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説明は進化する

深夜のテンションでメモ帳を開いてしまった。
これはnoteに日記という雑記をアップするほかない。

ここ数日、竹書房さんの怪談マンスリーコンテストに送る話をまとめにまとめている。
もともと4作ほどたたき台を作ってあったので、加筆修正を繰り返している。

私の筆は非常に遅い。
アイディアは溢れんばかりだし、聞いた話のまとめもスムーズ。
なのに遅い。
だって去年の7月から始めたから…なんて言っていたらそろそろ張り倒されかねない。
以前も少し書いたが、理由として一番大きいのは、音声で確認しているからというものがある。
普段の工程として

① 下書き、たたき台を作る
② それを音声アプリで聞きながら、清書ついでにWordにおこす
③ 清書したものを音声アプリで何度も聞く
④ パソコン、スマホと両方の画面で読んでみる
⑤ 理数系の友人に読んでもらう
⑥ ③④⑤を元に加筆修正しては音声で確認、更に加筆修正

ということをしている。
音声ですんなりにいかないものは、読んでいてもすんなりいかない。
とくに実話怪談のように説明が主で、文学的描写が伝わりにくいものは特に。
詩的描写ならまだ「エモい」で済むものが、文学的に入り組んだ描写を選んだがゆえに「わかりにくい」に転じてしまう。
先ほども書いたように、説明が主なら「説明」はわかりやすくなければ意味がない。

たとえば金属板にある印の部分をネジで留める指示を出すとする。
「そこ、ネジやっといて」という説明で理解するのは、かなりのベテラン大工。
どんなに勘が良くても「その印の部分を、ネジで留めておいてくれ」ぐらいは必要だろう。
子供に言うならば「そこに印があるよね。印の所をネジで、ドライバーを使って留めるんだよ。このプラスドライバーを使ってぐるぐる回すんだよ」と身振りも加えて説明すると思う。
ではこの「説明」はどう物語に変わるのか。

それは、当事者しか知らない情報を織り交ぜ、情景を描写することで昇華される。

提供者を取材したときに、当時の五感やそれまでの背景・感情を含めた様々な情報を知る。
ここで聞いた内容を説明にまぶすと、文章が息を始めるように物語に変化する。


星印が書いてある金属板。よく見ると星の中央に小さな穴が開いている。
そこに十字の頭をしたネジを留めろと言われた。
ポン、と自分の手にプラスドライバーを渡される。
「使い方わかるか?十字を合わせてぐるぐる回すんだぞ」とニヤニヤとした笑顔で馬鹿にされた。
自分もいい大人だ。ネジぐらい留めれる。
腹が立って、乱暴にネジへドライバーを合わせたが、大きさが合わない…


視点を指示された側にした。
どんな印で、どんなネジで、どういう風に指示されて、どう思ったか…
少し過剰にやりすぎたが、説明に当事者しかしらない事実を混ぜたことによって話が進む。

説明がわかりやすいか。物語になっているか。
この確認は耳のほうが早く、正確だ。
しかし、音声アプリで初見のように耳で聞いて確認するには時間が必要になる。
書き終えて頭が興奮しているうちに聞くと、文章が頭に残っていて補正がかかってしまうのだ。

書いては寝かせ、寝かせては聞き、脳内で反芻しては表現を探す。
そのうち、物語が自分の手から離れる瞬間がくる。
物語として確立した話は、あとは電子に乗せるだけ。

なかなかそこまで辿り着けないことが多いが、できるだけ粘っている。
完璧主義というよりは、読み手に親切でありたいという気持ちが強い。
実話怪談においては、提供者あってのもの。
話を大切にしたい。

というわけで、私は筆が遅い。
大義名分を掲げて、遅いと偉ぶりたい。

ぶっちゃけ、創作だったらこんなに確認しない。
物語の後ろに浮かぶ顔があるから、できる限りやろうと思う。

締め切りまであと1日。
もうひと踏ん張り。

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