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三日月と隕石

チヨさんは生まれつき右手小指の爪がない。
本来の爪があるはずの場所を押すと、とても柔らかいらしい。
つるりとした指。チヨさん自身、この小指を愛しく思っているという。

「爪は無いんですけど、爪切りはするんです」

他の指の爪が伸びたな、と感じたらその夜に爪切りをするそうだ。
しかも、とても切れ味のいい握り鋏を使う。

きっかけは中学生の冬休み。
偶然、本で江戸時代は握り鋏を使って爪を切っていたと見かけた。
好奇心がむくむくと胸で育ち、裁縫箱から握り鋏を取り出した。
糸を切る時にしか使わない鋏。
これで糸以外を切ることができるのかと不思議な気持ちになった。

彼女は、爪を切り始めた。
まずは左手。
ぱちりぱちりと乾いた音が続く。
親指。人差し指。中指。薬指。小指。
鋏を持ち替え、また親指から。
そして爪のない小指。
そこにも爪があるかのように鋏を当てた。 

ばつり。

何も無い空間から大きめの乾いた音。
爪を切るフリだったのにと驚き、手の下を見る。
すると敷かれたティッシュに、黒ずんだ爪がひと欠片落ちていた。
ぶ厚くボロボロで、触ると朽ちた木のようだった。
黒い爪を見ていると胸がそわそわとした。
そのうちに急に体が軽くなるのを感じた。

この時、チヨさんは『悪いモノ』が出ていったのかもしれないと思ったそうだ。
見えていないだけで、体の中の悪いモノは爪として成長している。
それならば切るのが正しいだろう、と。
元々病弱なことを気にしていたチヨさんは、悪いモノを出そうと試行錯誤した。
不思議なことに普通の爪切りではこの現象は起こらなかったし、体は軽くならなかった。
他の指をおざなりにして毎日切ろうとしても駄目だった。
握り鋏で、他の指の爪を切るついでに小指の爪を切るフリをする。
その時だけ、三日月のような爪が散る中に隕石のようなひと欠片が落ちたのだ。

「悪いモノは全部爪として出ていくんですよ」

チヨさんは現在55歳。
大きい病気などせず、健康だという。

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