最期の手紙
芳久さんは葬儀屋で働いた経験がある。
葬儀屋なんて気楽なものだろうと始めたが、これがなかなか疲れる。
祭壇を作ったり棺を運んだりで体力を、遺族への対応で気力を削がれた。
それに、変なものが見える時もある。
そんな中、意外にも知らない人間の遺体の不気味さは、すぐに慣れた。
生きている人間の不気味さのほうが、余程慣れないものだ。
その日の持ち回り表には、事故損傷の旨が記載されている現場があった。
事故死の場合は遺族と警察に向かい、葬儀屋が遺体を受け取る。
黒ビニールで配慮された損傷遺体。吐き気を催したが、喉を鳴らして飲み込み、作業を始めた。
部屋の隅では黒い靄がゆらゆらとしていたが、そんなことに構っている余裕はない。
火葬場の予約は明日。遺族の元に帰すには手早く整えなくてはいけない。
整えた上で納棺を終え、打合せをしている先輩の下へ向かう。
戸を開けると先輩の背中越しに遺族が見えた。
故人は30歳の男性。そのご両親なのでおそらく5.60代あたりではないだろうか。
父親は神妙な面持ちで資料を見やり、母親はハンカチで口元を覆うようにして相槌を打っていた。
自分の背後から黒い靄が素早く部屋に入り込む。
靄は、母親の後ろでぴたりと止まった。
―日付は変わり、出棺当日。
別れ花も済み、いざ釘打ちの儀に入ろうと副葬品の確認をした。
すると母親が「あの、これも棺に入れていいですか」と30冊以上もあろうかというノートを差し出してきた。表紙には育児日記と書かれている。
「申し訳ないですが、冊子は難しいです。数ページ切り取った状態なら大丈夫ですが…」
「そうですか…中身は恥ずかしいから、数ページだけ封筒に入れてきます」
そう言い、踵を返した瞬間。ノート数冊が床に散らばった。
うちの一冊。落ちた衝撃で、癖のついたページが露わになる。
死ねばいいのに。
消えろ。消えろ。
死ね。死ね。死ね。
乱雑に書き並べられた呪いのような言葉が目に入った。
無言で母親はノートを拾い、ニタリと笑った。
「封筒に入れてくるので、待っていてくださいね」
その後、芳久さんは霊柩車を運転しながら、後部座席に座る母親を盗み見た。
何故か大きくなった黒い靄を背負っている事と、ハンカチで口を覆い、うつむいている姿しか確認できない。
だが、その表情はおそらく笑顔だろうということは想像に容易かったという。
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