的に情け容赦なく、無慈悲に慈悲深く」
 ほんの少し、恐ろしいように聞こえる中間色の言い分は、怖いほどに一般的な当たり前。
 そう、どこまで貼り憑こうが、人が無意識に無関心を決め込む時、目の前で何が起ころうが全く気にならない。だから、どこまでも果てしなくシカトし続けられる。特別な悪気など必要もなく。
 そんなことは、彼女だって遠い遥か昔から気づいていて。特別、教え説かれなくても、わかりきった事実。それを知っていたから、橘さんのお人好しさが目について。放っておけない天下無敵の優しさがお世話を焼いていた。ほんの少しツンと尖ったお世話を。
「天下無敵……無敵ってステキですよね。誰の敵にもならない無敵ではなくて、誰も敵として認識しない。敵をつくらない、その歩き方は……不戦神話。いえ、私の不戦神話より天下無敵の方がステキです」
「そうかしら? あたしはあなたの止まらない言い分が羨ましいわ。そこまで、喋り倒せたら。いろいろ、スッキリするでしょうね」
「はっ、すみません! 愚かなFRの癖で、滑り倒してしまいました。今日は手短に伝えたいことを伝えたら帰ります。絢辻さん、あ――」
 そう中間色が手短な用件を言いかけたところで、それを防ぎ止めるように彼女は言い分をぶつけた。
「ちょっと待って!」
 その甘噛みのような小突きに驚く中間色。思惑のラインがぶれて、その隙間へ彼女の言い分が飛び込んだ。
「あなたには、手短な用件しかないかもしれないけど。あたしには、もう少し時間が必要なの。だから……付き合ってもらえるかしら?」
 そう抜き去るように、今、この瞬間の主導権を握り先行し始めた彼女。抜かれた中間色は驚きと嬉しさを混ぜて答えた。
「もちろん、喜んで! 実は私も……話したいことが空のようにあるんです!」
 路地裏から表通りへ飛び出した中間色。その前を歩く彼女。なんとも言えない距離感のまま、二人は17時45分から18時へ向かって進みだした。
 
 
 18時、公園に辿り着いた二人。彼女は腕時計の針を確認した。木曜日と同じ仕草でも、その理由心情は違っていた。特別、制限をかけるつもりなど金曜日の彼女にはなく。無制限、無差別級にこのワガママな色を振り回すつもりだった。情け容赦なく、徹底的に我がままに。
 しかし、どれくらい振り回せるか、それを確かめる前に彼女には伝えておきたい気持ちがあった。その気持ちを告白しようと加速し始めた、彼女の決意。
「あたし、あなたに言っておきたいことがあるの」
 そう切り出した声には、その先を聞かなくても、わかるほどの重い想いがこもっていた。
 その重さでふらついた主導権を奪い返すように、先ほどのお返しのように、中間色は急き止めた。
「待ってください! 絢辻さん!」
「な、何よ!」
 思い切り目の前に開いた両手を突き出した中間色。
 それ以上喋るようだったら、口を強行封鎖しかねない、その勢いに、思いがけない後ずさりをしてしまった彼女の決心圧は落ちていく。
「たぶん、おそらく、きっとですが……昨日のことですよね?」
「あなたとは昨日が初めてでしょ。昨日以外に何があるのよ」
 ほんのりと怒りながらも、それを抑え込みながら返した彼女。
「それなら……その先のことは言いっこなし、ということで」
「何が言いっこなしよ。このままなんて、あたしの気が済まないわよ」
 その彼女の言い分は御もっともな心情。
 しかし、対するのはワガママ娘。対照的なワガママな言い分を返し始めた。
「あれは償いなんです。もし、絢辻さんがこの先を明かしたら。私は、もう一度、このほっぺで償いを受けないといけません」
 全く意味のわからない言い分、ワガママを滑らせていく中間色は主導権を振り回す。
「絢辻さん、そんなにこのほっぺを引っ叩きたいのですか?」
 そう、自慢の頬を指で示しながら問う生意気な色に、思わず絢辻さんの手が伸びた。
「あなたに面白いことを言わせるのは、この憎たらしいほどに柔らかい、このほっぺかしら? このほっぺが悪い悪~い元凶なのかしら?」
 そう言いながら、愉快に楽し気に頬をつねり伸ばす彼女。
「あ、絢辻さん、痛いです。痛いです」
 そう申し訳なさそうに訴える中間色の声。その声に異変を感じた彼女は手を止めた。
「あら……ごめんなさい」
 思わず、飾らない彼女の素の気持ちが零れ落ちた。
 慌てて、それを拾いに行くように中間色も追いかける。
「いえ、その……えっと……と、とにかく!」
 そう勢いよく何かを伝えようと口を動かすが。よく喋る中間色のワガママの圧も落ちる。
 そのまま、中間色も素の心境を明かした。
「なんか、どっちらけですね」
「あなたのせいでね」
「私のせいですね」
「……いえ、あなたのおかげね」
 そんな彼女の言い分に、高く疑問符を飛ばした中間色。
 何が? そんな野暮な油揚げをさらう前に、彼女の心境のラインが伸びる。
「人を正面から叩くのって……けっこう痛いのね」
「もしかしたら、叩かれるよりも痛いのかもしれませんね」
 引き離されないように貼り憑く中間色。
 そのまま二人、黙ったまま、白けたまま、このまま余韻を引く。
 気が済んだ頃、中間色が飛び出した、ワガママに。
「さて、それでは、仕切り直して……何か、私にご用はありますか?」
「ないわ」
「それなら……手短な用件とお土産を受け取っていただきましょうか。そして、早く帰りましょうか、創設祭のために」
 そう迷わず答えた中間色。空ほどあるという話したいこと。それを一つも明かさず、終わりを切り出した色。そのまま、うかつに答えたら、二度と会えない。そんな雰囲気を察した、賢い彼女は再び主導権を奪う。
「用はないけど、訊きたいことがあるの」
「何ですか!? 私に答えられることなら、何なりと」
「あなた、どこから来たの?」
「ワンダーランドの埼玉南東エリアから来ました」
「……なんか違うのよね。質問を変えます、どうやってきたの?」
「どうやって……少し難しい質問ですね」
 何かを考えるというよりは、どう言えば伝わるか、その形を探していた中間色。
「天使にお願いしました」
「……天使?」
「はい、天使です」
 今となれば、このワガママな色の口から、どんな言い分が飛び出しても驚くことはない。そう気づいている彼女ですら、天使という答えには迷い惑わされ始めた。
 安易に嘘だと言い切れないほど、この色は自分の一般的な常識が通じない、遠い遥か外から来ている。そう気づいていたから。
 いろいろ気づいてしまった彼女の関心。それが自分を受け止めてくれている。そう感じた中間色は嬉しそうに続きを歌い始めた。
「赤点を五つ揃えたら、天使が二人来て、あなたの願いをひとつだけ叶えるって。だから、『OH BABY!』、私に償いの機会を」
 唐突に『OH BABY!』の替え歌を歌い始めた中間色。
 もちろん、彼女はその歌を知らないのだが、妙にそれが気に入ってしまった。
 独特な中間色の歌い方。なんとなく、どうやってココに来たのか。歌うその姿を見て、彼女は納得してしまった。不可思議なこの理由に。
「天使ね……どこかに、いるのかもね」
「きっと、凄く身近にいますよ。嘆き気味の天使とか」
「そうかも、しれないわね……」
 天を仰ぐ彼女。
 だいぶ、暗くなったが、まだ星は見えなかった。
 地に降りた彼女は、もう一度、運命に自分の意思を投げた。
 どこか物足りない、何かを埋めるように。
「あなた……本当は、あの手紙の中身を見ていないのでしょ?」
 そんなこと、本当はどうでもいいことだろうけど。
 なぜ、木曜日に現れた、この色が。手紙の中身を知っていると、言い切れたのか。その心境が知りたくなった彼女は、静かに訊ねた。
 それは、幽かな信頼。その一歩だった。
「はい、本当は見ていません」
 あっけなく、白状した中間色。
 それでも、木曜日にあった揺らぐ隙のない中間色の自信は、偽りに変わることもなく。今もココにあった、消えることなく。
 いったい、なぜ、中間色はそう信じていたのか。行方不明だった、その理由が、静かに近づき始めた。
「ですが……幸運でもありました」
「幸運?」
「はい。私、橘さんに訊ねたんです。手紙の中身を。そしたら、わからない、と答えました」
 彼がわからないと答えたら、何が幸運なのか。全くわからない彼女。それでも、幸運の理由がほんの少しわかる、かもしれない可能性が加速していく。
「私も橘さんもわからない手紙の中身。それならば、ラブレターを書く選択肢を選んでしまった、私の思惑がその中身となります。暫定的に」
 スゲー、ワガママな理由。バッカじゃねーの。そう呟きたくなるほど、迷わず明かした、その自信に。ほんの少し、彼女は満たされた。
「なに、その理由。意味がわからないわ」
 呆れかえるにも果てるにも、肝も毒もないような真っすぐなワガママ。それを前にしたら、忘れていた原点を思い出せた。そんな気がした彼女は優しく呟いた。
「でも……そうなのかも。そういうことなのね。自分を信じるって」
「きっと、おそらく、たぶん、そうです。私にはわかりませんが、わからないことはわからないまま。その方が、貫ける何かだってあるはずです」
 見事にそれを貫いてしまった色が、そう微笑みながら返すと、不可思議な説得力が乗る。そのまま、加速していく中でワガママな色は嬉しそうに自白した。
「実は、私にもわからないことがあります。絢辻さんが仕掛けたワナ。その在り処とその理由は私にはわかりません。ですから、お互い、わからないことがある。同じ似た者同士、イーブンです。まだまだ、いろんなことを知りたいです」
 そう明かしながら誘う色の姿に、彼女も少し嬉しそうに幽かに微笑んだ。
 自分や常識と違うこと。それが嘘とは限らず。むしろ、一般的から外れた、その白昼夢の中に、探し物があることもある。そう古い歌を思い出した彼女は、中間色を信じて頼るように訊ねてみたい。そう決めた自分をもっと信じてみたくなった。
「そうでした、絢辻さん。先ほども申しましたが、お土産があるんです。あちらのベンチで召し上がっていただけませんか?」
「お土産?」
「はい、私の地元のお土産です。あっ、あなたからお土産を受け取る理由はない。そんなつまんないことは、今はトタン屋根の上にです! 理由なんていらないじゃないですか。ワガママに」
 振り回すのが特異なワガママ・クイーンに負けじと、彼女も主導権を強く引く。
「あら、あるわよ。これから、あなたの話を聞くのだから。お土産の一つや二つ。当然じゃない」
 そう得意げに彼女が返せば、嬉しそうに目を輝かせて追い抜くのは中間色。特異と得意の攻防。今、この瞬間、主導権は特異なワガママの手の中。
「それでは、たっぷりと話をさせてください!」
 中間色が先に歩き出し、その後を追う彼女。辿り着いたベンチに座る二人。だいぶ前に、彼が座っていた場所に中間色が座り、彼女は中間色が座っていた場所に座る。直ぐに鞄の中から袋に入ったパックを取り出した中間色。それは、彼に渡したお土産と同じ団子だった。
「これは、私がお世話になっている地元の団子屋さんのお団子です。たしか、あの家康さんも戦の前に食べたかもしれないとか……。そんなことはどうでもいいですね! とにかく、めちゃ美味だと思います!」
 胡散臭くテキトウな口上。それに文句を言うこともなく。彼女は静かに団子を頬張った。
 その様子をうかがう中間色は緊張の面持ち。打ち首獄門、市中引き回しの刑に怯えるウサギだった。そのウサギに静かに穏やかに判決が下る。
「言うだけのことはあるわね、美味しかったわ。ごちそう様」
 その言葉に、今にも泣き出しそうな面で、嬉しさをあらわした中間色。その事情心情がわからず、気まずくなった彼女は思わず強く出た。
「な、なんで、そんな顔をするのよ!」
「い、いえ、やっと……ほんの少し償えた気がして、つい……」
「何が、ついよ。これじゃ、あたしがあなたからお団子を取り上げたみたいじゃない」
「えっ、そうですか? それは困りますね!」
「ええ、そうね。あなたに出会ってから、困ってばかりよ」
「それは、それは……。あの……」
「……なに?」
「もう、少し……いえ、もう、しばらく、困らせてもよろしいですか?」
「はぁ……最初からそのつもりでしょ?」
 そう答えた言い分と、彼女の表に浮かんだ情は対照的だった。
 もう、ワガママに振り回されることに慣れてしまったどころか。それが、どこか愉快だと幽かに思い始めてしまった、白昼夢というより青夕夢。その夢の中、遠慮なく夢中にワガママが主導権を握り直した。
「ありがとうございます! とっても嬉しいです!」
 そう素直に正直に中間色が心情をあらわせば、彼女は普段は隠している心境を明かした。
「はぁ……あたし、あなたみたいな愛されキャラって苦手なの」
 そう軽く突き放すように彼女が言った、その隣の色は笑い始めた。唐突に突然に夏の夕立のように。その色が笑えば笑うほど、彼女の不機嫌は稲妻のように光り吠え落ちた。
「何が、そんなに可笑しいのよ」
「何がって……この私が、愛されキャラだなんて仰るから……すみません、つい」
 口ではそう言うが、まだ笑いが止まらない不謹慎な中間色。
 精一杯、歯止めをかけようとするが、慣れない歯止めは利かない。笑いの雨でだだ滑りだ。
 滑りっ放しに笑い続ける中間色。その様を冷たく険しく眺めていた彼女だったが。いつの間にか表情が緩み、幽かに穏やかに上品に微笑み始めた頃。やっと、言い訳の言い分を述べる態勢が整った中間色は弁明し始めた。
「この私が愛されキャラだなんて、とんでもありません」
「だったら、何だって言うのよ?」
「そうですね……どちらかと言えば。いえ、限りなく、私はシカトキャラですね」
「……シカトキャラ?」
「そうです、シカトキャラです。絢辻さん、『坂本文法』をご存じですか?」
 『坂本文法』。それは、中間色とその相方の間で決めた文法。それも漫画の登場人物の台詞から勝手に拝借した文法。そんな教科書にも載っていない文法を振り回してくる、その色に困り果てた彼女は、首を横に振って無言で返した。
「誰からもシカトされない何かがあればステキですが。そんなもの、いくら探しても私の中には存在しません。だったら……。全てにシカトされない私より。全てをシカトする私、そんな我がままを貫いていく。外には誰もいない洞窟に囚われた人生では。洞窟の奥へ突き進む、我がままは基本ですぞ、『坂本文法』」
 満足げに怪快文法を滑らせていく。
 その滑り方を受け止めた彼女は、呆れながら驚きながら、ほんの少しの羨ましさ。それらが忙しく錯ざったような声で返した。
「ホント、次から次へと不思議なことを言うのね」
「愚かなFRですから、私。いつもテキトウなことを考えてばかりで。滑りっ放しの赤点クイーンです」
 そう言った後、舌を出した中間色。その様は、自責も後悔も反省も全く感じさせない。圧倒的な我がまま。赤点クイーンという事実を認めているだけで、その先に特別な意味など潜む隙間もなかった。
 そんな赤点クイーンは、自分にとっての不思議を明かし始めた。
「ですが……この世界の人達も。なかなか、どうして、かなり不思議です。愚かなFRの私にとっては」
 なにが? そんな彼女の関心。それが加速する気配を感じた中間色は、その一声よりも先に飛び出した。
「うさぎとかめ。このお話をご存じですか?」
「ええ、それなりには」
「そうですよね。本当のうさぎとかめもご存じのようですから」
 そう彼女の深淵を覗き込みながら言う中間色は、嬉しそうに振り回し始める。
「一般的なうさぎとかめも、絢辻さんがご存じの本当のお話も。その関心はかめさんに向いています。誰もうさぎなんか見ていません。シカトしています」
 一般的にはそうでも。彼女にとってはいつも前にいる存在。
 だから、シカトしていない。そう返したい心情もあったが、冷静な何かが歯止めをかけた。前にいる存在のことを、ちゃんと見ている、全てわかっている。そう言い切れるだけの自信がなかった。どちらかと言えば、シカト気味だったと気づいてしまった。
「ですが……不思議ではありませんか? なぜ、うさぎは眠ってしまったのか。それに気づいてしまったら、眠れない夜の始まり、Here is a wonderlandです」
 疲れてしまったから。そんな一般的な返しでは、とてもこの色には追いつけない。そう気づいていた彼女は野暮な返しはせず。ただ黙って、ココからどんな滑らせ方をするのか。それを待っていた。
「ほんの少しの休憩のつもりが。気がつけば、抜き去られてしまった。そんなお話を信じられる賢さは私にはありません。抜かれても気づかないなんて、永眠でもしない限り難しそうですから」
 全く不思議にも思えなかった場所に、不思議のレンズを当てる愚かなワガママ。
 馬鹿げている、間違っている。そう斬り棄てるのは簡単だが。今の彼女はその先の世界。それをほんの少し覗いてみたくなる、気まぐれな心境の上に立っていた。
「そもそも、なぜ、眠ってしまったのか? 疑問符に想像力を滑らせる、愚か者の私と眠ったうさぎは同じFR。賢いFF圧倒的有利な世界では、勝手に滑るFRは圧倒的に退屈だと気づいてしまったのでしょう」
 あのうさぎと自分が同じ愚かなFRだと語る中間色は、特異の愚かさを全速全開で滑らせ続ける。
「テキトウ・テツガクぷれぜんつ。シカトされたうさぎのその後。うさぎは走りながら気づいてしまいました。きっと、この競争が終わっても、また次の競争があって、その次も競争、競争、競争。狂騒的に酷く退屈で、狭く忌々しい、どうしようもない世界が広がっていると」
 仕方がないでしょ、それがゲンジツなのだから。なんて退屈な返しをワガママにしようものなら。あっという間に引き離されて、見えなくなってしまう。そう察した彼女は黙ったまま頷いて、後ろに貼り憑いていることを示し、それを確認した愉快な中間色は嬉しそうに加速して振り回す。
「同じことの繰り返し。一字一句、教わったように答えるだけの日々。そんな賢いFF的な生き方ができないと、気づいてしまったFRのうさぎはだだ滑りです。そのまま、想像力が滑り出し、特異の愚かさで抜け道に気づてしまいました。それは、眠りの奥にある、夢の落とし穴」
 ただ、うさぎは眠った。その一般的な事実も。愚かなFRのレンズで覗けば、また違う理由が眠っている。その落とし穴がどこへ続いていたのか。ワンダーランドの埼玉南東エリアからやってきたワガママは秘密を明かす。
「落とし穴へ『DIVE IN!』したうさぎは、ウサギになりました。気がつけば、隣には三月うさぎに帽子屋さんもいて。やっと、FRがモノを言える世界へ辿り着いた。そんなこと、賢いFFの民は気づきもしません。誰も永遠に眠ったままのうさぎのことなど、覚えていないのですから。教わった全解以外はシカト全開。勝手に考えを滑らせたら、あっという間にドロップアウトです。うさぎのように」
「……あなた、やっぱり不思議よ。でも、それもそうかしら。ワンダーランドから抜け出してきた、そうだったわよね?」
「はい、抜け出してしまいました。愚かな滑らせ方とワガママなお願いで」
 そう満足げに答えた中間色。そのまま、休むことなく、もう一つのお話を滑らせ始めた。
「絢辻さん、私の相方の話をしてもよろしいですか?」
「あなたをWAGAMAMAバディーと呼ぶ、相方のこと?」
「そうです、その面白い自慢の相方です!」
 何がそこまで面白いのか。たぶん、伝わることなどないのだろうが。そんなこと、お構いなくシカトキャラは全速全開で振り回し続ける。
「ラチとらいおん。その話が好きな相方にとって、私はらいおんだそうです」
「らいおんね……化け狐じゃないの?」
 化け狐。随分と的確な例えをした彼女。
 胡散臭い詐欺師は愚かな狐のようで、それが人の姿に化けると、人以上に美しく綺麗なその姿は圧倒的だった。もう少し、周りに同化すればいいのに、それができないワガママは愚かなFR。浮世から離れた月のうさぎが、一般的になってしまうほど愚かだった。
「それなら、化け狐らいおんです。そうなると、私にとって相方はラチさんになります。ですが、本当のところ、どちらがラチさんで、どちらがらいおんなのか。よくわかりません」
「あたしには、もっとわかりません」
 当然な気持ちを愉快に彼女が返せば、嬉しそうな色は圧倒的に加速していく。
「相方は私が隣にいると、できるはずのないことができてしまう。そう嬉しそうに言ってくれます。ですが、私からすれば、この私を信じてくださるから隣にいられる、私。そうです、らいおんを信じてくれる、ラチさんだったから。隣にらいおんの居場所があったんです」
 そう語る中間色の心は、ほんの一瞬、刹那的にココではない遥か遠くへ消えた。
 それに気づいてしまった彼女は、慌てて声をかけようとしたが、その前に戻ってきた色は続きを語る。
「不思議で面白い相方です。私を信じても、特別見返りなど返せもしないのですが。何も返せなくても、一方的に信じてくださる。そこまでされたら……私だって、マジになるしかありません。ワガママに全速全開の好奇心ドリフトで振り回していく。そんな不思議な気分は、とても面白い今です。相方は私に今をくれたんです。返せない今を。何の得にもなれない私に」
「あたなと似て、不思議な人ね」
「そうですね。同じ似た者同士。めちゃ不思議で、めちゃ面白いです。ですから、いつもあっという間の最速神話です」
 珍しく沈黙が伸びる。滑り倒してきた口がつぐむ。その裏側で、十分にこねられた大きなお世話の生地が出来上がった。あとは、これを焼くだけだ。
 一息つく間が過ぎた頃。それを焼くように、もう一度、中間色は踏み込んだ。
「ですが……絢辻さんにも、不思議はありますよ。私と相方にも負けない。そんな不思議さが」
「あら、あたしの何が不思議なのかしら?」
 ここまで続いていた、和やかに穏やかな雰囲気。そこに、ほんの少し冷酷冷徹な質問を落としたワガママ・クイーンは赤点クイーン。
「絢辻さん……お家に居場所はありますか?」
 あまりいい質問ではなかった。
 なぜ、そんなことを訊ねたのか。その意図のラインが見えない彼女の集中力は高まっていく。ピリピリとした空気を感じたまま、中間色はもう一つ落とした。張りつめた運命の糸に。
「もし、永遠に学校で生活するとしたら。居心地はいいでしょうか?」
「いったい、なんのつもり? あたしは早く自立したいの」
 少し強めの語気で返す、彼女の心情。その理由は、意図のラインを見せないムカつく中間色の滑らせ方にあった。一方で、ココが中間色の感じた不思議さ。それを明かす絶妙なタイミングだった。
「家庭や学校は社会の縮図とも言います。もし、その縮図に居心地のいい居場所がないとしたら。おそらく、社会にだってないのでしょう。きっと、そんなことは――」
 あえて、その先を言わなかった中間色。
 たぶん、絢辻さんは中間色が感じたという不思議さ。それに気づいていると信じていたから。
 そのまま、その余韻に独特な戯言を足した、蛇の足のように。
「絢辻さん、社会は人がいないと成り立ちませんが。人は社会がなくても生きていけます。信じ難い事実ですが、昔から続く忘れていた事実です」
 足を足された戯言は、支えもなく地を歩いていく。そこに羽までつけ始めた中間色。
「この世界に自立している人なんていません。自立した気になっている人はいても。どこにもスナフキンさんはいません。なぜだと思います?」
「さあ、知りません」
 少し不機嫌に答えた彼女。
 その圧など気にすることなく、シカトキャラが放った戯言は自由に飛び始めた。空でも地でもない、どこかを。一人で勝手に。
「社会がそれを許さないからです。社会に依存して欲しいから、誰にも自立なんて認めないんです。認めてしまったら、誰も社会なんて信じてくれませんからね。シカトされるのが恐くて怖いんですよ」
「それで、さっきの言い分なのね」
「さすが、絢辻さんです! 全く以てそのとおりは表通りです。社会は信じてくれる人がいないと成り立ちません。社会に依存することだけが自立なのでしょうか?」
「それで、あなたはあたしに何が言いたいの?」
「そう焦らないでください。特別、こうしたいなんて意図はありません。ただ、焼きたいだけなんです。押しつけではなく、受け流してください。……ダメですか?」
「あなたのことだから……ダメと言っても――」
「勝手に焼き倒します。なんせ赤点クイーンはシカトキャラですから」
 変わらずにワガママを貫き通す中間色。
 無駄に抗えば抗うほど面倒だと気づいている彼女。
 両者の質の高い攻防は続く。焼きながら攻め滑る、ありのままの赤点クイーンは、絢辻さんが持つ圧倒的な魅力、天下無敵の優しさを照らし始めた。
「私、赤点クイーンですが。それでも、絢辻さんの圧倒的な魅力。天下無敵の優しさに気づいています」
 中間色をシカトせず、引っ叩いた絢辻さんには天下無敵の優しさがある。そう、ここに来る前も言っていた中間色。イマイチ、ピンと来ず、伝わらなかった、その魅力の続きを映し出し始めた。
「あたしが優しい?」
「優しさに関しては、私では追いつけません。それほど、圧倒的です」
 圧倒的な優しさ。それが、今、こうして、意図が見えず意味不明な中間色のお世話を受けている。その程度のことではないと、賢い彼女は気づいていた。
 ただ、何がそこまで圧倒的なのか。
 なかなか、自分の凄さに気づけない人の性は、彼女にも確かにあった。
「『坂本文法』を滑らせた私には、社会のため、誰かのため。そんな優しさは微塵の欠片もありません。頑張って、誰よりも早く辿り着いても、誰も私を知らない世界なんて。こっちからお断りです」
「そんなの自分のためよ。優しさじゃないわ」
「私もです。私も自分のために、頑張らないんです。なぜって、無理は続きませんからね、頑張れません。自分のためにこそ頑張らない。ですが、そんな私でも誰かのためになら頑張れると、最近思い知りました」
 ここまで、ワガママを通す色がそう言えば、それなりの重さが乗った説得力が加速する。
 同じ自分のためにでも、その先の行動はそれぞれで面白い。
 その面白さよりも、面白いのは矛盾。貫き通す中間色の我がまま。その挙動が乱れてしまうほどの矛盾に気づいてしまった彼女は突っ込んだ。かなり愉快な声で。
「けっきょく、あなたも頑張ったんじゃない。誰かのために」
「はい、驚きました。まさか、この私が……幽かにでも、そんなことを思うなんて。そして、気づいてしまったんです。自分のためには頑張れなくても、誰かのためになら頑張れて。隣にいる、その誰かが信じられないほどの力をくれることに」
 そのまま、振り返り思い出しながら続けていく。
「一人では辿り着けなかった速度まで連れてってくれる誰か。一人で頑張っている姿に、いろんな心情を焼かせてくれる誰か。ワガママな私を変えることなく、自分でも気づけなかった深淵の一面を見せてくれる誰か達」
 そして、静かに付け加えるように呟いた中間色。
「私の相方の気持ちが、ほんの少しわかる気がしました。隣に誰かがいれば、何とかなる気がします。どんな今でも、どんな場所でも、何の根拠がなくても、難しいことでも。めちゃ不思議ですが」
 ごまかすわけでもなく、素直に正直に矛盾を受け止めて態勢を整える中間色。そのまま、立ち上がりの加速が伸びていく。
「絢辻さんは圧倒的です。自分を見てくれない。そんなこの世界を許し、振り向かせるために頑張れる。だけど、それを押しつけることなく、自分のためだと背負い込める。圧倒的な優しさがないと。そんな聖人君子にはなれません。まるで、天使のようです」
 おそらく、自分の姿が優しい天下無敵の天使だとは、彼女も思いもしなかっただろう。
 そこまで、彼女の自尊心は強くない。表面的には大きく見せても、本質的にはかなり控えめだから。目の前にいる、ワガママ・クイーンに比べたら圧倒的に。
 それを証明してしまうかのように、彼女は言葉に詰まり、慌てて常套句を飛ばした。
「あなた、頭がおかしいのね」
 そう鈍い返しをすれば鋭く返る。
「ですから、赤点クイーンなんです。お忘れですか?」
「それから、思い込みと妄想がすぎるわよ」
「ですから、愚かなFRなんです。想像力がだだ滑りで、滑りっ放しです」
「そ、それから……はぁ、本当にああ言えば、こう言うわね。生意気よ」
「そうですね、ワガママ・クイーンですから。それも詮無きことです」
 ごまかそうといくら振り回しても、なかなか振り切れない、中間色。
 一方で、彼女にも譲れない意地がある。
 いきなり、受け入れ難い姿を映し出されても、上手く受け止められない。
 だから、今できる、精一杯の答えを彼女は出した。
「そうね、仕方がないわね。あたし、優しいから、そういうことにしておいてあげる」
「ありがとうございます! 本当に圧倒的な優しさです。敵いません。天下無敵です」
 そう微笑んで返す中間色。その色に引っ張られるように彼女も微笑んだ。
 晴れだろうが、雨だろうが、よく滑るカプチーノはスベリーノ。愚かなFRの力を引き出してくれる、頼もしいやつ。それを乗りこなす不戦神話は教え説き始めた。信じてもらおうなんて、微塵の欠片もないタダの余計なお世話を。損失がスゲー高くつく、大き過ぎるお世話は未来予知。
「絢辻さん、未来の話をしてもよろしいですか?」
「もう、驚くこともないけど。あなた、未来予知までできるの?」
「ほんの少し頑張れば? 放っておけない、危なっかしい、誰かが。一人で頑張っている姿に気づいてしまったら、いろんな心情を焼きたくなって。それで見える未来もあったり……」
 そう胡散臭い口上を垂れた後。彼女の瞳の奥に隠れる、何かをまじまじと覗き込みながら、その未来を語り始めた。
「絢辻さん、あと何十年かしたら。答案用紙に聖徳太子、そう書いたら赤点です。いい国つくろう鎌倉幕府、なんて書いても赤点です。遠い先でそれらは、豚小屋の王子がつくった、都合のいい箱、鎌倉幕府です」
 ほんの少し情報が歪んでいたが。今までの情報が通じない、という点に関しては誤りではなかった。
「キリスト神話に憧れた、どこかの偉い人が、教科書の情報を都合よくワガママに塗り替えていくんです。昨日まで使えた公式だって、明日にはゴミ箱です。アイ、ライク、カプチーノ! なんて誰も言いません」
 語り続ける中間色の瞳は嘘に濁ることなく。マジに透き通っていて。その奥にそんな未来が透けて見えてしまうほどだった。
「私達が教え説かれ、信じ込んでしまった情報。いい気になった60点など、そんなものです。自分の経験ではありませんから、本当は不確かです。ただ、それでも、賢いFFは難なく疑うことなく。はいはい、と明日も満点を揃えるでしょう」
 少し退屈そうに、かなり不満げに未来を語る中間色。
「私達は誰かにとって、都合のいいことを教え説かれているだけです。例えば、今なら、この私にとって都合のいいことだったり」
「そうね。それで、あたしにそう教え説くことで、あなたには何の得があるのかしら?」
 そう彼女から訊ねられた中間色は、退屈と不満を塗りつぶす嬉しさ。その情を表に浮かべ、声に乗せて返した。
「どんな得でしょうか? 是非、考えてみてください! 絢辻さんのステキな想像力で」
 要求した彼女の想像力が滑り出す前に、自分の都合で焼き始めた、余計なお世話を返し始めた。そろそろ、焼き上がる頃だ。
「ですが、今はまだ、想像する楽しみは取っておきましょう。絢辻さん、焼き上がった私の大き過ぎる余計なお世話。それを黙って聞き流していただけますか?」
 これまでと同じような穏やかな表情。しかし、その奥からこみ上がるのは、これまでとは違う対照的な雰囲気。それに気づいた彼女は、少し驚いた情をあらわしたまま、抗うことなく静かに頷いた。 
 そこからの滑り方は、言われなくても返せる隙間がない滑りだった。
「この先に広がる社会は、一億総かめさんです。みんな、自分だけを認めて欲しくて。地面だけを見て、重たい荷物を背負いながら必死に進んでいます。そこに居場所が欲しいのなら、止めるつもりはありません。理由もありませんから」
 永く座っていたベンチから立ち上がり、想いを滑らせ続ける中間色。
「おそらく、とっても賢い絢辻さんは、社会がワンダーランドではなくて。どちらかと言えば、『ピノキオの遊園地』だってことにも気づいているのでしょう」
 そう語る中間色は、圧倒的に優しい絢辻さんを一方的に信じている。ワガママ娘の相方が、その色を一方的に信じるのと同じように。
「誰かの都合で変わっていく、今。ただ、何十年先も変わらないかもしれない。そんな面白い何かがあったとしたら。そうです、私にとっての相方のように、相方にとっての私のように。相変わらずだね、って言える。そんな誰かがいたとしたら」
 ワガママ・クイーンは遠い夕闇へ手を伸ばす。
 その先には幽かに輝く星があった。
「きっと、社会にだって自分の城を築けるのでしょう。頑張れる、その理由をくれる。誰かに気づけたら」
 輝く星を掴むように、伸ばした手を静かに握りしめた。
 それを大切そうに自分に近づける。大きめの胸の前まで。
 さっきまで、手の先にあった、幽かに輝く星は消えた。
 遠い彼方の星は、今、この瞬間、ワガママの手の中。
 そのまま、ゆっくりと彼女の方を振り返るモノクロ。
「隣にいる誰かって面白いです。700メートル、いつもの帰り道が、驚くほど速く、あっという間に過ぎ去ってしまう。そんな力をくれる誰かがいれば。同じ700メートルを永遠の退屈に変えてしまう誰かもいます。どちらかと言えば、後者の方が多いのでしょう」
 ほんの少し、苦そうに笑うワガママ・クイーン。
「スクリーンのドロシーさんは言いました。探し物は家の庭より先にはない、と。それって、本当のことだと、今の私は思います。今の絢辻さんにも、かなり身近な今に。探していた、何か。それをくれる誰かがいるのかもしれません」
 静かにゆっくりと手が伸びる。彼女の膝の上に置かれた手。その片方に星を握りしめたままの中間色の手が伸び、反対の手も同じ彼女の手を包み込む。今、中間色の両手の間にある彼女の片手。そこから我がままな鼓動が響き伝わる気がした。
「もしかして……絢辻さん、恐くて怖いのですか?」
「何が怖いのよ」
「自分を信じることが、です」
 どんどん伝わる鼓動が慌ただしくなる。
「実は……私もめちゃ恐く怖いです」
 隠すこともなく、心情を明かす色は笑っている。
「だって、橘さんですからね。きっと、橘さんなら。どんな人でも幸せにできるのでしょう。お人好しで、いい人で、とても親切な紳士さんですから。あの黒沢さんだって、別の一面を見せてしまいます」
 彼女の片手を包み込む手に少し力が伝わる。
「絢辻さんは……どうでしょうか? 橘さんを幸せにできるでしょうか? きっと、全教科満点……いえ、赤点を揃えるよりも難しいかもしれません」
 訊ねる声は変わらず穏やかだが。彼女の手から伝わる圧が、その問いの意味を静かに刻む。
 彼女は黙ったまま、何も返さない。
 今、彼女が何を思っているのか、わからない。
 だから、そのまま、中間色はワガママを貫く。
「一方的に信じ続ける限り、裏切りなどありません。何も求めず貫ける不思議さの前では、どんな結末結果も恐怖不安も追いつけません。マジに夢中な時は最速神話です。そんな夢の中へ、『DIVE IN!』できるワガママ。受け取ってくださいな」
 中間色が握りしめていた星は、彼女のモノになった。
 かつて、遠い彼方で輝いていた星。その姿は、今、彼女の手の上では、ラムネ味のくじ付き十円キャンディ。
 だけど、星が消えたことなんて気づきもしなかった彼女は、ただ、黙ってその飴玉を眺めていた。
「さて、絢辻さん、明日です。明日、サンタクロースが来ます。髭に赤い服、形のあるプレゼントが入った袋。そんな象徴ではありませんが。隠せない不安を顔に浮かべる紳士さんは、ホンモノのサンタクロースです」
 いきなり切り出した用件は、サンタクロースと同じくらい神出鬼没。
 それを操る中間色は一歩ずつ確実に離れ始めた。
 彼女に背を向けて歩みながら、続きを滑らせる。
「お人好しで、ほんの少しだけエッチな紳士のサンタクロースは、絢辻さんのもとにだけ現れます。私も、あたしも、わたしも受け止めて。時々、形のないプレゼントをくれる……かもしれないサンタクロース。それを自分で信じると決めたら。いないって信じていた10年近く。それよりも永い時間、その憧れの隣で過ごせるのかもしれません。絢辻さんが、サンタクロースの居場所を自分の隣に許し信じられたら」
 サンタクロースがやってくる。そんな不可思議なことを言った後。その間に挟むように残した。
「居場所は大きく立派で、みんなと同じであればいいとも限りません。信じたい誰かの隣でも居心地がよければ最高です。誰とも関わらない野生ネコも、誰かの家のコタツ猫も、どちらも自立しています。自立は社会に依存するだけとは限らない。そう気づけたら、自分で決めて信じていく、その速度は最速信話です」
 少し離れた場所から、くるっと振り返り中間色は残した。
「絢辻さん、ステキなクリスマスを。それでは、また次の機会にお会いしましょう」
 永い攻防、大き過ぎる余計なお世話、ワガママな今の終わり。
 それは、あまりにも呆気なく、動けず動じない彼女は茫然自若。茫然としているのだが自失ではない。限りなく自若、やけに落ち着き払っている彼女が深淵の底にいた。
 その心情心境の理由もわからず、夢心地の彼女。
 少しずつ青夕夢から抜け出し気づいた、驚くほど慌ただしい鼓動。ずっと、中間色の音だと思っていたのは自分の音。その事実を受け止めると、勝手に落ち着いていく。
 静寂の中、腕時計を覗いた。ココに辿り着いた時と同じように。18時10分。腕時計が示したその事実に驚いた。たった10分。もっと振り回し、貼りついた。そう感じた、中間色と過ごしたさっきまで。
 だけど、彼女の感覚と想像。それを遥かに超えてしまうほどの誤差。確かな不思議が目の前に現れた、どうにもできない事実、ゲンジツ。ワガママな色が現れたら、そこはワンダーランド。
 こんなに永く、あっという間の10分。もう、そう簡単には超えられない。
 今、この瞬間から消えていった、ワガママな残光に何もできなかった彼女は、何事もなかったかのように立ち上がり明日へ進みだす。
 その一歩は、これ以上ないお手本のような自立。
 既に、ココまで自立してきたのに。これ以上、何をどう自立するのか。ずっと、探していた不思議な答え。今の彼女はそれを見つけてしまったかのように、迷わず戻るべき場所へ戻っていく。


 創設祭の橘さんと絢辻さん

 
 
 創設祭当日の午前。橘さんは校舎裏に立っていた、隠しきれない不安と共に。
 二日前の木曜日。中間色が選んでしまった悲劇の結末。その現場で、再び絢辻さんを待つなんて思いもせず、今でも信じられない心境のど真ん中に彼は立っていた。
 精一杯、踏み込んで、話があると絢辻さんに打ち明けた彼。それを受け止めた彼女は、少し不思議な情を浮かべながらも、シカトしたり拒絶するわけでもなく、時間と場所を指定した。その姿は、変わらず揺るがない私。
 信じられない今を振り返っていた彼のもとに、似たような気持ちの絢辻さんがやってきた。その姿は二日ぶりのあたし。
「話って何? あたし、今日は忙しいの」
 相変わらずの勢い。だけど、それに戸惑うことなく。不安なまま、ゆっくりと炎を開放していく。感情的に。
「僕、絢辻さんが好きだ」
 静かに素直に透き通った声が、冬の透明の冷たさに伸びた。
 その勢いに一歩下がった彼女の表情は不動。照れや嬉しさをあらわすわけでもなく。ただ、彼の深淵を覗いていた彼女の深淵は、幽かに驚きながらも、どこかでこうなると知っていた。
 いや、そうなって欲しいって奥の方では思っていた。
 だいぶ、かなり、10年以上遅れてやってきた、存在を。本当は、ずっと待っていた。
 しばらく続いた沈黙。それを焼き尽くすように彼の炎は広がっていく。
「この二日間、気がつけば、ずっと絢辻さんのことを考えていた。一学期は名前も覚えてなかった。二学期途中まで話せなくても、なんとも思わなかった。だけど、今は……たった二日が物凄く永く感じた。それで、やっと気づいたんだ、僕は絢辻さんが好きで、僕には絢辻さんが必要だって」
 ゆっくりと話す彼の言い分は、流れる水のように燃え広がっていく。
 そのまま、勝手に止まることなく続いた。 
「また、絢辻さんの隣で、手伝いができたら凄く嬉しい。創設祭が終わってからも。クラス委員でも何でも手伝わせて欲しい。絢辻さんの隣が、僕には居心地よかったんだ。だから、また言って欲しい」
 ずっと、黙ったままの彼女。
 一方、燃やしきった彼は、枕元に想いを置いて立ち去ろうとした。サンタクロースのように。
「それじゃ――」
「待って」
 眠ったように黙っていた彼女の心が開き。彼を抜き去り前へ出た。今、主導権は裏表のない天下無敵の彼女のもの。
「意味がわからないわ」
「実は……僕も。黒沢さんの好意が嬉しかったのに。そのまま、黒沢さんを追いかければよかったのに。ずっと、絢辻さんを想っていた。自分でも意味がわからない」
 そんなことを言っても、一般的には嘘にしか聞こえないのだろうが。今、この瞬間の速さには、嘘が追いつける余裕なんてなかった。
「バカだと思う。今年のクリスマスは女の子と過ごしたい、そんな目標が目的に変わって。自分は誰が好きなのか、考えもしなかった」
「酷い過ちを犯したわね」
「うん、酷い過ちを犯してしまった」
「そう……よかったわ、あたしだけじゃないのね」
 彼女の告白に今度は彼が驚いた。
 だけど、特別、その罪状を問い詰めようとはしなかった。
 ただ、頼りなく訊ねた。
「……お互い様かな?」
「いいえ、あたしの方が罪は重かったわ」
 彼女は幽かに微笑みながら返した。
「橘君も不思議ね。あたしにあんな事されて、今日まで拒絶されたのに」
「僕も不思議だよ。今も足がガクガク。だけど、どうしても伝えたかったんだ」
 幽かに震えだした彼の足。その様は生まれたての勇気。これからどんどん頼もしくなる勇気だった。
 そんな彼を見て、彼女も勇気で正攻法に返した。
「ありがとう、嬉しいわ」
 間をとり、彼女は息を整えた。
「だけど、橘君の想いへの答え。それは、明日まで時間をちょうだい」
 その申し出に彼は驚いた。一方通行で貫くつもりが、想像も予想もできない今の上に辿り着いてしまった。その今は、誰かの選択ではなく。彼自身が切り開いた今だった。
「あたしにも考える時間をちょうだいって言ってるの。聞いているの?」
 そう彼を問い詰める彼女は幽かに不機嫌。その奥には不安も隠れていた。
「あっ、いや、聞いてるよ」
「橘君が二日考えた気持ちを、あたしは一日で答えを出そうって言うのよ。不満かしら?」
 一歩、彼の方へ踏み込んで問いただす彼女の声は、ほんのり愉快。
「ううん、嬉しいよ。どんな答えでも」
「本当に、どんな答えでも嬉しいの?」
「嬉しいよ。だって、また話せるって思いもしなかったから。今、凄く嬉しい。どんな答えでも、また絢辻さんと話せるのなら、何か一緒にできるのなら。嬉しいよ」
 溢れる余裕が零れていくような彼の言い分。
 答えを求めず、一方的に貫くワガママを踏み込んでいる、今の彼にはどんな答えでもよかった。恋人になれなくても、友達に戻れなくても、他人としてでも関係ない。もう役名はどうでもいい。ただ、彼女の隣に寄り添えたら。
 その言い分が、紛れもない彼の本心だと気づいた彼女は覚悟した。
 もう、うかつに何かを試すような余裕はない。今の彼を振り回すには、余計なことを忘れてマジになるしかない。うっかりすれば、あっという間にそりに乗って見えなくなってしまう、昨日の残光残像のように。
「忙しいところごめんね、それじゃ」
 そう言って、立ち去ろうとした彼を再び呼び止める、その声はかなり不機嫌。とても明らかに。
「待ちなさい!」
「はい?」
 歩き出した彼はその一声で、背筋をピンと伸ばして立ち止まり、慌てて彼女の方を振り返った。
「なにが、それじゃ、よ。さっきのは嘘だったわけ?」
「さっきの?」
「なによ、とぼけるつもり? あたしの手伝いがしたいって、アレは何なのよ」
「あ……いいの? 僕にも手伝えることあるの?」
「ええ、あるわよ。サボった二日分もしっかりあるわよ。嬉しいかしら?」
「うん、凄く嬉しいよ。二日分じゃ足りないくらい」
「それなら、一週間分の仕事を追加しようかしら?」
「うん、どんどん持ってきて」
 彼女は嬉しそうに喜ぶ彼に近づいて、軽く彼の泣き所を蹴った。ほんのりと、待ちくたびれた嬉しさをあらわすように。
「調子に乗るんじゃないの。ほら、行くわよ。今日は忙しいんだから」
 ずっと、待っていた言葉。再び言って欲しかった、彼の願いは、二日後の今にやっと叶った。あまりにも永く感じた二日間も振り返ってみれば、あっという間だった。
 クリスマスイブに天使から形のないプレゼントを貰った嬉しそうな彼。その前を歩く天使もかなり嬉しそうだった。振り回す先行の彼女と、貼りつく後追いの彼、二人の間には、もう隠す必要のない嬉しい雰囲気が漂っていた。この日にピッタリな雰囲気が。
 その後、忙しく駆け回る二人。最終準備と確認、挨拶に見回り。サンタクロースになった絢辻さんに見とれてから、抜け出して秘密の場所でダンスをして、打ち上げに戻り、その後も続くお楽しみ。すれ違い過ぎ去った二日分の傷と痛みが、忘れられない勲章に変わり始めた。
 お互い、これからも様々なクリスマスイブを過ごすのだろうけど。それを過ごす、この関係性は一度きり。ただのクラスメイト、仲のいい友達と言うわけでもなく。付き合っている恋人というわけでもない。どちらかに染まりきれず、凄く曖昧な関係の色は中間色。奇跡的なグレーゾーン。そんな絶妙にワガママな一日を全速全開で過ごした。二人で。

 

 クリスマスイブの中間色

 
  
 橘さんと絢辻さんが忙しく過ごしている頃。用事を済ませた中間色は地元のゲームセンターにいた。 
「はあ、またダメでしたか……同じ赤城でも上りと下りでは全く違います」
 制服姿ではなく、奔放的なアメリカ娘のような服装の中間色は呟いた。その表情は、少し疲れ気味で、脱力感を漂わせ座席に座っている。
 今、中間色が遊んでいるのは、橘さんと遊んだ峠を攻めるゲーム。
「お姉さん、そろそろ交代してもらえませんか?」
 少しうんざりしながら訊ねるのは、中間色と同じくらいか年上の男性。その隣にもう一人男性がいた。
 おそらく、二人で走りたいのだろうが。二つしかない筐体の片方を中間色が使っていた。
「あっ、すみません! ……ですが、あと一回! あと一回で、赤城の白い彗星に追いつけそうなんです!」
「もう、それ何度目ですか?」
 声をかけた男性が呆れた心情を声にして訊ねる。
「えーっと……二回目でしょうか?」
「はあ……五回目ですよ?」
「えっ、そうでしたか!?」
 驚きと恥ずかしさを隠しもせずあらわした中間色。
「それに……二回目まではいい走りだったけど。三回目以降は集中力が切れて、ミニ四駆を走らせてるし」
 たしかに、男性の言うとおりだった。三回目以降は壁にぶつけて擦りながら走ってた。自慢のカプチーノも台無しだ。
 何回走ったのかもわからないほど、惰性で走っている。その言い訳もできない事実と二人の邪魔をしている罪悪感。それらをあらわすように中間色は決断した。
「随分とお待たせして、申し訳ありません」
 静かに立ち上がり、恥ずかしそうに二人に頭を下げた。
「ありがとう、お姉さん。よし、正吉勝負だぜ!」
「おう大将、どちらがホンモノのR32か。ハッキリさせようじゃないか!」
「当然だ。俺らの間に32使いは二人もいらないんだよ!」
「言うじゃないか。ブレーキばかり踏んでて、全く前に進まない32に負けるかよ!」
「はあ? 壁を擦って減速するような、板金億円走りに言われたくないな!」
「うるさい! 板金屋を儲けさせてあげるんだよ。友達だからさ」
「だったら、友達の俺に32を譲れよ!」
「嫌だね、友達だったら奪ってみろよ!」
 楽しげにふざけている二人。その隙間から中間色がワガママな提案をする。
「……あのー、まだ続くのであれば、私が走ってもよろしいでしょうか?」
 小さく片手をあげて申し出る中間色に気づいた二人は、あっという間に座席に座り、手際よく条件を選択した。
 赤城、下り、夜、晴れ。
「お姉さん、譲ってくれたことを後悔させない走りを見せるぜ!」
 正吉と呼ばれた男性がかっこよく決めた。
「お姉さん、正吉の走りは参考にしたらダメですよ。カプチーノがボロボロになりますから」
「大将を参考にしたら、全く前に進まないぜ!」
 そんなことを二人が言い合っている間に、レース開始のカウントダウンが始まった。
「あっ、お二人とも三秒前です!」
 画面を見る二人の目つきが変わり、二台のR32が走り出した。二人ともかなり上手い。
 抜いては抜き返す、白熱の展開。現在先行中の上機嫌な正吉は神話を語り始めた。
「リアサイドについてるエンブレムは……」
「不敗神話のRです!」
 後ろから割り込み、上機嫌に答えたのは中間色。その瞬間、大将が抜き返し続きを語る。
「俺のRに……」
「ついてこれますかな!?」
 美味しいところを全て持っていったのは、後ろのゴキゲンな中間色。
 だけど、そんなことは全く気にせず、走り続ける二人。どちらが勝っても、ここではRの不敗神話は続く。二台のR32は、この時期のサンタのそりよりもキレた走り。キッレキレだった。
 それを夢中で見つめる、中間色はかなり満足げだ。
 クリスマスイブ、その楽しみ方は様々だ。


 クリスマスの二人

 
 
 10時10分、彼は丘の上公園へ向かって歩いていた。
 昨日、帰る間際に絢辻さんから指定された時間と場所を目指して。
「Hey! R'N'Rヒーロー!」
 背後から陽気な相変わらずの声が冬のど真ん中に響いた。
 ゆっくりと振り返ると、コートを着た奔放的なアメリカ娘が彼に手を振っていた。反対の手に白いビニール袋をぶら下げて。
 彼が中間色に気づいた頃、ワガママは歩き始めた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
 辿り着いた彼の前で、挨拶をしながら軽く頭を下げ、睡眠事情を訊ねる色に彼は答えた。
「うん、昨日は疲れてね」
「それはそれは……あの、これ受け取ってください」
 そのまま、中身が見えない白いビニール袋を差し出す。
「ありがとう、これは?」
「季節外れなクリスマスプレゼントでしょうか?」
「季節外れ?」
「はい、私の地元のお団子とキンキンに冷えた缶ラムネです」
 団子と夏の象徴ラムネ。それを寒い冬に持ってくる、中間色は変わらずワガママだった。
「ありがとう、嬉しいよ。本当にまた会えたね」
「なんとなく、そんな気がしたんです」
 嬉しそうに笑う中間色。
 珍しく、ほんの数秒、沈黙が続いた。
「橘さん、きっと今日のお団子はめちゃ美味ですよ。金曜日よりも」
 その意味がわからなかった彼。
 彼がその意味に気づく前に中間色は切り出した。
「すみません、今日はこれで失礼します。橘さんも用事がありますよね?」
「あ、うん。ちょっとね」
「待ち合わせに遅れたら大変です、急いでください!」
「そうだね、それじゃ……」
 そう言って歩き始めた彼の背中を押すように、中間色は愉快な翼を付け加えた。
「橘さん、約束、ちゃんと覚えていますから。思い切り、GOですよ、GO! 燃えまくれ、『Emotional Fire』です!」
 その言葉の意味。それに気づいていた彼は、迷うことなく振り返らず突き進んでいく。
 そんな彼の後ろ姿に、届かない幽かな声を残した中間色。
「橘さん、それでは、また次の機会にお会いしましょう」
 誰もいない、冬の路地に風が吹いた。
 
 
 10時20分、丘の上公園に辿り着いた彼。
 待ち合わせの時間は11時。かなり早く着いたが、彼にはちょうどよかった。このまま、しばらくボーっとして、気持ちを落ち着かせるつもりだったから。
 昨日、二日分の空白を埋めるように、いろんな話をした二人。絢辻さんの秘密、サンタクロースがいなかった10年近く。だからこそ、憧れてしまった存在。掟破りの頑張りは誰にも気づかれない時もある、彼女流のうさぎとかめ。
 ただの同級生では、明かしてもらえない秘密に触れた、その嬉しさが今日も続いている。少しその気持ちを冬の寒さで冷やさないと、この先の結末を受け止められそうになかった。どんな形か、保障がない未知の今を。
 しかし、そんな思惑は大きく外れてしまった。
 もう既に、待ち合わせの場所には彼女の姿があった。
 今、この瞬間は、本当に得体が知れない。
 なぜ、彼女がこんなに早く来て、待っているのか。その理由がわからない彼は、わからないまま、気づいていない彼女に声をかけた。
「おはよう、絢辻さん。よく眠れた?」
「あら、橘君……ええ、それなりには。橘君は?」
 彼は彼女が座っているベンチに近づき、その隣に静かに座った。
「うん、嬉しすぎて疲れたみたいで。ごめんね、待たせちゃって」
「謝ることはないわ。約束は11時。でも、そうね……ある意味では謝るべきね」
 いったい、彼女を待たせてしまった以外に何を謝る必要があるのか。
 その理由を彼女は打ち明け始めた。
「わたし、橘君のことを知らなすぎたわ。だから、少しでも橘君の痛みを知りたくて。待っていたの」
 彼の痛み。それはこの時期がトラウマになったという痛み。
「でも、今のわたしにはわからないわ、その痛みは。だって、迎えに来てくれる人がいるから。それも早めにね。……でも、いくら何でも早すぎない?」
「早すぎたかな?」
 そう返す彼は笑っていたが、彼女は笑うことなく静かに続けた。
「私の思惑は無駄になったわ、5分も待てなかった」
 紳士な彼は彼女の言い分に、申し訳なさそうに軽く頭を下げた。その表情は変わらず穏やかに微笑んでいた。
 それを見た彼女は、対照的に傷に想いをはせる心情を浮かべながら想像を語る。
「きっと、辛かったわよね。こんなに寒い冬の下じゃ、余計にね。想像でしか語れないけど」
「ありがとう、嬉しいよ。僕のことをわかろうとしてくれて」
 そのまま、しばらく沈黙のラインを二人で引いた。
 そこから圧倒的な速度で先に抜け出し、主導権を握り先行するのは今日の約束を指定した彼女。全速全開、加速全快の素直な本心で突っ込んだ。
「わたし、橘君が好き。わたしと付き合ってください」
 思わぬ告白に彼は驚き、声が出なかった。第二どころか第一本心が止まってしまった。
 そんな彼にお構いなく、もう少し振り回す彼女。
「ずっと、このまま、わたしの隣にいて欲しい。わたしに帰りたい居場所をください……ねぇ、聞いてるの?」
「あ、ああ、えっと、もう驚いて嬉しすぎて。と、とにかく、その、嬉しいよ!」
 彼女の圧倒的な速度に、振り回された彼の答えはガタガタだった。
 それでも、しっかりと貼りつき、伝わってくる嬉しさに彼女は少しだけホッとしていた。
「もう、感想じゃなくて、答えが知りたいの。イエスなの? ノーなの? ハッキリしなさい」
「もちろん、イエスです」
「……ありがとう」
 またしばし、二人で仲良く沈黙を引く。
 そして、同じように慣れたように主導権を握り振り回すのは彼女。
「ホント、わたしじゃ。橘君の痛みはわからないわ。トラウマもワナも知らないのだから」
「それは、僕も同じだよ。サンタさんがいない、そんな10年以上を知らないもん」
「そうね、お互い知らないことがいっぱいね」
 二人して揃って笑った、メダリストのシンクロのように。
「ところで……その袋、何?」
 彼女は彼が膝の上に乗せている白いビニール袋を指さした。
 まるで、その袋に自我があるように、彼女の関心は無意識に引き寄せられた。
「あっ、これね……」
 初めて彼もその中身を目視した。
 団子と缶ラムネが二人分。それを見た時、彼は中間色が言った意味を遅れて理解した。
「お土産を貰ったんだ、一緒に食べない?」
「貰う理由がない……なんて言わないわ。ありがとう、いただくわ」
 もし、一人分しかなければ、彼女にあげるつもりだった彼。
 だけど、そんなことをされたら断っていただろう彼女。
 最初から二人に受け取って欲しい、無言のお土産だった。
 二人で食べ応えのある団子を頬張り、夏の象徴を飲んだ、その瞬間。二人の中で何かが炭酸の泡のように弾け飛んだ。
「冬にお団子とラムネ……橘君のセンスって不思議ね。いいえ、頭がおかしいんじゃないの?」
「えっ、これは、絢辻さんの……」
 そう言いかけて彼は止めた。
「わたしが何よ?」
 彼女は追い打ちをかける。
「いや、何でもない」
 そのまま、冬の冷たさよりも冷たいラムネと共に、ごまかそうとした秘密を彼は呑んで飲み込んだ。
 その甘酸っぱい味は、忘れてしまった懐かしいモノクロ。
 今、この瞬間は、鮮やかな心境の三原色カラービジョン。
 何かの夢からさめたような気分の彼女は既視感を零した。
「わたし、このお団子、どこかで食べたことがあるわ」
「実は僕も。でも、なんか前よりも凄く美味しい。味は変わってないはずなのに」
「そうね……わたしも凄く美味しく感じたわ。プラシーボ効果かしら」
「吊り橋効果ってやつだね」
「……へぇ、橘君にとって、わたしは恐怖の象徴なの?」
「違うよ! ほらステキな人と渡る吊り橋は、ドキドキが三倍って。それが吊り橋効果だよね?」
 橘式吊り橋効果と絢辻式吊り橋効果。その間には少し隔たりがあった。同じ言葉も使い手が違うだけで、その意味が歪んでいく。
 たぶん、五感もそうなのだろう。隣にいる誰かが、味を思い切り歪めていく。同じ美味しい団子が、前よりも圧倒的に美味しく感じた二人は抜群。
 そのまま、どこで食べたのか。思い出せない、違和感を忘れるように切り出したのは彼女。
「橘君、わたしに新しい世界を教えてくれる?」
「新しい世界?」
「そう、このまま進んだら、わたし、狭い世界で泳ぐ蛙だって気づいたの。だから、広い世界を見てみたくて」
「広い世界ね……あっ! じゃあ――」
「まだ、それは早いわ」
「まだ何も言ってないよ?」
「その目でわかるわ。外したら、わたしに好きなことをしていいわよ?」
「す、好きなこと?」
「ほら、それよ。エッチなことは、もう少しだけ後に。楽しみは何とやらってね」
「絢辻さん、凄いね。名探偵みたい」
「橘君が素直すぎるのよ。わかりやすいほどにね。……羨ましいくらいに」
 笑う彼女に続いて、彼も笑う。愉快な雰囲気が伸びていく中、彼女は飛び込みたい世界を見つけた。
「そう、ゲームセンターがいいわ。ゲームセンターにわたしを連れてって」
「えっ、ゲームセンター?」
「ダメかしら?」
「いや、絢辻さんを連れて行っていいのかなって」
「わたしの評判と印象に影響があるって?」
「うん、傷が入りそうって」
「大丈夫よ、どんな評判も印象も気にせず進めばいいのだから。とっても簡単なことよ」
 そう迷わず答えた彼女からは、溢れんばかりの自信が零れていた。
「それに、橘君が好きなこと。わたしも知りたいの、今は」
 真っすぐな彼女の声に、彼も迷うことを辞めて追いついた。
「わかった、じゃあ行こうか。ゲームセンター、久しぶりだよ」
「ええ、道案内よろしくね」
 ゆっくりと立ち上がり、自分たちで決めた今へ向かって二人は歩き出した。
 
 
 彼の秘密の根城、ゲームセンターへ辿り着いた二人。
 この世界を知らない彼女にとって、そこは不思議の国だった。迷い込んだ彼女が迷子にならないように、紳士な彼はわかりやすく自分の一面を紹介していく。彼の好きなものに触れて満足そうな彼女。その目に飛び込んだ真新しい筐体に彼女の関心が奪われた。
 そのまま、それを訊ねた、関心を独り占めにした不思議な筐体を。
「橘君、アレは何?」
「え、こんなゲームあったかな……」
 彼が首を傾げる視線の先には峠を攻めるゲーム。
「へぇ、峠を走るゲームなのね。面白そう」
 かなりノリノリな彼女の好奇心が先行する。
 それに続く、紳士な彼の親切心は提案した。
「遊んでみる?」
「え……」
 突然の提案に、しばらく操作説明を眺めて考える彼女。
「そうね、遊びましょう。お手柔らかに」
 格闘ゲームなどよりは、何とかなりそうだと思った彼女は申し出を受けた。
 二人揃って筐体に座って条件を選択した。
「いろんな車があるのね……。あら、スズキの車は一台しかないわ。へぇ、カプチーノ……」
 車を選びながら言う彼女。その後を追うように、のんきな声で彼は続いた。
「なんかコーヒーみたいな名前だね」
「みたいじゃなくて、コーヒーの飲み方のひとつよ」
「へぇ、そうなんだ……」
「これで、また一つ賢くなったわね。感謝して欲しいわ」
「ありがとうございます、絢辻先生」
 二人揃って笑った。そして、彼女は決断した。
「この車にするわ。一人ぼっちのカプチーノ。なんか昔のわたしみたい」
「孤高のカプチーノって感じじゃない?」
「孤高? 孤高の意味わかっているの?」
「たぶん? ほら、カプチーノは唯一の軽自動車だし」
「軽自動車?」
「ほら、ナンバープレートが黄色でしょ?」
「あら、本当ね」
「普通車にも負けない軽自動車。孤高の存在じゃない? 絢辻さんみたい」
「つまり……わたしは非力ってこと?」
「走ってみればわかるよ、非力か強力かは」
「生意気ね、いいわ。走りましょう」
 
 碓氷、左周り、昼、晴れ、BGM『Emotional Fire』。
 最初は橘さんが先行し、絢辻さんはいろいろ確かめるように走っていた。
 一周目終盤。めがね橋のヘアピンで、橘さんの内側の隙間から抜いた、絢辻さんのカプチーノ。その先は隙のない走りで先行し続ける、統べるカプチーノはとんでもなく速い。どんどん速度が乗る強力で暴力的な走りに、引き離されないように食らいつく橘さん。
 最終のめがね橋のヘアピン。速度が乗り過ぎたカプチーノは壁を少し擦るが、直ぐに立て直す。それでも止まらない減速。後ろから立ち上がりの加速で迫る橘さんの車は距離を確実に詰める。40、30、20……10。遂に抜き去った。最終的には、橘さんの10メートル先行で終わった。
 
「さすがね、橘君」
「それはこっちの台詞だよ。あんなに先行するなんて。本当に初めて?」
「ええ、初めてよ。橘君は?」
「僕も初めてだと思うんだけど……」
「歯切れが悪いわね」
「どこかで遊んだ気もするんだ。でも、違うレースゲームかもしれない」
 そう答えた彼。それ以上、彼女は問い詰めなかった。
 初めてのはずなのに、初めてじゃない違和感。
 そんな不思議が、聞かなくてもわかるくらい漂っていたから。
 
 ゲームセンターを後にした二人は、ゆっくりと街を歩いて行く。
「橘君、ありがとう。楽しかったわ」
「僕も嬉しかったよ、一緒に遊べて」
「けっこう、いいものね、ゲームも。少し悔しかったわ」
「え、悔しいの? あんなに綺麗に走れたのに」
「少しね。最後の曲がり角、もう少し減速すればよかったわ」
「ずっと、ノーミスだったから、スピードが乗り過ぎてたね。シフトチェンジした?」
「シフトチェンジ?」
「曲がる手前で、シフトを下げるんだよ。それも減速手段の一つで……」
 軽く肘で小突かれた、彼。
「そんな大切なこと、最初に教えなさいよ」
「ご、ごめん。僕も走りながら気づいてさ」
「いいわ、また一緒に走りましょう」
「うん、また走ろう」
 嬉しそうに笑う彼。それに続いて彼女も笑ったが、直ぐに何かに呆れるように呟いた。
「わたし、ずっと思い違いをしていたわ」
 そう切り出した彼女に彼の心が向く。
「早く自立すればいい、って本当に思ってた。だから、そのための最短ルートを歩てたわ。でも、それって……わたしの父と同じ歩き方なのね」
 彼は黙って、彼女の想いを受け止めていた。
「皮肉ね、ミイラ取りがミイラになる。このまま、歩いていたら。嫌いな人になっていたわ。表側は人気者でも、裏側では誰のことも見ていない。無関心なマスコットよ。あなたとは対照的ね」
「え、僕と?」
「そうよ、わたしを受け止めてくれる橘君とは対照的よ。誰にも認めてもらえない、見てもらえない。その辛さはわたしも知っているはずなのに。気がつけば、表面的には知っていても、誰も見ていない無関心なかめだったわ」
 振り返ってみれば、彼と出会うまでの彼女は、確かにそんな感じだった。
 長所短所、表面的なことは知っていても。どうして、なぜ、そういう関心を持って接することはなかった。訊ねなくても、話をしなくても、わかるって思っていたから。
「愚かだったわ。特別な服を来て、形のあるプレゼントを渡す。そんな役目になれば、誰かを喜ばせられる、そう信じていた。本の読みすぎね。人の気持ちをちっとも知ろうとしなかった。橘君と出会うまで」
「え、僕に?」
「そうよ。橘君の何気ない一言が嬉しかった。そういうことだったのよね。いきなり、無関心な誰かがプレゼントを置いていくより。ちゃんと関心を向けてくれる、その日々が嬉しいプレゼント。わたしが一番欲しかったもの。だから、ありがとう」
「そ、そんな、こちらこそだよ。それに……絢辻さんのサンタ姿、素敵だったよ」
「一番、橘君が喜んでいたものね」
「うん、凄く嬉しかった。だから……いつか、また」
「……今度は、あなたの前だけでね。ちょっと恥ずかしすぎるのよ、あの恰好」
「ぼ、僕だけの絢辻サンタさん……」
 鋭く軽く甘く小突かれた、彼。
「はい、妄想タイム終了ー! いつかの当日をお楽しみに」
「う、うん……でも、僕、誰かを喜ばせたいって思う絢辻さんが好きだよ」
「そう? 誰でも同じじゃない?」
「なんだろう……絢辻さんのは分け隔てがないというか。見てもらえない辛さを知っているから。できるだけ遠くまで見たいって。そんな想いの分が違う気がする。身近な人を喜ばせたい、そういう想いとは違う感じ」
「そういうものかしら?」
「たぶんね。まだまだ、お互い知らないことがいっぱいだね。コーヒーの飲み方とか」
「そうね、いっぱいね。軽自動車のプレートは黄色とか。だから、楽しみだわ」
 日曜日、クリスマス、誰かの誕生日に彼女は今後を語り始めた。
「わたし、目標があるの。今もそれを変えるつもりはないわ」
「うん、変えないで、そのままで」
 そう彼が返せば、ホッとした彼女は穏やかに続いた。
「でも、気づいたの。わたしのやり方に。急ぐんじゃなくて、しっかり向き合うわ。昔のわたしに似た誰かに気づいて、見つけられるくらいに。橘君のようにね」
「え、僕?」
「そうよ、とぼけてないで、少しは堂々と誇らしげにしなさい……なんて、今の橘君が好きよ」
 そのまま、二人笑う。
 ゆっくりと歩く、お昼前の街のどこかで、彼も新しい世界を求めた。
「あのさ、お腹空かない?」
「空きません」
「え、そんな……」
「ふふ、橘君は空いたのね。それで、どこかで何か食べたいと」
「うん、場所が重要なんだ。絢辻さんがよく行く、お店に行ってみたいんだ。紅茶のお店」
「あまりお腹を満たす食べ物はないわよ?」
「お腹より絢辻さんのことが知りたいんだ。どんな場所で過ごしているのか。ダメかな?」
「……そうね、あまり人には教えたくないの。いろいろ面倒になるから。でも、橘君なら知って欲しいわ」
「ありがとう。それから……最近読んだ本のことも教えてくれない? いきなり、全部は読めないけど。絢辻さんがどう感じたのか、それを知りたい」
「へぇ……長くなるわよ?」
「大歓迎、思い切り話して」
「その台詞、後悔するほど振り回すわよ」
 そう、いたずらっぽく笑う彼女に続く、彼はほんのり苦みを浮かべた。
「ははは……お手柔らかに思い切り」
 どちらも彼の本心。それが嘘になることなく並んでいた。表と裏のように。
「そういえば……よかったわね」
 そう突然、主導権を握り返した彼女は、ほんのり照れながら続けた。
「クリスマスに女の子と過ごすって目標、叶ったわね」
「あっ、本当だ」
「どう、わたしと過ごす、クリスマスは? 3、2、1、はい、どうぞ」
「最高だよ、ホント信じられない。凄く嬉しいよ」
「んー、60点」
「えー、60点?」
「いきなり、90点じゃ、その先の楽しみがなくなるでしょ?」
「なるほど、前向きな60点だね!」
「やっぱり……50点?」
「え、下げるの?」
「前向きに下げるのよ、文句ある?」
「いいえ、ありません……うん、絢辻さんの隣で過ごせるなら何点でも」
「ホント、惚れ惚れするほど素直ね。妬くほど羨ましいわ」
「絢辻さんだって素直じゃない」
「え、わたしが?」
「そうだよ、凄く自分に素直。誰かと同じ気持ちが素直とは限らないし。思い通りとは違う裏通りも素直なんじゃない?」
「……はぁ、言うわね。生意気よ、デコピン、一発」
 乾いた冬の空に、彼の額を弾く幽かな音が吸い込まれていく。
 彼女が弾いたデコピンは、限りなくアマガミのような猫パンチ。攻撃というよりも、不安を埋めるスキンシップ。それを彼女の隣で受けた彼は幸せそうだった。
 そして、彼女が通う秘密の城へ辿り着いた二人は店内へ消えて行った。
 彼女の城でお茶を飲んで、いろんな話をして、お互いの秘密に触れた後も街を巡る二人にとって、この一日は、今までで一番永く、あっという間の一日だった。
 これからも、続いていくであろう日々。その始まりはココにあった。
 
 きっと、今の二人なら、どんな分岐点も乗り越えられるのだろう。
 待ち合わせをすっぽかしてしまっても。もう一度、追いかけて突っ込んでいく。例え、拒絶されてもテキトウな距離でついていく。いつかその熱意で、傷ついた天使の凍った心も解けていく。約束を忘れた愚か者を許して、また信じてみたい自分を信じられる。そういう日が来る。
 どんな結末結果でも、自分が自分を信じている限り。自分の望む通過点へ続いている。
 今、この瞬間、先に疑った方が賢い。
 ココはワガママくらべだぜ、『秋山文法(ターボ)』。
 シカト全開、ワガママ全快。


 テツガクちゃんと肯定

 
 
「ただいま帰りました、肯定さん」
 そう玄関を開けて居間へ向かう中間色。奥から眠たそうな目の太った男が現れた。
 アメリカ娘のような奔放的な服装の中間色と目が合い、男は微笑み中間色も微笑んだ。そして、返すべき言葉を男は返した。
「お帰り。お疲れ様、ガクちゃん」
 そのまま安堵に染まっていく二人の情。
 しかし、肯定の情は突然曇りだした、夏の空模様のように。 
「……ガクちゃん、そのほっぺ、どうしたの?」
「私のほっぺですか?」
 居間の椅子にかけながら、自分の頬を確認するように触れる中間色。
 その手は、腫れ物に触れるように、かなり慎重な様子だった。
 木曜日の橘さんに見せた、生意気に誘う触り方とは対照的だ。
「そう、お化粧で何を隠しているの?」
 眠たそうな肯定の視線の先。何かが隠れていると、疑念を抱かれた中間色の頬は、片方がほんの少しだけ膨らんでいた。
 その膨らみからして、たいしたものは隠せない。せいぜい、飴玉くらいだろう。
 小さな小さな飴玉の秘密。その幽かな膨らみに気づかれてしまった中間色は、疑念を振り祓おうと振り回すことなく、真っすぐ加速し始めた。隠せないほどに。
「こ、これは……肯定さんには、隠しても無駄ですね。これは償いの証です」
 観念したように呟き、丁寧に化粧を落としていく中間色。
「……ずいぶんと酷い毒りんごだね」
 露になった、頬の毒りんご。驚いた肯定は、しばらく頬に刻まれた償いの証。それを心配の情で覗いていた。
 そのまま、黙り込みながらも、これから中間色がどんな今を進みたいのか。それを察した肯定は、話題を緩やかに穏やかに確実に切り始めた。
「しかし、酷く派手に受けたものだね。猫をかぶったライオンと一戦交えたのかと思ったよ。不戦神話を解いてさ」
「ライオン……いえ、虎でしたよ! 孤高の虎でした!」
「孤高の虎ね……。きっと、龍にも負けない虎なんだろうね」
「負けるはずがありません! 私に毒りんごをくださるくらいですから」
 全く意味がわからない理由と自信。
 それらは、肯定にとって落ち着けるいつも通り。
 居心地よく、安らげる今。この話題の立ち上がりで伸びる加速。先行の肯定が、ほんの少し中間色を振り回す。
「まったく、酷い無茶をする人もいたもんだ。狼をかぶるのが上手くて、ずいぶんとワガママな人がさ」
「まったく、困った人ですね。無茶ばかり、ワガママばかり、お茶会ばかり。いったい、どこの不思議の国のウサギでしょうか? 見当もつきません」
 そう中間色が真面目に答えれば、肯定は笑い中間色も続いて笑う。
 そのまま、伸びた穏やかな空気から、緩やかに曲がるように呟くように肯定は答えた。
「よかったよ、無事に帰ってきてくれて。それから、ありがとう。帰ってきてくれて」
 そんな答えに再び先を越されて、出遅れた中間色は追いつこうと加速した。
「当たり前に然り、当然です。私が帰る場所は、肯定さんの隣か前です。まだまだ、振り回しますよ。どこまで、憑いてこれますかな?」
「そりゃ、どこまでもね」
 そう迷わず肯定が答えれば、中間色は満足そうに笑い、滑るように新たな提案を明かし始める。
「そうでした、相方に心配をかけてしまった、悪いワガママ娘にはお仕置きが必要です」
「えっ、そうなの?」
「そうなんです、必要です。肯定さんを心配させてしまった、その代償。それを償うお仕置きが……。さて、何がいいですか?」
「何がいいって言われてもね……。あんなこと、こんなこと、いっぱい叶えてもらったからな……」
「それなら、私が決めてもよろしいですか!?」
「えっ、まあ、どうぞ。ただ……あまり無茶なお仕置きはダメだよ?」
「大丈夫です、テキトウに適切なお仕置きがあるんです」
 そう自信に溢れた言い分を残し、棚から一本のゲームソフトを持ってきた中間色は、嬉しそうにお仕置きを説き始めた。
「肯定さん、このゲームで私と一緒に走ってください」
「それが、お仕置きなの?」
「お仕置きです。私、赤城の白い彗星に追いつけないんです。ですから、肯定さんと一緒に練習をして、少しでも近づこうと」
「それって……お仕置きというより、ご褒美じゃない?」
「私が追いつけるまで、一緒に走ってもらいます。ですから、お仕置き……はっ、これでは、肯定さんにとってのお仕置きですか?」
「いやいや、僕にとっては嬉しいご褒美だけどさ」
「そうですか? それから、その後は……」
「その後? まだあるの?」
「はい、今回の遠征で脚が疲れてしまって。その、申し訳ないのですが……ほぐしていただけませんか? お仕置きだと思って」
「お仕置きね……凄いお仕置きだね」
「もちろん、私からもお返しはします。肯定さん、肩が凝っていますよね? 私の三角締めでほぐさせてください」
「とんでもないご褒美だね……」
「どうです、一緒に赤城の夜の下りを走っていただけますか?」
「お仕置きにご褒美がなくても、一緒に走るよ。並んでみたいもんね、赤城の白い彗星に」
「一秒でもいいので、並んでみたいんです!」
「わかったよ、僕は何に乗ればいい?」
「もちろん、決まっています、カプチーノです」
「それじゃ、ガクちゃんは?」
「もちろん、私もカプチーノです。どちらがワガママなカプチーノか、今夜こそハッキリさせましょう」
「そういうことね。たしかに、そろそろ僕だって追いつけるのかも。僕がガクちゃんに追いつくか、ガクちゃんが白い彗星に追いつくか。面白いじゃない」
「面白いです! まごまごしていられません! 朝が孫を連れてきてしまいます。面白いは急げ。コントローラーの準備はよろしいですか?」
 静かに頷く肯定。慣れた手つきで条件を指定して、レース開始の画面。
 
 赤城、下り、夜、晴れ、『Queen of Mean』。
 二台のカプチーノが揃って飛び出し、そのままワガママに走り続ける二台。あまりにもワガママ過ぎて、いくら走っても明ける夜はなく。夜の延長戦は終わらない。
 明けない夜。いったい、何本走ったのか。覚えていられないほどに走る二人。
「予備クイーン~」
 そう、ゴキゲンに歌いながら滑るカプチーノ。それを追いかけ回すのは、ウカレタ走りのカプチーノ。追いかける運転手が先行の運転手に疑問符を飛ばす。
「予備クイーン?」
「予備クイーンです。聞こえませんか? 『Queen of Mean』の歌いだしのアレです」
「ああ、これか。予備クイーンね。でも、先行するクイーンに予備はないよ。今度こそ……」
 肯定は赤城の下り後半の連続ヘアピンで仕掛けた。
 内側を滑るクイーンのカプチーノに、ピッタリと貼り憑くように滑らせた。そのまま、二台のカプチーノが仲良く滑っていく。
 後ろのカプチーノが前に近づくにつれ、内側に少しずつ隙間が広がっていく。それを知っていたかのように、後ろから抜きにかかった、その時。車の動きが乱れ、変な軌道で押し出された先行の車。対照的に、抜きにかかった肯定の車は後ろへ吹き飛ばされた。
「ガクちゃん、やったね……」
「いえいえ、私、ブロックはしていません。予備クイーンですよ、予備クイーン。私の残光残像を見ていたんですよ」
「じゃあ、あの内側の隙間は」
「それが、私の予備クイーンです。本当の私は、インベタのさらにインを攻めるような走りで内側を守っていて。ですが、私の予備クイーンが見えてしまった、肯定さんは、私が守っていた内側へ突っ込んでしまった。ですから、挙動が乱れて、お互い引き離されてしまった」
 そう、もっともな雰囲気で語るが。どうにも納得できない、そんな情をあらわしていた肯定に中間色は提案した。
「私の予備クイーンが見えてしまうほど、疲れているんですよ、きっと。ですから、いったん休みましょう」
「たしかに、少し意識が白っぽくなった気がする。それに、予備クイーンがいるなら大丈夫だね」
「そうですね、と言いたいところですが。赤城の白い彗星さんには、予備クイーンは見えないみたいです」
「そっか、甘くはないんだね」
「そのようですね、アマくは……ないみたいです」
 そう呟くように言った後、中間色はどこか遠くへ行ってしまった想い出を眺めていた。
「でも、そろそろ並べると思うよ。この時期のサンタさんのそりよりもキレた走りだったし。何より、この僕が予備クイーンとは言え、ガクちゃんの隣に並べたわけだからさ」
 意識が白っぽい肯定の言い分。後半の心情を理解できるのは、ワガママな中間色くらいだろう。その意味を理解した色は、嬉しそうに抜き去るように答えた。
「本当ですか!? サンタさんのそりにも並べそうですか?」
「ガクちゃんなら前に出て振り回すんじゃない? とにかく、速かったよ。めちゃ速、バカっ速でキッレキレだよ」
「ありがとうございます。肯定さんが、そう仰るのでしたら。並べる気がしてきました! 次の機会が楽しみです!」
 疲れて予備クイーンが見えてしまうほど、マジに走れた肯定の走りは昔よりも一歩前。それでも並ぶのが精一杯だったのは、同じように中間色も一歩前に出たから。
 今夜、肯定が叶えた目標。きっと、次は中間色の番だと、疑うことなく一方的に信じていた、肯定の心情は白い意識の中でも消えない。
 二人は揃って、静かにコントローラーを置いた。
 
「お客さん、かなりお疲れですね」
 足の裏を揉みほぐしながら言う肯定は続けた。
「そうとう、過酷な遠征だったようですね」
「もう、それはそれは。八甲田山と同じくらいですよ。あっ、効きます。そこです、底……深淵をほぐす時、深淵もほぐされている……」
 そう満足そうに呟く中間色。しばらく、目を閉じてぐったりとしていた。
 しかし、癒しのひと時は、思ったほど長く続かなかった。
 目を開き、中間色は肯定に注文をつけた。
「肯定さん、気持ちいいのですが……もう少し上をお願いします」
「上? ココかな?」
 そう言って、ふくらはぎを揉みほぐしだした。
「あっ、効きます。鬼怒川温泉と同じくらいです。たぶん……」
「かなりいいところだよ、鬼怒川温泉。いつか、一緒に行けたらいいね」
「是非、一緒に行きたいですね!」
 しばらく黙っていたが、再び中間色は注文をつけた。
「肯定さん、抜群の揉み方なのですが……もう少し上をお願いします」
「えっ、上?」
 手を止め、少し考え、ゆっくりと恐る怖る膝の裏に手を当てた。
「ちょ、ちょっと待ってください! そこはくすぐったいです! もう少し上をお願いします」
「上って……太ももじゃない」
「そうですね、太ももですね。太ももの内側を撫でてください、遠慮なく」
 困惑気味な肯定だったが、いまさら止められないワガママ。
 そのまま、注文通り撫でた。柔らかく温かい中間色の太ももの内側を。
 しばらく、沈黙が続いた。
 何の反応もない中間色。気まずい肯定の理性はいつ止めたらいいのか、その機会を探していた。だけど、このまま、ずっと……そう思う本心との間で板挟みだった。そんな心情を察したのか。ゆっくりとワガママは口を開いた。
「どうですかね? 私の太ももは。太り過ぎましたかね?」
「今が最高の状態だよ」
「本当ですか!?」
「うん、最高だよ」
「ちゃんと温かいですか?」
「うん、凄く温かい」
「それなりに柔らかいですか?」
「うん、驚くほど柔らかい」
「そうですか……それなら――」
 唐突にうつ伏せから体を仰向けに返す流れの中で、中間色は肯定の右腕を巻き込み三角締めを決めた。伸びる肯定の右腕からポキッ、ポキッと音が鳴る。
「攻守交代です! どうですか、肯定さん? シッカリ、腕は伸びていますか?」
「も、もう、バ、バッチリだよ……」
 彼女の太ももに挟まれて、上手く喋れないなりに返した。
「少しは疲れもとれますかね?」
「か、かなり効くね……痺れが消えていく感じ」
 絵を描く肯定は、最近利き腕が赤くなる症状に悩んでいた。
 変な姿勢なのか、本人にもわからないが。ペンを滑らせ続けると、足が痺れるように腕が痺れていた。そのたび、腕を高く伸ばして、それをごまかしていたのを知っていた中間色。
 だから、こうして自慢の脚で挟みながら、肯定の利き腕を引っ張っていた。
「ありがとう、ガクちゃん。もう大丈夫だよ」
「えっ、もういいんですか!? もう少しゆっくりしましょうよ」
「そりゃ、何の不満もない居心地のいい楽園だけどね。これ以上、腕を引っ張られたら右腕だけが長くなっちゃうよ」
「それは、大変ですね! 左腕も引っ張りますか?」
「今、辞めれば、たぶん大丈夫。ホント、ありがとう。かなり楽になったよ。それから、いろいろ最高だった」
「本当ですか?」
「ホントも本当だよ。抜群の三角締めだよ」
 中間色の足が解け、解放された肯定は右腕を確認する。その表情は晴れやかだった。永らく憑きまとっていたモノから解き放たれた快晴の今、話も弾んでいく。
「そうですか? 私は、もう少し瘦せた方がいいと思っていました」
「何を言っているの。太ももが痩せたら、ただのももじゃない。焼き鳥だよ」
「そうですね。焼き鳥になってしまいますね」
 そう返して笑う中間色を追いかけるように笑う肯定。
 そのまま、笑っていたのは数秒ほどで。何かを思い出した中間色は、静かに食べ物の名を呟き並べ始めた。
「ハンバーグ、目玉焼き、から揚げ、ウィンナーのベーコン巻き……」
 このスターティングオーダーは、絢辻さんが橘さんに持ってきたお弁当のおかず。それを誰が作ったのか。その疑問符を勝手に滑らせていく中間色。
「いったい、このお弁当を誰が作ったのか。それは私達には知る由もない謎ですが。なんとなく面白い可能性を思いついたんです」
「どんな可能性?」
「それは……絢辻さんお気に入りのお惣菜屋さんから集めた、助っ人オールスター。まるで、クリスマスツリーの飾りつけのように。そんなテキトウな可能性です」
「あのお店のこれとそれは外せないって悩んだり?」
「していたのかもしれません!」
 笑いながら返す彼女は違う可能性も滑らせた。
「お姉さんやお母さんが作った。そんな可能性も捨てきれませんが。少し違和感があります。絢辻さんが作って欲しいと頼むとは思えません」
「仲良し家族なら、それがピッタリな可能性なんだけどね」
「ピッタリでしたね。ですが、橘さんが美味しいと言った後、あの喜び様は少し不思議です」
「けっこう不思議だね。もし、苦手なはずのお姉さんのお弁当が美味しいって言われたら複雑だし。それにあの喜び方は安心というよりは……」
「自分の選択が大正解だった。そう微笑むスマイリーに近いです」
「スマイリーに近いね。好意で差し入れするモノのが、自分が苦手に思っている人からなんてね……。そこは意地でも自分の想いは譲って欲しくない。そう考えると、お惣菜はいい妥協点だね。だから、僕らの間では、あのお弁当のおかずは、絢辻さんお気に入りのお惣菜屋ってことにしておこう」
「そうしておきましょう。わからないからこそ滑れる、掟破りの自分勝手仕様のままで」
 そう言って、しばらく沈黙を引く中間色。当然、肯定もその沈黙に続いた。いつでもワガママについて行けるように。
「私、思うんです……」
 そう静かに加速し始めた中間色の言い分にピッタリと貼り憑く肯定。そのまま、振り回され始めた。
「きっと、私が何もしなくても。絢辻さんと橘さんはこうなっていた、と」
「そうだね。きっと、別の選択肢もそうだろうね。約束を忘れてしまった後の可能性だって。たぶん、こんな感じで一緒になるんだよ」
「一緒になった二人なら大丈夫ですね」
「大丈夫だろうね。サンタクロース。髭に赤い服、形のあるプレゼントは、表面的な象徴だと気づいた絢辻さんなら象徴の深淵を覗ける。その底から手を伸ばした橘さんが隣にいれば――」
「自立なんて許さない社会でも、私の憧れのスナフキンさんのように自立できるのかもしれません」
「できそうだね。今まで気づけなかった未知に気づいた者だけが進める道。そう信じる愚か者がいる限り」
「そうですね、ココに二人もいますからね。一方的に信じている限り、裏切りなどは追いつけません」
「あっという間だからね。追いつけないよ。そんなことくらい、あの二人は最初から知っていたと思うよ。でもさ、やっぱり――」
「善は急げ、悪は待て、夢は追い越せ、ワガママは貫けです! 私が一秒でも速く、違う結末を見たかったから。飛び込んだ、ワガママと夢は大正解でした」
「ガクちゃんがもともと持っている抜群の疑問符に加えて。人をあっという間に振り回す、このワガママ。まだまだ振り回したりない、ワガママは加速中。『酒井文法』だね」
「思い切りスマイリーになってしまいますね」
 違和感などなく、馴染むような中間色のスマイリーには確かな思惑が隠れていた。まだまだ物足りない、そんな思惑が。
 それに気づいていたのか、ただの偶然か。スマイリーな中間色から肯定は主導権を奪い。思い切り話題を切るように、かなり不可思議な自分の心境を目の前の色にあらわし始めた。
「まさかね、この僕が、こんなことを思うなんてね……」
 あまりにも突然な告白。余韻に浸る暇もなく飛び出した言い分。
 そのまま、随分と驚きながら、少し嬉しそうに、かなり馬鹿げたことを肯定は続けた。
「昔、どこかの帰り道でガクちゃんが言ったこと。僕と絢辻さんが似ているって。今、振り返れば……そう思える。不謹慎だけど」
「私の目は確かですからね。似ていますよ、表面的な部分ではないところが」
「全国全世界の絢辻さんファンの皆様方には申し訳ないけどさ。もちろん、違うところはいっぱいある。内面は頑張るカメじゃない。だから、誰かの為になんて、微塵の欠片も思ったことがない」
 肯定はため息をついて、少し間を残してから続けた。
「だから、驚いたよ。サンタクロースになりたい、そう思える絢辻さんが。物凄く羨ましく感じて。そのまま、絢辻さんみたいな人を振り回したいって思い始めた、今。ガクちゃんに影響されたみたい。そんな今が凄く嬉しい。誰かを振り回したいって思える今が」
「どうも、そのようですね。私みたいになってしまったようですね。私も嬉しいです、この今が」
「そうだね。そう気づけたのは、もう昔とは違うから。絢辻さんと似ていたと思えたのは昔の自分。今の僕は先行する憧れを追いかけている。その距離は――」
「確実に近づいていますね!」
「そうだともっと嬉しい。僕の前を進む、憧れのワガママ・クイーンに近づけているのなら」
 肯定は中間色の深縁を覗いた。今、目の前に見えるのが、予備クイーンではないと一方的に信じたまま、その色に訊ねた。超ワガママな色に。
「僕にもできるかな? ガクちゃんみたいに。一人で頑張っている誰かを振り回すのって。そう、絢辻さんみたいに面白い人をワガママに振り回すのってさ」
「そんなの決まっているじゃないですか! 私仕込みのワガママな好奇心ドリフトがあるんですよ? ココまで私に貼り憑けたら。肯定さんだって、誰かを振り回せるはずです」
「そうだね」
 少し頼りなく疑いながらも。振り回したい、鯛が憑いたワガママを一方的に信じていた。
 そんな肯定の深縁に気づいていた中間色は抜き返した。
「深縁を覗く時、深縁からも覗かれている。それならば、ワガママに振り回される時、ワガママを振り回している、です。迷うことなく、全速全開の好奇心ドリフト。立ち上がりはワガママが加速全快です」
「そうだね、シカト全開、ワガママ全快だね」
「そうです、つまんないことはシカトして、ワガママを貫けばいいんです。誰が何と言おうとも、環境がどうなっても。愚かなFRはだだ滑りです!」
 そう言い切る彼女はめちゃ速だ。圧倒的な最速神話。
 その速度から剥がれ落ちていく何か。それに気づいた肯定は再び訊ねた。
「あれ、ガクちゃん……ほっぺの毒りんごが……」
 さっきまで、立派だった毒りんご。それが幽かに小さくなったように思えた肯定は続けた。
「きっと、こんな感じに消えていくんだね」
「消えていくのでしょうね」
 肯定が描いた見えない未来に迷わず続いた中間色。
 そのまま、見事に切り返した。
「何事もノーチャンスです」
「ノーチャンスだね。だから、チャンスには頼らないよ。最初から当てにしてないけど。このまま、僕の我がままを頼りに追いかけるよ。だから……力を貸してくれる? 何も返せないんだけど」
 そう肯定が訊ねると、中間色は笑った。
 しばらく笑い続けてから、ゆっくりと答え始めた。
「相変わらず、面白いことを仰いますね、肯定さんは。……ですが、お互いイーブンですね。私も変なことを言っています。それに、私も何も返せません。ですから、一緒に追いかけましょう!」
「ありがとう、ガクちゃん。やっぱり、最も頼りになる頼もしい相方だよ。ホント、心から」
「それは私の台詞ですよ」
 そう中間色は笑いながら沈黙を短めに引いて、スッカーンとワガママを貫いた。
「さて、この世のことは橘さんと絢辻さんに任せて。私達はあの世へ向かいましょう」
「あの世ですか? 相変わらず、ガクちゃんの想像力は予想の遥か外だね。退屈しないよ」
「それもこれも、誰からも気づかれない今のお蔭です。痛みや辛さに思える、今も。見方を返れば、ワンダーランドへの片道切符です」
「ガクちゃんくらいじゃない? シカトされるのが竜宮城への片道切符なんて言えるのは」
「私は愚かな赤点クイーンですからね。ですが、無関心って悪くありませんよ。なぜってお互い様じゃないですか。私達がこの世をシカトするのだって。自己責任、自業自得ですよ。この世から人が消えていくのは」
「そっか、お互い様。イーブンだね。誰かを糾弾する時、自分も糾弾されている」
「イーブンです。誰からも気づかれない愚かなFRうさぎ。どっちらけな現状特有の面白くない日々。だからこそ、抜け出すことが可能な掟破りのシカト滑り! 『小柏文法』です」
「抜け出した先が、こんなに愉快なお茶会なら大歓迎だね。『酒井文法』も滑り出しそう。もう、この世にはうんざりなんだ。飽きてしまったよ」
「それなら、もう少しだけ続けましょう。GOです、GO! もう一戦やりますよ!」
「もう、一戦?」
「峠を攻めるゲームの続きです。次は、いろは坂です」
「えー、ガクちゃんのホームコースの一つじゃん。……面白い、受けて立つよ。あの世へ辿り着くまでね」
 再びコントローラーを手にした二人。永遠に明けることのない夜を滑り倒していく、その中で、確実に肯定は中間色に染まっていった。
 
 自分で決めた、信じられるものがあれば。
 時間も場所もシカトしていける。
 教え説かれた思い込みで、見えなくなっていく我がまま。
 だから、時々、シカト全開、ワガママ全快。
 
 もし、遠い昔の誰かみたいに。
 不器用に我がままを隠している誰か。
 ちょっと最近の誰かみたいに。
 もう限界だって呟いている誰か。

 一人で頑張り過ぎて、押し潰されそうな今があったら。
 中間色、ワガママ・クイーンを呼んで欲しい。
 同時にたくさんの人の話は聴けないけど、一対一なら貫けるワガママ走り。
 並んで走ってみたい。そう思ってもらえたら、かなり嬉しい中間色はテキトウ・テツガク。
 だから、想像力があれば、どこでもワンダーランドへ続いている。


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