見出し画像

水芭蕉の約束

彩花さんは、長野県のとある村出身だそうだ。
子供の頃の不思議な体験を聞かせてもらった。

そこはこぢんまりとした神社だった。
山の神と称され、春に田の神になり秋に山に戻る神を祀っている。
近所の信心深い住人達が世話をしていたので、山中にあるわりには小綺麗だった。
参道の階段は雑草が除かれ、敷地内に複数点在する塚も掃除されている。
お供え物も簡単なものが飾ってあった。
といってもかなり昔に廃神社となった場所。社や賽銭箱、神輿を入れた倉の戸は朽ちている部分がある。
ぼそぼそとした木の向こう側は神聖なものと思えない有様だった。

彼女はその付近を探検するのが好きだった。
敷地を進めば裏側は山。山菜や茸が採れる。
更にその奥には湿地というには水量の多い浅い川のようなものがあり、誰かが植えただろう山葵があった。

ある日、水芭蕉が咲いていたのを見付けた。

ちょうど学校で歌を習い、水芭蕉というものを知っていた。
貴重な花ということで無闇に摘んだりはしなかったが、魅力を感じた。
強い風が吹き、まるでおいでおいでをするように揺れている。
『これが手だったら神様の手かもしれないな』
元々空想癖があったこともあり、揺れる花と軽く握手をした。
『また来るね』と。

次の日からいいことが続いた。
寝坊した日はスクールバスも遅れていて間に合う。
カレーが食べたいと思ったら夕飯がカレーだった。
家族がパチンコにいけば勝って玩具をお土産に帰ってきた。
持病の喘息も走り回っても出ないほど元気だった。

充実していた彼女は神社の水芭蕉なんて忘れて過ごした。
夏の盛りにそこまで行くことがあったが、花は全て枯れ果て、雌しべがぬっくと立っていただけだったという。

季節は過ぎ、冬に近づくあたりで水芭蕉の蕾を見付けた。
茶色の手のようで、何かを引っ張って掴むような形をしていたという。
急にまた来るね、と約束していたのを思い出す。
『これ、私の悪いところを掴んでいたらどうしよう』
直感的に花開くのが恐ろしくなり、筆箱から出したハサミで全て切った。
無残に散らされた蕾。無理矢理に切られたボロボロの茎が地中に覗いていた。


調べると彼女の地元では死んだ人の魂が山の神になると言われていた。
神としての加護を授け、悪いものを引き留め、仲間になってもらうつもりだったのではないか。
彩花さんは神からのしっぺ返しを受けたのか、現在は重い喘息に苦しんでいる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?