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疑似餌

まだ毎週土曜日に午前の授業があった頃。
昼のチャイムを合図に、下校が始まった。
当時小学2年生だった知佳さん。
1人で帰り道を歩いていた。

--今日もお部屋を見ようかな。
彼女は街路樹にできた、こぶしが入るほどの大きさの洞を眺めるのが好きだった。
洞がある場所は、幾重にも重なる木の根っこの隙間だった。
本当ならば毎日でも覗き込みたい。
しかし平日の下校時間は生徒が多い。
土曜のように部活や親が迎えにくる子供が多い日。
そういう時でないと、他の子供にこの洞が見つかってしまうと不安に思っていた。
知佳さんは洞を『お部屋』と呼び、想像の中での秘密基地にしていたという。
小さくなって、ここに住みたい。
ドングリの椅子や、オオバコのベッド。入口にはシロツメクサを並べよう。
そうやって、想像の中で遊んでいた。
そしていつも思っていたそうだ。
こんなに素敵なお部屋なのに。なんで入れないの?と。

ある日知佳さんは指人形のキューピーを手に入れた。
入ることが出来ない部屋に、入れる自分を用意したくなったのだ。
彼女は翌週の土曜に間に合うように急いだ。
人形に、洋服を作り、毛糸を貼り付け、自分に似せた。
そして仕上げに人形の腹に大きくチカと書いた。

待ちに待った、土曜日。
洞の中に自分に似せた人形がそっと置く。
「あなたは、私よ。ここで住むの」
知佳さんは満足し、そのまましばらく眺めた。
だが、いつものように想像が働かない。
それどころか、徐々に洞が気持ち悪いような気さえしてきた。
樹皮や虫がおぞましい。
この小さい空間に何かされそうだった。
人形のように自分も吸い込まれるかもしれない。
逃げたい気持ちとは裏腹に、体は強張って動けなかった。

「知佳ちゃーん! 何してるのー? 一緒に帰ろー!」
「あ、ああ!! なんでもない! 一緒に帰るー!」
友達に呼ばれた拍子に体の力が抜けて動けるようになった。彼女はそのまま逃げるようにして友達のもとへ走った。

そのうち土曜日の授業が2週に1度になり、卒業する頃には土曜日の登校自体がなくなった。
知佳さんは、逃げたあの日から『お部屋』を見ていない。
1度だけ勇気を出して見に行こうとしたそうだが、目印の、重なった根っこ自体が見つからなかったという。
彼女は未だに木の洞を見ると、体が強張る気がするらしい。

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